嫌われ冒険者、人助けのため最後の一戦を決意する
冒険者の多くは自分の家を持つことをあまり望まない。比較的、宿で暮らすほうを好む。特に独身者にその傾向が強く、部屋は1つあれば十分という考えが広く行き渡っている。
俺が長年住み続けるホロゾン亭は、そんな冒険者が数多く寝泊まりする安宿だ。
建物はちょっと古くて汚いが、そのぶん宿代はわずかしか取られない。設備はまあまあ整っており、不便さを感じることなく気ままに滞在できる。
そのホロゾン亭に俺は昼過ぎに戻った。玄関扉を開けると古い建物特有のギィィという軋みが鳴った。昼なので他の客は出払っていた。
部屋は2階の奥。自室に入ろうと扉に手をかけると隙間に紙片がはさまれていた。走り書きでこう記してあった。
「ギルドに来い。大至急」
露骨な命令口調、しかも乱暴な文字。誰が書いたか明白だった。少しいら立ちを覚えた俺は、紙片を握りつぶして部屋の隅に投げ捨てた。指示に従うつもりはなかった。
……用があるならお前らが訪ねて来い
そんな気分だ。
俺はいらいらした気持ちのまま部屋の片づけを開始した。時間があまりないので急いだ。必需品をよりわけ携帯用の袋にすべて押し込んでいく。不要な品はそのままにする。忘れ物がないか室内をぐるっと見渡し、袋を閉じた。
すると切ない気分が急にこみあげた。この部屋と今日でお別れだと思うと、かすかな名残り惜しさを覚えた。だが感傷に浸る余裕は今はない。俺は今日中にホロゾン亭を引きはらい、街を去ることに決めていた。行き先はまだ未定だが、とりあえずこの街を離れて新しくやり直す。
荷物をまとめた俺は、さっき投げ捨てた紙片に目をやった。やはり気になった。ギルドに来い、と書いてあった。しかも大至急、となっていた。いまさら何の用があるのだろう。
もしかして俺を引き留めるつもりだろうか。
そんな思いが一瞬よぎるが、すぐに否定した。今までの経緯を考えると引き留めの可能性は皆無といっていい。
……では一体なぜ
と、思案をめぐらせる。
おそらくだが、なんらかの事情で俺のスキルが緊急で必要になり、今回限り、ダメもとでいいから呼びだしたといったところだろう。
……勝手な連中だ。散々、人のスキルを馬鹿にしたくせに
そう内心でつぶやくと、ギルドに集う冒険者の顔が次つぎに思いおこされた。その多くは俺のことを常に見下してきた面々だ。剣や魔法の能力をひけらかし、何かにつけ人を馬鹿にした人間だ。
もちろん俺はわきまえている。戦闘能力は向こうのほうがはるかに優れており、弱肉強食の世界でこちらが下に見られるのは仕方がないことだ。そこは納得するしかないのだが、向こうの横柄な態度は時として度を越えていた。我慢しかねる経験が何度もあった。
悔しさを味わうたびに思ったものだ。スキルに恵まれれば俺だって……【剣聖】や【魔戦士】という強力なスキルが付与されたら一気に全員を追い抜きA級冒険者にだって手が届くのではないか。そんなことを夢想した。しかし、残念だがそれは叶わぬ願いといえた。夢は夢でしかなかった。
スキルというのは大体、思春期の13、4才頃に付与される。成長すると自然に備わる能力であり、自分で任意に選べるものではない。その内容は個人差が非常に大きく、スキル次第で人生が変わってしまう。ある意味、不公平だが人は誰であろうと与えられたものを受け入れるしかない。すべては神の意志、あるいは運命といっていい。
そして、その運命に俺はもてあそばれ、翻弄された。どういうワケか知らないが、年頃になってもスキルがなかなか付与されなかった。スキルの有無を判定するのは鑑定士の役割だが、その鑑定士のもとを何度もおとずれた。そして、まだ付与されていないと聞かされ落胆する経験を繰りかえした。
