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01:プロローグ

全17話・毎朝7:00更新です。

よろしくお願いします。

「お姉様、アレン様との婚約を変わってくださらない?私にアレン様をちょうだいな。」


いつからだろう、年の離れた病弱な妹のことを愛せなくなったのは。

原因不明の病で、邸の外にすら出ることが叶わない気の毒な妹。


「モニク、あなた顔が赤いわ。また熱が上がったのではなくて?部屋まで送るわ。」


私を見上げる熱で潤んだ瞳には、微塵の悪意も感じられない。モニクは自分の願いならば誰もが従うと信じて疑わない。モニクはモニクの世界の女王だから。

でもね、私の世界のあなたは女王なんかじゃないの。



**********

生れたばかりの頃のモニクは健康だった。

7つ離れた妹が生まれた時、私は嬉しくて毎日甲斐甲斐しく世話を焼いたものだ。


決して裕福とは言えないオベール子爵家は、高位貴族の邸宅が立ち並ぶ貴族街のはずれにある、通称:リージョン街に邸を構えている。シーズン中のみ王都に滞在する地方貴族のタウンハウスや、下位貴族の邸で構成されている街で、二階建ての邸が道路を挟みズラリと並んでいる。

貴族街から時折走って来る自動車なるものの吐き出すガスで、以前と比べ空気が悪くなった気がする。窓を開けていると、たまに不快な臭いが入ってくるため、夏でも窓を開けずに過ごすことが多くなった。



モニクが寝付くようになったのは、3歳前後からだったと思う。

軽い風邪のような始まりだったと思うけれど、もう記憶も定かではない。

無邪気でよく笑う天使みたいな子が、硬く目を閉じて苦しそうに横たわる姿を見るのは辛かった。


私たちの邸には、侍女が1人と家令が1人。住み込みの使用人は2人だけだ。本当ならば家令など置く余裕はないのに、先代からのよしみで我が家に尽くしてくれるクレマンには頭が下がる思いだ。

侍女のロザリーも大変な働き者で、朝早くから掃除や洗濯などあらゆる家事をこなしてくれている。


なので、モニクの世話はお母様と私の役目だった。

地方の裕福な伯爵出のお母様は、とても美しく自慢の母だ。

苦労ひとつ知らずに生きてきたはずなのに、我が娘のこととは言え愚痴のひとつもこぼすことなく、懸命に看病を続ける姿には、幼心に胸を打たれた。



「ミシェル、看病ありがとう。モニクはぐっすり眠っているし、今のうちにお茶を頂きましょう。お父様が素敵なお菓子を買ってきてくださったのよ。」


お母様と2人だけの時間は、私にとって宝物だった。

モニクが寝ている時だけは、私だけのお母様。


「いつも我慢をさせてごめんなさいね。ミシェルの歳だったら、もっともっとおしゃれもしたいでしょうに。お友達と遊びに行かせてあげることすらできなくてごめんなさい。」


お母様が私のこともこうして気にかけて下さるから、寂しくなんかなかった。我慢をしているとも思わなかったし、それよりも早くモニクに元気になってほしかった。


「私は平気よお母様。モニクのそばにいてあげたいもの。お母様こそ、この間も夜会を断っていたでしょう?次はきっと参加なさってね。私がちゃんとモニクについているから。」

お母様が外出用のドレスを着て、髪も美しく結い上げた姿を見るのが大好きだった。だってとても綺麗なのですもの。それも最後に見たのがいつだったのかすら憶えていないのだけれど。



あれは忘れもしない、モニクが6歳になって少し過ぎた頃。

おじい様とおばあ様が王都に遊びにいらした時のこと。


お2人は、たくさんのお土産を持って我が家に来て下さった。珍しいおやつや、季節の花、それに夢のようなドレス。

私には空色の、そしてモニクにはピンクのドレスだった。


箱を開けて取り出した時、私は嬉しさのあまりドレスを抱きしめて何度もくるくると回った。

こんなに素敵なドレスは初めてだったものだから。柔らかく光るシルクに、幾重にも重なったレース。そして花の飾りがちりばめられていて、まるでお姫様になったような気分だった。

「ありがとうおじい様、おばあ様。とても素敵。」


ドレスを身体に当てて、またくるりと回る。スカートがふわりと広がるのが嬉しくて、これを着た姿を想像して幸せいっぱいだった。その時ー



「私もそれがほしい。」


モニクが私を指差して言った。


モニクがいただいたドレスもとても素晴らしいドレスだった。ピンクはモニクが大好きな色だ。

それにモニクはまだ6歳で、13歳の私のドレスはとてもじゃないけれど着れるはずもない。


おじい様とおばあ様は、それが冗談だと思ったのだろう。

「あらあら、次はモニクにも空色のドレスを買いましょうね。」

「モニクのドレスもとても愛らしいのだぞ。襟に刺繍がしてあるだろう?モニクが好きだと言うネリネの花を特別に刺繍させたのだ。」


お2人の言葉はモニクの耳には届かない。モニクは指を差した時のまま、じっと私の瞳を覗き続けている。嫌よ、これは私がいただいたのよ。



「・・・モニクには大きいでしょう?」

何故私はこうも怯えているのだろう。こんなにも小さな妹を相手に。


モニクは何も言わない。目をそらすことなく、静かに私を締め付ける。この目に捉えられてしまったらもうおしまいだ。小さな捕食者は、縦に首を振るまで決して私を離しはしない。



