92枚目 「眼球飛来と紫目の君」
「そういえば王様」
「何だい『強欲』」
赤い紅茶が尽き、金髪少年は腰を浮かせる。
その様子を目で追うことも無く、当たり前にカップを下げる王様。
これでは立場が逆なのだが、お互いにそれを咎めることはない。
「あの男は誰だ? 魔導王国の人間だってことは分かるけど、カーリー・パーカーの戸籍表には誰も血縁者が記録されていなかった。……それなのに、あの男は彼の兄を名乗って連れ出した」
赤紫の髪。赤い瞳。白磁の禁書を手に姿をくらませた男。
彼はまごうことなく魔族だろうが、浮島にその記録は一切残されていなかった。どこにも「スターリング・パーカー」の文字が見つからないのだ。
それともあの男が言っていたことが全て真実で、一族もろとも死んでいるとでもいうのだろうか。もしくは自らを死んだことにして外に出たのか――どちらにせよ。
「この世界では諱が力を持つだろう。王様が知っていることがあるなら教えて欲しいんだけど」
「どうして私が知っていると思ったんだい?」
「王様、俺が取り逃がしたって話をしたとき全く驚かなかったじゃないか。いつもなら取り逃がした事に対するペナルティはかなり重いものがあるのに、今回は誰にも咎めがなかった。あとイゥルポテーさんに聞いたよ、あの男と貴方が対峙していたのを見たってさ。剣まで引っ張り出すなんてよっぽどじゃないか?」
「ははは。ごまかしようがないな」
王様は笑い、深い藍色の髪を摘まんで耳の後ろにかける。
「彼は、私の古い知り合いだよ。七年前のことがあって浮島を飛び出し、戻って来なかった――そして、それだけだ。今の彼が『カーリー・パーカー』の兄と名乗るのであれば、彼は文字通り『スターリング』になったのだろう」
つまり、諱は知らないとしらばっくれるのか。
ハーミットは納得がいかない自分を抑え、今日の所は引き上げる選択をとった。あまり長居すると目の前の彼がポーカーフェイスを保っていられなくなってしまう。
「分かった。今のところはその情報で満足しておくよ――それでは王様、くれぐれも御身をご自愛くださいますよう」
「はっはっは。善処することにしよう!」
「……栄養剤ぐらいは飲んでくれよ」
「おうさ」
玉座に戻る王は答え、鼠顔を被り直した獣人もどきは踵を返す。
絢爛な赤を背に、扉は閉じられる。残された王は一人玉座で足を組み、頬杖をついた。
天井に嵌め込まれた飾り硝子の向こう側に、昼の月が二つ浮かんでいる。
「……先代様、か」
独り言は、民の耳には届かない。
ラエル・イゥルポテーが昇降機を使って四棟一階に辿り着くと、来た時のような人の波は引いて、いつも通りの浮島生活が待っていた。現在、黒髪の少女に向けられる懐疑の視線は殆ど無いに等しい。
黒髪の少女は首を傾げながら銀の籠を降りる。
灰色の絨毯が引き直された巨大回廊は、昨日よりもきらきらと輝きを放っていた。どうやら大掃除が済んだようだ。
(……準備に三日もらったのはいいけれど、結局どういう仕事をすることになるのか分からないまま出てきちゃった。今更だけれど、しっかり聞いておくんだったわ)
途中で気絶した金髪少年から後で聞けばいいか、と踵を返す。
四天王の補佐というとんでもない就職先が決まった以上、職業斡旋所に行く必要もないので完全にフリータイムだ。
(それにしても、王様に会うのは体力が要るわね)
恐怖感情が抜け落ちているラエルの、研ぎ澄まされた危機感覚。
前日夜の廊下で鉢合わせた時よりはましだったものの、王様と呼ばれている存在だけあって彼の魔力量は魔族並み外れたものだった。
あらゆる魔法を無効化するという馬鹿げた体質を持つハーミット・ヘッジホッグはその圧を受けないのだろうか。だとすれば羨ましい。
(昨日の今日ですっかり目は覚めてしまっているし、このまま部屋に帰るのも何だか癪だし。嫌な目を向けられてないってことは、資料室ぐらい使っても良いわよね?)
