第90話 偽善たるホーセズ
もしこの世に地獄があるのなら、それは西シベリアを少し過ぎたところにある。
ブラッドイーグル刑務所。
ここはブラダガム帝国の中でも終身刑受刑者の刑務所だ。
ホッキョクグマすら見かけず、最も近い人里でも2500mの北極圏の地。
マイナス50度を下回る極寒の中、身動きすらできぬ独房の中で凍死を待つしかない。
毎年何人もの囚人が、己の罪を悔いながら寒さと飢えで死ぬのだ。
セキュリティはとてつもなく厳しい。
7重の柵に囲まれ、実に50人もの警備員が24時間体制で常に配備されている。
1人1人が屈強で、時折軍より従軍依頼が来るほどに肉体も武器の扱いもエキスパートだ。
そもそも脱獄しようにも、ベッド1つ分にも満たぬ狭さの中でしか、囚人は活動できぬ。
その狭さに発狂する囚人が後を絶たない。
そんな地獄に聖櫃騎士団の1人、ホーセズ・N・レイモンドが足を向けた。
「ホーセズ様、私は反対です。あなたがそこまでせずとも」
「はっはっは、レイブン。
君の気持ちは分かるがね。ただ彼らを上手く使わない手は無いのだよ」
「ですが、その力がホーセズ様に向かないとも考えられません」
「その時は君が私を守ってくれるのだろう?
その胸の薔薇勲章……親衛隊"薔薇衛士隊"に誓って。
なぁ、レイブン=ライトウッド」
ホーセズは、レイブンの肩に手をポン、と置く。
その手をぎゅっと握るレイブンの顔は複雑だ。
信頼されていることへの感謝と、意見の通らなかったやり切れなさ。
その2つが噴出しては泥のように心に詰まる。
その様子を尻目に、刑務所のトップがいる、重くて暗い戸を叩いてホーセズが立ち入る。
そこには、シンプルながらも小綺麗な部屋が広がっていた。
暖炉には火がチロチロと燃えている。
部屋の中央のデスクには、小太りで髭を蓄えた厳しい男が待っていた。
「ラフローグ矯正長、久しぶり。
君も出世したものだね、これは祝いのウィスキーだ。
この寒さでもあたたまるぞ。心も、体もな」
「ホーセズ君、いやホーセズ様か。
小学校以来だな、あの頃は身分など気にしなかったのにな!」
2人は握手を交わそうとしたが、ラフローグは、ウォッホンと大きな咳払いをした。
そして軽く敬礼をし、ホーセズもそれに倣った。
慌ててレイブンも同じ挙動をする。
「しかし、ここは罪に穢れたこの世の果て。
貴方のような高貴なお方が来られる場所ではございません。
どのような要件でお越しになられたのでしょうか」
部屋の中をゆったりと歩き回り、ニコニコとした様子のホーセズ。
一方、レイブンは頭からつま先までピンと糸が張ったように気をつけをし、ピクリとも動かない。
「実はね、旧友よ。頼みがある。人を貸して欲しい」
「人なら帝都にいくらでもおりましょう。
なによりここは人手不足だ
いくらお偉いさんの命とはいえ、看守を取られては困りますな」
グラスを拭きながら、話半分程度にラフローグが聞き流す。
もらったウィスキーを開け、ぐいと飲み干す。
張り付いた笑顔を崩さずホーセズが返す。
「看守?違いますよ、私が貸して欲しい人は『囚人』です」
その言葉を聞くや否やウィスキーでむせかえっている。
ホーセズはその様を嬉々とした眼で見ていた。
目尻の皺の一本までが、悦楽に浸っている。
「ガハッ、ゴホッ!!おいホーセズ!
君は……いや、あなた様は何をお考えか!
ここにいる奴らは亜人にも劣る鬼畜。
37人の少年たちを掻っ捌いてエクスタシーを感じた異常者!
世界中に麻薬を蔓延らせ、世界征服を企んだ宗教家!
こんな、こんな性格異常者たちを貴方は適切に扱えると!?」
その言葉の羅列にレイブンの不快感が高まる。
「やはりやめましょう、ホーセズ様!
下賎なこの世のゴミめらを軍属にすることは不可能です!
それは軍内部を壊す……アレです。アレ」
「猛毒?」
「毒かね?」
「そうです!その猛毒が満ちたやつらを抱えて戦えるはずがにない!」
貧民孤児出身のレイブンには"ものの例え"は難しいようだ。
「そんなことはない。まだまだ勉強不足という者だ。
日ノ本の言葉によれば『兵、脇道なり』。
彼らは人生を脇道に大きく逸れた無法者で血に飢えている。
その血気盛んな脇道者が、我々も予想だにしない戦果を上げてくれるかもしれないのだよ。
何より、人格は家畜以下でも人命・人材としては同じ"1人"。
1人でも多い方が戦の勝率は変わる」
「どんな外道に堕ちた者も、1人として尊重される。
そこまでの器があったとは……不肖、このレイブン。意図を読み違えていたであります」
だが旧知の中であるラフローグは気づいている。
この男は囚人の命などなんとも思っていまい、と。
体良く残酷に死んでくれれば囚人に食う飯も浮いてラッキーと考えてるに違いない。
愛も変わらず、外面ばかり良いサイコパスだ。
変わらんな……。
それはそうと
「"兵は詭道なり"じゃないのか?」
【ライナーノーツ】
1 タイトル元ネタ:なし
2 描写について
・ブラッドイーグル刑務所→現実に存在する「白フクロウ刑務所」から。
ブラックドルフィン刑務所とともに、世界で最も厳しい刑務所の一つ。
・「兵、脇道なり」「兵は詭道なり」→区切りが変わるだけでまったく意味が変わるちょっとしたギャグ。
3 キャラクターについて
ラフローグ→ラフロイグ。スコッチウイスキーの6大生産地のひとつ、アイラ島を代表する銘柄




