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おまじない

 少しの間、カフェのコーヒーとフレンチトーストを嗜んだ俺は、少し早めの足取りで帰路につき、今、住処にしているマンションのドアの前に来ていた。


「…………」


 部屋のドアノブにゆっくりと手をかける。当然だがそこに言葉は存在しない。あるのは静寂。何事もない特別感もない。俺以外の人物も当たり前のようにとっている行動。


「……ん?」


「ワウ?」


 しかし、通常思うところもクソもないような行動の中に、疑問の言葉を言わせる不思議なポイントが存在した。


(人の気配……)


 部屋の中にいるとか、そんなもんじゃない。ドアを開けた。すぐそこにいるような……


「……何やってんだ。袖女」


「……あ、あはは〜……お、お帰りなさい……?」


 人の気配の正体。それは当然、袖女だった。


 当たり前と言えば当たり前だが、俺の帰りを玄関で待ってくれるほどこいつと愛を育んだ覚えはない。何か企んでいるのだろう。


「なんで疑問符ついてんだ」


 袖女の返事に突っ込みを返しつつ、防寒対策のために着ていた上着と靴下を袖女に押し付けた。


「……で、玄関で待つとは、どういう風の吹き回しだ?」


 玄関に迎えに来てくれる時はあれど、ドアを開ける前から待ち構えているのは初めてのことだ。何か企んでいないわけがない。


 そう言ってジロリと睨むと、袖女は明らかに嫌そうな顔を浮かべた。


「わ、私だって、帰りをたくなる時ぐらいありますよ」


「嘘だな」


「ぐぅ……」


(……ま、どうせ驚かせたかったとか、そんなとこだろ……)


 と、その時だった。俺の視界が何の前触れもなく暗闇に染まったのだ。目をつぶっているわけではない。何か、物理的に、感触的に柔らかいものに包まれている感じがする。柔らかい、何かに――――


「こ、こうしたくて、待ってました」


 気がつくと、袖女の胸の中にいた。


 手を頭に乗せ、撫でられている。袖女に抱きしめられたのだ。


「……ま、じで、どういう風の吹き回しだ?」


「いっしょに……暮らしているのに、こういうの、したことないなって、思って」


「こういうことをする関係じゃないと思ってたからな」


 心臓の鼓動が嫌と言うほど聞こえてくる。袖女の体温が、緊張が伝わる。


「……私は……もっと早く、こういう事して欲しかった」


「……!」


「また、どこかに行っちゃうんでしょ?」


「……ああ」


「黒のクイーンとあなたが戦った時、私、不安でしょうがなかった」


「信頼されてないんだな」


「違う! あなたなら絶対勝ってくれるって信じてた。けど……」


 まぁ、そりゃそうか。目の前で自分の代わりに戦ってる奴がいるってなると、不安になるのもわかる気が……いや、そんな事はないか?


「あなたは……私が知らない間にも、どこかに行こうとして、何かを成そうとしてる。だから、だから……」


 そこから口を魚のように、パクパクと開けたり閉めたりを繰り返し、なぜか泣きそうな顔になり、俺に伝えてきた一言。





「……これは、おまじない」





「どこに行ってもいいよ。だから……絶対、私のもとに帰ってきて。帰ってきたら、またぎゅうってしてあげ……ますから」





 絞り出した言葉だった。その言葉の意味と、こちらに向けられた思いが、そのまま言葉となって乗ったもの。









「そうか……」









「お前も連れて行く予定だけどな?」









 袖女の顔が、みるみるうちに真っ赤になったのは言うまでもない……


 

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