ようやくスキルが付与されたのは16才の終わりごろだった。待望した瞬間のはずだが喜びはイマイチだった。手に入れたのは、どこか微妙なスキルだった。
「ヘイト吸収」
鑑定士にそう告げられたとき、俺は暫くポカンとし、首をひねった。なんだ、それ、と思った。ヘイト吸収? そんなスキルは聞いたことがない。
鑑定士もはじめて目にした様子で、書斎にこもってあれこれ確認し、書籍を見ながら説明してくれた。
まずヘイトというのは魔物の怒りを意味するそうだ。攻撃された際の怒り、敵に対する怒り、そうした怒りの感情をヘイトと呼ぶらしい。そしてヘイトが高じると魔物は凶暴になる。暴力性が増し、対峙する相手に攻撃を開始する。自分に危害を加えた相手をしっかり認識し、ヘイトの対象として徹底的に攻撃する。
これが一般的な魔物の暴れ方らしいが、では【ヘイト吸収】とはなにか。どんなスキルか。
簡単にいうと、魔物の怒りを自分に向けさせる能力だ。魔物のヘイトを我が身に引きよせ、あえて攻撃のターゲットになる。そんな能力だ。
鑑定士の説明をそこまで聞いて16才の俺は素朴に思った。これは一体なんの役に立つのだろう。攻撃されたら逃げるべき、あるいは反撃すべきではないか。そんな疑問に鑑定士はこう答えた。
ケースバイケースだよ。
普通の人生を送る人間にはなんの役にも立たないが、たとえば冒険者みたいな職業ならどうだろう。パーティの一員として重宝される可能性があるのではないか。自分が魔物の注意を引きつければ他のメンバーが攻撃に専念できる。あるいは回復までの時間稼ぎとなる。そういう貴重な存在になりうるのでは。
この答えを真に受けたワケでもないが、俺はその後、冒険者になった。18才の春に決意をかため最初の一歩を踏みだした。ただ周囲の人間は猛反対した。当然である。剣の実力は人並み以下、魔法もヘタくそ。そんな男が冒険者になっても魔物の餌食になるだけだ。俺は何度も諭された。だが結局、家出同然で故郷を飛びだした。貧しい農家の末っ子だったため、田舎にいても将来の希望が持てなかった。
いくつもの地方を転々と移住し、2年前、今の街に行き着いた。
この街の冒険者は主にダンジョンと森林で稼いでいた。ダンジョンには強力な魔物が多く棲みついており、退治できれば報酬は高額である。多くの冒険者は当然のようにダンジョンを目指した。
だが、そこには制約があった。危険が伴うためパーティを組むことが求められ、単独でのダンジョン進入はC級以上の冒険者に限って許可された。
ちぇ、なんだよーというのが当時の俺の感想だ。ギルドに登録したばかりの俺はまだE級だった。ダンジョンで稼ぎたいならパーティに必ず参加せよということだ。それは簡単なことではなかった。実績のないよそ者は仲間に入れてもらえなかった。
仕方がないので森林でコツコツと稼いだ。植物を採集し、小型のモンスターを捕らえてわずかな報酬を得た。そんな日々が暫く続いた。そしてある日、同じ境遇の冒険者と一緒に狩りをした。これが分岐点になった。俺のスキル【ヘイト吸収】が予想以上に威力を発揮し好結果をもたらしたのだ。
戦法は単純だ。魔物のヘイトを俺に集中させ、その隙に仲間のほうが敵を攻撃する。それだけだ。
この方法がピタリとはまって大型モンスターの退治に成功した。同じ戦法で翌日も成果をあげた。そうしたことが何度か続き、やがて俺のスキルがギルドで評判になりだした。すると、パーティから時々声がかかるようになり、正式加入ではないものの単発の仕事でダンジョンに同行する機会を手に入れた。運が向いてきたと俺は喜んだ。この街で1年を過ごした頃だった。
◇
「入るけど、いいかい」
扉をコンコンとノックし、宿の主人が顔をのぞかせた。
「手紙は読んだかね。入口に挟んでおいたんだが」
「手紙?」
