08:未来への希望
ベロムの邸に帰ってきて、私は真っ直ぐに自分の部屋へと向かった。
ベッドの上にゴロンと大の字になって寝転がる。今はいいの、誰も見てはいないのですもの。
左の手を頭の上にかざしてみる。薬指にはピンク色の花が飾られていた。耳だけじゃ足りなくて、頬も鼻も真っ赤に染めたフィンが付けてくれた指輪だ。私はそれをしばらくの間、寝転がったまま眺めていた。
フィンと私が結婚ー考えたこともなかったわ。私の中でフィンは弟みたいな存在だったのですもの。
けれど、しっかりと薬指に収まっている1輪の花が、私の中に拒絶の気持ちがないことを代弁していた。
そうよね、フィンは公爵家の令息だと言っても後を継ぐわけではないから。私のような貧しい子爵家の次女が相手でも、きっと許されるのだわ。
ふふ、でもフィンはまだ12歳よ。なんて気が早いのかしら。ミシェルだった時だって婚約したのは18歳になってからだったわ。今のミシェルもまだ婚約をしたとは聞いていないし。私なんてたったの9歳よ。
フィンはあの後こんなことを言っていたっけ。
「正式な婚約は後でもいいんだ。モニのご両親にご挨拶に伺わなくてはならないし、ああでもその前にうちの両親が君に会いに来ると思うけれど。」
へ?
確かにベロムに、それもすぐご近所に公爵家の別荘が建っているから、そこに公爵ご夫妻がお越しになることは驚くことではないわね。そのついでにお隣さんであるベロム家に立ち寄ることだってあるだろうし、その場に私がいればご挨拶させていただくことは至極自然なことだわ。
そう納得しようとしていた時、フィンは頭を掻きながらその言葉の意味を正しく教えてくれた。
「実はさ、今日モニにした告白は両親も了承済みなんだ。君が頷いてくれたら、次の休暇には2人もここに来るって、え?モニ?」
今度は私が赤面する番だ。
なんですって?ご両親に既に了解を得ているですって?子供のおままごと、とまでは言わなくても野に咲く花を指輪に見立てたプロポーズが真剣に将来を見据えたものだとは思ってもなくて。
ううん、ごめんなさいフィン。あなたは真剣に話してくれた。これは限りなく正式な婚約に近い交際宣言というものだったのね。
「モニ、君が花を受け取ってくれたから、僕はそれが答えだと信じた。もしかしてそれは間違い?」
ああもう。私は両手で顔を隠して俯いたまま首を横に振る。
「違うのフィン。ただ驚いてしまって。だって私はまだ9歳なんですもの。」
王族はいざ知らず、末端貴族である自分がこの年齢で婚約云々の話が上がるとは露にも思っていなかったから。
フィンが笑いながら私のことをそっと抱きしめる。
「ああ9歳だってことは知ってるさ。だけどこれ以上待っていたらモニはどんどん美しくなって、それこそ王都に帰ってしまったら僕のことなんて見向きもされなくなっちゃうだろう?」
優しいのねフィン。
ミシェルだった頃は、私も自分のことがちょっとは綺麗かなって思っていた。お母様に似ていたのですもの。お母様と同じ髪の色に同じ色の瞳。それがミシェルだった頃は嬉しくてたまらなかった。
でもモニクはお母様とはあまり似ていないのですもの。ちっとも美人なんかじゃないのよ。
お父様譲りのヘーゼルの瞳に地味なブルネットの髪。今はそれが自分なのだと受け入れているわ。それでも容姿だけはミシェルだった頃を思い出すと少し悲しくなるの。
何も言わない私のことを抱きしめたまま、フィンは優しく背中を撫でる。
「モニはとても可愛いよ。外見だけじゃないよ、心根がとても美しい。モニが王都に戻ったら君を奪い合う男どもがわんさか沸くに違いない、賭けてもいいさ。けれど負けないよ、大好きなんだモニ。」
大きな台風のような夏が終わった。
「モニのご両親宛には僕の父から手紙を送るよ。」
そう言ってフィンはクレヴェンティエへと帰っていった。
何から何まで根回し済みなのね。12歳の子供にしてやられたようなものなのに、徐々にそれが喜びに変わりつつある。
「次は冬に。それまで手紙を書くよ。たくさん送る。」と名残惜しそうにフィンは馬車から手を振り続けた。私も彼を見送り続けた。遠く馬車が見えなくなるまで。
邸に入り部屋へと戻ると急に1人になったみたいで、私は机の上に置いてある本を開いた。
開いたページにはあの日のピンクの花で作った栞が挟んである。本を読む気にはなれなくて、その栞を何度か指で撫でると元の場所に戻す。
私、フィンと婚約するのかな。
フィンも王都の学校へ行くと言っていた。いつかは王都の街を並んで歩いたりするのかな。私なんかより、フィンの方が王都の女の子たちが放っておかないと思うけれど。
フィンはね、お医者様を目指す前は騎士になるつもりだったのですって。貴族家の嫡男以外が騎士になるのは珍しいことではないものね。きっと今も鍛錬は続けているのでしょう。だってアレン様よりも余程引き締まった体躯なのですもの。
嫌ね、知らずしらずのうちにフィンとアレン様を比べるようなことをしてしまって。
今の私はアレン様とはお会いしたことすらないじゃないの。そうよミシェルとの結婚式の時に初めてお会いするのだわ。「お姉様をよろしくお願いします。」って挨拶するのよ。
そうじゃなくて。
私、フィンに王都で看護の勉強をすると宣言してしまった。
後になって入学できなかったなんて無様なことはできないわ。頑張ろう、これは私の夢ですもの。
それでもフィンがお医者様に。
つい頬が緩んでしまう自分に自覚がなくはない。既に期待しているのだ。私もフィンとの未来を。
それもこれも私がこの地にきたことがきっかけだった。
病弱なモニクはもういない。
妹のために女学校を諦めたミシェルもいない。
寝る時間を削って娘の看病をし続ける母も、そんな家族を支えるため身を粉にして働く父も。
その時は、私がベロム領に来たことで全てが上手く行ったのだと信じていた。




