祭り (1)
翌朝、学院の窓から差し込む朝日が、通りの喧騒を和らげ、どこか静けさを漂わせていた。
ノックスはいつも通り登校したが、普段なら真っ先に現れるはずのアリアンの姿は見当たらなかった。
足が一瞬止まり、視線を宙に留めたものの、すぐに何事もなかったかのように無表情で教室へ向かう。
教室の扉をくぐるなり、いつものごとくカスパが飛んできて、メガネをクイッと持ち上げながら、声をひそめて興奮気味に話しかけてきた。
「なあなあ、昨日の夜、符紋室のあたりで木が何本か倒れてたの知ってる? 今朝から噂になっててさ!
高位魔獣が侵入したとか、封印されてた魔物が動いたとか、いろんな話が出てんだ!」
ノックスは彼を一瞥し、淡々と言い放つ。
「ただの倒木だ。風か雨で倒れただけだろ。騒ぐほどのことじゃない。」
カスパは眉をひそめて食い下がる。
「でもさ、あの倒れ方、どう見ても自然じゃなかったんだよ——」
言いかけたところで、ノックスの鋭い視線に遮られ、言葉が喉で止まった。
「カスパ。」
ノックスの声は低く、重みを持っていた。
「詮索しないほうがいいこともある。」
カスパはばつが悪そうに頭をかきながら後退りし、それでも未練がましく視線を残していた。
数秒後、彼はハッとしたように手を打ち、話題を変えた。
「あ、そうそう! でもさ、あの件が原因で学園祭に影響出たら嫌だよな〜」
ノックスは眉をひそめる。
「学園祭?」
「うそでしょ……まさか知らないの? 来月だよ、学院最大のイベント! 一年で一番盛り上がるんだから!」
「……」
ノックスは無言でカスパを見つめる。その目には、「だから何だ?」と言わんばかりの無関心が滲んでいた。
カスパは肩を落としながら嘆息した。
「はあ……ほんと、お前って過去に学院生活送ったことある?
うちのクラス、先月にはもうカフェ出すって決まってたし、お前——『学院プリンス選抜』にエントリーされてんだぞ?」
「……学院プリンス?」
ノックスは僅かに眉を上げた。
数週間前のホームルームを思い出す。確かに学園祭の話題と、希望者を募る紙が回ってきた気がする。だが当時、彼はほとんど関心を示さず、カスパが配った用紙もろくに見ずに提出しただけだった。
「……言われてみれば、そんな話があったような。」
「もう……ほんとに初めて学校に来た人かよってくらい疎いな……」
カスパは肩を落としながらも笑って肩をすくめた。
「ま、もう準備始まってるし、今日の放課後は絶対参加してよ? 店員なんだから、せめてお茶の運び方くらい覚えてもらわないと。」
ノックスは何も答えず、ただ黙って彼を見つめる。
「その顔! やっぱり『絶対行かねぇ』って思ってるでしょ!?」
カスパは若干半泣きで叫びつつ、続ける。
「でもさ、こういうイベントで女の子と仲良くなるチャンスって意外とあるんだよ? だから——」
「興味ない。」
ノックスの一言に、カスパは苦笑いしながら言った。
「ま、そう言ってられるのも今のうちだけさ。」
そう言って自分の席に戻ると、ノートを広げ、今日の準備スケジュールを書き始めた。
ノックスは窓の外、青く澄んだ空を見つめる。心の奥に、ほんの少しだけざわめくものがあった。
『学園祭、か……』
今まで関心も興味もなかったその言葉が、ほんの少しだけ——
彼の中で意味を持ち始めていた。
昼休み時間。ノックスは教室を出ると、カスパと一緒に昼食を取ることもなく、特異科の食堂へと足を運んだ。
特異科専用の食堂は、一般生徒用とはまったく違った雰囲気を持っていた。天井は高く、空間は広々としており、重厚で無骨なデザインが施されている。壁には複雑な符紋が刻まれ、まるで異世界の施設のような印象さえ与える。
ノックスが扉を押して中へ入ると、その姿はすぐに周囲の注目を集めた。