そう聞きかえして俺はすぐに気がついた。床に投げ捨てた紙片のことである。ああ、と曖昧に返事をかえすと、痩せた中年男の主人は
「ギルドからの使いが置いてった。急用だそうだ」
俺の様子を見ながら探り探りでそう言った。なにか思惑がありそうだが俺は気づかない振りを装った。
「そうらしいですね」
「まあ、ギルドに出向くかどうかは、あんたの自由だがね」
主人は間をおいて、こちらの反応をうかがった。俺とギルドの間でなにがあったか大体知っているのだろう。言葉を選んで慎重に話しかけてくる。
「ダンジョンでなにか面倒が起きたみたいだよ。ほら、あの娘、エレンも巻きこまれたらしい」
「エレンが」
俺はその名前に咄嗟に反応した。
「面倒って、なにがあったんですか。ダンジョンで事故でも起きたんですか」
「さあ。詳しいことは聞いてない」
主人の答えにもどかしさを覚えた。
「危険なことですか」
「さあ」
「教えてください。頼みます」
俺は主人の肩をつかんで揺すぶった。思った以上に力がこもった。
「痛いよ。離してくれ……本当に聞いてないんだ。知りたきゃギルドに行って自分で確かめてくれ」
口ぶりからして本当に知らないようだった。どうすべきか判断に迷った。エレンとは一時期だが共に活動したことがある。苦楽を一緒に乗りこえ、支えあう仲だった。
……しかし
今日を最後に俺はこの街を離れることに決めている。かつての仲間を案じる気持ちはあるが、俺の知る限り、エレンはパーティの一員としてダンジョンに潜っている。そのパーティは有力メンバーが揃っており、危難に遭遇しても滅多なことはないはずだ。
「どうするんだい」
主人が俺に聞いてきた。ギルドに出向くかどうか確かめたらしい。俺は迷った。エレンの姿が記憶によみがえった。おぼろな記憶は徐々に鮮明になった。
俺たちが初めて出会ったのは森の中だった。雨のやんだ直後で静かな夕刻だった。濡れた木陰に人の気配を感じ、俺はそっと近づいた。そこにエレンがいた。エレンは1人で泣いていた。俺に気づいて涙をすぐに拭ったが、目が赤くにじんでいた。涙の理由は聞けずじまいだが辛さを抱える心情は伝わってきた。
話してみると俺たちは同じ境遇だった。年が同じでレベルも同じE級だった。よそ者として街に滞在し、人々にあまり溶け込めない点も同じだった。孤独というと大げさだが2人とも居場所が見つからないまま日々を過ごしていた。
エレンは女特有の事情も抱えていた。ギルドの有力者に言い寄られていた。その話を聞いたとき俺は心底、腹をたてた。
……なあ、お姉ちゃん、ダンジョンで経験を積みたいんだろ、と古株の冒険者は誘いをかけてきたそうだ。
……だったらパーティに入らなきゃ、それがこの街のルールだ、いや心配するな、俺が口をきいてやる、だから分かるだろ、な、言うことを聞け、悪いようにしない。
そんな言葉で関係をせまってきたらしい。
もちろんエレンは拒絶した。パーティにそんな手段で加わる気は毛頭なかった。しかし、古株のほうはあきらめず執拗に機会をうかがった。エレンが木陰で泣いていたのはそれが原因かもと俺は思った。励ましたいと素直に考え、なにか方法がないかと思案した。
丁度いいことにエレンは【剣士】のスキルを付与されていた。けっして飛びぬけた強さとはいえないが攻撃力は備わっていた。俺の【ヘイト吸収】と組み合わせれば効果的に魔物と戦えた。当時の俺は、パーティに単発で加わることはあったが正式加入に至っていなかった。実績不足だった。俺はエレンと共に森の魔物と戦い、一緒に経験を積むことにした。
2人の相性はとてもよかった。小型モンスターを手始めに、グレイウルフやランドホークという、かなりの難敵も討伐した。鉱石の採集にもせっせと励んだ。思い返せばこの時期が一番楽しかった。森で野宿し焚火の前で語りあかした。将来の夢を互いに披露した。
