盃
「ドクター……か」
「む……嫌か?」
ドクター。長らく聞かなかったその呼び方に、一瞬昔に思いを馳せるが、それが逆に嫌がっていると思われたらしく、震巻に気を遣わせてしまった。
「よいよい……今日は無礼講じゃ。どんな呼び方でもかまわん」
「助かるわ。そのほうが呼びやすいもんでのう」
震巻は残った酒を一気に煽り、少し赤くなった顔で会話を続ける。
「にしても、まさかドクターが生きとるとは思わなんだ。どこかでのたれ死んでいるものだとばかり……」
「にしては驚かないんじゃな」
「充分驚いとるわ! この時期じゃなけりゃ、もう少しゆっくりできたんじゃがな……いや、会えたのはこの時期だからこそか?」
「当たりじゃ」
ワシはポケットから4つ折りにした地図を取り出し、机の上に差し出す。
「戦争中にぶつかることになるであろう場所の地図じゃ。把握しておいて損はないぞ」
「助かるわい……で? 話と言うのは? まさか懐かしい昔話や地図を渡すためだけにワシを呼んだんじゃないじゃろ?」
さすがだ。震巻を相手にご機嫌を取る必要は無いらしい。
「……招集した犯罪者の中に黒ジャケットと呼ばれている若者がおる。そいつの支援を頼みたい」
ワシの話を聞いた震巻は、首をかしげ、少し考える。
「黒ジャケットといや……最近有名になってるあの若造か」
「! 驚いた。話題に疎いお前でも知っておったか」
「娘に1人うるさい奴がいての……そいつのせいで覚えちまったんじゃ」
意外にも、黒ジャケットのことを知っていたことに良い兆候を覚えるが、震巻の返答は色良いものではなかった。
「……駄目じゃな。今の新潟はたいした金を持っとらん。個人に割ける金などない」
「金をよこせと言っとるんじゃないわい」
「じゃあ何を?」
伸太が何を嬉しがるか、それはワシが世界で1番よく知っている。
「黒ジャケットに、お前と殺り合う機会を設けてほしい」
あやつは、殺し合いに心を踊らせる生き物だと。