56枚目 「大眼鏡の女」
ガラスの瓶に湯を入れ、そこに変色した手袋を投入する。
「『其れは渦巻く』」
ぐるりと、蒸気の上がる湯ごと中身を掻き混ぜるように、魔法具職人ベリシードは人差し指を床に向けて回し始めた。瓶内の水は徐々に回転を速め、手袋の形がよく見えなくなったところで洗浄剤を投入する。
瓶の蓋を閉め、満足したように縮れ髪が振り返った。
ハーミットがラエルに用意した手袋はベルトの金具を除けば全て皮のような光沢をもった布製だったらしい。今回の様に多少汚れてしまっても使用に支障はなく、なんなら手洗いして絞って部屋干ししてもいいのだそうだ。
「はぁい、これで半時間洗浄して乾かしちゃえば新品同等の手袋が仕上がるってわけだ!」
「ありがとうございます……えっと、お代っていかほどかかるのかしら……」
「お代なんて! 可愛こちゃんがあたしを愛でてくれるっていうなら無賃でも働けるね!」
「お代はいくらかしら」
「キャー! 側はキュートなのに中身は最高にクーッルなのもいかすううううう!」
「……」
「こういう人なんだ。諦めてくれイゥルポテーさん」
呟きながら自らの財布を取り出す辺り、この針鼠もどきも相当慣れている。
「はぁ。君が払うってんなら喜んで頂くよ獣人もどき。相談代と洗浄と乾燥、メンテナンス料として二万五千スカーロ」
「言うだろうと思った――って、どさくさに紛れてぼったくろうとするな!」
「けっ。しゃあない、一スカーロまけてやる」
「ひどい」
言いつつ、渋々二万五千スカーロを提出するハーミット。
料金分の硬貨がベリシードの手袋に吸い込まれて消える。宣言通りまけられた一スカーロは女性の親指で上に弾かれ、回転しつつハーミットの手のひらに落ちた。
表である。
「はーい。丁度いただきましたー」
硬貨が吸い込まれた手袋にほおずりしながら恍惚の笑みを浮かべる職人。どうやらお金が嫌いという訳では無いらしい。しかしそれも数秒、視線は再び黒髪の少女へと向けられる。
「そうだそうだ!! 自己紹介しなくちゃだよね!!」
赤い瞳は黒味が強く、血の赤を思わせる――瞼が半分かぶさり、黒い隈を刻んだその目は獲物を狩る捕食者のようにぎらついた。
「あたしはベリシード。ベリシード・フランベル。フランベル家二十一代目にして、ここ『マツカサ』で魔法具の加工・デザインを主にやってる魔法具技師さ。趣味は可愛い女の子を観察すること! 夢は女の子の胸と太ももとほどよいお肉諸々に包まれて圧死すること!!」
「趣味嗜好はともかく……い、諱よね、今の」
「もっちろん。可愛こちゃんに隠し通さなきゃならない要素は何処にもなーいって、言いたいところだけれど。魔法具制作に関わる魔術士は、魔法具の安全性を信用してもらうために諱を公表する必要があるんだよ。但し、公表義務があるのは代表だけ!」
世の中は責任のなすりつけ合いで構築されているからねー。と、ベリシードは人数分の椅子を用意して着席を促す。
「だから生半可な覚悟で魔法具技師になると最初の一年の内に最悪首が飛ぶ――この浮島ではないけど、魔導王国でも前例はあるんだあー、あーそれにしても可愛いわ。よろしくねー」
「ベリシードさん、感想が漏れてる」
「いっけない。可愛こちゃんが可愛いのが悪いんだぞ!」
「流れるように責任をなすりつけたわね可愛いは罪なの?」
「罪じゃないさ!! あっはははは!! その蔑むような視線!! いいねえ痺れるぅ!!」
「普通に会話して欲しいのだけれど……」
「それがお望みなら! 任せて!」
神速で額に掛けていた巨大な眼鏡を下ろすベリシード。
途端に先程の弾けようは何処へやら、ただ目つきの悪い職人に戻った。こうして大人しければ見た目だけは寡黙な魔法具技師なのだが。
ラエルは久方ぶりに息を吸い、心を静めてから口を開く。
「私はラエル・イゥルポテー。色々あって魔導王国にお世話になっているわ」
「ラエル・イゥルポテーちゃん、ね。どこかで聞いた事あると思ったら、最近話題になってる食堂の新人さんじゃん。なーんだ、むっさ苦しい男かと思えばこんなに可愛こちゃんだったのかぁ、明日から通っていいかな」
「……ねえヘッジホッグさん、これさっきと変わってるかしら?」
