ep.11 クエスト
先に神社に辿り着いていた樹は、高台にぽつりと建つお社の縁側に腰掛け、膝の上で真新しいノートを開いていた。一ページ目の、一番上の行に、今日の年月日を記す。
『2014年7月25日』
今日から始まる、湊との異界での冒険。そのすべてを、記録するためだ。
木々を潜り抜けて冷やされた風が心地よい。
ここは、果てしない夏休みの始まりを告げる、二人の聖域であり、最高の冒険の拠点だった。
タタン、タタタン、とリズミカルな足音が石段を駆け上がってくる。
時々、二段飛ばしをするその身軽さで、樹は顔を上げずとも、それが湊だと分かった。
「お、早いな樹。はよ!」
樹の顔を認めると、湊はぱっと面持ちを明るくする。
挨拶もそこそこに、湊は樹の横を通り過ぎ、お社の観音開きの扉を開けた。
そこにはやはり、変わらず空間がぐにゃりと曲がったような、異界への入り口が存在している。
「よしよし、ちゃんとあるな」
湊が満足げに頷いた、その時だった。
石段の下から、新たな人の気配が近づいてくる。ぎこちない、ゆったりとした足音が、二つ。
二人は視線を交わすと、慌ててお社の裏手へと身を隠した。
やってきたのは、初老の女性と、小さな孫らしき女の子の二人連れだった。
「おや、珍しい。今日はお社の扉が開けられているね。誰か、空気の入れ替えでもしているのかねえ」
「おばあちゃん、あのちっちゃいおうちに、かみさまがいるの?」
そんな会話をしながら、二人はお参りを済ませると、長居はせずに再び石段をゆっくりと下りていった。
息を潜めていた樹と湊は、人気がなくなったのを確認して、お社の裏からそろりと出てくる。
「……小さい子にも、お年寄りにも、あっちへの入り口は見えてなかったみたいだね」
樹が呟く。
子供や老人には霊的なものが見えやすい、というオカルトの通説は、どうやらこれには当てはまらないようだ。
「ここ見つけて、もう一週間くらい経つだろ? こうやってたまにお参りに来る人もいるのに、まだ誰にも見つかってないってことは……やっぱり、俺たちが特別なんだな」
と湊。
特別――その言葉には、少年二人の胸を躍らせる、魔法がかかっている。
湊が樹の手元に握られたノートに気づく。
「何書いてたんだ?」
「ああ、これは……」
樹がノートを見せると、「自由研究か!」と湊が悪戯っぽく突っ込んだ。
「……まあ、自由研究みたいなものだよ。あの世界の正体を、ちゃんと解明したいんだ」
それに、と樹は少しだけ声を揺らがせた。
視線を落とし、照れくさそうに続ける。
「せっかくだから……大事な思い出に、したいなって思ってさ」
「……」
ほんの一瞬、湊の言葉が途切れた。
樹が顔を上げると、湊は少しだけ驚いたように目を見開いていた。
やがて、その表情が、いつもの太陽みたいな笑顔にはじける。
「んだな。特別な夏休みにしようぜ!」
湊がにかりと笑うと、樹もつられて、柔らかく笑った。
二人の、たった一度きりの夏が、始まった。
*
最初に湊が「こっちだ」と向かったのは、指輪を見つけた公園だった。
「なんか、すげぇしょんぼりした気持ちが伝わってくる」
湊の後について、涸れた噴水広場を通り抜け、背の高い木々に囲まれた広場に出る。
「あそこ、何か光ってる」
「ほんとだ」
一本の樹木の根元に、赤いプラスチック製の、小さな飛行機のおもちゃが、淡い光を放って落ちていた。
「何か、見えるか?」
湊がそれを拾い上げ、樹の前に掲げる。樹がその赤い機体に視線を集中させると、ビジョンが流れ込んできた。
――あ、どこ行くの!?
小さい男の子の、焦った声。
噴水広場の方から、風に乗ってふらふらと飛んでくる飛行機のおもちゃ。
次の瞬間、強い風にあおられて、飛行機はあっという間に高い木の枝の上へと引っかかってしまう。
泣きじゃくる男の子が、母親に手を引かれて、何度も木の上を振り返りながら公園を去っていく。
「遊んでいたおもちゃを、風でなくしちゃったみたいだ」
「よし、戻ろうぜ」
夏の世界へ戻った二人が公園へ駆けつけると、まさにビジョンと同じ光景が目の前で始まろうとしていた。
母親に手を引かれた幼い男の子が、広場に向かって持っていた赤い飛行機のおもちゃを、えいっと放ったのだ。
飛行機は、風に乗ってふらふらと飛んでいく。
直後、ごうっと一際強い生暖かい風が吹き抜けた。
機体がぐんと高度を上げた――その瞬間、湊が地面を蹴った。見事に飛行機をキャッチ。
「すみません、ありがとうございます!」
母親が慌てて、子供と一緒に小走りに駆け寄ってくる。
「今日は風が強いから、外で飛ばすのは危ないかもよ。あそこの木に引っかかっちゃうかも」
湊が広場の高い木を指さしながら男の子に言うと、また一際強い風がざわわっと木々の梢を揺らした。母親は「まあ、本当」と目を丸くする。
「助かったわ、初めてこの子が作った飛行機だったから、なくさなくて良かった」
そう、改めて二人に深々と頭を下げ、母親は男の子の手を引いて去っていった。
母子を見送った湊は、数歩下がったところで見守っていた樹に、向き直る。
「飛行機は?」
樹の手の中で、光る飛行機がすっと透明になり、消えていく。
夏休み一つ目の「落とし物クエスト」、クリア。
幸先の良いスタートだ。
「湊のジャンプ力、すごいね」
「こう見えても、バスケじゃブロックとかリバウンドが得意なんだぜ」
湊は、誇らしげに胸を張った。
「よし、次行こうぜ!」
二つ目の「クエスト」に着手するため、二人は再び神社へ向かった。
*
▼樹のノートより
2014年7月25日
落とし物リスト
1・飛行機のおもちゃ(**公園)
2・赤いお守り(**商店街)
3・ピンクのリボンの麦わら帽子(**貯水池)
今日は落とし物を三つ拾って、持ち主に届けることができた
<メモ>
灰色世界への入り口は、お年寄りや、小さい子どもにも見えないっぽい