5)救脱菩薩による補足説明
爾時衆中有一菩薩摩訶薩名曰救脱即從座起偏袒右肩…
その時、聴衆の中にいた一人の菩薩摩訶薩、名は救脱という菩薩が立ち上がり、右肩をはだけて右膝を地に着け、お辞儀し合掌した。そしてブッダに言った。
救脱「大徳世尊。像法の時代になると衆生たちは、困厄によっていろいろと患わされることでしょう。永い病で弱り痩せ衰え飲食もろくにできず、喉も唇も乾燥してどちらを見ても暗く(目が不自由)、死相が現れて、父/母/親属(親戚や上司・部下)/朋友/知識(教え導く先生)などが泣きながら取り囲んでいる。本人は横たわってそこに居るのに、悪魔の使者がやって来て彼の精神を引っ張って、魔の法王(閻魔大王?)の前に連れて行ってしまうことを彼は目にします。
救脱「さてそれぞれの有情にはそれぞれに『倶生神』がいて、生きてる間にやってきた悪いことや善いことをみんな見て書き記しているので、それらの記録をぜんぶ魔の法王に見せます。」
倶生神
(千葉県横芝光町虫生 広済寺の行事『鬼来迎』より。右手に筆、左手に名籍(記録のメモ板)を持っている。)
救脱「そして記録を見ながら法王は問いかけてきます。
法王『お前のいままでの行動の罪福に従って計り数え、どう処置するかを判決しよう』
救脱「そんな時、その病人の親族や先生たちが、もし彼のために世尊・薬師瑠璃光如来に帰依し、さまざまな僧たちがこのお経を読んで、そして七層の燈を五色の美しい続命神幡に懸けます。
救脱「すると、あるいは彼の意識が戻り、今の病気は夢だったのかというように目が開きます。
救脱「あるいは七日、または二十一日、または三十五日、または四十九日経ってから彼の意識が戻り、夢から覚めたように、自分の善い行い/不善な行いの業がどんな果報をもたらすかをすべて知ります。自分で、業がどういう結果をもたらすのかと、いろいろな悪い業を作れば命は続き難くなるんだということを確かめられます。このために浄信の善男子・善女人たちはみんな、進んで薬師瑠璃光如来の名号を受持し、それぞれにできる範囲で恭しく敬い供養するでしょう。」
すると阿難が救脱菩薩に質問した。
阿難「善男子さん、どうやってかの世尊・薬師瑠璃光如来を恭しく敬い供養し、続命幡と燈を作るンです?」
表面的には出家僧が在家信者に教えを求めたことになります。けれども、教義上では小乗の後輩が大乗の先輩に尋ねた、という形式になるので、問題はないのでしょう……たぶん。
いや、たとえアマチュアや後輩にでも優れた人がいたらそれを認め、学べるところがあれば学ぼうというのだから、プロとして立派な、見習いたい心がけであります。
さて、救脱菩薩は言った。
救脱「大徳さん、もし病人が病苦から解放されたいというなら、その人自身、七日七夜は八分の戒で斎戒し、飲食や生きるために必要なものなどをできる範囲で用意して比芻僧を供養し、昼夜六時(日没/宵の口/夜中/未明/夜明け/正午)にかの世尊・薬師瑠璃光如来を礼拝供養して、このお経を四十九回、読誦します。そして四十九の燈をともし、かの如来の像を七体つくって、一体一体の前に七つずつ燈を置きます。一つ一つの燈は車輪のように大きくなければなりません。そして、四十九日間、光明が途絶えないようにします。それを終わることができれば危厄の難から救われ、もう悪鬼たちに捕らえられることはなくなります。」
救脱「そして阿難さん。もし、刹帝利(クシャトリア、武士階級の領主など)や潅頂王(潅頂の儀式を経て正式に即位した国王)たちに災難が起きたとき……いわゆる、疫病の流行、他国の侵略、国内の反逆、星宿の変怪、日蝕や月蝕や光が薄くなったり、乾期なのに暴風雨、雨期なのに日照り、など。