「叫ばない分、抑えてはいるんじゃないかな」
「硝子越しでも可愛いねえ」
ニヒルな笑みを浮かべ、レンズ越しの瞳が細められた。針鼠に視線が移る。
「どうせ今回も、単に手袋を見せに来ただけじゃあないんだろう?」
ハーミットはとぼけるような仕草をするものの、視線の圧に耐えられなかったのかゆるゆると縦に首を振る。職人は次にラエルを眺めて口角を上げる。
「はっ。まあ良いよ、工房の中から一つ好きなの持って行きな! その為に獣人もどきから多めの代金をせびったんだからさ!」
「……ベリシードさん、まあまあ人間観察力高いよね……」
「あ? 定価でいいってんなら構わんぞ、買わせてやる」
「ありがたくまけていただきます」
イゥルポテーさんはちょっと待っててね。少年は言い、黒髪の少女はその場に取り残される。先程のように飛びかかられるのではないかと警戒するものの、巨大な眼鏡を掛けた魔法具技師はそのようなそぶりを見せることなく、逆にしげしげとラエルを観察していた。
――水仕事でかさついた指先。右中指に嵌った青銅のルームキー。化粧もせず、髪や肌の保湿をしている様子もない。が、その皮膚に荒れはみられない。
何より目を引くのが、三つ編みにされた黒い長い髪と、黒寄りの紫色をした双眸である。
「ふーん。ということはラエルちゃんがあの……例の症例の? とてもそうは見えないけれど、目の色が紫っていうのを見ると信用せざるを得ないねー。不思議なもんだよ」
「貴方は……その、私を変な目で見たりしないのね」
「怖がるってことかい? あたしがそんな弱い人に見える?」
胸を張るベリシード。ラエルは首を振る。
「いいえ。だからこそ、気になったのよ――ヘッジホッグさんもアネモネさんも、烈火隊の人達も、白魔術士の友達も、お医者さんも。不思議そうに私を見るものだから」
浮島で生活する中で、異様な視線を向けられることがないわけではない。
ラエル・イゥルポテーにとっての感情欠損と、魔導王国国民が知る感情欠損とでは、何か違いがあるのだろうか。と。
あの即売会でもそうだったように――少女が何も知らないだけなのか、と。
「そりゃあそうだろうね。」魔法具技師は絡まった毛先をほぐしながら言う。「意思疎通が図れる感情欠損なんて、見たことも聞いた事も無いだろうからさ。未知との遭遇ってやつ」
「……え?」
「だから、未知との遭遇、さ。未解明の物が身近にあると警戒するだろう? あたしだって、新種の素材が手に入ったらまず実験するねえ。でも実験の前にその素材の入手経路、生きていた頃の特性を調べる。んでもって、大丈夫そうであれば身体を張って確かめるのさ。扱いが分かればあとはそれを記録して次に応用するだけだ――でも、対人間だと毎回それが通用するとも限らないってのが、現実。……悔やまれるような前例があれば尚更だ」
ベリシードは黒髪の少女が指で遊ぶ三つ編みの毛先を目で追いながら、口をとがらせる。
「ちょ、ちょっと待って。前例? 前例があるの?」
「あるよ? ただ、診断された人間は殆ど亡くなっているからサンプルも足りない。興味を持つ人間も少ないもんだから研究も中々進まないのが現状さね。特に、意思疎通ができるぐらいしっかりと意識を持ってるっていうのも奇跡かもしれない」
「奇跡……って」
(前例がいたことにも驚きだけれど……意識を保っていられるのが普通ではない?)
確かに、スフェーンから感情欠損の患者は珍しいと聞いてはいたが、認識している感情の欠如は「恐怖」のみである。
『――奇跡は現象の結果である――』
傲慢な白魔導士と、強欲な針鼠がテント内で漏らした言葉を思い出す。
奇跡が現象の結果であるのなら。ラエルがこうして一般的な生活を送っていられることにも何かしら要因があると考えるべきなのだろう。
新たな環境に素早く適応できるという個人の特技以外に、感情欠損のレアケースであることが相乗作用を起こしているのだとしたら合点がいく。ラエルに向けられた視線の理由も理解できる。
理解できる、が。
「ベリシードさん」
「うん? なんだいラエルちゃん。おねーさん、なんでも答えちゃうよ」
「……この国には私以外にも、感情欠損がいるのかしら」




