ep.9 ゲーム
再び神社に戻った二人。
木陰に腰を下ろすなり、樹はリュックからノートとペンを取り出し、再び分析を始めた。
「指輪の時は、ほんの少し未来に起きるはずだった出来事だった。でも、今回の懐中時計の時は、何年も前の出来事で、持ち主はもう亡くなっていた……」
樹は、ペン先でノートの紙面をとんとんと叩く。
「ますます法則が分からなくなってきたな……。『落とし物』は、未来のことだったり、過去のことだったりする」
難解な謎を前にして唸る樹とは対照的に、湊の表情は、先ほどよりもいっそう、ワクワクとした輝きを帯びていた。
「ルールはよくわかんないけどさ」
湊が、キラキラした目で樹を見る。
「でもこれって、人助けになるんじゃねぇか?」
「……人助け?」
「おう! 指輪の時は、プロポーズが成功して、公園のみんなでお祝いできた。時計も見つけることができて、おばさんに喜んでもらえたし、じーちゃんばーちゃんも、きっと天国で喜んでるって!」
湊は、まるで新しいゲームの攻略法を見つけたかのように、興奮気味に続けた。
「俺の、この『アイテム発見スキル』と、樹の『未来視か過去視か分かんないけど何か視えるスキル』を使えばさ、あっちの世界の『落とし物』をもっと探せるんじゃないか!?」
人助け。アイテム。スキル。
「俺ら、ヒーローっぽいじゃん?」
湊が、とどめとばかりに、にかりと笑った。
少年心をくすぐる言葉の連続に、樹は自分の頬がカッと熱くなるのを感じた。
馬鹿馬鹿しい。
そう思う理性の声が、心の奥で鳴り響くレベルアップのファンファーレにかき消されていく。
これは、ただの怪奇現象じゃない。
僕たちだけが成し遂げられる、人助け。
そう思うと、あの不気味な灰色の世界さえも、攻略すべきダンジョンのように思えてくる。湊の単純さが、いつだって、樹の固い理屈の殻を、いとも簡単に打ち破ってしまうのだ。
湊が勢いよく立ち上がった。
「よし、そしたら、この神社は『秘密基地』な。冒険の拠点だ。そんで……」
バットケースとリュックを担ぐと、湊はお社の裏手へと回る。樹も、慌ててノートとペンを抱えてその後を追った。湊は、お社の縁の下の薄暗い空間に、リュックやバットケースを慣れた手つきで押し込んでいく。
「ここが、アイテム置き場な。あっちの世界に行く時に使うものは、ここに置いとこうぜ」
連休が明ければ、すぐに夏休みが始まる。
こうして、樹と湊の、奇妙な「夏の異界」の冒険が、本格的に幕を開けたのだった。
*
教室の壁にかけられた日めくりカレンダーの数字は、2014年7月24日を示していた。
黒板には、担任の丸っこい字で『終業式』とだけ書かれている。
ホームルームが終わるや否や、教室は解放感と夏休みへの期待で爆発したような喧騒に包まれた。
その騒ぎを遠くに聞きながら、樹は教室の隅で黙々と帰り支度をしていた。
教室の反対側、ドアに一番近い一角では、湊が他のクラスメイトたちに囲まれている。
「で、湊はどーすんのよ、夏休み。あたしね、ユメステ行くんだー」
「あー、それって去年、新しくできたテーマパーク? いいなー、お土産よろ!」
「バスケ部、二回戦で終わったし、暇でしょー?」
「うるせーな」
軽口を叩かれ、湊は楽しそうに笑って返す。
「ん~……ま、ボランティアでもするかな」
冗談めかした湊の言葉に、周囲から「うっそだー!」「ガラにもねーこと言ってやんの!」と、からかう声が飛んだ。
ボランティア。
その言葉の本当の意味を知っているのは、この教室では樹だけ。
ふと、クラスメイトたちの輪の中から、湊が樹を見た。
目が合う。
湊は、誰にも気づかれないように、にかりと悪戯っぽく笑った。
樹も、少し恥ずかしいような、嬉しいような気持ちで、小さく口元だけで笑みを返す。
樹は改めて、湊を取り囲むメンバーに目をやった。
男子は他の運動部のエース格の生徒たち、女子もクラスの中で特に目立つ、髪の毛を明るくして、巻き髪にして、手首にアクセサリーをつけているような、少し派手なグループの子たち、いわゆる「カースト上位」というやつだろう。
その中の一人、髪を少し明るい茶色に染めている女子生徒が、大きな声で笑った。
樹が、何気なくその横顔を見やった、瞬間。
「っ……!」
急に、目の前に、ノイズが走った。
視界の中心で笑い合っている湊と、明るい髪の女子生徒の映像が、砂嵐に揺れる。
「う……」
強い目眩に、樹はぐっと固く目を閉じた。
再び目を開くと、そこには先ほどと変わらない、騒がしい教室の風景が広がっている。
湊と茶髪の女子生徒は、まだ仲間たちと笑い合っていた。
他の生徒たちは、夏休みへの期待に満ちた顔で、続々と教室から出ていく。
「こっち」の世界では久しぶりに感じた、予知のような、何も見えなかったけれど、何か嫌な気配。
「何だったんだ、今の……」
不吉な予感の欠片が、喉の奥に突き刺さった小骨のように、樹の心をざわつかせた。
そのざわめきを振り払うように、樹は鞄を肩にかけると、足早に教室を後にした。
学校を出た瞬間から、忘れられない夏休みが、始まるのだ。