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デビルアカデミア~ 悪魔学園の禁断の封印を解くのは俺だけでいい ~  作者: 雪沢 凛
第十三章

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選び (7)

 夜の帳が下り、学院の寮は静けさに包まれていた。

 アリアンは部屋に戻ると、肩から鞄をそっと下ろした。

 ポケットに手を入れ、ヘレンから渡された小さな紙片を取り出す。


 窓辺から差し込む月明かりの下で、その一行の数字がくっきりと浮かぶ。

 まるで手軽に逃げ出せる出口のように見えるのに、胸を強く圧迫する存在だった。


 ベッドの端に腰を下ろし、じっとその紙を見つめる。

 心の中には絶え間なく声が響く。


「何が欲しいの? 答え……それとも、ただもう一度父さんに会いたいだけ?」


 かすかな声で自問しながら、指先は無意識に紙片を握り締めた。

 頭の中を過去の記憶が次々と押し寄せる。

 父の腕に抱かれたあたたかさ、優しい声。

 だがそのすぐ後に、冷たい現実が顔を出す。

 血に染まった事実、裏切りの言葉、痛み――。


 部屋の隅からはセレナの寝息が聞こえた。

 規則正しく、落ち着いた呼吸音。

 アリアンはその寝顔を横目に見ながら、胸の奥がさらにかき乱される。


 セレナはあの男を絶対に許さないと言った。

 けれど、自分の中にはまだ理解したい気持ちが残っている。

 父の冷酷さの裏に、本当に何もなかったのか。

 何も言えない理由があったのではないか。


「……セレナ。」

 小さく名前を呼んだが、それ以上の言葉は出なかった。


 わかっていた。


 今この気持ちを口にしたら、セレナは全力で止めるだろう。

 でも――


 心の奥から聞こえる声は一層強くなる。


「私は知りたい。」

 紙片をそっとポケットに戻し、アリアンはゆっくりと横になった。

 目を閉じても、胸に巣くうそのざわめきは、消えてくれなかった。


◆ ◆ ◆


 昼下がりの陽光が寮の廊下を優しく照らしていた。

 アリアンは小さなバッグを肩にかけ、部屋の扉をゆっくりと閉める。

 振り返ると、静まり返った部屋の中にセレナの姿はなかった。


 それがむしろ都合が良かった。

 彼女がいたら、絶対に止められてしまう。


 でも、もう決めていた。

 心の奥に居座る父への疑問と期待が、すべてのためらいを押しのけていた。


 そっと深呼吸し、アリアンは歩き出す。

 宿舎の廊下を抜ける足取りは早く、しかし慎重だった。

 外に出ると、学院の中庭は冬休み間近の穏やかな空気に包まれている。

 遠くの芝生では数人の生徒が笑い声を上げていたが、その声もどこかぼんやりとしていた。


 アリアンは人目を避けるようにメイン通路を外れ、裏門へと向かう。

 ポケットに入れた紙片を指先で確かめ、胸の鼓動が早まるのを感じた。

 このことを誰にも言わずに済ませるしかない――そんな決意が瞳に宿る。


 だがその様子を、誰かが見逃してはいなかった。

 学院の渡り廊下の影に立つカルマが、腕を組みながらその後ろ姿を目で追う。


「……どこへ行く気?」

 小さく呟き、口元にわずかな笑みを浮かべた。

 けれどその目は鋭く、疑念と警戒が滲んでいた。


 カルマはゆっくりとその場を離れ、足音を忍ばせて彼女の後を追い始める。


◆ ◆ ◆


 車はやがて街外れの荒れた工業地帯へ入り込む。

 錆びついた柵を抜け、ひび割れたアスファルトを軋ませて進んだ末に、廃工場の前で停まった。


 アリアンは深く息を吸い込むと、ゆっくりと車を降りた。

 足元の砂利がざり、と乾いた音を立てる。

 胸の奥では心臓が痛いほどに脈打っていた。

 手のひらには冷たい汗が滲む。


 ヘレンは無言で先を歩き、アリアンもその後を追うように朽ちた大扉をくぐった。

 中は暗く、崩れかけた壁や折れた鉄骨が影を作り、空気はひどくひんやりしていた。


「アリアン、来たのか。」

 低く沈んだ声が、工場の中央から響いた。


 アリアンははっとして顔を上げた。

 割れた窓から差し込む弱い光に、男の背中が浮かび上がる。

 その姿に、心臓が一瞬止まりそうになった。


「……お父さん。」


 掠れた声が喉を震わせる。

 言葉はすぐに途切れ、胸の奥から込み上げるものを必死で飲み込む。


 視界が揺れる。

