29枚目 「痣と傷」
ハーミット・ヘッジホッグは、鼠顔を被った人族である。
故あって隠していたその事を暴露した場所がこの資料室なのだが、それは五年前。
魔導戦争が終結したのは、今から六年と少し前になる。
終戦の決定打となったのは、戦争が始まるきっかけを作った人族国家「トゥ・カイリーゼオ王国」が所有する勇者が魔王討伐に失敗し、ついに帰還しなかったこと。
(元々、帰りたい場所でも無かったしなぁ)
四年間に渡る長い戦争の中、人族の王国で人型の兵器として扱われた勇者は、兵になって二年弱で荒野に放り出され、おつきの騎士と白魔導士などと共に二年の旅路を経て魔王城に乗り込んだ。
道中会った魔族や獣人が、多く殺された。
軍人も、町人も、村人も、関係なく殺された。
勇者は自ら民間人に対して剣を抜くことをしなかったが、結果として彼らが助かることは殆ど無かった。
人族を救う聖戦だと嘯く輩を切り伏せようと。
多種族の繁栄を悪しきものだとふれ回った司祭を縛り上げようと。
どう状況が好転しようが、最後は勇者が望んだのとは逆の結末を迎えた。
(もう少し、早く気付いていたとしたら――ああは、ならなかったんだろうか)
魔導王国には人族が就く職を制限する法がある。
軍属に就く事の禁止、白魔術士として指導することの禁止、国の重要職に就く際の審査基準の追加などが挙げられる。ハーミットが日常的に獣の被り物をしているのも、その数ある法の中の一つが理由だ。
ハーミット・ヘッジホッグは自らの部屋に居る時と、食事、読書、緊急時を除き、全身の一部分においてもみだりに空気に晒すことを禁止されている。
今は緩くなった襟元でさえ、働きが認められてから王様直々に解放したにすぎない。それだってハーミットが受け取ることを拒否したぐらいだ。
魔導王国の人々は学ぶ者に寛容だ。だが、だからといって、かつての敵にここまでの温情をかける必要はない――そう反論したが、王様が許さなかった。文字通り不機嫌になってしまったので、天変地異を起こす前に受け入れた次第だ。
もし王様が怒れば、とばっちりは全て「トゥ・カイリーゼオ王国」のある第一大陸に向けられることになるだろう。ハーミットにとって、それは望むところではない。
第一大陸には、かつての親友の家族が住む村と、恩人の墓がある。
それが壊されることだけは許せない。看過できなかった。
某王国については……別に、構わないとは思っているが、一応だ。
(しかし、力で変えることができなかったからといって、知識を増やしても何かが変わる訳じゃあなかったな)
今でも。本を読みながら思う。
何も変わらなかった。何も変えることができなかった。
あの時と同じ、無謀で冷静な判断ができない餓鬼のような自分はいなくならない。
(……イゥルポテーさんは、強い。ちょっとうらやましいや)
無力を受け入れ、尚前に進もうと足掻くその胆力は眩しいほどだ。
ハーミットは彼女に対して悪い印象を持っていなかった。
いなかった。
(………………でも、問い正すのはまだ早いかな)
口にすることなく淡々と思考を進める。貸し出していた書籍を返却してすぐ、新たな知識を求める指を遊ばせながら重厚な革の背表紙をなぞる。
(それにしても、かの黒魔術研究家の本と来たか。あるかなぁ)
レファレンス係ではないものの、大抵の書籍なら探すのに苦労しないだろうと思っていたのだが。ハーミットは資料室の常連なので、黒魔術関連書籍著者名一覧にシャーカー・ラングデュシャーデの名前がないことを知っていた。
書籍に覚えはあるが、問題は雷魔術関連書籍著者名一覧に著者の名前があるかどうかである。
(かなりマイナージャンルではあるよな。攻撃的な雷魔術に特化して研究していた人だったらしいけど、小耳に挟んだ逸話だけで倫理とか人権って何それ美味しいの? だし……ううん、彼女の倫理観が心配になって来た)
それでも、流石は国一番の資料室だ。かの魔導師が記したらしい雷魔術に関する書籍が二冊あったので、それの貸し出し手続きをして『引き出しの箱』搭載の腰巻きポーチに仕舞う。
そうしたところで彼は見つかったのである。
この資料室の館長、メルデルに。
茶色い髪を短く切り、前髪を一つにまとめて額の上にあげている。
度の強いレンズが入った丸眼鏡。背が高く、ハーミットの二倍弱はありそうだ。服装は何というか、全身ゆったりとしたアジアンなテイスト。
もっとも、ここにはアジアが存在しないのでただの所感だ。
「久しぶりですね。いつからか面談をボイコットするようになった私のクライエントさん。今日は会えて嬉しいわ。今から時間ありますか?」
「今は仕事中だ」
「そう。なら仕事が終わったらここに来てくださいね?」
「……」
「さもなくば迎えに眼球をよこすことになるでしょう」
「騒ぎになるぞ」
「承知の上ですよ」
「辞めてくれ、分かったから。分かったから資料室で眼球飛来は勘弁してくれ」
「んふ、冗談冗談」
『多眼』のメルデル――彼女はその身に多数の眼球を宿している。目玉を使った脅しは彼女の専売特許だ。