救脱「その刹帝利たちや潅頂王たちは、すべての有情のために慈悲心を起こし、捕らえて閉じ込めていた者たちも赦して、前に説明したような供養のしかたで世尊・薬師瑠璃光如来を供養するのです。するとこの善根とかの如来の本願力によって、その国の領域は安穏となり、風雨も季節に従って農作物は成熟、すべての有情は病もなく楽しく過ごせるでしょう。その国には、もう暴虐な夜叉や祟り神に悩まされる有情はなく、そういった全ての醜い姿の者は隠れていなくなり、そして刹帝利や潅頂王たちは寿命と健康を得て無病で自在に増益を得るでしょう。
救脱「阿難さん、もし帝王や后妃、王様たち、王子たち、大臣たち、廷臣たち、女官たち、また下級官僚や庶民たちにいたるまで、病に苦しんでいてその厄難を除きたいなら。また五色の神旛を作って立て、明かりを灯し続け、命ある者たちを解き放つんだ。そしていろんな色の花を散らし、定評ある数々のお香を焚く。すると病気は除かれて人々は苦難から解放されるでしょう。」
すると阿難が(さらに)救脱菩薩に質問した。
阿難「善男子さん、すでに命が尽きてしまってた場合、どうやって増益するべきなんです?」
救脱菩薩が答える。
救脱「大徳さん、九横死があると如来が説いたことを聞いたことないのですか? それが理由で、続命幡と燈明を作る福徳をお勧めしてるんです。この行いを修する福徳で、命が終わるにしても苦しみ患わずにすむんです。」
阿難がさらに問う。
阿難「九横って何スか?」
救脱菩薩が言う。
救脱「魂ある者たちで、軽くは済まない病気になったのに医薬がなく看病する者もなく、もし医者に遇えたとしても薬がない……こんなふうに『死なないでいいはずだったのに死んでしまう』ことを横死と言います。
救脱「世にいる邪魔・外道・妖術の師が説く禍福の妄説を信じて恐れおののいたり、占いで凶と出でたことで自分は何か悪いことしたのではないかと心配し、いろいろな衆生を殺して魍魎(化け物や悪霊)たちに捧げて神々に祈ったつもりになって、寿命を延ばしてくださいと願ったけれど、とうとう得られず、愚かな疑いと迷いと惑いで間違った邪まなことを信じたまま横死して無限の期間、地獄から出られなくなる。これが初横(一つめの横)です。
救脱「二つめは、国王(国家)のさだめた法律により誅戮(処刑など殺害)されてしまう。
救脱「三つめは、狩猟や無駄な遊び、エッチ行為、飲酒などに放逸で節度がなく、つまり酒色が過ぎて精気を奪われ、人の手で死ぬのではなく自分から横死してしまう。
救脱「四つめは、火で焼け死ぬ。
救脱「五つめは、水で溺れる。
救脱「六つめは、猛獣などに襲われる。
救脱「七つめは、山中の崖など高いところから堕ちる。
救脱「八つめは、毒薬や呪詛、屍鬼(亡霊)などに害される。
救脱「九つめは、飢え渇きなど、食べ物・飲み物を得られないことで横死する。
救脱「如来による『横死には九種類ある』という教えを簡略にまとめるとこんな感じです。他にもいろんな『横』はありますが、多すぎていちいちは説明できません。
現代に多い横死「交通事故」について語られてませんが、この時代にはまだ馬車や馬も少なかったのでさほど重要とは思われてなかったのかもしれません。あるいは、死因から考えると六つめか七つめあたりに含まれてるのかも?
救脱「さて、それでですね、阿難さん。
救脱「彼の閻魔王の書記官による名籍(個人別の記録)にはですね。もし有情が親不孝だったり、五逆を犯したり、三宝(仏・法・僧)を破辱したり、君臣の法を壊したり、信じるべき戒めに逆らったりしてたらそれがすべて記録されてて、閻魔王はその罪の軽重に従ってこの有情に罰を与えます。
救脱「そういうわけなので、今、有情たちに、明かりを灯し幡を作り生き物を解き放って福徳を修し、苦厄から救われてそれ以上の苦難に遇わないようにするように勧めてるのです。」
と、その時! 聴衆の中にいた十二人の……
つづく!(次回最終回)