 思い出と現実が混ざり合い、頭の中が真っ白になった。


 ゆっくりと男――イアンが振り返る。

 黒い瞳がかすかに光を帯び、唇にわずかな微笑を刻む。


「来ると思っていたよ。」

 その声は妙に優しかった。


「……私……」

 アリアンの喉が詰まり、指先がかすかに震えた。

「本当に……それが、全部……あなたにとって価値があることだったの?」


 イアンはすぐには答えなかった。

 鋭くも穏やかにも見える目で、娘の顔をじっと見つめる。

 そして、低く落ち着いた声で告げる。


「価値があるかどうかは、結果が決める。お前は……その鍵だ。」


「鍵……?」

 アリアンは一歩後ずさり、声がわずかに震えた。

「私は……あなたの道具じゃない! 私を使って……自分の計画を達成しようとしてるだけでしょう!」


 イアンは微笑を消し、ゆっくりと近づいた。

 声はあくまで静かだが、そこに冷たい圧が潜んでいた。


「アリアン。お前はまだ知らない。世界がどれだけ醜く、残酷かを。

 だからこそ、自由を与えるために、私は――」


「自由?」

 アリアンの声がかすれ、目に涙がにじんだ。


「その“自由”は……セレナやみんなの痛みの上に築くものなの?

 ……あなた、セレナのことだって娘だって言ってたじゃない!」


 イアンの目がわずかに鋭くなり、口元の線が冷たく引き締まった。

「セレナは私を裏切った。お前にはその意味が分からないだろう。」


 その時――

 暗闇の奥から低い声が響いた。


「――じゃあ、お前は分かってるっていうのか?」


 アリアンはびくりとして振り向いた。

 そこには、工場の壁際の影から歩み出るカルマの姿があった。

 その双眸は薄暗い光の中で金を帯びた緑にきらめき、氷のように冷たい光を放っていた。


「……カルマさん?」

 アリアンは目を見張り、声を震わせた。

「どうして……ここに……」


 イアンは口元を歪め、嘲るように低く笑った。

「アリアン。いい客を連れてきたな。実に親孝行な娘だ。」


 カルマはアリアンを一瞥もしないまま、イアンを真っ直ぐに睨み据えた。

 その声は刺すように鋭かった。


「五年前に来られなかった分、今埋め合わせに来た。……嬉しいだろう?」


 イアンは鼻を鳴らすように笑った。

「五年越しで? ……何をするつもりだ?」


 カルマの目が細まり、声が低くなった。


「何をするって? お前がエンを傷つけ、ソレイアを奪った……

 その借りを、ここで返す。」


「借りだと?」

 イアンはあざ笑うように目を細めた。

「お前ひとりで? それで私に勝てるとでも?」


 カルマの唇が歪む。

「試してみる?」


 その瞬間、空気が弾けた。

 カルマの全身が赤い光に包まれ、一直線にイアンへと飛ぶ。

 指先から放たれた炎が刃のように弧を描き、胸元を貫こうとした――


 だが床が轟音を立てて裂け、そこから這い出た巨大な魔獣がカルマの進路を遮った。

 獣の咆哮が廃工場を震わせる。


 イアンは口角を冷たく釣り上げ、黒い瞳に残酷な光を宿した。


「ソレイア……あんなに近くにいたのにな。

 手を伸ばせば触れられる距離で、何も気付けなかったとは。」

 声が低く冷たく、突き刺すようだった。


「……滑稽だな。」


「……ふざけるな!」


 カルマの目が鋭く光り、怒りと混乱がないまぜになった声を吐き捨てた。

「お前の口からソレイアの名を出すな!」


 イアンは肩をすくめ、軽蔑を込めた声で言い放つ。

「その程度の理解力でよくも粋がったものだな、カルマ。」


 再び床が割れ、続けざまに魔獣が這い出てくる。

 廃工場は地獄のような咆哮に満ちた。


 カルマは素早く後退し、背中から大きな翼を広げると音もなく舞い上がる。

 目には冷たい光が宿り、声はさらに低く鋭くなった。


「またその程度の小細工か。」


 両手を広げると、周囲の空気が一瞬で熱を帯びる。

 手のひらで渦を巻いた炎が膨れ上がり、巨大な火球となって魔獣めがけて放たれた。


 爆音と共に炎が魔獣を包み込む。

 悲鳴が木霊し、黒煙が工場の天井を突き破るように昇った。


 カルマの目が細められ、口元には冷たい笑みが浮かぶ。

「そんなもので私を止められると思った?」


 赤い光の尾を引きながら、再び地を蹴るように飛び込むカルマ。

 そのたびに炎が炸裂し、魔獣たちが断末魔を上げた。

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