「モニク、このドレスはミシェルへのお土産なのよ、わかるでしょう?あなたにはまだ着れないじゃないの。こんなに素敵なドレスをいただいたのに困った子だわ。」

お母様がモニクを諭すように言い聞かせるけれど、この後どうなるかはお母様も私も嫌と言うほど理解していた。


「嫌よ!絶対に私が欲しいのだもの。どうしても私にちょうだい。」

大きな2つの瞳にみるみる涙が溜まっていく。ああ、もう限界だ。


私が諦めたのと同時にモニクは火が付いたように泣き始めた。泣いて叫んで、両手をバタバタと打ち付けながら癇癪を起こす。


泣きたいのは私よ。

こうして今までいくつのものを諦めてきただろう。大切にしていた5歳の誕生日に買っていただいた縫いぐるみ。お母様がくださった美しいリボン。読めもしない本だってモニクのものになったわ。


重い足を引きずるように近づいて、そっとモニクを抱きしめる。

「泣かないで可愛いモニク。わかったわ、あなたにあげる。」


ぴたりと泣き止んだモニクが、涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げる。

「いいの?」


いいわけないじゃない。なぜ譲らなくてはならないのよ。あなたの分だってちゃんとあるのに。

その気持ちを全部押し込んで、私は笑顔を作った。

「ええ、モニクのお部屋に運びましょうね。」

「お姉様大好き!」


そう言って私の首に抱きつくモニクのことを、冷めた目で見ていた自分に気がついた。


そうーあの頃から徐々に、私はモニクのことが苦手になっていったのね。いいえ正直に言うわ。疎ましいとさえ思った瞬間もあったはずよ。



結局あの美しいドレスは、最後の日まで一度も袖を通されることなくモニクのクローゼットに吊るされていた。




月日は流れ、私は18歳、モニクは11歳になった。

その間モニクの病状は快方に向かうことはなかった。調子が上向いたと思ったらぶり返すの繰り返しだ。一向に効かない薬代だけが嵩んでいった。


ある日お父様が1枚の写真を持ち帰った。とても驚いたわ。写真というものを話には聞いていたものの、実際に目にするのは初めてだったから。人生で初めて見た写真に写っていた人物とはー


「レドイール伯爵家の三男でね、アレン君と言うんだ。ミシェル、一度お会いしてみないかい?」


オベール家は娘が2人だから、私が跡を継ぐ婿をもらうようにと聞かされて育ってきた。モニクはあのように病弱だし、私は長女でもあるのでそれは当然のこととして受け入れている。


「わかりましたお父様。」


治める領地もなく、財産と言えばこの小さな王都の邸ひとつの貧乏貴族に、婿に来ていただけるだけでもありがたいことなのでしょう。アレン様、どのような方なのかしら。優しい方だといいけれど。




アレン様は、オベール家には申し訳ないほどに良い方だった。辞書を開いて[良い人]の意味を調べたら、アレン・ジーン=レドイールと書いてあるのではないかと思うほどに。

私は2つ上のアレン様を兄のように慕った。アレン様も私のことを大切な妹のように扱って下さった。

そう、私達の間には燃え上がるような強い感情はなかったけれど、きっと結婚てこんなものなのでしょう。だって家族になるのですもの、家族を愛する気持ちは一瞬で燃え尽きるような激しい炎ではなくて、こんな穏やかな灯のはずだわ。


「やあミシェル、これを。」

ある日少しだけ頬を赤らめたアレン様が差し出したのは、スズランの花束。


「ありがとうございますアレン様、とても良い香り。」

庭もないリージョン街に立ち並ぶ邸に住む人間にとって、邸の庭で手折った花は憧れだ。私はそれを自分の部屋に飾った。だってモニクに取られたくなかったのですもの。モニクは私の部屋には来ないから。



レドイール家の庭に夏の花が咲き始めた頃、私たちは正式に婚約した。

「ミシェル、温かい家庭を築こう。生涯貴女だけを愛すると約束します。」


私はとても恵まれている。こんなにも素晴らしい方と結婚できるのですもの。

「ありがとうございます。アレン様お慕いしております。」




**********

そうよ、私たちは互いを想い合っている。アレン様は縫いぐるみやドレスとは違うのよ。

今回ばかりはあなたの我儘は通用しないわ。


食堂を出て、モニクを部屋まで送る。階段を登りきるまでモニクは一言も話さなかった。

わかってくれたのかしら。そうよね、いくらモニクでもそのくらいの分別はあるわよね。


と思っていたのに。



「ねえお姉様。それでいつ変わってくださるの?」

ゆっくりと振り返ったモニクが、じっとりとした目で私を見る。モニクの視線が、一段下に立っている私の視線にピタリと重なった。


「モニク、それはできないわ。アレン様は物ではないもの。」

病弱なモニクに家は継げないでしょう、と喉まで出かかった言葉を飲み込む。


「欲しいの。欲しいのよ。」

大きな瞳から水が溢れだす寸前だ。いつものように。お菓子やおもちゃをねだる時と全く変わらずに。


可愛そうなモニクは、まるで成長していない。11歳にもなったと言うのに聞き分けのない幼子のままだ。


この後は知っている。私が首を縦に振るまで泣き喚くのでしょう?そうすれば誰もがあなたに従うのだもの。身体の弱いあなたが激しく泣くのは危険だから。あなたはそれを知ってて泣くの?


でもね、今回だけは負けないわ。アレン様だけはあなたに譲ることはできないのよ。


「モニクいい加減にし、て・・・。」



最後まで言葉を続けることはできなかった。


「嫌よ!ちょうだいな!」

そう叫んだモニクに突き飛ばされた私の身体は、ふわりと浮いて階段を転げ落ちる。



「えっ?!」



切り裂くようなモニクの悲鳴を最後に、私の意識は途切れた。

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