共鳴 (5)
夜風は冷たく、木々の葉が静かに揺れ、月光が地面にまだらな影を落としていた。
アイデンの姿が闇に消えたあと、ノックスもその場を離れようとしていた。
手にしていた記録装置をしまい、符紋室から視線を外し、踵を返そうとしたそのとき――耳元でかすかな物音が聞こえた。
ノックスはすぐに立ち止まり、警戒心を露わにして森の奥を鋭く見つめる。
すると、陰の中から聞き慣れた声がした。
「……アイデンはもう行ったのか?」
声と共に、カイルの姿が木々の間から現れた。金色の髪が月明かりにきらめき、背にある金属製の翼がかすかな音を立てる。
ノックスは眉をひそめ、冷静に問う。
「……お前、なんでここにいる?」
カイルは肩をすくめ、いつもの気だるげな笑みを浮かべながら答えた。
「こんな騒ぎ、眠れる方がどうかしてるだろ?
普段なら符紋室の近くに寄るなってきつく言われてるけどな……タロスには止められたけど、どうしても気になってさ。先に来た。」
彼は近くの倒れた木を指さし、冗談めかした口調で続けた。
「いくら寝てても、あんな音を聞いたら起きるだろ?」
ノックスは表情を変えずに問い返す。
「お前一人か?」
言い終えるか否か、重い足音が背後から響いてきた。
地面がわずかに震える中、タロスの巨体が木立の間から現れる。
その厳しい表情は、カイルの軽率な行動に対する苛立ちを隠していなかった。
「来るなって言っただろ。トラブルの元になるって……」
タロスは睨みつけるようにカイルを一瞥したあと、ノックスへと視線を移し、鋭い声で尋ねた。
「……一体、何が起きたんだ?」
ノックスは二人を見回し、淡々と語り始めた。
「セレナが符紋室に侵入し、封印を解除しようとした。中にある何かを『回収』するのが目的だった。」
「回収?」
カイルが眉を上げ、驚きの色を浮かべる。
「彼女、何を企んでるんだ?」
タロスの表情が一層険しくなる。
低く、重たい声で問う。
「『回収』って……つまり、符紋室に封印されていたものは、彼女のものだったってことか?」
ノックスは首を横に振り、答える。
「彼女のじゃない。彼女の父親のものらしい。
アイデンの話では、その存在は彼女の父親――イアンと何らかの関係があるそうだ。ただ、詳細はまだ不明だ。」
タロスは無意識に拳を握りしめ、符紋室の方向を睨む。
「……なら、彼女は目的を持って動いてたってことだ。ただの突発的な行動じゃない。」
ノックスは頷き、試すようにタロスを見た。
「お前は学院創立時からここにいたな。――五年前、何があったか、知っているのか?」
タロスは一瞬表情を曇らせたが、すぐに元に戻し、少し躊躇して口を開いた。
「……正直、俺も詳しくは知らない。あの符紋室は五年前に作られた。『強力な存在』を封じるために、ってだけ聞かされてる。」
「それだけか?」ノックスは眉をひそめる。
タロスはうなずいた。
「アイデンは中に何がいるのかを一度も明かさなかった。俺たちには、ただ『決して近づくな』と何度も言っていただけだった。最初の頃は皆興味津々で、いろいろ憶測も飛び交っていたが……何も起きないまま時が経つにつれ、誰も口にしなくなった。」
カイルは木に寄りかかりながら、不満げに口を開いた。
「それって、まるで彼のいつものやり方だな。危険なものを隠して、肝心なことは教えない。もし本当にセレナが『回収』を命じられてたなら、それってつまり――あれは彼女の家にとって重要な存在だったってことだろ?」
ノックスは黙って話を聞きながら、頭の中で断片的な情報を繋ぎ合わせていった。
「五年前……符紋室、冥域の霊、イアン……すべては、どこかで繋がっているはずだ……」
カイルは興味深そうにノックスを見やり、軽く問いかける。
「で? さっき他に何か分かったことは? 封印が危なかったのは分かるけど……他にも異常があった?」
ノックスは少し考えた後、静かに口を開いた。
「……封印を立て直す時、セレナが手を貸してきた。最初は、任務に失敗したことへの償いだと思ってたが……彼女の魔力が封印に流れた時、妙な共鳴が起きた。」
「共鳴……?」カイルが眉を上げる。
