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夏の異界  作者: キタノユ
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ep.19 間違い探し

 樹の様子がおかしいことに気づいた湊が、横から一緒に表札を覗き込んだ。そこに彫られた『川峰』という見慣れない名字に、湊も「え、あれ?」と素っ頓狂とんきょうな声を上げる。

 湊は、石の表札と、血の気が引いて唖然とする樹の横顔との間で、何度か視線を行ったり来たりさせた。


「……隣の家とかは?」


 湊の言葉に、樹は弾かれたように隣家へと走る。その表札には、記憶にある通りの『田中』という名字。その隣も、知っている『加藤』さんの家だ。間違っていない。


 おかしいのは、相沢家だけ。


「た、たまたまだろ! 何かの間違いだって! 中に入って確認してみるか?」

 言い聞かせるように、湊が率先して玄関の引き戸に手をかけた。そして、力任せに横へ引く。

 だが、扉は、ぴくりとも動かなかった。


 鍵がかかっている、というのとは違う。まるで、家全体が一つの岩の塊かのように、完全に固定されてしまっているのだ。


「ちっ……」

 湊は舌打ちすると、庭側へ回り込み、縁側のガラス戸を揺さぶってみる。しかし、こちらも、どうやっても開く気配はなかった。


「……あかねぇな」

 その様子を、樹は、どこかぼんやりと見ていた。湊とは逆に、心のどこかで、ほっとしている自分がいる。この、自分の家であって、自分の家ではない不気味な建物の中を、見てしまうのが、怖かった。


「んじゃ、俺んちも確かめてみようぜ」

 湊が、顔色を無くしたまま立ち尽くす樹の手を、強い力で握った。


 湊の家があるのは、川下側。二人は、乾ききった川沿いの道を、ガラスの粒を混ぜたような灰色の塵を蹴散けちらしながら、ひたすら、まっすぐ走る。


 高くフェンスが張り巡らされた橋を通り過ぎると、やがて、見慣れた住宅街へたどり着く。

 瀬戸口家の家屋も、二人の記憶にある場所に、ちゃんとあった。

 樹の家のような立派な日本家屋ではない。昭和中期に建てられた、少し手狭なごく普通の瓦屋根の一軒家だ。


 湊が、おそるおそる門柱の表札を、袖でごしごしと擦る。

 現れたのは「瀬戸口」の文字。

「……っ」

 ほっと安堵のため息をついた湊だったが、次の瞬間、別の違和感に気づいて息を呑んだ。

「……車が、違う」


 瀬戸口家の駐車スペースには、湊の母親が乗る丸っこいフォルムの黄色い軽自動車が停められているはずだった。だが今、そこにあるのは見覚えのない黒いセダンと、一台の大型バイク。


「誰の車だ……」

 湊が、恐る恐るセダンのナンバープレートに付着した塵を指で拭う。

 現れた地名は――


「……品川」

「都内ナンバー……?」


「……たぶん、兄貴のだ」

 湊が絞り出すように言った。

「確か、お兄さんって……」

「東京で働いてる。今は夏休みで帰ってきたけど、電車で来たから車もバイクも無ぇ」

「や、やっぱり、あっちと、こっちじゃ、ちょっとずつ違うのかも……!」

 樹が、必死に頭を働かせ、答えを探そうとする。


「僕たちの世界と、この世界って、ほら、湊がいつもアイスを買ってくる、神社の近くの店、こっちだとシャッターが閉まってたし。きっとそういう風に、何かが少しずつズレてるんだ」

「……だよなぁ。っていうか、そもそもが全然、違ぇ世界なんだしな」

 湊も、空元気のように同意する。それ以外に、この不気味な事実を受け止める方法がなかった。互いに、無理やり納得するしかない。


「……とにかく、戻ろう」

 樹が言った。

 これ以上、自分たちの日常との「違い」を探すのが、怖かった。


「猫たちを、助けないと」

「あ、ああ……そうだな」

 うっすらとした寒気を振り払うように、二人は神社のある裏山に向けて、もと来た道を駆け出した。


 得体の知れない恐怖に追い立てられるように。



 二人は、もと来た道を駆けた。

 夏の世界の裏山で、子猫たちはすぐに見つかった。

 同じキャラクター毛布の上で、五匹の子猫が、身を寄せ合ってか細い声で鳴いている。母親の姿は見当たらない。やはり、誰かがここに捨てていったらしかった。


 樹が自宅から段ボールとタオルを持ってきて、湊が、怯える子猫たちをそっと中に移していく。すぐ裏の家の縁側で洗濯物を取り込んでいた老婆――樹も顔見知りの、田中さんが二人に気づいた。

