07:フィンの決意
「モニー!元気にしていたか?うんうん元気そうだ。」
ベロム家の庭にある東屋からフィンが走り寄って来る。
もぅ、連絡もなしに直接訪問してくるのはあなたくらいなものよフィン。
遠いクレヴェンティエ領から夏の休暇でベロムにやってきた公爵家令息フィンレーの姿は、旅支度のままだ。まさかまた別荘に向かわずに直接ここへ来たの?
「お久しぶりですフィンレー様。突然いらしたものですから準備に時間がかかってしまいましたわ。」
小さな皮肉を込めて、ここは淑女らしく一番丁寧なお辞儀をする。
頭をポリポリと掻きながら近づいてくる少年の表情を見るに、少しは反省しているみたいだ。ほんの少しだけれど。
「わかってくれよモニ。早く会いたかったんだ君に。」
「ふふ、嬉しいわフィン。ようこそベロムへ。良い休暇を過ごしてね。」
おばあ様が支度を命じていたので、そろそろお茶の用意が済んでいるだろう。
「長旅でお疲れでしょう?まずは喉を潤しませんこと?」
私だって、何日もかけて旅をしてきた友人が真っ先に会いに来てくれたことが嬉しいのだ。
彼の寄越した手紙通り、ベロム家はいつ、その小さな訪問者が訪れても慌てることがないように準備を整えて待っていた。
「ありがたくご相伴に与りましょう。」
ふふ、目が合うとどちらからともなく笑い出す。
邸へと並んで歩きながらフィンが面白くてたまらないと言った様子で話し続ける。
「ねえ小さなレディ、君は時々僕より断然大人なんじゃないかと感じる瞬間があるよ。」
頭1つと半分も背の高い少年が、ニコニコとしていた笑みを引っ込めて真面目な顔でそう呟く。
ええ、まんざら冗談でもないのよ。でも、今の私はただの9歳の小さな女の子よ。
「ふふふ、ベロムに来ていろいろ学ばせて頂いたおかげかしら。」
いいなあ、僕もベロムに住みたいよ。なんて話をしているうちに邸に着いた。
いつも私たちがお茶を頂いたり、ゲームを楽しんだりするこの小さな客間は、私のためにおばあ様が用意して下さったお部屋なの。だって応接間を使うには私たちは幼すぎるでしょう。
尤もこうしてお部屋でおとなしくお茶を飲むのは雨の日くらいなもので、きっと明日からは毎日外を走り回ることになるのよ。だってフィンはその為にベロムに来ているのですものね。
テーブルの上に並べられた品々を見ると、フィンはわかりやすく喜んだ。あなたの好物はこの邸にいるみんなが知っているもの。
「さあ、いただきましょう。冷たいお茶を用意してくれているの。フィンが大好きなお茶よ。」
それから私たちは、この半年間の話を途切れることなく話した。お互いが手紙に書いて送った内容ばかりだったけれど、直接向かい合って話す時間は格別だ。
そんな時にはやっぱり王都で暮らす家族の顔が頭に浮かぶ。新品のドレスに身を包んだミシェルも見たいし、お母様と並んでいる姿はどんなに素敵だろうと、やっぱり想像することを止められない。
ああいけない、今はこの小さなお客様を精一杯おもてなししなくちゃ。
幸いフィンは、私の気持ちが束の間王都へ飛んでいたことには気がついていないようだった。
ニコニコとそれは楽しそうに自身の通う学校での出来事を話して聞かせてくれた。
あくる日から私たちは、いつもの休暇と変わらず朝から日が暮れるまで一緒に過ごした。今年は初めて少し遠くの湖まで足を延ばしてみたりもした。フィンが馬に乗せてくれたの。私は1人では馬に乗れないのですもの。フィンが「馬車で行くなんてつまらない。僕が乗せてあげる。」って言ってくれたから。
初めて見る馬の上からの景色は、一言でいうならば快感だったわ。馬車よりもうんと速くて高いのですもの。ミシェル、あなたもいつか馬に乗せてもらうといいわ。アレン様は伯爵家の方だから、きっと乗馬も嗜んでおられるはずだもの。
この湖には前にも来たことがあった。
おじい様とおばあ様が連れて来て下さったの。その時より綺麗に感じたのは、きっと季節のせい。今は全ての生命の力が最も漲る季節なのですもの。葉は1年で1番力強い色をしているし、たくさんの花が満開の時期を迎えている。
私たちは湖の畔に小さな敷物を敷いて並んで座った。湖面がキラキラ反射して思わず目を細めてしまうくらい、よく晴れた気持ちのよい日だ。
よく話が尽きないな、と我ながら呆れるほど毎日たくさんの話をする。どれもが楽しくてあっという間に時間は流れてしまう。
