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強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~  作者: Planet_Rana
3章 赤魔術士は紫空に咲う
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89枚目 「愛を示す術」


 それが勝ちを確信した故の笑みだということに。少年は気づかなかった。

 背後から腕が伸びていることに、気づかなかった。


 敵意も悪意も無く、細い女性の腕が少年の背後から全面に回り込む。

 肩ごと抱きしめるように。腕が伸ばせないように。しっかりと――拘束する。


「!?」


 振り向こうとした頭を、水色の手袋を嵌めた掌で固定される。


 これでは身動きが取れない。


 下あごと額の上。こめられた力の方向が首を捻り折る構えだと知って、少年は戦慄した。


 黒髪が白い頬にかかる。

 ――背後に控えていたのは、気を失っていた筈のラエル・イゥルポテーだった。


 完全に視界から外していた為に、ハーミットは対応できなかったのだ。


(これは見誤った。まさか人体の急所を固定されるとは……!)


「彼女に何をした!?」

「禁術だよ。とある白魔術士にかけたものと同じさ」

「……『催眠(ヒュプシス)』か」

「大正解! 良い勘してるね君ぃ」


 男は手に魔力を込めると、少年の足元を指す。


「『氷塊(ロック)』」

「っ!」


 瞬く間に足元を氷で固定される。魔法無効化(マジックキャンセル)が発動するのは生身に触れた時のみだ。革靴越しでは氷に触れることなどできはしない。


 上半身を一瞬前傾させようとした金髪少年はしかし、ホールドされた頭に力が加えられた事を確認して上体を起こす。赤紫の髪を揺らした男は快活に笑ってみせた。


「首を折られたら幾ら君でも再起不能だろう? 若い身空で大怪我をするものじゃあない。今回は諦めてくれたまえ」


 琥珀の瞳が歪む。身動きは封じられているが、口は自由だ。


「人の感情を利用して犯罪まで起こさせて、死者すらも冒涜して。その癖、結果を見ようともせずに立ち去ろうっていうのか……!? 貴方は、いったい何を目的にここへ来たんだ!!」

「何って。主に弟の奪還だよ。そこに居るだろう? カーリー・パーカー」


 男は言いながら石の壁に手を添える。

 小石混じりの白い岩盤が赤い爪の先で滑った。


「彼は私にとって最後の家族でね。言うなれば生き残りなんだ」

「……」

「分からないかい? 身内を殺した人間の身内を、この国の人間が許せる筈がないだろう」


 他の血族は一人残らず殺されたさ。

 やんわりと、口元は緩いまま――赤い瞳は細められた。


「まぁ、それがあったから現王様は彼を幽閉したんだろうがね。ここに優秀な白魔導士を配置すれば、少なくとも民衆に彼が殺されることは無いと踏んだのだろう」

「復讐しようと思った……っていう顔じゃあないけど」

「そりゃあそうだろう。どうして一度は愛した隣人に、今更憎悪を向けなければならない?」


 男は壁をなぞり、それから瞳だけこちらを向く。


「君こそ、誰かに復讐したいと思っているのでは?」

「……個人的な恨みの矛先ならある。でもそれは、俺のエゴだ」

「ああ。そうだその通り。私が全員を巻き込もうと画策して、それでいて誰も傷つけないように計らったのも大体そんな理由だ」

「……」


 実際には、今回の一件に巻き込まれたことで傷ついた者が居る。


 原因はあったとはいえ経歴に傷をつけたストリング・レイシー然り、巻き込まれた友人を救おうと行動して血中毒になったラエル・イゥルポテー然り。


 協力者として関わった受付係の末路だって、そうだ。


「浮島の住民からじわじわと魔力を回収させてもらった時は、少し悪いとは思った」


(悪いって自覚してるんじゃないか)


「けれどまあ、唯一となってしまった弟を外に連れ出すためだ。仕方ないと判断したさ」


 私は善意に嫌われる質でね――毎度、空回るのだよ。

 ハーミットは、浮島で彼と対面したという赤髪の三つ編み魔族の言葉を思い出す。


(……善意に嫌われる質、とは言っているけれど……これは)


「貴方は浮島を――いや、魔導王国の住民に興味を持っていないんだな」

「そんな風に見えるかい?」

「ああ」


(無関心で、それでいて滑らかな水面が許せずに石を投げ入れるような人間。かめの中の生き物が下敷きになろうがかすり傷を負おうが、気にすることがない。そんな、狂気)


 愛した人々に家族を殺され。その愛と共に怒りと興味を手放したのだとしたら。

 生ぬるい優しさの先に、少年は酷く歪な愛を見た。


「ふむ、恐らくそうだね。だが、痛がらせるのは趣味ではない」


 痛がらせることだけが苦痛とは限らない事を――男は誰よりも知っている筈なのに。

 気付かないふり。気がつかない自分の存在すら見失って、現実に耳を塞いでいる。


 ()()()()()()()()()()()()()()、と。


「……第三大陸で馬車が襲われる事件があったんだけど、心当たりは?」

「ああ、そんなこともあったね。あれは外道の極みだった」


 男は隠すことなく答える。


「子どもを誘拐して暴行するなど、とても見ていられなかったから殺したんだ。最も、私は一度死んだとされた身だからね。彼女だけでも魔導王国が絡んでいるセンチュアリッジに連れて行けばどうにかなると思ったのさ。……結果としては浅慮だったわけだが」


