秘密 (1)
ノックスの心に、父の言葉が重く響く。
「悪魔と人間の共存なんて、誰にでも受け入れられるものじゃない。
特に――お前のような存在はな。トラブルを避けろ。秘密に近づくな。」
それは、混血の少年を縛る、冷たい鎖だった。
「……そんなの、分かってるよ」
ノックスは心の中で呟き、首を振って周囲との距離を取る。
視線は冷たく、まるで感情を閉ざすように。
だが――その静けさは、容赦なく破られた。
「おーい、ノックス! 今日も無視する気?」
澄んだ声が山道に響き渡る。ノックスは眉をひそめ、しぶしぶ後ろを振り返った。
ガリガリと砂利を踏む音とともに、自転車が近づいてくる。
乗っていたのは、ポニーテールを揺らす少女――アリアン。
いつものように、からかうような笑みを浮かべていた。
「また君か……」
吐き捨てるように呟き、ノックスは前を向いて歩き出す。
アリアンはひょいっと自転車を止め、片足を地面につけたまま横につける。
制服の袖をまくった腕には、インクの汚れが薄く残っていた。
「私、ノックスの監視役だからね?」
彼女はウインクしながら、明るく言う。
「監視なんて必要ない」
ノックスは低い声で返す。わずかに苛立ちがにじんでいた。
「ふーん? じゃあさ、学生証を橋の下に落とした件……覚えてる?」
その瞬間、ノックスの足が止まる。
ゆっくりと振り返る彼の目には、警戒の色が走った。
「……何が言いたい」
アリアンは自転車を軽く揺らしながら、まるで獲物を観察するように彼を見つめる。
「いや、たださ。普通の生徒が、数秒で橋の下からモノ拾って戻ってくるなんて、ちょっと不自然じゃない?」
◆
あの日......
「ちっ……クソッ」
ノックスは舌打ちしながら、指先から滑り落ちた学生証を目で追った。
カードは弧を描きながら、橋の下の小川へと落ちていく。
朝霧に包まれた山道は静まり返り、木々の隙間から差し込む日差しはかすかに葉に反射する程度だった。
ノックスは素早く周囲を見回し、人の気配がないことを確認する。
その瞬間――
腰背――腰のすぐ上の辺りから、音もなく暗紅色の翼が広がった。
悪魔の血を引く、ノックスだけの翼。
薄い膜のようなそれは、朝の光を受けて妖しく光った。
彼は迷いなく滑空し、学生証を拾い上げ、数秒で橋の上に戻ってくる。
翼をたたんだ、その瞬間――
鼻をつく硫黄の匂いが風に混じる。
そして、遠くから低いうなり声が響いた。まるで霧の奥で何かが蠢いているような――
「っ……!」
ノックスは反射的に顔を上げ、鋭い目で木々の影を睨む。
揺れる枝の向こうに、気配はある……が、目に見えるものは何もなかった。
「……誰だ」
彼は声を潜めて呟き、カバンの紐を無意識に握りしめる。
(こんな時に見られたら、最悪だ……!)
焦る気持ちを押さえ込むように、ノックスは息を整えた。
◆
「トラブルを避けろ。秘密に近づくな。」
父の声が、鋭く頭の中に響く。
ノックスはアリアンの背中を睨みながら、心の中で毒づいた。
(あの女……どこまで知ってるんだ?)
まさか入学初日で――
“悪魔”の秘密を、あのハンターの末裔に嗅ぎつけられるなんて……思ってもいなかった。