逆行契約
いつも通り会社から帰ると深夜をまわっていた。
シャワーを浴びて布団に潜り後は寝るだけだが、どうも寝つけない。
過去の嫌な記憶が頭の中でぐるぐるまわり、いつのまにか丑三つ時も過ぎこのまま朝になるまで眠れそうにない。
明日も会社があるのに。
寝ようと思い目はずっと閉じていたが、ふと瞼をあげると真っ黒な人影が目の前に現れた。
顔は影で見えないのに、口元だけが何故か動いている事が分かる。
男とも女とも分からないが、何故か男のように感じた。
「ふふふ、はじめまして。
早速ですが人生にお悩みですよね。
あなたは今、過去に戻りたい、やり直したいとお考えでしたよね。
まるで漫画の主人公の様に人生を変えられたら良いと思いましたね。」
そう言われてドキッとした。
変えたい過去なんてたくさんある。
でも、そんな事を思う人間は一定数いるだろう。
占いみたいに大多数の人間が共感できる様な言い回しに感じる。
だが、信じやすいタイミングっていうものがある。
ちょうど戯言が響く。
きっとこれは幻覚なのだろう。
おかしくなってしまったのかもしれない。
「大丈夫ですよ。あなたはおかしくありません。
私は人生をやり直すチャンスをあなたに与えにきました。
あなたは選ばれたのです!」
選ばれた、平凡な人間が選ばれる?
怪しすぎる。
「ふふ、平凡な主人公が選ばれるなんて物語の定番ですよ。
そんなに構えないで下さい。」
思考だけで会話が成立する不気味さを感じながら布団を剥ぎ、上半身だけ起き上がる。
「君は何者なんだ」
「おっと自己紹介がまだでしたね。
私は所謂悪魔です。
でも、あなたにとってはやり直しの機会を与える天使の様な存在ではないでしょうか?」
寒い事を言われた。
思わず自分が冷笑しているのが分かる。
「おやおや、そんな冷たい目で見ないで下さいよ、悲しいな。
それより、どうでしょうか?
逆行しませんか?」
これはきっと夢なんだろうな。
いつの間にか眠れたのなら良かった。
馬鹿馬鹿しいけど、夢ならばどんなものか聞いてみるのもいいかもしれない。
「逆行したい気持ちはあるけど、どうせリスクとかあるんだろう。
過去に戻る事のリスク。
タイムマシーンを作って未来に行くのはまだ可能性ありそうだけど、過去に戻るとなるとワームホールが必要だとか何とか色々難しい事を読んだことあるよ。
そんなに大変なのに体も若返り記憶も所持していける。
そんな盛りだくさんな事できるの?」
「出来ますよ!」
「へー、ついでに世界を救える虎の巻みたいなの今から作ったら、待っていけるのかな?
宝くじを当てたりもいいのかな」
「持っていけますよ!
高額当選を狙っても馬券でも良いですね!
億万長者になれます」
グッと手を出して、あまつさえウインクをした素振りまである。
「そう、それでさあ。
リスクについての回答が無いのが気になるんだけど」
「チッ」
黒い影は笑顔のまま舌打ちをしたって事は何かあるんだな。
「お客さん簡単には頷いてくれないですね」
いつの間にか黒い影から契約書と思われる紙束が出てきた。
パラパラ巡りながらブツブツ呟かれた。
「サインだけ貰えたらこっちのもんなのになぁ」
おーい、聞こえていますよー。
聞かせたいんですかね。
「そうですね。
本来は聞かれたら困るんですが、お客さんの心の声で契約取れなそうって分かるから、もういいかなって。
まあ、ワンチャンあるかも何でリスクとなりそうなものを伝えますね。
逆行するとなるとその分の過去に戻る時間も同様に返ってきます。
お客さんが今25歳とします。
0歳の時に戻ったらば、50歳生きた事になります。
25歳の時まで生きたとすると、75歳になる感じです。
日本人の平均寿命は80〜90歳位なんで、25歳になったら残り寿命は5〜15年程です。
でも、お客さんならきっともう少しいけますよ!だから大丈夫!」
確証もないのによく勧めてくるな。
いくら夢とは言えこんなに杜撰で嫌になる。
「そんな露骨に嫌な顔しないで下さいよ〜」
間延びした口調で力も抜ける。
「あー、そういえば身体も若返りするって言うけど、何も障害無いの?
