祭り (4)
エマロ学院の学園祭──年に一度の一大イベントが、ついに幕を開けた。
初日は、在校生の保護者や政府の視察員、関係者のみに限定された内部公開日。それでも、色とりどりの装飾に覆われた校内には、すでにお祭りムードが満ちていた。
開始時間を目前にして、ノックスは控室で予定通りの制服に袖を通していた。
漆黒の執事服。胸元には銀のエンブレム。長めのテール付きコートの背には、精巧に作られた“悪魔の翼”が装着されている。
最後のボタンを静かに留め、部屋を出た瞬間──空気が一瞬止まったかのようだった。
何人かの女子生徒が息を飲み、ひそひそと囁きあいながらスマホを構えた。
「お前さ……どこかの魔界から逃げ出してきた王子か?」
カスパが目を見張り、感慨深げに肩を叩く。「いや、悪魔界の執事様って感じだな。カッコよすぎ!」
ノックスは無言で袖口を整えながら、淡々と口を開く。
「……俺の担当は?」
「ドリンクサーブ係。内側のカウンターに来て、オーダー確認と配膳やってもらうよ!」
カスパは満面の笑みで振り返りながら、周囲の仲間に呼びかけた。「ほらね、今年のうちのクラス、目立つって言ったでしょ?」
◇ ◇ ◇
午前中はあっという間に過ぎた。ノックスは内側のサーブエリアで黙々と作業をこなし、すぐに立ち回りに慣れていった。
無駄のない動きと静かな気配りで、いつの間にか他の生徒たちからも自然に頼られるようになっていた。
そんな中、校門側から現れたのは──
「ふぅ……やっと一息つける。」
来賓の対応を終えたアイデンが、袖のエンブレムを直しながら一人ごちる。
その隣では、セナ先生が額の汗をハンカチで拭っていた。
アイデンが木陰を探して顔を上げたそのとき、前方から誰かが手を振った。
「アイデン〜、こっち〜!」
赤髪を揺らしながら声を掛けたのは、レザージャケットに身を包んだカルマ。
その隣に佇むのは、サングラスをかけた長身の男──炎だった。
「……マジか。来たのかよ、あの人が。」
信じられないものを見るような顔で目を細め、アイデンはセナに手を振ってから二人の元へ向かう。
炎の装備は訓練場で見たものと同じ支援型義足ユニット。
外から見ると、ブーツのような形状になっており、白のロングコートで接合部が隠されている。
サングラスをかけて存在感を消そうとしていたが──逆にその姿は、周囲の目を惹きつけていた。
「まさか、あなたがこんな人混みに来るとはね。」
アイデンは半ば呆れ顔で言った。「やっぱり、ヨルを見に来たんでしょ?」
炎は小さく頷くだけだった。
「そっか。でもあなた、学園祭に来たの初めてじゃない? 毎年私に押しつけてばかりでさ……こっちは死にそうだったよ。」
「……十五分。」
炎が無機質な口調で返す。
アイデンは一瞬きょとんとし、すぐに彼の足元の装置に気づいて目を細めた。
「……なるほど。長時間稼働は無理ってわけね。」
「じゃあ時間ないし、さっさとヨルに会いに行こうか。」
そう言って、アイデンは微笑みながら二人を案内するため歩き出した。
◇ ◇ ◇
午後の学園祭、賑やかな雰囲気が学院全体に広がっていた。
多くの生徒や保護者が、各クラスの出し物の周囲に集まっている。
アリアンは昼休みを利用して、自分のクラスの活動教室を抜け出した。
気づけば足は紋符科の教室へと向かっていた。
「ただの空き時間に、他のクラスが何してるか見に来ただけ……」
彼女はそう呟きながら、内心で“わざとじゃない”という言い訳を何度も確認していた。
角を曲がった瞬間、彼女の目に飛び込んできたのは──
すでに長蛇の列ができているカフェの入口だった。
生徒や保護者たちは談笑しながら、順番を待っている。
窓越しに見える黒と赤を基調とした内装や照明の装飾は、噂通りの「特異執事と魔女」テーマの成功を物語っていた。
「わぁ……本当にすごいかも。」
近づこうか迷っていたその時、側面の扉から見覚えのある顔がひょこっと覗いた。
「えっ? アリアン? ノックスに会いに来たの?」
声をかけてきたのはカスパだった。
額には冷却シート、手には数枚の注文票──どうやら裏方でかなり忙しくしているようだった。
「べ、別に……ちょっと通りがかっただけよ。」
アリアンは視線を逸らし、わざとらしく気にしていないフリをした。
ちょうどその時、ノックスが注文の乗ったトレイを手にやってきた。
カスパに伝票を渡しながら、アリアンに気づいて立ち止まる。
「来たのか。」
彼は目を細め、少し意外そうに彼女を見た。「……暇なのか?」
振り返ったアリアンは、目の前のノックスの姿に言葉を失った。
黒い執事服に銀のチェーン、背には悪魔の翼の装飾──
その冷静すぎる態度に、なぜか妙に腹が立つ。
「ひ、暇なわけないでしょ! たまたま近く通ったから見に来ただけよ!」
彼女は頬をふくらませて言い返す。「知ってる? 最後に人気投票があるんだから! これは敵情視察よ、敵情視察!」
ノックスは彼女を一瞥して、淡々と返す。
「……そうか。」
「4番テーブルのオーダー、まだー!?」
店内から誰かが叫ぶ声が聞こえた。
カスパはすぐに反応し、「わわっ、急げ急げ! これ、お前の分だろ?」と急かす。
ノックスはうなずき、素早く飲み物をトレイに乗せる。
ちょうど背を向けようとしたその時──
アリアンが思わず彼の袖を掴んだ。
「……ねぇ、今日、いつ休憩なの?」
ノックスは少しの間を置いて、小さく答えた。
「さっき終わったところだ。今日はスケジュールが詰まってる。
それに、明日の演劇の練習もある……休む時間はない。」
「……そっか。」
その声には、隠しきれない失望が滲んでいた。
微妙な空気が漂う中、カスパが我慢できずに言った。
「この子さ、ノックスに付き合ってほしいんだよ。」
「カ、カスパ! あんた、何余計なこと言ってんのよ!」
アリアンは顔を真っ赤にして怒鳴った。
ノックスは一瞬だけ瞬きをして、静かに彼女を見つめながら言った。
「今日は……無理だ。」
「……うん。」
「でも、明日……時間が合えば、できるだけ合わせる。」
それだけ言い残して、彼はトレイを手に再びカフェの喧騒の中へと姿を消した。
カスパは横でニヤニヤと笑いながら、「ふふ、思った通りだ」とでも言いたげな顔をしていた。
アリアンは彼の背中を見送りながら、ふっと口元を緩めた。
胸の中に渦巻いていた寂しさが、いつの間にかあたたかな気持ちへと変わっていた。
「……まったく、あの顔のままでも、たまには優しいんだから。」




