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強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~  作者: Planet_Rana
3章 赤魔術士は紫空に咲う
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79枚目 「銀冠の者」


「え……ストレン…………?」


 文字通り、蹴り抜いた足を地に着くことなく制止させた女性――ストリング・レイシーの変わり果てた姿を前に、少女は呟く。


 赤い瞳はセピアに塗りつぶされ、瞳孔の収縮もない。半開きになった口元と、無理な耐性のまま静止しつづけている様子を目の当たりにして、ラエルはようやく何が起きたのかを理解した。


「……あの時と同じ……」


 ラエルは慌てて自身の状態を確かめる。

 指が動く。足も正常だ。打撲はあるが捻った関節は無い。


 開け放たれたままの扉の向こうに人の気配はしない。

 走る者も叫ぶ者も居ない、痛いほどの静寂。その現実が全てを物語っている。


「アラート、っていうのがきっかけで皆飛び出したみたいだけれど」


 黒髪の少女があの音で想起したのは国が落ちる瞬間の記憶だ。国中に耳障りな高音、教会の鐘がずっと打ち鳴らされていたような気がしなくもない。


(さっきの音が、敵襲を知らせる音だったとするなら。軍人にはひとたまりも無かったでしょうね)


 解術式を練る前に、先程の魔法陣が発動してしまったということだ。あの爆音は、発動直前のタイミングで強制的に意識を逸らすためのものだったのだろう。


「……でもそれなら、どうして私だけ動けるのかしら」


 ラエルとストレンが共同生活していた部屋は、空間魔術で切り取られた部屋の一つである。

 扉に鍵をかざし、開錠することで出入りできる優れものだ。


(扉が開いたまま固まってるって事は、この部屋まで術中範囲に入っているはずで)


 空間魔術すらも歯牙にかけず、つながったこちらの室内にもセピア色は浸食している。風が吹けば揺れるはずのカーテンも微動だにしない。


(本当に、私だけ?)


 ベッドからおもむろに降り、まずは回線硝子(ラインビードロ)の使用を試みる。


 不発。


 どうやら魔力子を動力とする魔法具は使い物にならないらしい。


 机の上のカップに触れると、力を加えた分だけ動かせた。元の位置に戻ることはない。


(物の位置を移動させることはできる。けど、無機物ならともかく人間を動かすとなると……解術と同時に内臓が振り回されて死にかねない)


 この手の魔術は専門外だが、ラエル・イゥルポテーだって魔術師の端くれである。幻術さえかけられていなければ、この魔術は「時魔術」だろうと判断した。


 時間を操ることで空間を停止させる――時魔法。


(適応が問われる空間系統魔術がほいほい使われている魔導王国でも、時系統魔術は見かけたことがない。法で固く禁じられているのか、適正者が居ないのか。後者であればそれだけ希少ってことよね)


 時系統魔術に関しては、魔導王国の資料室で借りた専門書ですら「ノーコメント」の一点張りだった。


 世界的にも空間系統魔術が民間の技術に落ち着きつつある一方で、時系統魔術の研究は殆ど進んでいないらしい。術者への反動はおろか、巻き込まれた人間がどういう影響を受けるのかさえ分かっていない。