ここは四棟だ。黒髪の少女は、資料室へ足を運ぶことに決めた。
絡繰り仕掛けの巨大扉を潜って、魔石が付いたブレスレットを収納する。
普段通り引き出しの箱搭載のポーチに収納していた書籍を取り出して返却棚に置く。
黒く長い、知らない影が背後に被さったのはその時だった。
振り向いた少女が頬を摘ままれ、長い指で顔面を覆われるのにさほど時間はかからない。
ラエルは頭をホールドされたまま、謎の人物に声をかけられることになった。
「こんにちは功労者さん。資料室へようこそ?」
「……?」
功労者。はて、そのように呼ばれる覚えはない。
ラエルの頬を両手で摘まんでいる相手は、ニコニコ笑うばかりだった。
大きな度の強い丸眼鏡で、スフェーンより背が高い。
少女と頭四つほどは差がある高身長。髪はとても短く、前髪を頭の天辺で結んでいる。
その女性は、足も腕も首も少々長めで、何だか規格外だった。
ゆったりとした服装が、あちこちでひらひらとうねっている。
術式刻印だろうか、女性の両腕には黒い半円が大量に刻まれていた。
「んんぅ、まさか人族の貴女がこの浮島の救世主となるとは、ワタクシ予想もできなかったもので――ええ、ええ、しかしですねぇ、こう立て続けに事件に見舞われているらしいじゃあありませんか」
橙の瞳が硝子の内側でキロリと動く。
「どうですか? 心に疲れは感じていませんか?」
「は、はぁ。心に疲れ?」
黒髪の少女は文字通り疲れ切った目をするが、それは逆効果だった。
「ああ! 疲れ切ったその瞳頂きました! ぜひ、ぜひぜひこの機会にワタクシの言霊治療に参加してみませんか? 集団でも個人でも予約は何時でも何処でも対応いたしますよ?」
「け、結構です」
押し切られる形で悪徳宗教に嵌った身からすれば、このような謎の押しの強さに人一倍苦手意識を抱くようになるものである。
ラエルは対面する女性の指をなんとか頬から剥がそうとするが、一本肌から浮かせたところで別の一本が復活するといった具合で中々決着がつかなかった。
「そもそも誰ですか貴女は……私は資料室を利用したいんですけれど」
「誰? そうですね! ワタクシとしたことが自己紹介を忘れてしまっていたようです!」
その台詞を合図に、ここまで解放してくれなかったラエルの顔を解放する女性。
細長い腕を畳み、女性は自身の胸元に手を添えた。
「――初めまして紫目の君。ワタクシはこの浮島で心の治療を中心に活動しています、メルデルと申します。という訳でお話しませんか?」
言い終わるまでに距離を放していた筈の少女の手首を、つつ、と女性の長い指が這う。
ラエルは思わず肩を震わせた。
「どうです? 貴女、きっと言霊治療に興味あると思うんですよー」
「今の流れでどういう訳なのか全然分からないのだけれど……というか、触らないで頂戴」
這い寄る腕を振り払って二階へと向かう黒髪の少女。
何だか背の高いメルデルはその後ろをピッタリと着いて来る。
(ずっと笑顔のまま着いて来るんだけどこの人……!)
緊張感を漂わせながら二階へ辿り着いた少女は、背後の気配が最後の段を踏む前に全力で前方へと駆けだした。ストレンとの喧嘩で役に立った脚力は伊達ではなく、あっという間に受付まで辿り着く。
資料室二階で貸し出しを担当しているのはロゼッタである。確かこの時間は起きていたはずだと踏んだ黒髪の少女だったが、その希望は打ち砕かれる。
ご丁寧に規則正しい寝息を立てる司書を目に、ラエルは顔をひきつらせた。
少女が知らないのも無理はないが、ロゼッタは昨夜から未明にかけて浮島中の結界を修復したり改築したりで大量に魔力を消費していたのである。普段より深い眠りは、ちょっとやそっと揺らした程度で目覚めるようなものではなかった。
言葉も逃げ場も失った少女の背後に、メルデルは回り込む。
「逃げないで下さいよー。言霊治療といっても仰々しいものではないんです、私と個室でお話するだけですから、さあ、さあ!」
「さあさあ、じゃあないわよっていうか肩を揉まないで!?」
「……これでもワタクシ、この資料室の館長なのですよ?」
「それがどうしたの!?」
「……錠のかかった本に興味はありません?」
「!?」
(ひ、卑怯――!!)
取引条件に顔を歪めた様子を見て、メルデルの瞳が細められる。
罠にかかった得物に舌を舐めずった。
「一度でいいんですよ? 一度だけ私と九十分過ごせば、貴女この資料室で鍵を開けて本が読めるようになるんですよ? どうです、悪い条件じゃあないでしょう?」
肩を包み込む骨ばった細い指から、得も知れぬ圧を感じる。
鍵つきの書籍閲覧ができるという特権染みたものに、目が眩まないわけがない。
ないのだが!!
