洛陽の宴と新たな任地への出発
林暁が虎賁中郎将に任じられて間もない頃、洛陽の宮城では、蜀漢平定を祝う盛大な宴が催されていた。林暁もまた、その宴席に列席するよう命じられた。玉座の間は、煌びやかな絹の幕で飾られ、金銀の食器が所狭しと並べられている。料理の香りが立ち込め、楽人たちの奏でる調べが、華やかながらもどこか厳かな雰囲気を醸し出していた。
豪華絢爛な宴が続く中、蜀の音楽が演奏され始めた。哀愁を帯びた、故郷を懐かしむような調べが、広間に静かに響き渡る。その音色に、かつての蜀の旧臣たちの何人かは、故郷を思い出し、堪えきれずに落涙していた。中には、酒で顔を赤らめ、嗚咽を漏らす者さえいた。しかし、その中にあって、降伏した蜀漢の皇帝、劉禅は、まるで何もなかったかのように、ただ笑っていた。その顔には、一点の曇りもなく、むしろこの宴を楽しんでいるようにさえ見える。
その様子を見た司馬昭は、傍らにいた賈充に低く語りかけた。その声は、周囲の喧騒にかき消されることなく、林暁の耳にもわずかに届いた。
「人はここまで無情になれるものなのか。あの諸葛亮でさえ補佐し切れなかったのだから、姜維には尚更無理であったろうよ」
司馬昭の言葉には、劉禅への憐憫と、それ以上に、自身の勝利を確信させるような冷徹な満足感がにじんでいた。まるで、この乱世における人間の本質を試しているかのようだった。賈充は、司馬昭の意図を汲み取り、すかさず答えた。
「そうでなければ、殿下はどうして蜀を併合できましたでしょうか。天の意思が殿下にあるという証拠でございましょう」
さらに、司馬昭は、悠々と酒杯を傾けている劉禅に直接問いかけた。その声は、宴のざわめきの中でもはっきりと聞こえるほど、場の注目を集めた。
「蜀の地を思い出しますかな?」
劉禅は、少しも臆することなく、屈託のない笑顔で答えた。その表情は、まるで遠足に来た子供のようだった。
「いいえ、ここは楽しく、蜀を思い出すことはありませぬよ」
この言葉には、家来のみならず、列席していた将たちさえも愕然とさせられた。彼らの間には、どよめきと囁きが広がった。林暁もまた、思わず息を呑んだ。
(おいおい、劉禅、お前マジかよ!? こんな場で、そんなこと言っちゃって大丈夫なのか? 故郷を捨てた薄情者、いや、天下の愚君だと思われても仕方ないぞ。歴史書には「阿斗は愚か」って書かれてるけど、これはもう、愚か通り越して肝が据わりすぎだろ……いや、待てよ? この状況で、あえてこの答えを出すのは……?)
林暁の傍に居た郤正が、劉禅の耳元でそっと諫言した。その様子は、他の者には気づかれぬよう、細心の注意が払われていた。
「あのような質問をされたら、『先祖の墳墓も隴、蜀にありますので、西の国を思って悲しまぬ日とてありませぬ』とお答えください。それが、殿下の真情を表す言葉にございましょう」
数日後、司馬昭は再び劉禅を呼び出し、同じ質問を投げかけた。まるで、前回の答えが彼の本心かどうかを試すかのように。
「蜀の地を思い出しますかな?」
これに対し、劉禅は事前に言われた通りに答えた。
「はい、先祖の墳墓も隴、蜀にございますので、西の国を思って悲しまぬ日とてありませぬ」
司馬昭は、劉禅の答えに涼しい顔で返し、その真意を探るような笑みを浮かべた。その目は、獲物を品定めする鷹のようだった。
「これは、郤正殿が仰ったことと全く同じですな」
劉禅は、その言葉に驚いて「はい、仰る通りです」と答え、やがて大笑いになった。その場は、再び沈黙に包まれた。司馬昭の冷徹な笑みと、劉禅の間の抜けたような大笑いが、対照的ながらも異様な雰囲気を醸し出す。
林暁は、この一部始終を聞いて、内心で劉禅を高く評価した。その評価は、彼がこれまで抱いていた歴史の知識を大きく揺るがすものだった。
(なるほど、劉禅は愚かではない。いや、むしろ賢い。全てのことが終わり、尚も足掻くのは無駄死にであることを、彼は誰よりも理解しているのだ。愚者を装うことで、司馬昭の警戒心を解き、自らの命と、残された旧臣たちの安寧を守ろうとしている。まさに大智は愚の如し……。歴史書の「阿斗は愚か」という評価は、このための彼の演技だったのか? 策士・姜維を師匠とする俺でさえ、彼ほどの境地には達していないかもしれない……。この時代、生き残るためには、ただ優秀なだけではダメなんだ。時に愚を装い、敵を欺き、己の身を護る術も必要なのか……)