着脱可能な (しかも飛来可能な)生きた目が腕に埋まっているのだ。魔法具なのか生来性の物なのかはハーミットも知らない。というより、生きた目を意図して操ろうと誰が思うだろうか。経緯を想像しただけで震えてくる。
世の中には知らない方が良いことも、知られたくないことだってあるだろう。
ハーミットは彼女が苦手だった。とてもとても苦手である。
どれぐらい苦手かというと、牛乳に浸して放置した雑巾ぐらいには嫌だ。
「かく言うワタクシにも、今日の職務というものがあります。ですので資料室が閉じた頃にまたお越しください。五分遅れたら眼球を飛ばしますので」
「えぐい脅迫……」
「何か?」
「いや。何でもない」
「ならいいです。では、素晴らしい読書ライフを」
館長らしくそう言って、メルデルはあっさりと去って行った。
後に残されるのは元気を吸い取られた針鼠のみ。
「あとでスフェーンに愚痴でも言いに行くか……」
せっかく色々と考えていたというのに、彼女の登場でおじゃんである。
ハーミットは苦笑いをそのままに二階の席に戻って来た。
本を探すのに思った以上の時間がかかったからか、黒髪の少女は机に突っ伏したまま静かに寝息を立てていた。留まり木の蝙蝠もつられてうたた寝をしている。
ハーミットは壁に掛けられた時計を確認する。
ここに来てから、既に一時間が経っていたようだ。
ならば仕方がない、時間をかけ過ぎた自分が悪いのだと彼は受け止めて、静かに席に着く。
黒髪の少女を起こさないように、気配と音を殺す。
夢心地の使い魔を撫でながら、彼はある一点に視線を落とした。
――少女の右の二の腕。
長袖のブラウスの下、薄い生地のせいで肌の色が透けるその部分に走る鮮やかな色を。
「……」
湾曲した線が六本、一対の翼を思わせる痣のようなもの。
(支給させる服の生地は、今よりも厚手の物を頼んだ方が良さそうだ)
術式刻印には似つかず、かと言って刺青の様にも見えない。そして、先日の一件でついた傷痕でもない――ハーミットが少女に興味を抱いたのは彼女への申し訳なさとは別に、この痣があると知ったからだった。
針鼠の少年には、ラエル・イゥルポテーを監視する義務がある。
(因果だよなぁ)
鼠顔を外し、借りてきた本を手に取った。
琥珀は、青く濁っていた。
「……あらぁ、来てたなら起こしてくれればよかったのに」
「ん」
本を読み始めて三十分ほどだろうか。
ハーミットが顔を上げると、そこにはくるくる睫毛の女性がいた。
受付で突っ伏して仮眠をとっていた女性である。寝ぼけ眼を擦りながら、赤い垂れ目で金髪少年を見据える。
「目覚まし鈴を有効活用すれば、寝言を聞く恐れもないでしょうに」
「念には念を、ってね。というかノワールが忙しいって言ったのもある」
「あぁ、なるほどねぇ。ありがとうノワール。良い子良い子してあげるぅ」
『……』
「無言で睨むなよノワール。ワシャワシャしてるのはお前の主人だろう」
『苦手なものは苦手です。そして先程貴方が私を撫でていたのは忘れていませんです』
「起きてたのか」
少年は本を閉じ、先程から机に突っ伏したまま起きる気配のないラエルに目を移す。
よだれこそ垂れていないものの、疲れが溜まっているらしい。
そっとしておくことにしよう。と呟いて、少年は女性に向き直った。
「それでぇ、用向きはなあに? 珍しいじゃなぁい、貴方がメルデルさんの出勤日に資料室に来るなんてぇ」
「そうなんだよなあ、なんで忘れてたんだろうって後悔してるけど今更だから諦めたよ。明日は魔導王国の廊下を眼球が飛んでいる筈だ」
「飛んでくる前提なのねぇ。ばっくれる気満々じゃなぁい」
「あんまり得意じゃないからな。言霊治療は」
「……あれが得意な人間っているぅ?」
「いるんじゃないか? 俺は知らないけど」
女性は納得がいかない様子だったが、まあいいやと割り切ったようだ。
流石は『怠惰』と呼ばれるだけある。面倒ごとを嫌う性質がよく表れていた。
「用っていうのはさ。ほら、今は寝てるけど。彼女の資料室登録をしてもらえないかと思って。仮登録なら外部の人間でもできるだろう」
「えぇ。歓迎するわよぅ」
激しくうねる髪を指で弄びながら答えるが、どうしても眠たいらしい。一つ二つと欠伸をする。
ハーミットは椅子に座ることを勧めたが、女性は無言でそれを拒否した。どうやら座った瞬間寝落ちしかねないらしい。
彼としても寝落ちされては困るので座った姿勢のまま腕を組み直す。
「…………」
「どうかしたの」
「いや、狸寝入りもほどほどにね。イゥルポテーさん」
「ふぐっ!?」
どうやらバレていたらしい。ラエルはおもむろに顔を上げた。
金髪少年と話をしていた女性は余裕のある表情である。垂れた目蓋に収まった大きな赤い瞳が、潤みを増してこちらに微笑む。
そこの留まり木にいる使い魔の黒い丸い瞳と同じ雰囲気がするなあ、とラエルは思った。
「初めまして。ラエル・イゥルポテーといいます」
「うふふ。初めましてぇ、あたしはロゼッタ。この資料室の司書でぇ、そうねえ。好きな事は眠る事。因みにハーミットのお嫁さん候補の一人よぅ。よろしくねぇ」
……?