朗報が届いたのは夏の終わり頃だった。有力パーティから連絡があり加入しないかと誘われた。俺とエレン、2人への同時オファーだ。もちろん快諾した。俺はヘイトの引き受け役として、エレンは攻撃陣の1人として期待をもって迎え入れられた。
自分でいうのもなんだが俺たちはいい仕事をしたと思う。ダンジョンに巣くう魔物は森とは比較にならないほど手強いが、俺の【ヘイト吸収】スキルで攻撃力を大幅にレベルダウンできた。エレンの剣も冴えわたった。
圧巻はマッドベアーとの対決だ。第4層に初めて降りたったとき、この大型モンスターに襲われた。パーティの全員が面喰らい狼狽した。マッドベアーは当時、誰も退治できない最強クラスのモンスターだった。
俺はとにかく走りまわった。敵の注意を引きつけヘイトを自分に集中させた。マッドベアーは猛烈な火炎を俺一人にめがけて連射した。巨大な体で突進し鋭利な爪で首を狩りにきた。
俺が逃げ回るあいだ、エレンを含めた攻撃陣がなんとか態勢をたてなおし、背後からの攻撃に専念した。時間にしてどれくらかかっただろう。そこは定かではないが、疲労困憊の末、巨大モンスターを退治した。
その結果、パーティは最大級の賛辞をうけた。そして俺の評判がギルドのなかで急速に高まった。【ヘイト吸収】という奇妙なスキルが注目を浴び、他のパーティから秘かに引き抜きの声がかかったりした。
正直なところ俺は有頂天だった。収入が増え、少し遊びも覚えた。だが、そんな日々は長くは続かなかった。
異変を感じたのは、マッドベアーとの戦いから数か月過ぎた頃だ。まず他の冒険者との関係がぎくしゃくし始めた。ささいなことで口論になり、場合によっては喧嘩に発展するトラブルが何度か起きた。激昂した相手に罵倒され、糞スキル、などと面と向かって蔑まれた。
俺は最初、妬まれたのだと思った。俺の評価が急に高まったため、周囲の嫉妬を買ったのだろうと単純に考えた。しかしそうではなかった。もっと深刻な問題が起きていた。
ヘイトが体内に蓄積しはじめた……街の鑑定士にそう告げられたとき、意味が理解できず戸惑った。椅子に腰かけたまま、対面する鑑定士の顔を黙って見つづけた。
「どういうことですか」
ようやく言葉を発すると鑑定士は説明してくれた。
「すべては魔物のヘイトを浴び続けた結果です。分かりますか。つまり」
つまり要約すると、ヘイトの持つ妖気が俺の体内へと浸入し、澱のように沈殿しはじめている。沈殿した塊りは、いわば
「ヘイトの残骸」
であり、その残骸からヘイトが湧きだし、体の外に漏れでて周りに影響を及ぼしている。それが俺の置かれた状況だと冷静に解説された。
俺は、他の冒険者とのあいだに不和が生じたことを打ち明けた。すると
「残骸のせいです。ヘイトが体外に発散され、人の怒りや憎しみを誘発してしまうのです」
と、断定された。そして予言めいたことを宣告された。
「このまま魔物のヘイトを浴び続けると深刻な事態に至ります。体内に残骸が蓄積し、誰も彼もがあなたに憎しみを覚えるようになります」
俺はこの時、半信半疑で聞いていた。あまりに荒唐無稽で、ちょっとうさん臭く感じた。だが、この後の進展は鑑定士の予言どおりになった。
ダンジョンで戦う日々を継続した結果、ギルドの内部で俺は孤立していった。【ヘイト吸収】スキルは相変わらずパーティで必要とされ、そのお陰で仕事を失うことはなかったものの、俺に対する周囲の接し方は日に日に悪化した。怒りや憎悪の目がいつも向けられ、糞スキルという呼び名が定着した。
俺にとって一番辛かったのは、エレンにまで背中を向けられたことである。最初は会話を避ける程度の反応だったが、次第に怒りや嫌悪の表情を浮かべるように変わっていった。森で一緒に野宿し焚火を囲んだ過去がウソのように感じられた。