5体満足で若返って身体も頭も年齢に見合ってる?」
「えっ、聞いちゃいますか。
うーん、身体が縮む訳でしょう。
そんな事になったら見た目は綺麗だけど組織はボロボロで、順調に成長できるかはちょっと分かんないです。
逆行して身体が耐えられず直ぐ死ぬかもしれない…今のはなしです。
無事に逆行したら記憶も引き継ぎするから膨大な記憶力が必要になりますね。
その人の脳の許容範囲とか色々あるけどって、ええーなんで私から離れて服とか選んでいるんですか!
何処に行くんですか。」
布団から出て洋服を選び外に出る支度を始めた。
夢だと思っていたが、日が登る時間になってきた。
徹夜してしまったのならば、会社近くのカフェに行ってしまおう。
寝ずにこのまま働くしかない。
縋り付いて着替えを邪魔する悪魔を払う。
そもそも祓った方がよいかもな。
「そんなーこんなに話したのに。
そうだ、心配症なお客さん!
5年くらい戻るならそんなに変わらないでしょう!
体も大体成長しているし、逆行しませんか?」
「しない。今を頑張って生きるよ。」
「何でですか、リスクは全部言ったしほら1年前位とかなら」
「絶対に他にも弊害があるって、それならばこのまま前を向いて進むよ。
とりあえず、もう外に出るから君は戻ってね。バイバイ。」
身支度を終え、玄関を開けると日が見える。
あー眩しい。
日差しを見ると途端に眠くなってくるな。
あくびを堪え、鍵を閉めようとしていると、部屋にいた黒い影はもう見えない。
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ふー。
あの人騙されてくれなかったなぁ。
「大概選ばれた主人公扱いしたら上手くいくって」
「適当に調子の良い事言って逆行させてしまえば、魂もらってご飯として頂けばいい簡単なお仕事だ」
「とりあえず、説明を受け同意しますって契約書にサインさせればいいから!」
お酒を飲みながら先輩悪魔に言われた事を反芻する。
簡単そうだし、いいかなってこの仕事の契約をしたのに。
えっと確か1人でもいいから逆行させないと他の仕事は出来ないんだよなー。
何か色々制約あった気がするけど、とりあえず次の人は単純で簡単に契約してくれる人ならいいな。
結構美味しそうな条件に聞こえるから、疑問に思わないと思うんだけど。
俺ならサラッと契約しちゃうのにおかしいな。
おっ、そうしている間にも人生にお悩みな人の気配を感じる。
「ふふふ、はじめまして。
早速ですが人生にお悩みで…あれっ同じ人?」
『黒影の悪魔の夢をいつぞや見た気がするんだけど、また同じ夢の続きを見る事になるとは…疲れているのかな』
あれれ?なんで?この人にまた会っちゃった。
この前から10年くらい経っているのか?
いや、まあ人間とは時間経過違うからなぁ。
『何か以前より静かだね。正直うざったいって思っていたからちょうど良いか。夢だもんね。多少は融通聞くのかな。』
酷いこと言われている(思われている)っていうか、前住んでいた所じゃないな。
少し広い部屋になっている。
あっでも、あの机とか本棚は一緒だ。
キョロキョロ辺りを見渡し、またこの人に視線をあわす。
悪魔は対面するとその人の人生みたいなのが薄っすら見える。
相変わらず、苦労してんなー色んな経験されて今は絶不調の時で結構ヤバめに疲れている。
「逆行とかしたくなっていません?」
「へーまた逆行勧めてくるんだ。する気は無いよ。
ちょっと…しんどいけど前向きに頑張るよ。
ていうか、過去に戻って色々変えたら今いる未来無くならない?
よくある親殺しのパラドックスとかパラレルワールドとかになるの。
どうなるの?」
ですよねー。
この人頑固そうだし意見は変わりませんよね。
どうせ営業しても無駄だけど聞かれたら答えなきゃな。
「聞きます?あまり理解してないんですが、パラレルワールドな感じになります。」
「そうなんだ。
パラレルワールドでも変われるなら良いかもね。」
遠い目しながら呟く様に言われた。
その姿に思わず身を乗り出すと、まるで犬猫に対して待てとするように俺の顔の前に掌を突き出された。
「しないよ。
だってそうなるとここでは死んだ事になるじゃないか。
まだ未来があるなら生きてやる。
変な話、死ぬのはいつでも出来るんだから。」
いや死んだ訳ではなく逆行だけど、まあそうですね。
この世界では死んだも同然かな…っていうか声を出してないのに否定された。
俺はこの人の心の声が分かるけどなんで?
