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強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~  作者: Planet_Rana
4章 灰色のダブルはイシクブールにて
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189枚目 「カムメ肉のポタージュ」


 町長宅の庭の隅、ポータブルハウスにて。


 球根菜は跡形もなく溶け、カムメ肉の油が宝石のように浮いている。

 白魔導士は極めて無表情のまま、ポタージュを掬った匙を差し出していた。


 寝台から降りられないほどではないにせよ、手足の震えが酷いハーミットには匙も皿も持てたものではない。故に、水を入れた器にもストローが刺さっているのだが。


「じ、自分で食べられるから……」

「無茶言わないで下さい。ほら、口開けて」

「うぐぅ」


 目の前に椅子を引いて鎮座する白魔導士カルツェの目つきはすっかり医者のそれである。

 匙で掬われたポタージュがハーミットに用意された栄養食であることも間違いない。


 だがこの流れは、よろしくないと思うのだ。


 何しろちょっと恥ずかしい――少年は素直にそう思う。

 尤も、体調を崩したのは自分の責でもあるので、これも罰と受け取るべきか。


「何だか面倒臭い思考回路になっていませんか。つべこべ言わず食べなさい」

「ぐえっ。……うん、美味しいよ……」

「それは良かった。体力回復が最優先ですから、足りなければ言って下さい」


 お互いに腰掛けて対面し、気恥ずかしさと共に飲み込むポタージュは魔導王国の食堂で口にするものとよく似ているが、やはりどこかカルツェの作った料理だと分かる味がした。


 ざらりと、溶けた芋の舌触り。


 一口目を貰ってから吹っ切れたのか、ハーミットはあっという間に用意されたポタージュを完食した。震えの症状が手足に集中していることもあって、飲みこむこと自体に不具合がないことが幸いしたようだ。


 白魔導士は、空になった碗を片手に金髪少年の顔色を窺うと嘆息する。

 食欲があると確認できただけでも重畳、とでも思っているのだろうか。


 カルツェはのんびりと立ちあがると、懐から薬を取り出そうとして動きを止める。


「どうした?」

「お客様のようです。身のこなしが素人ですね、町の人間でしょうか」

「……あー、えっと……」

「面会謝絶と伝えてきますか?」


 ポフに近づいて来る足音が少年の耳にも遅れて届く。


 ハーミットより背の高い男性……どうやらカフス売りの商人ではないようだ。

 とすれば、スカルペッロ家の彼だろうか。


「……代わりに事情を聞いてきてくれないか。急用だと悪いし」

「お知り合いですか?」

「この町に来てからお世話になってる人なんだ。レーテ・スカルペッロさんっていうんだけど。赤茶髪の魔族なら、その人だと思う」

「分かりました。それでは、聞くだけ聞いてきますね」


 全く、寝込んでいる人間に今更何を押し付けに来たんだろうか。と、滲み出る毒を隠すそぶりも無く悪態を吐きながらカルツェがリビングを出ていく。


 ハーミットは苦笑してストローに口をつけた。そうして、屋内を観察する。

 玄関に出て行ったカルツェとハーミットの他には、人の気配がしない。


 どうやら外出中らしいラエルやノワールのことを、あまり心配していない自分がいる。


 起きたらカルツェがそこにいたというのも理由の一つではあるが、幻覚かもしれないと疑うこともなく受け入れられたのも珍しい。


(……昨日の今日でまさかとは思うけど、蚤の市やってたりしてなぁ……)


