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家族(5)

 陽光が射し込む射撃場。

  天井のガラス窓から降り注ぐ光は温かかったが、それでもアリアンの胸の内に広がる苛立ちを拭い去ることはできなかった。


 彼女は的の前に立ち、深く息を吸い込むと、手にした拳銃を再び構えた。

  照準、呼吸、トリガーを引く――一連の動作は体に染みついているはずなのに、心の中の焦りが集中を阻んでいた。


 パン、パン、パン。

  銃声が響き、射撃場のモニターに結果が表示される。

  その散らばった弾痕を見て、アリアンは悔しげに唇を噛み締めた。


「まためちゃくちゃ……」

  彼女はうつむき、拳をぎゅっと握りしめる。


 背後から、保護者のヘレンの柔らかな声が届いた。

  「アリアンお嬢様、汗を拭いてくださいませ。」


 差し出されたタオルを、アリアンは渋々受け取りながらも心の中は落ち着かなかった。


「練習は裏切りませんよ。」

  ヘレンはいつもの穏やかな口調で励ましたが、アリアンの苛立ちは収まらない。


  彼女は小さく呟いた。

「でも……あの子には、十年かかったって敵わない気がする。」


 ふと視線を向けると、離れた場所に黒髪の少女――セレナが立っていた。

  セレナは銃を構え、無駄のない動きで次々と的を撃ち抜いている。

  一発ごとに髪がふわりと揺れ、撃つたびに完璧な命中を刻んでいく。


「まるで銃を撃っているんじゃない……呼吸してるみたいだ。」

  アリアンは羨望と挫折の入り混じった眼差しで彼女を見つめた。


 セレナの表情は無表情に近く、その立ち姿はまるで静止した彫像のようだった。

  彼女はただ機械的に引き金を引き、後退することも、焦る様子も一切見せなかった。


 アリアンはタオルを握りしめ、深呼吸して感情を押し殺すと、

  無理やり明るく振る舞いながら彼女に声をかけた。


「セレナ!すごいね、毎回ど真ん中なんて!」


 セレナはちらりとこちらを見たが、瞳に浮かんでいるのは冷ややかな無関心だけだった。

  そのまま淡々と言った。


「私は銃なんて好きじゃない。どちらかというと、刀の方がいい。」


 アリアンは一瞬言葉を失い、無理に笑みを作った。


「……そんな腕前を半分でいいから分けてほしいな。」

 しかしセレナは何も返さず、無表情のまま護目鏡と銃を片付け、背を向けた。

 そのタイミングで、彼女のポケットからスマホの着信音が鳴る。


「任務?」


  アリアンが尋ねると、セレナは小さく頷き、

  「うん。」とだけ答え、あっさりと去って行った。


 冷たく遠ざかるその背中を見送りながら、アリアンは拳銃を強く握りしめた。

  そしてふと、ある顔が脳裏に浮かんだ。


 ――ノックス。


 彼の無表情、彼の孤独。

  それがどうしようもなく、セレナと重なって見えた。


(私……ノックスに惹かれてる?)

  胸の奥でそっと問いかける。


(それとも……あの子と向き合えなかった後悔を、彼で埋めようとしてるだけ?)


 ふと手を見下ろす。

  まだ温かさが残るタオルの感触が、なぜか胸を締め付けた。


(どちらにしても……私は、あの子たちの世界には入れない。)


 アリアンは小さくため息をつき、もう一度銃を構えた。

  だが、思うように狙いを定めることができない。

  手が震え、銃口が定まらない。


 そんな彼女を見たヘレンが、静かに言った。

「無理なさらずに、少し休まれては?」


 アリアンは一度、目を閉じた。

  だが、すぐに首を振って小さく答える。


「……いいの。もう少しだけ、やるから。」

 彼女は拳銃を握りしめたまま、心の中でそっと誓った。


(絶対に、私はあきらめない。)