 まさか少女が命を狙われる事になろうとは思わなかった。と、はにかみながら口にする。


 何でもないことのように――何でもないことのように。


 金髪少年は歯噛みした。動かない足がもどかしい。


(……この男は正常な思考をもっているにも関わらず、()()()()()()()()()()()()()()()()んだ。何処が上手くいかなかったとか、予想外のことがあったとか、そんな失敗すらも丸ごと許容している――反省することなく、懲りずに同じ思考回路で行動している)


 この男は、自分の手で偶然人が死んだとしても同じ顔で同じ感想を言うのだろう。


 ――()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()、と。


 逸脱した善性。危険思考を「正しいから」の一点張りで実行してしまえる人間。


 後先考えず事態をややこしくするトラブルメーカー。その短絡さに救われる人間が確かにいるという、歪んだ事実が認められる故に難儀な悪人。


 そうなってしまったのは――この国が、原因なのだろうか。


「ここからカーリー・パーカーを連れ出して、どうするつもりだ」

「どうするって……特に決めていない」


 男は言うと岩盤から数歩距離を取って力任せに蹴りつける。

 爪先から放射線状に(ひび)が走る。それでも、壁が崩れ落ちることは無い。


 揺れた天井から砂が落ちた。微動だにしない黒髪の少女と金髪少年の髪に、小石が絡む。


「んー、全盛期の様にはいかないな。少年よ、私の本を返してくれないかな」

「っ!?」


 言いながら金髪少年の鞄に腕を突っ込む男。

 身動きが取れない少年の懐から、白磁の禁書が取り出され持ち主の元に戻っていく。


「何処かに火系統魔術が……あったあった。これだ」


 男は嬉しそうにしながら、手元の魔術陣を愛おし気に撫でた。

 差し向けた方の腕から陽炎が揺らぐ。岩盤が赤熱し、灰色から赤に変色して弾け飛ぶ。


「『業の劫火(エンバー)』」


 じゅあ、と。酷い熱風と共に物が融解する音がして。


 男が火を放った方向はばっくりとえぐり取られ、外が見える穴が現れた。暗い海が雲間に見える。強風が吹き込んだが、男は背伸びをして下を確認する。胸元から奇妙な色をした魔石のペンダントを取り出した。


「よし。空を飛ぶ準備は万端、そろそろ外の世界に行くことにしよう。カーリー!」

「……」


 変わらず無言の彼は、揺れる外套に目を細めるだけ。

 それでも構わないと兄は、唯一の家族に肩を貸す。


 罪を犯した兄と罪を犯したとされる弟が並ぶ姿は、恐ろしいほどに美しい。

 人々が平和の中で理想とするような、助け合う家族の形をしていた。


「私はこれで失礼するよ。なに、浮島にはもう来ないだろうが、君とは何処かで会うだろうさ」


 男の声と共に、紫の目も向けられる。

 言葉は発しないものの、何かしら思う事があるのだろうか。


「私の名はスターリング・パーカー。全てを拾わんとする強欲なる者よ、君は?」

「……ハーミット・ヘッジホッグ」

「ハーミット、良い名前だ。――次に相対した時は、お互いに全力が出せるといいのだが」


 スターリングは言って、カーリーを抱えると床を蹴る。


  () () () () ()。と、唇を動かして。


 スカイダイビングと言えば聞こえはいいが、ハーミットは落ちた二人の男性の後を追う事はできなかった――浮島があるのは、海上の遥か上空、雲海の上である。


「……」

「……」


 後には、禁術にかけられた黒髪の少女と、その細い腕にホールドされる金髪少年の二人が残された。


 あの男が言った通り『催眠(ヒュプシス)』がかけられているとは限らないが、その可能性に賭け、少年は口を開く。


 解術には、被術者の望みを叶える必要がある。


「望みは、何。……イゥルポテーさんの、望みは?」

「……………………」


 きゅ、と。顎の下と額の上に真逆の力が僅かにかかる。


 首を折られると困るというのもあるが、問題は反射的に少女を傷つけてしまうのではないかであって、少年にとっては特に死刑宣告染みた意味を持たなかった。


(イゥルポテーさんがストレンさんを解放した時も、結構時間がかかった――これは長期戦を見込んだ方が良いのかもしれないな。禁術の作用は白魔術で解明されていないことも多いし)


