覚醒 (6)
夜風が吹き抜け、三人の足音が静かな夜道に響いた。
月明かりの下、彼らの影は細長く伸び、揺れながら重なり合っていた。
「……どこに行けばいいの?」
息を切らしながら、アリアンが不安げに尋ねる。
彼女の手はノックスの身体をしっかりと支えていた。ノックスの顔色は蒼白で、傷口から滲む血が月光を浴びて不気味に輝いていた。
セレナはわずかに顔を横に向け、ノックスの様子を確認しながら眉を寄せた。
「学院へ。……あそこなら、まだ安全なはず。」
そう言いながらも、ノックスの顔を再び見た彼女の胸には、鋭い痛みが走った。
思い浮かぶのは、あの午後、ノックスと交わした言葉。
――『君のせいで、すべてが変わった。でも、私は……あの人を恐れたことなんてない。』
あのとき、彼の態度はいつも通り冷ややかだった。
けれどその言葉には、確かに揺るがぬ意志があった。
セレナは胸の奥に浮かぶ感情を飲み込み、前を向いたまま足を進める。
その背中越しに、小さく、それでも確かに届く声で語りかけた。
『ノックス……一芝居、打ってもらいたいの。』
ノックスはわずかに眉をしかめ、訝しげに問い返す。
『芝居? 君は一体、何をしようとしてる?』
セレナは一歩歩みを止め、振り返りざまに言葉を吐いた。
その視線は冷たく、鋭く、決して揺らがなかった。
『イアンはあなたの力に目をつけた。そして、アリアンを駒として使ってあなたを罠に誘い込んだ。私は……その隙を突くしかなかった。』
『君が俺に、従ったふりをしろと言ったのは……そのためか?』
ノックスの目が細まり、低く抑えられた声が返る。
セレナの口元に、苦く歪んだ笑みが浮かんだ。
『私は……最初から、イアンに忠誠なんて誓っていない。私にとって大切なのは、アリアンだけ。彼女は……私の姉だから。』
『彼女をあの男の手から救うには、ああするしかなかった。……でも、それがこんな代償を生むなんて、思いもしなかった。』
現在へと戻る。
セレナの足取りはなおも速く、確かだった。
けれど、その胸の奥には、自分自身への後悔が渦巻いていた。
彼女は低く、小さな声で――それでもノックスには届くように――呟く。
「……ごめん。本当に、あそこまでされるとは思ってなかった。あなたにこんな傷を負わせるなんて……アリアンを助けたくて、それだけだった。でも、代償は……あまりにも……」
ノックスは俯いたまま、何も答えなかった。
アリアンはそんな二人を交互に見つめ、疑念に満ちた目を向けるが、沈黙を破ることはしなかった。
セレナはやがて、遠くに見える学院の灯を見据えながら、決然と告げる。
「学院に着いたら、すぐにアイデンたちに連絡を。……もう、私たちに後戻りする道はない。」
三人の影は月光の下で重なり合いながら、未来へと向かって走り続けていた。
それはまるで、複雑に絡み合う運命の糸が、静かに、しかし確実に一つの結末へと導いているかのようだった。
やがて、夜の闇の向こうに学院の輪郭がかすかに浮かび上がる。
アリアンはノックスを支えながら、小さく励ますように声をかけた。
「もうすぐよ……もう少しだけ、頑張って……!」
だがそのとき――空気が突然、重く淀んだ。
まるで何か不吉なものが、その場を覆ったように。
遠くの樹影の中、真紅に光る双眸が不気味に煌めいた。
次の瞬間、闇から一頭の巨大な魔獣が、鋭い爪を振りかざして飛び出してきた!
