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夏の異界  作者: キタノユ
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ep.18 灰色の自宅

 翌日になっても、昨日の川辺での出来事は、鉛色のよどみのように二人の心に重く居座っていた。


 秘密基地である神社の濡れ縁に腰掛けても、交わす言葉は少ない。

 樹は膝の上でノートを開き、昨日の日付を記した。

『2014年8月2日』。その下に、イズミちゃんの誘拐未遂事件、と書き記す。


「落とし物」探しで初めて遭遇した、明確な悪意と「事件性」。

 それは、これまでの人助けとは全く質の違う後味の悪さを残していた。


「……結局、イズミちゃんは無事だったけど」

 樹が、ぽつりと呟く。

「もし本当にあの子を連れ去ろうと企んでたやつがいたなら……そいつは、今も野放しってことだよね」


 あの時、川原にいた網を持った男が犯人なのか。

 それとも、別に潜んでいたのか。

 未遂に終わった以上、確かめようがない。


「……駐在さんに、相談してみるか」

 沈黙を破ったのは、湊だった。

「何かあったら、またいつでも呼びなって言ってくれてたし」

「でも、警察は、何か事件が起きないと動けないって聞くよ。僕たちが見たのは、結局、何もしていない男の人だけだ」

「相談だけでもしようぜ。俺たちの勘違いかもしれねえけど、もし本当なら、パトロールとかしてくれるようになるかもしんねえ。そしたら、少しは違うんじゃねえか」


 二人は連れ立って、麓の駐在所へと向かった。

 ビジョンのことは伏せ、

「川遊びをしていたら、小さな女の子に話しかけている、少し怪しい雰囲気の男の人を見かけた」

 と、ありのままを話す。

 子供の戯言だと、笑われるかもしれない。


 だが人の善い駐在さんは、眉間に皺を寄せ、真剣な顔で二人の話に耳を傾けてくれた。

「……そうか。教えてくれて、ありがとうな」

 聞けばここ最近、この町でも不審な男の目撃情報が数件、報告されているのだという。


「川沿いも含めて、パトロールを強化するように、上に伝えておく」

 駐在さんはそう約束してくれて、最後に優しい言葉をかけてくれた。

「二人も、夏休みだからって、あまり危ない場所には行かないようにな」

 

 駐在所から秘密基地へ戻る道すがらも、二人の口数は少なかった。

 平穏に見えるこの町にも、子供たちを狙うような悪意が潜んでいる。

 色鮮やかな夏の世界が、少し薄暗く感じてしまう。


「……湊、行こう」

 神社に到着するや否や、樹は決意を秘めた声で言った。

「昨日みたいなことが、この町のどこかで、他にもあるかもしれない……」


 最初はシンプルな「落とし物のお届け係」のような冒険だった。

 それがいつの間にか、本当に正義のヒーローの仕事のようになってきている。


「だな、やれること、やろうぜ!」

 湊は力強く片手で拳を握った。

 最初の頃みたいに、「ヒーローだ!」とはしゃぐ様子は見せない。


 今の二人は、「ヒーロー」という言葉の、本当の重みを理解した気がした。



 決意を新たに、二人は再びお社の扉をくぐった。

 灰色の世界に足を踏み入れた瞬間、湊が「うわっ」と身を震わせる。


「どうしたの?」

「なんか……すごくひもじくて、助けてほしいって、強い気持ちが伝わってくる」


 湊が感じ取った、切実な救難信号。

 二人は、その感情が指し示す方角へと駆け出した。


 道すがら、樹は、見慣れた景色に入っていくことに気がつく。田んぼの脇の用水路、坂の途中にある古い自動販売機、特徴的な屋根の家。


「……湊、この道って」

「ああ。樹んちのほう、だよな」

 湊も、気づいていたようだった。


 湊に導かれるまま、二人は住宅群の裏手に広がる小さな山へと入っていった。いつもの世界では、子供たちの格好の遊び場になっている、いわゆる「裏山」だ。だが、今は、灰色の木々が墓標のように立ち並び、不気味な静寂に満ちている。


 その林の少し開けた場所に、それはあった。

 一枚の、キャラクターがプリントされた子供用の毛布。それが、地面で淡い光を放っている。


 樹が毛布に顔を近づけると、まぶたの裏に、ビジョンが流れた。


 ――ミャー、ミャー……


 まず耳元に聞こえてきたのは、か細い、複数の子猫の鳴き声。

 誰かが敷いてくれたのか、あるいは、ただ捨ててあったのか、キャラクター毛布の上で、小さな命が寒さに震えながら鳴いている。


「……もしかして、捨て猫か、迷い猫……かな」

 樹がそう言うと、湊の表情がぱっと和らいだ。

「捨て猫だったら、里親探しもだな!」

 久々の穏やかな落とし物に、二人は顔を見合わせて、ほっとした笑顔を綻ばせあった。


 緊張が解けたせいか、樹の口から、好奇心がぽろりとこぼれた。

「湊、あ、あのさ」

「ん?」

「せっかくだから……ちょっと、僕の家、見てみたいな……なんて」

「だよな。確か、この辺りだったもんな。行ってみようぜ!」


 裏山を背負うようにして建つ、大きな昔ながらの日本家屋。

 樹が知る「相澤家」の家屋はそこにあった。


 ただ、やはりその姿は、樹の記憶の中にある夏の景色の中にある相澤家とは似ても似つかなかった。丁寧に手入れされていたはずの庭は、灰色のガラス粒の砂にまみれた雑草に覆われている。黒光りしていたはずの瓦屋根は、降り積もった塵で鈍い鉛色に沈んでいた。


 敷地の外側から、樹は息を潜めて家の中の様子を窺った。

 埃をかぶった窓ガラスは、灰色の空を鈍く反射するばかりで、中の様子はよく見えない。


 樹は、居間だったはずの部屋の窓に目を凝らした。

 静まり返った、暗い空間。家具らしき輪郭が、ぼんやりと影のように浮かんでいる。


 その影の間を今、一瞬、何かが動いたような――。

「……っ」

 樹は、心臓が凍る思いで後ずさる。

 とっさに、隣に立つ湊の服の裾を強く握りしめていた。

「樹?」

「ごめん……気のせい」

 もう一度、目を皿のようにして見つめても、そこにはただ、動かない家具の影があるだけだ。


 怪談やホラー話の見過ぎだ。

 樹は、激しく脈打つ胸を押さえながら、必死に自分に言い聞かせた。


「想像はしてたけど、やっぱり不気味……」

 樹は家屋の正面に回りこみ、玄関への入り口となる門柱へと近づいた。


 門柱にこびりついた灰色の塵を、指で払い落とす。

 硬い、表札の石の感触がした。

 ざり、ざり、と音を立てて、こびりついた粒を擦り落としていく。

 やがて、その下に彫られた、名字が現れた。


 そこに書かれていた表札の文字は、『川峰』。


「……え……」


 相沢、ではなかった。

 表札は、目の前の家屋が、知らない誰かの住処であることを示していた。


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