そして、ある日、それは起きた。ダンジョンでの戦闘中、俺は手傷を負った。咄嗟に回復役のメンバーを見て助けを求めた。しかし、その回復役は目をそらした。俺を見捨てたのだ。幸い大きな怪我ではなかったが、心の中でなにかが折れた。パーティから身を退こうと決心した。
その日の夜、エレンから手紙が届いた。謝罪の言葉が述べられていた。俺に直接会うと怒りの感情をどうしても抑えることができない、だから手紙を書いたとのことだった。ごめんなさい、許してほしい……そんな言葉が何度も繰り返されていた。
手紙を読み終えて俺の気持ちが固まった。街を去ることにした。そして冒険者もやめることにした。ヘイトを体に蓄積させ続ければ、いずれ破滅する。俺はそう思った。鑑定士の話によれば、魔物との接触を断てばヘイトは徐々に消滅するとのことだった。ならば冒険者をやめ別の仕事を探そう。そう決意した。
◇
ダンジョンの進入口に人だかりができていた。ざわざわと騒々しい群衆が右往左往し、まごついていた。どうしよう、どうしようと浮足立っていた。
その場に俺が近づくと、気づいた数人が表情を変えた。ヘイトの影響だろうが構わず歩を進めた。
俺は結局ギルドに出向いて話を聞いた。そして急いでダンジョンにやってきた。予想以上の危機が迫っていた。
「崩落が起きた」
ギルドで応対した事務官は震える声で説明した。ダンジョン深部で地盤が崩れおち、30メートル強の断崖が発生したらしい。そしてエレンの属するパーティが丁度そこに居合わせた。メンバー7人は断崖を滑落して抜け出せない状況にある。
「それだけじゃない」
事務官は続けた。
「マッドベアーがその場に出現した。3体もだ」
悲壮な顔で言い終え、もう助からない、と小さくつぶやいた。俺はそこまで聞いてギルドを飛びだした。馬がないので走った。長距離を駆けとおし、息を切らしてダンジョンに到着した。
崩落した箇所は第5層。断崖が発生したのはその奥である。5層に降りるとマッドベアーの雄たけびが岩にとどろいていた。現場は冒険者が大勢つめかけていた。大変だ大変だと大声を張りあげ、断崖を上からのぞきこんでいた。眼下のパーティは壊滅しかかっていた。しかし助けに降りるものはいなかった。
俺はその場を無言で歩んだ。いつもの通りヘイトによる冷たい視線が俺に注がれた。気にする暇はなかった。俺が進むと人垣が左右に割れ、視線がさらに集まってきた。怒りと憎悪の目を向けられたまま俺は直進した。断崖で足をとめ大きく息を吸った。
憎め、憎め、俺を憎んで怒り狂え
強く念じた。
お前ら魔物のヘイトはすべて受けとめてやる
足を振りあげ宙に跳ねた。そのまま斜面に降りたち滑降した。マッドベアーが狂った形相で押しよせた。3体が一斉に殺到した。
エレンは俺に気づいたようだ。パーティの他のメンバーも気づいたと思う。俺はマッドベアーの注意を引きつけ壁面沿いを疾走した。火炎が体をかすめた。体を反転させ3体の魔物に相対した。睨みつけ大声で吠えた。マッドベアーの巨体から凄絶なヘイトが発散された。それをすべて受けとめた。
エレンの跳躍する姿が目に入った。剣をかざして魔物の背中を突き刺しにいく。マッドベアーは振りかえり、エレンめがけて爪を振りあげた。
「そっちじゃないぞっ!醜い化け物」
俺が叫ぶとマッドベアーはエレンに興味を失い、こちらに突進した。
「そうだ。お前の敵は俺だ。俺をさっさと食い殺せ」
俺は反転を繰りかえし左右に走りまわった。火炎をかいくぐり鋭い爪を紙一重でかわしてみせた。パーティは徐々に蘇生した。攻撃の勢いが少しづつ盛りかえしてきた。
「弱点は喉だ。喉をねらえ」
リーダー格の冒険者が叫んだ。前回の戦いでマッドベアーの弱点は把握済みだった。メンバー各々が得意の武器で喉を狙いにいく。矢がたて続けに放たれ1体の喉に次々命中した。絶叫とともに巨体がくず折れた。