「あら、樹ちゃん。どうしたんだい、その子猫たちは」

 事情を話すと、田中さんは「まあ、かわいそうに」と皺の刻まれた顔を曇らせた。


「……うちの猫が、最近子供を産んだんだよ。あの子なら、一緒に育ててくれるかもしれんねえ。よかったら、うちで預かろうか」

 その優しい申し出に、二人は顔を見合わせて、心から安堵した。


 子猫たちの無事を見届け、田中さんの家から辞去する。その瞬間、湊が持っていた灰色世界のブランケットが、ふわりと温かい光を放った。そして、感謝を告げるように、きらきらと輝く粒子となって、夏の青空へと昇っていく。


 今回の「落とし物」も、無事に解決した。

 助けを求めていた小さな命は、救われた。

 それなのに。樹と湊の心を満たしていたのは、いつものような達成感ではなく、晴れることのない、重苦しいモヤモヤだった。


 相沢家のはずだった表札に彫られていた、見知らぬ苗字。

 東京に住んでるはずの湊の兄の、車とバイク。

 いま自分たちがいる夏の世界と、同じようで、細かいところが色々と違う、灰色の異界。


 秘密基地の神社に戻った樹は、濡れ縁に腰掛けてノートを開いた。夏の日差しは、木々の葉を透かして、きらきらと地面に光の模様を描いている。その隣に、どかりと音を立てて湊が座った。


 二人は状況整理のために、自分たちがいる夏の世界と、あの灰色の世界との「違い」をリストアップしていくことにした。


「空がずっと灰色なこと、水が枯れていること、相沢家の表札、瀬戸口家の車とバイク、ヤマグチ商店のシャッター……」

 樹が、ペンを走らせながら呟く。

「……あと、何か気づいた違いって、ある?」

「んー……」

 湊は少し迷いながら、記憶を手繰り寄せるように視線を空に向けた。


「こっちの世界にはあって、あっちの世界には無かったもんは、いくつかあったな。公園にあった、よく分かんねぇキャラクターの、なんて言うんだあれ、乗るとグラグラ揺れるやつ。あっちの公園には、無かった」


 言われてみれば、灰色の世界の公園は、やけにだだっ広く感じた。

 人がいないからだけではなかったのだ。


「あ、それから懐中時計を見つけたバス停さ。あっちの世界じゃ、時刻表もベンチも、今よりずっとボロボロだったろ」

「本当だ……」

 湊の言葉に、樹はペンを走らせる手を止めた。

 確かにそうだ。だからこちらの世界では、懐中時計は時刻表のコンクリートの土台と地面の隙間に落ちていたのだ。


「逆はある? この世界にはなくて、あっちの世界にはあったものとか」

 湊は腕を組んで「うーん」と何度も首を傾げた。

「あったかなぁ……。でも、言われてみれば、あったような気もする……」


 そして、何か名案を思いついたように、はっと目を丸く見開いた。


「なあ、樹。間違い探しに行ってみるか?」

 その瞳には、新しいゲームのルールを見つけた子供のような、純粋な好奇心が宿っている。


「間違い探しか。調査の方針としては、すごく良いと思う。でも、もっと効率的な確かめ方はできないかな……あ」

 樹も、何かを思いつき、ノートをぱらぱらと捲った。

 見つけ出したページには、これまで「調査」のために図書館で読んだ本のリストが、几帳面な字で並んでいる。


「図書室とか、図書館はどうだろう。あっちの世界の。新聞の縮刷版とか、郷土資料みたいな記録が残っていれば、何かわかるかもしれない」

「なるほど」

 湊が、ぽんと手を叩いた。

「ダンジョンマップとか、古文書みたいな感じだな!」


 新しい町やダンジョンに着いたら、まず地図や情報を手に入れる。

 それは、ゲームの基本だ。


「うん。そんな感じだね」

 重苦しい空気を吹き飛ばす湊の明るさに救われた気持ちで、樹も笑った。


「んじゃ、決まりだな。あっちの世界の学校、行ってみるか!」

 湊は濡れ縁から軽やかに飛び降りると、樹を振り返り、片手を差し出した。

 夏の強い日差しを浴びて、日に焼けたその手が、やけに頼もしく見える。


 一人では、あんな怖い世界を探検することなんて、きっとできない。

 湊がいるから――


「うん」

 樹はノートをぱたりと閉じてリュックにしまうと、差し出された湊の手に、自分の手を差し伸ばした。

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