「不思議そうにしているね。
黒影さんの表情は見えないけど、動作とか雰囲気が何か分かりやすいんだよね」
黒影さんって俺の事?
名前をつけられてしまった。
名前なんてはじめてもらった。
また、数年後。
「あれ?黒影さん。特に逆行したいとか思ってないよ。」
目の下に隈を作り、目が真っ赤だ。
あー成る程、そんな事があったんですね。
「いや、何かこの前帰ってから色々確認したら、あんたが死ぬまではあんたに憑かないといけないみたいで。」
「そうなんだ、ご苦労様。」
それからも俺は何度かこの人の所に来る事になったのだけど。
「あんた自身がガチで辛い時に招ばれる事になっているんだけど、逆行したくなったりしてない?」
「まあ、年をとっても辛い事は多いし嫌になるけど、根本は変わらないよ。」
「ガーン。あんたに憑いていたら、俺はいつまでもお腹空きっぱなしじゃないですか。」
「ガーンって口に出すかな普通。ていうか、黒影さんのご飯は何なの」
「魂」
「やっぱり殺されるんだ。」
何故か穏やかに笑いながら言われた。
「いやいや、逆行後にそのまま人生歩んでもらって、そこで死んでから食べれるってだけで俺が殺すわけではないっすよ。」
「逆行したらそのまますぐ死ぬような流れだったじゃないか。でも、それ以外にはご飯ないの?ていうか黒影さんは餓死しないの?」
心配そうな顔で聞いてくるもんだから、調子を狂わされる。
「いや、別に食べなくても死にはしないし。
空腹感っていうか、何か身体の真ん中がポッカリ空いている感覚があるっていうか。だけど、食べるとそれが埋まるって話です。」
「ふーん。じゃあ死ぬ1秒前においで。その1秒なら逆行してもいいよ。」
「えっ良いんですか!」
「いいよ。じゃあ…」
「わーこれでこの仕事も終われるー。
良かった良かった。」
嬉しさのあまり何か言われたけど浮ついて返事をしていたので、呆れた顔をされてしまった。
その後もこの人がとても辛くなった時には何度か訪れて話した。
もう、この人がすぐに逆行する事は無いから死ぬ前まではわざわざ出向く必要はないんだけど、何故か来てしまう。
そして、約束通り最期の瞬間になったら逆行させた。
1秒だけ戻ってすぐに亡くなった。
『馬鹿だな、黒影さん』
って笑っていた。声は出ないけど口は動いていたし、心の声で分かった。
すぐに息が止まった。
何故俺が馬鹿なのか?あんたが馬鹿でしょうって思う。
何度も会って情でも沸いちゃったパターン?
シシッと笑ってしまう。
よーし、漸く手に入った。
食べちゃおう、食べちゃおう。
魂を取り出し、口を近づける。
涙が出てくる。
何でだろうなぁ、この魂を食べたくない。
涙で前が見えなくなる。
これを食べたらあんたはもう転生出来ないよ。
リスクとか気にして色々聞く位だから分かるでしょ。
こういう展開もあるって。
悪魔に対してお人好しって変だよなぁ、あんたこそ本当に馬鹿でしょう。
笑ってしまう。
心にポッカリ空いたのが、どんどん広がるのが分かる。
この魂を食べればそれが塞がって何も感じなくなるはずなんだけどな。
そして、何も無くなって感情が無くなる。
喜怒哀楽があると振り回されるんだから、こんな思いさっさと消せばいい筈なのに。
そんな事をぐるぐる考えて、あんたと話した事を思い出したりしていたら頭も痛くなってきた。
食べたくない、でも、契約したし食べないといけない…ってあれ?契約してなくね…。
あーやっぱり、契約書に同意のサインをしてもらっていない。
そういえば、何度も「サインするよ」って言われた事があるけど、その度にもう契約した様なもんだからって。
いつの間にか契約書も持ち歩かない事が常だった。
契約とかどうでもよくなっていて後回しにしていた。
そっか、馬鹿で良かった。
魂はこのまま転生の輪にのせよう。
もう、あんたとは会えない。
けど、いつか魂が一緒な誰かとは会うことになるのかも。