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デビルアカデミア~ 悪魔学園の禁断の封印を解くのは俺だけでいい ~  作者: 雪沢 凛
第八章

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兆し (7)

 ノックスは黙ってアリアンを見つめていた。

 彼女は相変わらず顔を伏せ、膝を抱えたまま、肩を小さく震わせていた。

 何の返事もなく、言い訳すらしない。


 ノックスは眉をひそめ、視線を彼女の上に留めたまま、疑念を深めていく。


(セレナのことじゃないのか?)


 彼は心の中でそう呟いた。

 もしセレナに何か言われたわけじゃないのなら──アリアンは、一体何が原因でこんなに泣いているのか?


 彼の視線は、アリアンの膝にある傷口へと移った。

 うっすらと滲む血の跡。それに、こんな時間に一人きりで道端に座り込んでいたこと。

 状況を考えれば考えるほど、疑問は増すばかりだった。


(普段はあんなに明るくて、ちょっとうるさいくらいなのに……今の彼女は別人みたいだ)


 ノックスは少し口を開いた。

「……膝、痛むか?」

 彼の口調には、滅多に見せない優しさが滲んでいた。


 アリアンは顔を上げず、かすかに首を横に振った。

 だがその姿は、どこまでも弱々しく、見る者の胸を締めつけた。


 しばらく沈黙が続いたあと、ノックスは少し考えるように視線を落とし、もう一度言葉を探す。


「セレナのことじゃないなら、何があったんだ……どうしてそんなに泣いてる?」


 その問いに、アリアンの肩が小さく揺れた。

 彼女はゆっくりと顔を上げ、涙で赤くなった目でノックスを見た。

 何かを言おうとしたように唇が動くが、すぐにまた視線を逸らし、黙り込んだ。


 答えを返さないアリアンの態度に、ノックスの混乱は深まる。

 彼女の表情や仕草から、何とか理由を読み取ろうとするも──明確な答えは見つからない。


(あんなにお喋りなやつが、今は何も言わない……)


 ノックスの胸に、不安のようなものがじわりと広がっていく。

 こんなアリアンの姿は、彼の記憶の中にない。


 遠くの街灯をじっと見つめながら、ノックスは頭の中でここ数日の出来事をひとつひとつ思い返していた。


 目の前の少女の異変に、目を背けることはできなかった。

 だが──それを説明できる手がかりは、未だに見つからないままだった。


 アリアンは俯いたまま、ぎゅっと服の裾を握りしめていた。

 このまま黙っていたら、きっとノックスは行ってしまう。

 でも、今この瞬間だけは──彼がいてくれることが、不思議と心を落ち着かせてくれた。


(こんなふうに心配してくれるなんて、珍しい……)

 そう思ったのも束の間、別の疑念が胸をよぎる。


(でも、きっと彼が気にしてるのは私じゃなくて、符紋室のことだけなんだ)


 その考えが逆に少しだけ気持ちを落ち着かせた。

 アリアンは深く息を吸い込み、ようやく小さく口を開いた。


「ごめん……セレナから、符紋室のことは……何も聞き出せなかった……」


 ノックスは彼女を見下ろし、落ち着いた声で返す。

「じゃあ、なんでここで泣いてる?」


 アリアンは唇を噛みしめ、目に再び涙を浮かべながら、震える声で答えた。

「お父さん……今日、珍しく帰ってきたの」


 ノックスは何も言わずに耳を傾け、続きを促した。


「滅多に帰らないのに、帰ってきても……セレナとしか話さない。

さっき……挨拶しようとしたら、全然相手にされなくて……

それに、“役立たず”って言われた。“セレナのほうがずっと優秀だ”って、“お前は邪魔だ”って……」


 声は次第に小さくなり、最後はほとんど聞き取れないほどだった。

 アリアンは膝を抱えたまま、また涙をこぼした。


「私が……優秀じゃないのはわかってる。でも……せめて、そんなふうに言わなくても……」

 彼女の声には、自嘲と悲しみが滲んでいた。


 ノックスはすぐに返事をせず、アリアンの顔をじっと見つめていた。

 その表情は相変わらず静かだったが、その瞳の奥には、どこか言葉にできない感情が揺れていた。


 冷たい夜風が吹き抜ける中、アリアンのすすり泣きが再び静かに響く。

 ノックスは小さく息を吐いて立ち上がると、衣の裾を軽く払ってから手を差し出した。


「立てるか」


 アリアンは驚いたように顔を上げ、しばらく戸惑ったものの、その手を握り返し、ゆっくりと立ち上がった。


「言いたいことがあるなら言えばいい。泣きたければ泣け。それは恥ずかしいことじゃない」


 ノックスの声は相変わらず冷静だったが、言葉の端々に珍しく温かさがにじんでいた。


「でも、泣き終わったら帰れ。こんな所に一人でいるな」


 アリアンは俯いたまま、小さく震える手を胸元に当てた。

 涙で霞む視界の中で、ノックスが手を差し伸べてきた瞬間──彼女の感情が決壊した。


 彼女はその手をぎゅっと握ったまま、そのままノックスの胸に飛び込むように抱きついた。


 ノックスの身体が一瞬、ぴくりと固まった。

 彼は驚いたように彼女を見下ろしたが、拒絶することもなく、その場に立ち尽くしたまま彼女の存在を受け入れた。


「どうすれば……君の気持ちが、少しでも楽になるのか、わからない」

 ノックスの声は、静かで穏やかだった。まるで、波のない湖面のように。


 アリアンは彼の肩に顔を埋め、無言で涙を流し続けた。

 夜風とともに、彼の微かな体温と空気の匂いが彼女を包み込む。それが、不思議と安心感を与えてくれる。


(たぶん……ノックスは誰にでもこうなんだ)

 彼女は目を閉じながら、そんな考えがふとよぎった。


(私だから優しいわけじゃない。彼の冷静さと優しさは、きっと誰にでも同じ)


 胸に苦みが広がる。それでも、その苦みの奥に、奇妙な静けさが広がっていた。

 それは、取り繕わない優しさの、ひとつのかたちだった。


 しばらくして、アリアンはそっとノックスから離れた。

 目にはまだ涙の名残があったが、少しだけ笑顔を浮かべて言った。


「ありがとう……」


 ノックスは無言で頷き、彼女の肩に手を添える。

「送るよ。今日は、休んだほうがいい」


 月の光の下、二人の影は静かに並んで伸びていた。

 アリアンの心は、少しだけ軽くなっていた。彼が誰にでも同じであっても──今この瞬間、彼は隣にいてくれたのだから。

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