新生 (6)
「ノックス!」
カスパが彼の腕を掴み、やや強めに声を上げた。
「大丈夫か? 今の……あんな至近距離の風刃、なんで一歩も動かないんだよ!」
ノックスはゆっくりとカスパの方を向き、静かに答える。
「……平気だ」
カスパはようやく安堵の息を漏らし、メガネを押し上げる。
「ほんとに? 平気っていうより、反応しなかっただけだろ?」
ノックスは答えず、ほんのわずかに微笑んだ。
視線を再びフィールドに戻すが、胸の奥でざわめきが収まらない。
――あの風刃。
威力が明らかに“意図的”だった。無闇に力を使ったというよりは、狙い澄ました試し撃ち。まるで、反応を見ているような……
(……あいつ、カイル。試してきたのか)
その時、セナ先生がフィールドへと歩み寄る。
鋭い声でカイルを叱責する。
「カイル、ルールはわかっているはずよね? 観客席への攻撃は厳禁。次やったら出場停止です!」
「すみません、先生」
カイルは首を傾げて頭を下げるが、声には軽さが滲む。
対面のタロスは、重々しい声で言った。
「……それは、試合でやることじゃない」
カイルは肩をすくめ、翅をたたむと再び中央に戻る。
表情にはどこか面白がっているような余裕の笑みが浮かんでいた。
その目が、再びノックスのほうを見やる。
――他の生徒が怯え、顔をしかめている中、彼だけが冷静。
楽しむような眼差し
「……普通の生徒の目じゃないな」
カイルは口元を釣り上げ、翅を軽く震わせた。
(お前と、一度手合わせしてみたいな)
ノックスはその視線を感じつつも、無視するかのように視線を落とした。
両手を見つめながら、心の奥でうごめく感情を抑え込もうとする。
(……この力に、惹かれてしまう)
指先に炎の気配が走り、じんと痺れる。
(父さんは、渇望を抑えろと言っていた)
(でも……本当に、抑えられるのか? この本能を)
カスパの声が、再び隣から飛んできた。
「いやさ、結界があるとはいえ……怖くなかったのか? あのスピードと角度、結構ギリギリだったぞ」
「……結界を信じてた」
ノックスは変わらず落ち着いた声で返した。
カスパは満足げに頷き、メガネをクイッと押し上げる。
「だろ? 符紋学の結界は最強だからな。僕らの力の結晶だよ。……これがなかったら、今頃みんなパニックだっただろうな」
ノックスは軽く頷くだけで、特に言葉を返さなかった。
だが、視線は再びカイルの方へと自然に吸い寄せられていた。
(あの風刃……精度、軌道、速度。どれも洗練されてた)
(ただのいたずらじゃない。明確な意図を持ってた)
そして、思ってしまう。
(……俺にも、できるかもしれない)
心の奥底で、理性とは逆方向に引き寄せられるような衝動が蠢いていた。
(本当は、ずっと前から……こういう感覚を、求めてたのかもな)
ふと視線を上げた瞬間、再びカイルと目が合った。
その瞳は、まるで「お前の本質、見えてるぞ」と言っているようだった。
ノックスは感情を押し殺し、視線を切る。
何事もなかったかのようにカスパの方を見て、軽く問いかけた。
「……次の対戦、何組ある?」
◆ ◆ ◆
夕焼けが校門前の地面をやさしく照らし、空には金橙色の光が淡くにじんでいた。
ノックスは肩のバッグを軽く直しながら、門へと足を向ける。視線を落とし、さりげなく歩くその先には、門柱にもたれかかる“厄介な人物”がいた。
――アリアン。
彼女はお決まりの棒付きキャンディーをくわえ、いつものようにいたずらっぽい笑みを浮かべていた。ノックスが彼女に気づかないふりをして通り過ぎようとすると、彼女はひょいっと前に出て進路を塞ぐ。
「ねぇ、どこ行くの?」
軽快な声に、からかうような目配せが混じる。
ノックスは眉を寄せ、彼女を避けるように歩き出す。
「帰る」
「つれないな~」
アリアンはキャンディーを噛んで頬を膨らませ、それでも足取り軽く彼の隣に並んだ。
そんなふたりの背後から、不意に声がかかる。
「おーい、優等生くん」
ノックスの足が止まった。
眉をわずかに動かしつつも、気づかないふりで歩こうとする。
「呼ばれてるよ?」
アリアンが彼の腕をつつきながら、いたずらっぽく言う。
仕方なくノックスは振り返り、その声の主を視線で探した。
目が合ったのは、あの男――カイルだった。
校門の内側、ポケットに手を突っ込んで立っている。
淡い笑みを浮かべたその表情は、相変わらず余裕と挑発の入り混じったものだった。
「名前、なんだったっけ?」
カイルが眉を上げて言う。
「ノックス、だったな。‘夜’か……なかなか詩的な名前だよな」
ノックスは一瞬驚き、無意識に指を動かした。
(……古語を知ってる?)
だが、表情は変えず、冷たく返す。
「用件は?」
カイルは門柱に肩を預け、ふと空を見上げた。
「いや……ただ思っただけさ。君みたいに、自由に校門を出られるのって、羨ましいよな」
「……どういう意味だ」
ノックスの表情に一瞬、警戒の色が浮かぶ。
カイルは彼を見下ろしながら、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「俺にとって、ここは鳥籠みたいなもんさ。
やれることも、行ける場所も、全部決められてる」
声は軽かったが、その瞳にはどこか暗い色が宿っていた。
ノックスは彼を見据えながら、言葉の裏を探っていた。
だがカイルは突然手を振り、笑いながら言った。
「気にすんな。ちょっと挨拶したくなっただけだよ、優等生くん。
……自由を楽しめよ」
そう言い残すと、カイルは背を向けて去っていった。
その背中、金属のように煌めく翼が夕陽を反射してきらめいていた。
「……なに、あの人」
アリアンがぼそっと呟いた。
その視線の先には、遠ざかるカイルの背中があった。
ノックスは返事をしなかった。
ただ、視線だけはその背を追い続けていた。
(鳥籠……?)
彼の胸には、カイルの残した言葉が静かに、しかし確かに残っていた。
「まさか、何かのサインだったりして」
隣でアリアンが半分冗談めかして言った。
「挑発? それとも、ふたりにしか通じない秘密の暗号?」
ノックスは視線を戻し、無表情で答える。
「気にするな」
「はあ……ほんと、冷たいね」
アリアンはふてくされたように言いながらも、それ以上は詮索しなかった。
陽が沈みはじめ、ふたりは帰路についた。
だが、ノックスの頭の中では、カイルの言葉が繰り返し響いていた。
(鳥籠、って……まさか、学院から出られない……?)
次々に浮かぶ疑問を、ノックスはぶるりと頭を振って振り払う。
――今は、他にやるべきことがある。今夜中のレポートとか。
その頃、学院の一角。暗がりの中に立つカイルは、夕日に消えるノックスの背を見つめていた。
そして、誰にも聞こえない声でつぶやく。
「やっぱり……お前、普通じゃないな」
誰にも聞こえない声でつぶやき、口元に意味深な笑みを浮かべ、翅を軽く震わせた。