「それ、なんかロマンチックな魔法みたいだな。でも、そういうのって普通は滅多に起きないぞ?」
タロスは口を閉ざしたまま、深刻な表情で何かを考え込んでいた。
やがて、彼は重く口を開く。
「ノックス……実は前から気になってたことがある。ずっと言いそびれてたが……」
ノックスは鋭く彼を見据え、眉を寄せた。
「なんだ?」
夜風が肌を撫で、木々が微かに揺れる中、タロスは深く息を吸い込んだ。まるで、口にすべきかどうかを慎重に測っているかのようだった。
その視線が鋭くなり、重々しい声で言葉を紡ぎ始める。
「……カルマ様が七年前に産んだ子供のことだが……」
言いかけて、タロスは一度言葉を止めた。ノックスの反応を探るように。
ノックスはわずかに目を細めたが、その表情に動揺はなかった。
「続けてくれ。」
タロスはうなずき、声を潜めて言った。
「当時、耳にした話がある……カルマ様は双子を産んだらしい。男と女、二人の子供だ。」
その言葉は雷鳴のようにノックスの胸を打ち抜いた。
一瞬、思考が止まり、彼は呆然としたままタロスを見つめた。次の瞬間、目に宿る光が鋭さを増す。
「……つまり、俺は双子の片割れだった……?」
タロスは静かにうなずく。
「俺が知っているのは、あくまで噂にすぎない。だが、初期には確かにその話が出回っていた……。
その後、なぜか自然と消えていった。そしていつしか、お前だけがカルマ様の子供だと皆が信じていた。俺も、もう一人を見たことはない。」
隣で聞いていたカイルが興味深そうに眉を上げる。
「双子か……。面白いじゃないか。だとすれば、もう一人はどこに行った?」
ノックスは沈黙したまま、何かを必死に思い出そうとしていた。
断片的な記憶が脳裏を駆け巡る。やがて、一つの名前が浮かび上がる。
「……ソレイア。」
彼は自分でも気づかぬうちに、その名前を呟いていた。
カイルの耳は鋭い。すぐにその名を拾い上げる。
「ソレイア? 古語で“太陽”の意味だよな。お前の名前が“夜”を意味するノックスなら……“太陽と夜”、まるで対のような名だ。」
その言葉はノックスの胸に鋭く突き刺さった。
記憶の中に、以前アイデンが言った一言がよみがえる。
『……ソレイアのこと、まだ引きずってるのか?』
あの時、父・炎は鋭い目をしながら低く答えた。
『忘れられるわけがないだろう。』
アイデンはそれ以上何も言わず、話題をそらした。
だがノックスはその一瞬の沈黙に、明らかな違和感を感じ取っていた。
『昔の友達……か?』
ノックスは小さく呟いた。
そしてもう一つ、母・カルマとの会話が浮かび上がる。
『……ソレイア。その人も……関係しているのか?』
そう問うと、カルマは笑みを僅かに凍らせ、視線を逸らしながら呟いた。
『……ええ。』
その目に浮かんだ深い悲しみは、決して“友達”を想うだけの感情ではなかった。
それは、母としての喪失と後悔の色だった。
(……彼女は、俺の姉妹だった……のか?)
ノックスの心に、かつてないほど強い動揺が走った。
だが同時に浮かんだ疑問は――なぜ、ソレイアは“存在ごと”隠されたのか。
なぜ、自分だけが育てられ、彼女の話は一切出てこなかったのか。
(……そして、もし彼女が……セレナだったとしたら?)
ノックスの拳が、静かに震えていた。
混乱した思考を断ち切るように、彼は夜空を仰いだ。
(……今はここで考えても、答えは出ない。)
ノックスは短く言い、カイルとタロスに向き直る。
「――すまない。俺は行く。」
そう言い残し、悪魔の黒翼を広げ、宙へと舞い上がった。
彼の姿はすぐに夜の空へ溶けていき、見えなくなった。
カイルはその背中を見上げながら、口元に皮肉めいた笑みを浮かべる。
「……普段は地に足のついた奴なのに。今夜はよほど動揺したらしいな。」
一方、タロスは複雑な顔で小さく呻いた。
「……まずいことを言ってしまったかもしれん……。」
カイルは苦笑しながら肩を叩いた。
「気にすんなって。あいつは、いつだって冷静だ。自分の中で答えを見つけられる奴さ。」
タロスは黙って首を横に振った。
「……いや、今夜ばかりは、あいつの目に……確かに迷いがあった。」