 いっそのこと、力ずくで抜け出した方が良いかも知れない。

 ハーミットが色々なことを諦めかけた時だった。


「……ない」

「ん?」

「……ごめんなさい。ずっと素面だったの、私」


 少年の頭を抑えていた腕が、するりと解けて肩に回る。


「禁術は発現したのだけど、運よく不発したの」


 少女は、自身の腕についている魔力制御装置を指差す。


 中級以上の魔術を使用すると反応するそれは、『催眠(ヒュプシス)』の発現時に流し込まれた魔力圧に押し負けて壊れてしまった。鮮やかだった魔石がくすみ、炭のようになっている。


「だから、これ以上誰も傷つけないっていう条件で取引したわ。……偶然にも角柱粉状痕隠し(プリズムコンシーラー)をひと瓶持っていたから……それで手を打ってもらったの」


 ひと掬いあたり数万スカーロで取引される代物である。換金すれば当分の生活費の足しになるという理由で、今回は引いて貰ったのだと。


 黒髪の少女は振り向いて欲しくないのか、左手袋を外して床に落とすと金髪少年の生身の腕に触れた。


 何も起こらず、何も変わらない。

 ハーミットは少し間を取って、それから緊張を解く。


「うーん、これは一本取られたな。演技が上手すぎだよイゥルポテーさん」

「……ごめんなさい」

「理由だけは、聞いても良いかな」


 確かに、少女には敵意も悪意も無かった。しかし、妨害された理由が分からない。


 ラエルは少しの間逡巡して、紫の目を伏せた。


「あの人は、貴方を殺せる人だったでしょう」


 死ぬことは、殺されることは、悪いこと。


 けれどそれは、教育以前の問題だった。

 ラエル・イゥルポテーは個人として、少年を気に入っていたのだから。


「……死なれたら困るって思ったのよ。何だろう、妙な予感がしたというか……」

「…………」


 少女の言葉を聞き、肩を抱かれた状態で天井を仰ぐハーミット。


(女性の勘っていうのは、恐ろしいものなんだな)


 確かに、あの状況で特攻を繰り返せば足止めも情報収集も満足にできることなく意識を落とされていたかもしれない。


 現王が浮島にかけた呪いの内容は「殺したら死ぬ」だが、この浮島で唯一『場の呪い』の影響を受けないハーミットは「うっかり一人で死んでしまう」ことができるのだ。その場合、呪い返しも不発に終わっていただろう。


「後は、その」

「まだあるのか」

「私の、欲張り……ね。あわよくば一つ言うことを聞いてもらうつもりだったから」

「……それは……」

「まぁ、有罪よね」


 少年を解放して手袋を拾い上げた黒髪の少女は鉄格子に背を預け、座り込んだ。


 紫の目には疲れが見て取れるが、目立つような怪我はしていないらしい。


「イゥルポテーさんは、さっきの彼どう思った?」

「スターリングっていう変態のこと? それともカーリーっていう人のこと?」

「……後者だよ。彼は本当に、人を殺した兵士だったと思うかどうか」

「少し前の私なら『ない』って答えたけれど……正直情報不足ね。第一印象の限りでは、とても人を殺しているようには見えなかったわ。けど」


 ラエルは言い淀んで、それから続きを口にする。


「あの変態と同じ血が流れていると思うと、侮れないの」

「……ははは」

「あっ笑わないの、これでも真剣なのよ!?」

「ああ、ごめん。気を抜いたらつい」


 その場に座り込んだハーミットは、足元の氷に指で触れ魔力子を散らす。


 うなじに貼られていた魔力封じの札を剥がして貰ったラエルは『点火(アンツ)』を使おうと指を差し向けたが、威力の片鱗を確認している金髪少年は丁寧に断った。この程度、後で誰かに溶かしてもらえばいい。


 すっかり風通しのよくなった監獄で、二人はゆったりと流れていく雲を見下ろす。

 長い夜が過ぎたばかりだが、これから朝にかけて大量の事後処理が待っている。


 それに、問題は山積みだ。首謀者に囚人を連れ出されてしまったこともそうだが、浮島内に内通者が居たこと、パーカー姓の兄弟がしでかした一連の事件についても精査しなければならない。なにより、第三大陸の件の自白がとれたことが一番大きい。


 報告しなければならない事柄は星の数ほどあって、それから多くの罰を受けることになるだろう。


 ……それでも、自らを踏みとどまらせてくれた少女に、少年は感謝した。


 彼は、浮島で唯一「他人を殺すことができる」人間である。

 故にこの金髪少年は、スターリング・パーカーを殺そうと画策すらしていたのだ。


 少年は改めて、床と壁にあいた大穴の向こうを視界に入れる。

 分厚かった雲は千切れ、狭間から第三大陸の岬が見えた。


「……イゥルポテーさん」

「何かしら」

「イゥルポテーさんって、第三大陸に行きたかったんだっけ」

「そうよ。そうだけれど――何よ、今ここから飛び降りろって言うの?」

「いやいや、死ぬでしょ。そうじゃないよ。確認しておきたかっただけ」


 金糸をボロボロにして、顔に傷を作って、少年は少女に笑いかける。


 きっと、何かとんでもないサプライズをしかけたいと企んでいそうな――実に少年らしい、悪戯心溢れる笑顔だった。





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