「いっ……いえいえいえ、私は領分を弁えている魔術師よ。開錠に魔力量が条件とされているのなら、それに見合わない人間が本を開いてはいけない!!」
「そうですかねぇ。国の皆さんが貴女のような人に情報を開示したくないだけなのかも知れませんよ?」
「ううっ……確かに、全くないとは言い切れないけれどっ……!!」
「貴女がよく貸し出す著者の書籍にも、鍵つきの物があるのではありませんか……?」
「ひっ!?」
首筋に走った悪寒に身体をこわばらせる。
蛇に睨まれた蛙、いや三つ首鷹に鷲掴みにされた砂魚か。どちらにせよ、この館長 (そもそも本当に館長なのかすら怪しいが)がまともに相手にしてはいけない人間であると彼女は本能的に察知した。
しかし、両肩をがっちりつかまれているこの状態、目の前には天板に突っ伏す司書ロゼッタのつむじしか見えない。
彼女が予言をしてしまうのではないかとか、ラエルはそんなことがどうでもいいぐらいには追い詰められていた。
少女はどうやって館長を引き剥がすか、それとも司書を起こすか、とにかく天板を叩くか――脱出の為にかなりの手を考える。しかしその思考の間をあざ笑うかのように、少女の手首にメルデルの手のひらが移動した。
気づけば両腕が拘束された状態である。
「な、なんだか非常に嫌なんですけど、っていうか私さっきからお断りしてるわよね!?」
「いいえー。貴女は非常に素直ですよ? さっきから新しい本が読めるとワクワクしているじゃあありませんか! その証拠に脈が速くなっていまーす」
「これは貴女に対する危機感の表れよ! 全身が危険信号を出してるの!」
「またまたぁ、正直になれない娘なんですから」
「さっきからずっと正直そのものなのだけど!?」
一人の変態が浮島から去ったかと思えば、また新たな変態が現れた――ベリシードとはまた違う種別の変人にからまれる少女は、他の利用者が見ないふりをするしかない位にいたたまれない。
館長メルデルは厄介な人間だ。仕事ができる一方で、ひとたび言霊治療の話題になると手が付けられなくなる厄介な人――これは浮島住民の共通認識であり、たまに資料室が使い物にならなくなるのも彼女の仕業だというのは有名な話だった。
混沌を極める資料室には、利用者を迎え入れようと扉が開かれる。
二階からやってきた新たな入館者は入るなり顔を顰めたが、赤い廊下を速足で通過したかと思うと、嫌がる少女と暴走する館長との間に手袋の腕を差し込んだ。
「あら、久しぶりですね。前回の面談も口が悪かった獣人もどきさん」
「口が悪かったは余計なお世話だ」
黒髪の少女を拘束していた腕を剥がす。鼠顔のハーミットだった。
「何をしているんだ。彼女の面談命令でも出たのか?」
「んふ、いいえ。ワタクシはワタクシの興味赴くままに彼女を誘っていただけです!」
「誘うっていうより、ただの質の悪い勧誘よ……」
針鼠の背に回りながら少女が呟く。助かったと口にしないあたり、現在の状況をよく把握できていると少年は判断した。
資料室館長の視界に入っている間は、基本的に気が抜けないのである――だが、少年は切り札を持っていた。
ラエルを手招きし、手をとる。
黒髪の少女は疑問の視線を投げるが、少年は敢えて気にしない。
「メルデルさん。俺、今から新しい同僚を新人研修に連れてかなくちゃいけないんだけど。それでも邪魔する?」
「えっ、同僚って。貴方また部下増えるんですか?」
「……部下? はは。そんなに立場の離れた仕事相手じゃあないよ」
ハーミットは言って、軽々と――予告もなしにラエルを抱え上げた。
「部下じゃなくて、補佐だもんね。イゥルポテーさん?」
「へ?」
膝の上にのっている少年の手のひらも、自らの腰が彼の肘の上に固定されているという状況も、なにより自身より身長が低い針鼠に軽々抱え上げられたという事実に、ラエルは絶句する。
驚いたのは変人館長も同じようで、一瞬動きが鈍った。
その隙を見逃す針鼠ではない。
「よし。逃げるぞ」
「――ひゃあぁ!?」
次の瞬間、少年は一階へ向かって吹き抜けを飛び降りた。
下にある背の高い本棚を踏み台に、あっという間に扉の前まで辿り着く。同時に背後から風系統魔術の発現を悟らせるそよ風が吹き始めた。
扉が開くまでに三秒かかるが、何とか魔術の発現前に間に合ったようで、少年と抱えられた少女は多少もたつきつつも資料室の外へと飛び出す。
「ちょっとぉお! 飛び降りるなら先に言って! 舌噛むじゃない!」
「あの程度の高さは段差だよイゥルポテーさん! それより今は眼球から逃げ切ることだけを考えて! 可能なら撃ち落としてもいいから!」
「は!?」
少女は鼠頭に腕を引っ掛けながら、背後を目にして息を呑む。
目が潰れてしまいそうなほど肥大した頭骨サイズの眼球がいくつも飛んでいる。おどろおどろしくカラフルで、何とも生々しい!
ラエルは一瞬、何処かで耳にした「資料室で眼球が飛来する」という謎ワードを思い出す。
成程、これが眼球が飛来するという常軌を逸した状況の全容か――。
「って無理無理! 今の私、初級すら使えないのよ!?」
ラエルは言って、左腕にされた新しい金属の腕輪を晒す。
「マジか! じゃあ三棟まで頑張る!」
「……っ! あとで全部説明して貰うわよぉ!?」
少女は苦笑い、少年に身を任せ襲い掛かる眼球と対峙する。
少年は道行く人の憐みの視線を避けつつ少女を抱え、全力で三棟へ歩を進める。
魔導王国浮島。謎多き王様が統べる魔族の城。
二か月過ごしたところで、黒髪の少女が知らないことはまだまだ多いようである。