林暁は、この劉禅の振る舞いから、この乱世を生き抜くための新たな知恵を得たように感じた。
司馬昭は、劉禅を警戒するかの如く、しかしその真意は彼を保護するためだったのだろう、劉禅を故郷である幽州に送り、安楽公として余生を過ごすように手配した。これによって、劉禅は都の権力闘争から完全に隔離され、平穏な晩年を送ることになる。事実上の幽閉ではあるが、その命は保証されたのだ。
そして、司馬昭は、林暁に対して新たな勅命を下した。それは、宴の後、林暁が司馬昭の執務室に呼び出された時のことであった。
「林暁よ、貴殿には、兵五千を率いさせ、涿郡太守に転任させる。涿郡は、幽州の南に位置する。辺境ではあるが、その要衝は貴殿の才に相応しい」
林暁は、司馬昭の言葉に一瞬たじろいだ。
(ほう、涿郡太守か……幽州だな。劉禅の動向監視、という名目もあるだろうな。だが、それだけではないはずだ。俺を洛陽から遠ざけることで、側近たちの嫉妬の矛先をかわし、俺の身を護るという意味もあるだろう。そして、俺の才を、都の権力闘争で潰したくないという考えもあるのかもしれない。司馬昭も、意外と人情味があるのか……いや、そんなはずはない。全ては計算の上だ。俺の力を、確実に自らの天下統一に利用するための方策に過ぎない。しかし、この人事は、彼にとってはまさに一石三鳥の策なのだろうな……)
司馬昭の側近たちは、林暁が都を離れることに安心した。彼らにとっては、林暁という新たな「脅威」が遠ざかることは、何よりも喜ばしいことだったからだ。
(林暁を遠くにやることで、彼を妬む側近たちの警戒心を解き、無用な軋轢を避けることができる。そして、遠くにやることで、林暁を護ることにも繋がる。都の権力闘争に巻き込まれ、その才が潰えるのを防ぐことができるのだ。さらに、劉禅以下の蜀の旧臣たちが幽州に送られた今、彼らを監視する上で、信頼できる林暁を近くに置くことは理にかなっている。まさに、一石三鳥だな……。この林暁、期待に応えてくれると信じよう。いや、林暁ならば必ずや、この役目を果たしてくれるだろう)
林暁は、再び新たな任地へと向かうことになった。自由への道は相変わらず遠いが、それでも、都の権力闘争から一時的に離れられることに、かすかな安堵を覚えた。
一方、洛陽では、司馬昭による天下統一に向けた準備が着々と進められていた。
咸熙元年五月、司馬一族の功績を称え、父の司馬懿が晋の宣王に、兄の司馬師が景王にそれぞれ追尊された。これは、曹氏から禅譲を受け、新たな王朝「晋」を樹立するための地盤固めであり、司馬氏が天下を掌握する正当性を内外に示すものであった。
七月には、五等爵を置くなど諸制度を改革し、晋王朝の基盤を磐石にするための大改革が断行された。荀顗が礼儀を定め、賈充が法律を正し、裴秀が官制を改め、鄭沖が全体を統括するなど、司馬昭の信頼厚い重臣たちがその辣腕を振るった。新たな秩序が、洛陽から天下へと広がりつつあった。
兄の司馬師に後嗣がなかったため、その職責を継いだ司馬昭だが、自分の庶子の司馬攸を司馬師の後嗣とし、世子に立てようと考えていた。司馬攸は聡明で武勇にも優れ、司馬師の養子として多くの人望を集めていたからだ。しかし、何曾らが嫡子の司馬炎を立てるよう強く勧め、激しい議論が交わされた。これは、司馬氏の血筋と、来るべき晋王朝の正統性を巡る、水面下の激しい権力闘争であった。
最終的にこの年、司馬炎が晋王の世子となった。司馬昭の決断は、晋王朝の未来を大きく左右するものであった。これは、司馬炎の背後に控える旧来の有力者たちの意向を汲み取った結果であり、司馬昭の政治的手腕を示すものでもあった。
林暁は、洛陽を離れ、涿郡へと向かう道中で、司馬氏が着実に天下統一への歩みを進めていることを肌で感じていた。彼の存在が、この歴史の大きな流れの中で、どのような役割を果たすことになるのか。涿郡での新たな生活が、彼の旅に、どのような変化をもたらすのか。林暁は、まだ知る由もなかった。馬車の窓から見える広大な平野に、林暁の新たな不安と希望が、漠然と広がっていった。