「ちょ、イゥルポテーさん。顔。顔が固まってる――って何を言い出すんだロゼ!?」
「いやあねぇ、本当のことを隠す必要はないじゃなぁい」
「本当でもなんでもないじゃないか!」
「うーん、ごめんなさいヘッジホッグさん。私、貴方の事誤解してたかもしれない……」
「君まで何を言い出すんだ!?」
「いや、まさかハーレム志望だとは思っていなくて……」
「今の話の流れで冗談だって分かるだろう!? 無言で距離を取らないでくれ! ちょっと!?」
「あっはははは! 面白いわねぇあなた。ラエル、ラエルちゃんね。覚えたわよぅ」
茶番が済んだところでロゼッタが笑い上戸になったので、調子に乗っていたラエルとハーミットも顔を見合わせ、それぞれ浮かしかけていた腰を元の位置に収める。おずおずと口元を手で押さえるのも忘れなかった。
二階で人が少ないとはいえ、ここは吹き抜けで一階と繋がった資料室である。今の騒ぎは一階まで響き渡ってしまったことだろう。
現在進行形で笑っているロゼッタもそうだが、ハーミットもノリが良すぎた。
お腹を抱えているロゼッタが動けそうにないので、金髪少年はラエルに目配せをする。
「彼女がこの資料室の司書をしているロゼッタ。この資料室の空間調整と利用者の管理をまかされている人だよ。因みに、魔導王国に居る伝書蝙蝠――ノワールたちの主人でもある」
「え? この子、貴方の使い魔じゃないの?」
「俺はそんなこと一言も言ってないよ」
そういえば、言われていなかった気がする。
早とちりは悪い癖だ。どうにかしたいが難しい。
『ああ、だから貴方の頭の中には疑問符が飛んでいたです。納得しましたです』
「使い魔に納得された……」
そもそも、伝書蝙蝠とはなんぞや。砂漠育ちのラエルにとって耳に馴染みがない生き物だった。
白砂漠には砂魚か砂虫、鳥類は三つ首鷹ぐらいしか居なかった上に、幼い頃食べたサンワドリ (家畜の鳥類である)の記憶だっておぼろげなのだから。
『蝙蝠については、後日生物図鑑をご覧くださいです』
「そうするわ。今考えても頭が回らなさそう」
結局ラエルはこの日、ハーミットから受け取った書籍以外に本を借りることをしなかった。夕食を早めに食べて就寝しようと思ったからでもある。
本を探すのは意外に体力がいるのだ。
ロゼッタはお腹を抱えて笑っていたかと思えば「眠いから登録だけね」の一点張りで、本当に登録が終わってすぐに眠り込んでしまった。
登録の証として渡される金属のチャームの所持方法は、ハーミットと相談してブレスレットを選んだ。細い革を通しただけの簡素な作りである。
ハーミットはラエルが受付を済ませて後、そそくさと何かから逃げるように上の階層へ昇って行った。ちらりと話に聞いた「メルデル」という人にそれほど会いたくないというのだろうか。
聞こうと思ったがはぐらかされた。近いうちに会う機会があるだろうとの話だ。
(それにしても、朝から濃い一日だったわね……)
夕食のメニューはサンワドリの手羽先と魚介スープ。
ラエルは部屋に戻り、シャワーを済ませてからベッドにもぐりこむ。
(……職探し、明日も頑張らないと)
重たい瞼を閉じるのに、あまり時間はかからない。
期限まであと、五十九日。