 だからこそ、なぜ自分だけ術式から弾かれたのか。ラエルには心当たりがない。


「うーん」


 扉が開け放たれた部屋でぼやく黒髪の少女。魔法具以外の家具は問題なく稼働するようなので、服を動きやすいものに取り換えることにした。


 七分袖のシャツにくるぶしまである長ズボン。首を絞めるカフスは一つ多めに外す。

 肩周りをぐるぐると動かして機動性を確認したら髪をまとめる。お団子だ。


 支給されているこげ茶の革紐がうなじで結ばれ、少女は首を振り、その場でくるりと回る。


 さて、問題はその他の装備だが。


「……まさか泥棒は入らないと思うけれど」


 価格を考えて、ラエルは部屋から一つだけ物を持ち出すことにした。







「そこで待っているといいわ、ストレン」


 一歩部屋の外に踏み出せば、異世界に来たような静けさが少女を迎えた。


 灰色の回廊はセピアのフィルターを通し、コーフィーをこぼしたようになっていた。

 五棟の中心にあるアクアリウムを泳ぐ魚類の群れも、球状に固まってそれっきりだ。


 この魔術はあらゆる生命体、あらゆる物質に作用しているのだろう。術者が生存する為にも空気の存在だけは保証されているようだが。


「耳が痛い……」


 風もない。何かが生きている音もしない。それは酷い静寂だ。人の耳は無音に耐えられるほど高性能ではない。

 それは幻聴が聞こえてきそうなほどで、ラエル自身の血の流れる音と鼓動、足音と独り言で必死に誤魔化すしか手がなかった。


「人が多くて落ち着かないっていうのはあったけれど、全ての気配が消えたらいいっていう話でもないのね。こんなのがずっと続いたら耐えられる気がしないわ」


 耳を抑えながら廊下を踏みしめていくと、普段一人で使用することはない昇降機が見えてきた。レバーを操作するも、普段のように魔術制御が成されているわけではない。


 端的に言うと、ストッパーが外れた檻の箱が一階までの軌道を一直線に落下していった。

 静寂が一転、鉄の箱が石畳に叩き付けられる音が城内に響き渡る。


「…………」


 黒髪の少女は右を見た。石像のような魔族が硬直している。

 黒髪の少女は左を見た。石像のような魔族が硬直している。


 当たり前かも知れないが、こちらを気にする気配は。一つも、ない。


「……よし」


(こういう状況で魔法具を無闇に触るのは辞めることにしよう)


 ラエルはまた一つ賢くなった気がした。

 気がするだけなので、別に賢くなってはいない。学習しただけである。


 気を取り直して、ラエルは階段を使って下階に向かう事にした。


 先程ストレンと問当をしていた通り、現在の事態を引き起こしている張本人は一棟に居るに違いない――城の構造上、一階まで降りて隣の棟へ向かうよりも、五階にある渡り廊下を使用した方が遥かに早く着く。


 現在、黒髪の少女が居るのは五棟十二階だ。


「カンテラが点いたままっていうのは、ありがたいけれど」


 セピアに色づいた世界の中にも光源は変わらずあるらしい。

 階段を駆け下りながら、思考する。


(都合が良すぎる)


 カンテラが消灯する前に術式を発動させたこと。

 人族のラエルだけが、時間停止の枠外にいること。


(そして、関係者が一棟へ居ると踏んで、()()()()()()()()という事実)


 (おび)き出し。即ち罠。


 きゅ、と。音を立てて足を止める。

 下るだけだったので、あっという間に五階だった。


 ヒレを固めた魚たちがこちらを見ている。水晶に(びょう)を打ったような瞳は、停止した世界を映していない。


「……落ち着け、私。選択を間違えないようにしないと」


 渡り廊下は目前。天窓から落ちる星の輝きはそのままに、カンテラの橙が道を作る。


「天窓じゃあ、外の様子が分からない。四棟向けの渡り廊下は左右にも窓があったのに」


 これでは誘導されているも同然だ。それでも、ラエルは警戒しつつ通路に足を踏み入れる。


 ――黒い毛玉にぶつかった。


「!?」


 二度見するが、観測結果は変わらない。


(毛玉? ……毛玉!?)


 そう。今まで何も無かった空間に、突如毛玉が現れたのだ。


 丁度、黒髪の少女の胸の下辺りにぶつかったそれは、ぐいぐいとこちらを押しのけようと前進を続けようとする。


 少女にぶつかったことに気がついていないのか、気づいていてそうしているのか。


「……子ども?」


 少女の瞳には、男の子が映っていた。金髪少年よりも幼そうなぐらいである。


 声を掛けると綿雲のような黒髪が鳩尾から後退した。

 一歩、二歩……五歩ほど下がって、それから顔をあげる。


 こちらを見上げた双眸。それは、海よりも青い宝石のようだった。


 胸には高級そうな赤い石に銀の石座のブローチ。

 床に引き摺る長いマント。浅い王冠型の髪留めが頭についている。


 セピア一色に浸食された浮島の中で色褪せることなく輝く姿態は、しかし子ども以外の何物でもなかった。


(でも、魔導王国に子どもって……いや、仮にも国なのだから、第五大陸の方には居るんじゃないかと思っていたけれど、浮島にも居たのね?)


 時魔術の術式外であることが気になるが、子どもに効きづらい魔術は存在している。


 ただ、見た目が人族の感覚とは一線を画しているのが魔族 (魔族の寿命は人族の二倍である)なので、ラエル・イゥルポテーは念のため確認を取る事にした。


「あ、あの。貴方は?」


 あくまで一定以上の年齢層に話かける口調で、当たり障りのない質問を。


 黒髪に留まる玩具のような銀の(かんむり)の位置を調整しながら、彼は細い首を上げ、ラエルへ顔を向ける。


「……『貴方は』とは?」


 男の子は星が(またた)くような青い目で、(まばた)くことなくそう返した。





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