断章 (2)
セレナの目が鋭くなり、一瞬何かを言いかけたが、結局唇を噛み、黙り込んだ。
葛藤がその目にありありと見えた。
ノックスは二人を交互に見やり、小さくため息をついた。
「……そうする理由があったんだろ。」
彼は少し間を置き、言葉を足した。
「だろ?」
セレナは深く息を吐き、声を低くした。
「そうよ。伊恩に利用され続けた。私はただの道具で、アリアンは別の“駒”だった。でももうあいつには好き勝手させない。私の姉を、もう傷つけさせたりしない。」
アリアンはその言葉を聞き、目を見開いた。
頭の中で整理が追いつかず、ただセレナを見つめたまま、続きを待っていた。
セレナは視線を落とし、声を低くした。
「五年前、あの人たちに連れ去られて、イアンの前に差し出された。彼は私の力を欲しがり、いろんな改造を施した。でも……どれだけ絶望しても、自分が誰かを忘れたことはなかった。」
言葉を切り、しばらく感情を抑えるように唇を噛むと、また静かに続けた。
「限界まで追い詰められたとき、アリアンの笑顔や温かさを思い出していた。それが私の生きる目標で、希望だった。」
セレナはゆっくりと顔を上げ、複雑な表情でアリアンを見つめた。
「だからこそ、あんたには危ない目に遭ってほしくなかった。巻き込ませたくなかった。全部私が引き受けてでも、あんたにはこの争いから離れていてほしかった。太陽はただ静かに照らしていればいい。こんな闇に汚れる必要はない。」
アリアンは目を見開き、何かを言おうとしたが、喉が詰まったように声が出ず、ただ浅く呼吸を繰り返した。
セレナの視線はノックスに移り、わずかに棘のある声になった。
「でも、あんたが現れたことで、全部変わった。アリアンの意識はあんたに向かい、私の存在なんて段々どうでもよくなった。」
ノックスは眉をひそめ、皮肉っぽく言い返した。
「それで俺を襲ったり、怒ったりしてたわけか?」
セレナは鼻で笑い、そっぽを向いた。
「別に認めるつもりはないわ。」
アリアンは思わず立ち上がり、少し震える声で叫んだ。
「ノックスだけなんて見てない!私だって、ちゃんとセレナのこと心配してた!」
その言葉に、セレナは鋭くアリアンを見つめた。しかしアリアンは視線を逸らさず、口を開きかけては飲み込むように言葉を詰まらせた。
「ただ……」
アリアンはうつむき、服の裾を握りしめた。
「いつも冷たくされて、どう近づけばいいか分からなかったの。何かしたら嫌われるんじゃないかって……怖かった。」
声はだんだん小さくなり、最後にはほとんど聞こえないほどに。
アリアンは唇を噛み、目元が赤く滲むのを必死で堪えていた。
セレナはそんなアリアンをじっと見つめ、わずかに口を開きかけたが、結局何も言えずに目を逸らした。窓の外を見つめるその横顔は、どこか逃げるようでもあった。
ノックスは小さくため息をつき、二人を交互に見てから、ぼそりと呟いた。
「お前ら、どっちも相手のことを大事に思ってるのに、わざわざ離れてどうするんだよ。時間の無駄だろ。」
セレナの目が鋭くなり、冷たく言い返した。
「親に守られて育ったあんたには分からない。」
その瞳には深い苦味と疲労がにじんでいた。
ノックスはその言葉に少し怯んだように目を伏せた。
セレナの言う「改造」や「非人道的なこと」という言葉が、彼の頭の中でぼんやりとした恐ろしいイメージを形作っていった。
そのイメージは重たく胸を締め付け、吐き気がするほどに痛かった。
ノックスは傷ついた左腕を抱え込むように握りしめ、吊り帯に指をめり込ませた。
その痛みで心を落ち着けようとしたが、決して消えはしなかった。
ふと脳裏をよぎるのは、あの時の手の感触――崩れそうになった彼の頬に触れた、あのわずかな温もり。
目を閉じ、その記憶に一瞬救われながらも、それが余計に胸を締め付けた。
セレナはノックスのそんな様子に気づき、視線を落として小さく息を吐いた。
「……ごめん。そんなこと言うべきじゃなかった。」
その声はかすかだったが、確かな謝意が込められていた。
ノックスはゆっくりと顔を上げ、セレナを見つめた。
視線が交わると、複雑な感情が静かに和らぎ、やがてかすかな理解と受容へと変わっていった。
何も言わず、ただ小さくうなずくノックスの姿は、「分かってるよ」と伝えていた。
アリアンの視線がセレナの顔に向けられ、不安と戸惑いが混じった声が漏れた。
「セレナはお父さんに連れて来られたんだよね……じゃあ、私は? 私も……本当は実の娘じゃないの?」
セレナはゆっくりと目を上げ、複雑な光を宿した瞳でアリアンを見たが、声は驚くほど静かだった。
「いいえ、あんたはイアンの実の娘よ。少なくとも……私はずっとそう理解してた。」
アリアンはその場で固まり、唇を噛みしめた。声はわずかに震えていた。
「じゃあ、五年前の“事故”は? あれはいったい何だったの?」
セレナの目つきが一瞬で鋭く変わり、抑えきれない怒りと苦痛がにじんだ。
「事故なんかじゃない。」
低く、しかし確実に突き刺さるようなその声に、部屋の空気が張り詰めた。
アリアンの瞳孔が震え、さらに問い詰めようと口を開きかけたそのとき、セレナは黙ったままゆっくりとジャージをたくし上げた。
そこには、腹から胸にかけて真っ直ぐ走る深い傷跡があった。それは冷たい証拠のように肌に刻まれていた。
ノックスの眉が深く寄り、声が低くなる。
「それは……」
アリアンは口を手で覆い、顔色を失った。
「その傷……私のと同じ……。」
部屋中の空気が凍りついたように静まり返った。
セレナは服を下ろし、氷のように冷たい声で言った。
「心臓移植手術の跡よ。」
アリアンは雷に打たれたように動けなくなり、呆然とした目でセレナを見た。
「心臓……移植? どういうこと……?」
セレナは全員を見渡し、最後にアリアンを正面から捉え、淡々と告げた。
「五年前のあれは事故なんかじゃない。あれは実験だったの。イアンは力を欲しがり、私たちを実験台にした。私たちは心臓を交換されたのよ。」
アリアンの目が大きく見開かれ、信じられないものを見るように震えた。
「心臓を……交換……? それって……私の中の心臓は……セレナの……?」
セレナは小さくうなずき、声は酷く冷静で、それが余計に恐ろしかった。
「そうよ。それがあの実験の目的だった。イアンは私の力をお前に移そうとした。お前は彼の実の娘だから、その価値があると考えた。でも結局は失敗に終わった。」
アリアンの両手が胸を押さえ、声が震える。
「じゃあ……私の体の中にあるのは、セレナの心臓……?」
セレナの目に一瞬、痛みが走ったような色が浮かんだ。
「そう。お前の心臓は今も私の体の中にある。イアンは私たちを使って狂った実験をした。それも、私たちの命を賭けて。」
ノックスの手が無意識に握りしめられ、指の関節が白くなるほど力が入った。
「そんな……お前たちにそんなことを……。力のために……?」
彼はセレナを、そしてアリアンを見て、その目に深い怒りと悲しみを浮かべた。
手で額を押さえ、震える声を絞り出す。
「イアン……あいつは……ただの狂人だ。自分の娘たちに……よくも……。」




