恐怖
顔面への強打を何度も何度も受け、まぶたが膨れ、視界が狭まったのに加えて、視界が血で赤くなっていたため、どうやって彼が来たのかはわからない。が、顔面への衝撃がストップしたこと。それに続いて耳に入ってきた声色が、彼が来てくれたんだと全力で脳に伝えていた。
「あ……あ、あなたは……」
「? どうした急に。改まって」
黒のクイーンの目の前にもかかわらず、家で一緒に夕飯を食べている時と変わらない落ち着いた雰囲気。姿形は視界が歪んで見えないが、もはや確定だ。
「あ、あはは……来てくれたんですね……」
「……? 何言ってんだお前」
(……あ、もしかして、「当たり前だろ」とかそんなかっこいいセリフを――――)
「来てくれたんじゃなくて、来てやったんだ。そこのところ間違えんな」
「ワン!」
(あ、そんなことなかった)
「……ねぇ、私を忘れてない?」
私と彼の漫才のようなやりとりに気が抜けたらしく、先ほどとはうって変わって、ガンギまった気配が消え、少し寂しそうな表情になっていた。
「あー……忘れてねーよ。忘れてない。忘れてない。いない方が俺としては嬉しいんだけどな」
黒のクイーンに対する彼の口調は、いつもと比較してもかなり荒々しい。何か自分の価値を確信めいているような、そんな感じがする。
(戦闘スイッチが入ってる……? だけじゃ……)
「なかなか言うわね。私が黒のクイーンだと、知らないわけじゃないでしょう?」
「そっちこそ、えらい自信だな? 袖……浅間ひよりと戦った後だろ?」
「なんてことないわ。一発ももらってないし。私にとってはそいつなんて、ゴミみたいなものよ」
ゴミ。子供でも思いつく馬頭の言葉だが、事実ゴミのように地面に這いつくばることとなった私には、確かにチクリと、胸の奥が痛む感覚がした。
しかし、何も言い返せない。なぜなら、黒のクイーンが放った言葉は全て事実。事実なのだ。インファイトもアウトファイトもこなせるスキルと肉体を持っておきながら、その攻撃の全てをことごとくいなされかわされ弾き返され、一発も当たることなく死にかけている。
兵士として、これをゴミと言わずして何と呼ぶのか。
「……そうだな。ゴミだな」
ほら彼も、いや彼からみれば、私は黒のクイーン以上に――
「じゃあ、俺はゴミ拾いでいいわ」
「……はぁ?」
「ふぇ……?」
彼の口から出た言葉に、私と黒のクイーンは思わず腑抜けた声を溢した。
「ゴミ拾い……ってことはあなた、それを拾おうとしてるってこと?」
「ああ、そうだけど」
黒のクイーンは信じられないものを見るような表情で言う。
「あなた……ここで今、それを言うことの意味がわかってるの?」
そう、私を拾うということはつまり、私をかばいながら戦うということだ。そうなってくると、今動けない私を狙うなど、黒のクイーンから見て、戦術のバリエーションが広くなってしまう。そうなってしまえば、さすがの彼とは言え……
「ゴミ拾いってのは、ゴミを好きで拾ってんだよ」
しかし、彼は焦り一つ見せず、淡々と話を続ける。
「俺はそこのゴミが好きだ。体も、心も、内面も外面も、何もかも。だから拾う。拾う気にさせてくれる」
すると、彼は腰を低くし、拳を緩く握った。
「好きな女を傷つけられた……戦うには充分な理由だろ?」
「そう……なっとく」