食堂にいる生徒たちは、見た目からして異質な者ばかりだ。獣耳や尻尾を持つ者、人間離れした巨体の者、魔物と人間のハーフのような姿まで——どの顔も、ノックスに好奇と警戒の視線を向けたが、誰一人として声をかけようとはしなかった。
「おーい、ノックス!」
聞き覚えのある声が響くと、金属の翼を背にしたカイルが手を振りながら立ち上がった。その翼は金色に輝き、動くたびに光を反射して周囲の視線をさらに引き寄せていた。
隣にはタロスが座り、黙々と肉を切っていた。彼はノックスの姿に気づくと、目を上げて穏やかに微笑む。
「今日はどうした? こっちに来るなんて珍しいな。この食堂、そう簡単には入れないんだぞ。」
ノックスは黙って彼らのテーブルへ歩み寄り、椅子を引いて座ると、淡々と口を開いた。
「少し話しておきたいことがある。」
カイルは眉を上げ、どこか愉快そうに目を細める。
「昨日の夜の件か? さすがに反応遅いって思ってたよ。」
タロスはナイフとフォークを置き、真剣な表情に変わった。
「昨日の出来事は……軽く見るべきじゃない。学院中がざわついてる。」
ノックスは小さくうなずき、視線を落としながら続けた。
「昨夜のあと、両親から真実を聞かされた。……俺はもう、確信している。
セレナは……かつて行方不明になった、俺の双子の姉妹の一人だ。」
その言葉に、カイルとタロスは声を挟まず、ただ黙って真剣に聞いていた。
「だが、この件はあまりに根が深い。軽率に動くべきじゃない。
特にアリアンには……彼女は普通の人間だ。これ以上巻き込むわけにはいかない。」
カイルは静かにうなずいた。
「そうだな。彼女には重すぎる話だ。」
タロスは重い手でテーブルを軽く叩き、低い声で言った。
「了解した。このことは他言しない。何か助けが要るなら、遠慮なく言え。」
ノックスは目を上げ、わずかに感謝の色を浮かべた。
「ありがとう。」
その空気を変えるように、カイルが肩をすくめ、明るい口調で言った。
「でもさー、こんな時期に限って学園祭なんてね。これ以上面倒が増えないといいんだけど。」
タロスは鼻で笑った。
「毎年この時期になると、外部の連中がゾロゾロやってきて、まるで俺たちを見世物扱いだ。
特にこの見た目じゃ、な……」
不快そうに言いつつも、彼は黙々と肉を切り続けた。
「でも俺は好きだけどねー?」カイルは楽しそうに笑った。「人が多い分、面白いことも多いし、コンテストにパフォーマンス、ミス・コンもあるし!」
ふとカイルがノックスに視線を向ける。
「そういえば、君たちのクラスは何やるの?」
ノックスは少し考えて、曖昧に答えた。
「……たしか、カフェをやるって聞いた。」
「お~、定番だな。でも……あれ? ノックスって、学院プリンス選抜に出るんじゃなかったっけ?」
「……そんな話もあったな。」
ノックスが眉をひそめると、カイルは吹き出した。
「まさかとは思うけど、自分でエントリーしたんじゃないのか?」
ノックスは短くため息をついた。
「カスパが用紙を配ってきて……特に見ずに署名した。」
「はははっ、いかにも君らしいな! でもな、あれ出るからには、ステージでなんかやらなきゃいけないんだぞ?
歌でもダンスでもいいけど、格好つけないと票はもらえないからね?」
ノックスは無言で立ち上がり、そのまま黙って食堂を後にした。
カイルは空いた椅子を見つめながら、口元をニヤリと歪める。
「アリアンちゃん、可哀想だよな。完全に割り込める隙がないじゃん。」
タロスは不思議そうに眉を寄せた。
「……家族の話に、アリアンがどう関係あるんだ?」
カイルは肘をつきながら、ニヤニヤと笑った。
「だから、恋の話だってば。そういうの、わからないかなぁ?」
タロスはしばらく考え込み、やがて小さくつぶやいた。
「……そういうもんか?」
カイルは吹き出しそうになりながらも、説明はせずに立ち上がった。窓際へと歩き、外の空を見上げる。
その表情には、すべてを見透かしたような余裕の笑みが浮かんでいた。