氷魔法の刃がもう1体の弱点を突き刺した。そいつの戦闘能力が大きく削げおちた。
残りは1体。安心したつもりはないが俺の足が止まった。体力が限界だった。なんとか足を引きずるが最後の1体がまともに突進するのをよけそこねた。俺は吹き飛ばされ岩に叩きつけられた。魔物の爪が足を切り裂いていた。
意識がぼんやりして遠のいた。視界が徐々に暗くなっていく。これで終わりか。そう思った。マッドベアーがとどめを刺しにきた。逃げるのは無理そうだ。ま、いいか。こんなもんだ、とあきらめをつけた。そのときである。エレンが飛びこんできた。
エレン、来るな。俺は叫ぼうとした。危ない、来るな。そう叫ぼうとした。
だが声が出なかった。エレンは俺の前に立ちふさがった。両腕を大きく左右にひろげ、まるで盾のような姿勢をとった。錯覚かもしれないが右手の剣が一瞬きらめいた。それを見届け、俺の視界は静かにゆっくり暗転していった。
◇
「ねえねえ、大根は売ってないの」
「あ、すいません。今日はもう売り切れちゃって」
「そう。じゃあニンジンだけちょうだい。2本」
「はい、ありがとうございます」
俺は店先のニンジン2本を手にとり客に差しだした。料金を受けとり、その客と暫く雑談をした。別の客が茄子はないかと聞くので、あちらですと置き場所を指さした。
俺は今、パロムという小さな街で働いている。市場で雇ってもらい野菜売り場を受けもっている。農家の出身なので多少は野菜の知識があり、それが意外と役にたっている。商売のコツを早く身につけ、いずれ売り場を任せてもらうのが当面の目標だ。
「じゃあね」
「またお願いします」
客を見送り、一息ついた。伸びをして、空を見上げた。青い空が悠々とひろがっていた。ダンジョンでの戦いが遠い昔のことに思えた。冒険者をやめて
……そろそろ2年か
俺は心の中でつぶやいた。最後にマッドベアーと戦ったのが2年前。右足にはその時の傷が残っている。傷跡をそっと触れてみた。痛みはないが縫い跡がなまなましい。
俺はあの時、死を覚悟した。魔物に全身引き裂かれるのを覚悟した。だが、エレンが身を挺して守ってくれた。俺の意識はエレンが立ちはだかる瞬間で途絶えたが、無事に救出され、気づいたときはベッドの上で横になっていた。傷の手当ては済んでいた。
俺は予定した通り、街を離れ、冒険者をやめた。ヘイトが体内から消え去るのに暫く時間がかかったが今はすっかり普通の暮らしを営んでいる。スキル【ヘイト吸収】はもちろん封印した。2度と使わないと決めている。魔物と戦うことも今後ないだろう。
ときどきエレンのことを思いだす。思いだすと胸が疼く。元気でいてほしいと切に願うが、連絡をとらないまま2年が過ぎ、消息はよくわからない。今も冒険者ならC級くらいに昇格したはずだ。だが詳しいことはわからない。
「大根ちょうだい」
客が呼びかけてきた。常連のおかみさんだ。
「すいません。今日は売り切れで」
俺は頭をかいて謝った。
「そうなの。しょうがないわね。じゃあ代わりに……」
おかみさんはそう言いかけて言葉をとめた。そして
「あら、綺麗なお嬢さん。こんなお店に珍しい。あんたの知り合いかい」
と、俺の背後に目をやり、つぶやいた。からかわれたと思った。このおかみさんは冗談をよく言ってくる。慣れたやり取りなので、はいはいと受け流した。すると
「ひさしぶり」
後から声がした。女の声だ。俺は緊張した。聞き覚えのある声。まさかと思った。
「あちこち随分と探したんだよ」
俺はゆっくり振りかえる。女の長い髪が風になびいた。
「エレン」
懐かしい笑顔が目に飛びこんできた。
お読みいただき有難うございます。短編ですが少し長くなりました。ご指摘、ご感想あれば是非。