「危ない!」
セレナが即座に反応する。黒い閃光のように跳び出し、抜刀と同時に一閃。
斬撃が夜空を裂き、魔獣の身体を見事に真っ二つに切り裂いた。血の飛沫が地面を濡らし、鉄のような匂いが周囲に立ち込める。
だが、それで終わりではなかった。
セレナの刀が沈黙したその瞬間、周囲の森の奥から、再び低く唸るような咆哮が響いた。
次々と姿を現す、異形の魔獣たち。まるで待ち伏せていたかのように、彼らを中心に円を描くように包囲する。
アリアンは顔を青ざめさせ、ぐらつくノックスを必死に支えながら叫ぶ。
「なんで……学院の近くに魔獣なんて……!」
ノックスはかすかに頭を上げようとしたが、重傷のせいで言葉が出ない。ただ首を振り、アリアンに戦場から遠ざかるよう促す。
セレナは周囲を睨みつけ、唇を噛みしめる。
「……やっぱりね。」
この魔獣たちは、自然に現れたものではない。
誰かが意図的にけしかけたのだと、彼女は即座に察した。
「私の後ろに隠れて!」
そう叫ぶと、再び刀を振り抜く。
彼女の動きは黒き影のようにしなやかで、速い。
一太刀ごとに魔獣の咽喉を裂き、血飛沫を散らすが――数の暴力は容赦なく彼女を追い詰めていく。
岩陰に身を寄せるアリアンは、焦燥と罪悪感に胸を詰まらせながらノックスに問いかける。
「セレナ一人じゃ、無理だよ……ノックス、何とかできるんでしょ……?」
ノックスは震える息の中で答えた。
「……無理だ……体が……動かない……」
怒りと悔しさに拳を握りしめる彼の目には、己の無力さへの憤りが浮かんでいた。
セレナは魔獣を相手に戦いながら、ちらりと二人の方を振り返る。
その視線に浮かぶのは、強い決意と……一瞬の焦りだった。
「誰も……通さない……絶対に!」
だが、彼女の呼吸は次第に乱れていく。
汗と血が混じった手で刀を握り、息を吸うたびに肩が揺れる。
森の奥から、なおも新たな咆哮が近づいてくる。
「クソッ……!」
セレナは低く呟き、血に濡れた刃を握り直した。
このままでは、三人全員がここで力尽きてしまう――その恐れが現実味を帯びてきた、そのときだった。
パンッ――
乾いた銃声が夜を裂いた。続いて、一頭の魔獣が頭部を撃ち抜かれ、地に崩れ落ちる。
さらに連続する銃声。
それらの弾はすべて魔獣の急所を正確に貫き、無駄が一切なかった。
セレナが反射的に視線を向けると、木々の間から一つの影が姿を現す。
白銀の短髪が月光に照らされ、凛と輝いた。
「見つけたぞ。」
炎は冷静な声でそう告げると、銃口をまだ下ろさず、後方に向かって呼びかけた。
「アイデン!」
続いて、影の中からアイデンが姿を現した。
彼は迷わずノックスのもとへ駆け寄り、その身体を支えて傷を確認する。
「……動けるか?」
ノックスはかすかに頷く。息も絶え絶えながら、その目に意志の光が宿っていた。
アイデンは素早く判断を下す。
「もう時間がない、今すぐ撤退するぞ。」
セレナは一瞬、ノックスを見つめ、その後で静かに背を向けた。
「私は残る。こいつらは私が食い止める。」
「そんなのダメよ!」
アリアンがセレナの腕を掴んで叫ぶ。
「一人でなんて……!」
「もう黙って!」
セレナはその手を振り払い、鋭く言い切った。
「アリアン、あんたはアイデンと一緒にノックスを連れて行って。私はここに残る。」
アイデンは鋭く炎に視線を向け、短く告げる。
「時間制限に気をつけろ。」
そのままノックスを支え、学院へ向けて退却を開始する。
セレナは刀を構え直し、迫りくる魔獣たちを睨みつける。
その横で、炎が静かに言った。
「行くぞ。」
月光の下、刀と銃が冷たく輝き、彼ら二人の前に咆哮が轟いた。