 そう自分に言い聞かせながら、再び的に向かって歩き出した。


 ◆


 陽光が差し込む道路脇、並木の影が風に揺れている。

  アリアンは軽くジョギングしながら、さっきまでの出来事を反芻していた。

  そのせいで、足取りがどこかふわふわしている。


 角を曲がったその瞬間、前方から来た影と勢いよくぶつかった。


「きゃっ!」


 アリアンは驚きの声を上げ、そのまま地面に倒れ込んだ。

  肘をついた衝撃で、鋭い痛みが走る。


「痛ぇ……」

  耳元で低くぼやく声が聞こえた。


 顔を上げて、慌てて謝ろうとしたアリアンは、言葉を飲み込んだ。

  目の前にいる顔は、あまりにも見覚えがありすぎたからだ。


 ノックスは眉をひそめながら鼻を押さえ、

  不機嫌そうに言った。


「またお前か。」


 アリアンは一瞬ぽかんとしたが、すぐに状況を理解した。

  どうやら、彼もジョギング中だったらしい。

  彼女は慌てて立ち上がり、服についた埃を払う。


 そこへ、柔らかな女性の声が響いた。


「ヨルちゃん、大丈夫?」


 二人は同時に声の方を振り向く。

  見ると、赤い長髪を風になびかせた女性が近づいてきた。

  シンプルなスポーツウェア姿なのに、その美しさは際立っていて、

  アリアンは思わず言葉を失った。


 カルマ――ノックスの母だ。

  彼女はノックスの様子を一通り確認すると、優しく微笑み、アリアンに向き直った。


「こっちの子も、大丈夫?」


 アリアンは慌てて頭を下げた。

「あ、はいっ!ごめんなさい、ぶつかっちゃって……!」


 カルマはふわりと笑い、手をひらひらと振って気にしない様子を見せた。

  そして興味ありげに尋ねた。


「あなた、ヨルちゃんのクラスメートかしら?友達ができるのは、いいことね。」


 アリアンはまだ彼女の美しさに見とれていたが、

  我に返ると、つい聞いてしまった。


「あ、あの……ノックスの、お姉さん……ですか?」


 その瞬間、ノックスの顔が微妙に引きつる。

  だがカルマは、くすっと笑って肩をすくめた。


「違うわ。私は、彼のお母さんよ。」


「えええええっ!?」


 アリアンは素っ頓狂な声を上げ、目を丸くした。

  彼女の中の常識が音を立てて崩れていく。


「そんな……若くて綺麗すぎます!」


 ノックスは無言で埃を払っていたが、内心では思っていた。

  (……うちの親父を見たら、もっと驚くかもな。)

 だが、それを口に出すことはなかった。


 カルマはそんな空気を和ませるように、

  ノックスの肩を軽く叩きながら提案した。


「ヨルちゃん、せっかくお友達に会えたんだから、あそこのレストランで何か食べていったら?

  きっとお腹も空いてるでしょ?

  私はお邪魔虫だから、先に帰るわね。」


 彼女はアリアンに向かってにこやかに手を振る。

「小さいお嬢さん、またヨルちゃんと仲良くしてあげてね。バイバイ♪」


 言うが早いか、カルマは軽やかにその場を後にした。

 残されたアリアンは、ため息まじりに呟く。


「本当に……綺麗で、優しくて、羨ましいなぁ。

  しかもあんな風に“ヨルちゃん”って呼んで……可愛すぎる!」


 彼女はふと、ノックスの髪を眺めながら言った。

「ノックスって、確か“(ヨル)”って意味なんだよね?」


 ノックスはちらりと彼女を見て、眉をひそめた。

「……どこで聞いた?」


「カイルが言ってたよ。」

  アリアンは肩をすくめ、屈託ない笑顔を見せた。

(ナイト)……って、すごく詩的な名前だよね。何語なの?すごく特別な響きがする。」


 ノックスは彼女をじっと見た。

  その目には、わずかに警戒の色が浮かんでいる。


 そして、低い声で答えた。

「知ったところで、関係ないだろ。」


 アリアンはまったく気にする様子もなく、にっこりと笑った。


「そんなに警戒しなくてもいいのに。

  私は、単純にかっこいいなって思っただけだよ。“(ナイト)”みたいにクールで……まさにノックスって感じ。」


 ノックスは鼻で笑い、吐き捨てるように言った。

「……お前は、他人のことを茶化して遊んでるだけだろ。」


 アリアンはその言葉にクスクスと笑った。

「そんな怒んないでよー。

  ちゃんと、褒めてるつもりだったんだけどな?」


 ノックスは溜息をつき、前を向いて歩き出した。

 アリアンはそんな彼の背中を見つめ、目を細めた。


(夜かぁ……

  なんか、ますます興味が湧いてきたかも。)


 彼女は弾むような足取りでノックスの後を追い、からかうように声をかけた。


「ねぇねぇ、もしかして、あんな美人ママを持ってるから、

  他人と距離置いちゃうタイプ?

  “ママ狙い”とか心配してるとか?」


 その瞬間、ノックスの足が止まった。

  彼は振り返り、アリアンを一瞥して冷たく言う。


「……バカなこと言ってんじゃねぇ。」


 アリアンはケラケラと笑いながら、悪びれもせず肩をすくめた。


「冗談だよ、冗談♪

  さ、行こ?あのお店で何か食べよう!」


 ノックスはまた小さく溜息をつき、前髪をかき上げた。


(……本当に、面倒くさいやつ。)


 そう思いながらも、彼は足を止めることなく、

  アリアンを従えて、レストランへと歩き出した。


 アリアンはその後ろ姿を見ながら、にっこりと微笑んだ。


(でも……やっぱり、ノックスは、すごく気になる。)

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