それがピタリと止まる瞬間があった。
それ自体は特に珍しいことではなくて、またどちらかが他愛もない話を始める。その繰り返し。
だけれど、今日はその時間が少し長く続いた。
気まずい沈黙ではないのだけれど、次は何の話をしようかしら。私が話題探しを始めた頃になって、フィンが一足先に話し始めた。
「ねえモニ。君はいつか王都に帰るつもりなのかい?」
フィンは私が王都の家族と離れて、祖父母の暮らすベロムへ来たいきさつを知っている。家族の話も何度もしたから、私が王都の家族と再び会える日を楽しみに待ちわびていることもわかっているはずだ。
「ええ、まだ先になると思うけれどきっと帰るわ。姉の結婚式には必ず参列したいもの。それにねー」
そこで一度私の口は止まってしまった。まだ誰にも話したことのない夢の話。どうしましょう、フィンになら話してもいいような気がして。
ミシェルがアレン様と交際を始めた話をフィンには話してしまったの。だからミシェルがいずれ結婚することはフィンも自然の流れで理解しているでしょう?だから続きを期待してじっと見ているのはもうひとつの話の続きが聞きたいのね。うん、話すわ。できれば笑わないで聞いてね。
「私、看護の勉強をしたいと思っているの。お医者様を目指せたらもっと良かったのだけれど。私、王都にいた頃は身体が弱くてとても辛かったの。だから少しでも支えてあげられる仕事がしたー」
最後まで話せなかったのは、言葉に詰まったからではなくて。
「ああモニ!本当かい?なんてことだ。夢みたいだ。」
興奮して早口でまくし立てたかと思うと、フィンがギュッと抱きついてきたの。
「フィン?ーフィ、ン?」
なかなか離してくれなかったフィンが、ようやく少し身体を離してくれて。それでも私の両肩に手を置いて、じっとこちらを見つめてきたの。な、なに?私そんなにあなたを動揺させるようなことを話したかしら?
「今度は僕の番だ。聞いてくれる?モニ。」
相変わらずフィンの両手は私の肩に乗っていて、近すぎる距離に少し困っているのだけれど、ええ聞くわ。なんでも話してくれて構わないわ。
「ええ、どんな話でも聞くから落ち着いてちょうだいな。」
ようやく私の肩から手を離してくれたフィンは、向かい合って正座をすると、自分の膝の上に握りこぶしをふたつ置いて話し始めた。
「僕は将来医者になりたいと思っている。今はクレヴェンティエの学校に通っているけれど、その先は王都で学ぶことを目指しているんだ。」
その後フィンは自分のことをたくさん話してくれた。
フィンは今は公爵家の令息として不自由なく暮らしている。けれど、それも彼が独り立ちするまでの期間限定の身分だ。将来は公爵家を離れて、自分の力で生きていかなければならない。
医者は貴重な存在だから、両親も僕が医者を目指すことを快く応援してくれている。無事医者になれたらクレヴェンティエに帰って働こうと思っている、と。
「素晴らしい夢ね。ここに応援する人が1人増えたわよ。」
両方の手を握って、グッ!とポーズを取って見せた。
「僕が医者を目指そうと思ったきっかけはモニ、君なんだよ。」
そう言うとフィンはそっぽを向いてしまった。耳が赤くなっている。ふふ、照れているのね。気がつかないふりをしてあげるわ。
「まあ、そうだったの?」
私は王都での話を多くは語っていない。病弱だったため療養の目的でベロムに来た程度のことしか言わなかったはずだ。確かにどうしようもなく辛かったわ。でも私がモニクとして辛かった時期は半年程度だったから。
だけど、どうやらフィンは私のことをその話以上に知っているらしい。誰かに聞いたのね。でも全然嫌な気分ではないから安心してね。友人が気にかけてくれるなんてとても嬉しいことだもの。
「今の君はどこから見ても健康で幸せに満ちたレディだよ。僕は君みたいに幼い頃から辛い生活を強いられる人を1人でも救える人間になりたい。」
その後しばらく沈黙が続いた。
でもその沈黙も心地よくて、私は1人、将来の姿に夢を馳せていた。
やおらフィンが近くに咲いていた小さなピンク色の花を手折り、くるりと輪にすると、真っ赤な顔をしてこちらに向き直った。
「モニク・マヤ=オベール嬢、僕はあなたと将来を共にしたいと思っています。今日からは友人としてではなく、結婚を前提としたお付き合いをさせてもらえないだろうか。」