 回線硝子(ラインビードロ)に縊り留めた、赤と黄色のリリアンを思い出す。

 やはり、食事でも物でもいいからお返しをせねば。そう考えた辺りで顔を上げた。


 リビングと玄関を区分けする扉を抜けて、眉根を寄せた白魔導士が顔を出す。

 左腕には紙袋入りの白い枝。右手には何やら液体が入った手のひらほどの褐色瓶が握られていた。


「貴方の推測通り、レーテという方でした。とはいえ……貴方は本当に見境がない人たらしですね」

「は?」

「空耳ですよ、聞き流してくれて構いません。確認しますが、薬の服用はまだですね? 部屋から出るまでの間に、何か服用しましたか」

「ああ、今日は何も飲んでないけど」

「……痛みは我慢できる程度ですか? いえ。会話が成立しているからにはそうだと判断しますが――痛み止めは保留です。あと、鏡を師匠のところへ繋げますよ」


 カルツェは言って、白い指先で硝子の表面をなぞる。


「これだけ毒の提供があれば、血清を作れるかもしれません」







 庭からリビングに戻ると、杖をついたスカリィがソファから腰を浮かせようとしているところだった。それと気づかれぬよう速足で距離を詰めたレーテは、流れるような動きで彼女の身体を横抱きにする。


 肩や腰を支えられることはあっても抱き上げられることはそう多くないらしい。スカリィは青い瞳を丸めると、旦那が一仕事を終えたとみて笑みを返した。


「その様子だと、受け取って頂けましたか」

「ああ。白魔導士には凄く苦い顔をされてしまったけどね」

「妥当な反応でしょう。パンと毒を同時に差し入れる人が何処にいますか」

「……確かに。食べ物と一緒に手渡すものでは無かったか」


 三女シグニスが切り盛りする工房のパンは絶品だ。機会さえあれば周囲に配り歩き布教を勧めてしまう――また悪い癖が出てしまったと、レーテは苦笑いと共に階段に足をかけた。


 それにしても。捕縛した賊である彼から毒の提供について話を受けることになろうとは。

 「とあるものが欲しい」という条件の内容も、取引が終わった今ですら信じられなかった。


(……罅が入った瓶蓋に、いったい何の価値があるというのだろうか。所々黒いインクのような痕が見て取れたが読めたものではなかったし……)


 魔法瓶の外に置かれた瓶蓋を、にこにこと眺めていた蜥蜴の獣人を思い出す。


 毒気を抜かれたというか、呆気にとられたというか。

 何かを企んでいるようには見えなかったことが、せめてもの救いだろうか。


「そういえば、シグニスが回復したそうです。心停止までしたにしては、後遺症もないようで。工房でアイベックさんが看病してくださっているとか」

「そうかい。ウィズリィの子どもたちも治療を受けたそうだよ。カリーナも、目が覚めた後はぴんぴんしているらしい。代わりに母親の説教が始まっていたがね」

「……」

「なんだい。君が欲しい情報は、これではなかったかな?」

「…………違います」

「そうか。違ったか」


 レーテは二階に辿り着くとスカリィを廊下へ降ろす。

 シルバーアッシュの髪を指先で整えたその先。杖をついた妻の赤くなったうなじ。


「なんですか。その緩み切った顔は」

「いや。家族とは難しいものだと思っただけさ」


 レーテは言って、本邸へ繋がる扉を一瞥する。

 カラカラと駆動が歩く音がした。







 車輪が回る音がする。耳慣れた駆動の足音だ。

 ぼんやりとした視界に、刺繍が成された天井が目に入る。


 天蓋付きの豪華なベッドである。

 この世に生を受けてから一度も、このような寝台で目を覚ますことはしたことがない。


 それもそのはず、このベッドは外から眺めることはあれ内に踏み入ったことは一度もしたことがなかった。この部屋の主が、掃除やベッドメイクを女性の使用人に任せているからだ。


 ……全身に重しがついているかのようで、寝がえりをうつ気力も起きない。

 このまま脱力し続けたら身体がベッドを突き抜けてしまうんじゃなかろうかと思うほどだ。


 そも、何故ここにこうして寝転がっているのかが思い出せないのだ。


 晶化寸前までいったにも拘らず助かったところまでは鮮明に憶えているのだが――耳に駆動の足音が届いたのは、そんな自問自答を繰り返して頭痛がするほど唸った後、全てがどうでもよくなってしまって、天蓋の刺繍の刺し数を数え始めた頃だった。


 音だけで部屋の主が戻って来たのだと気づく。首をほんの少し浮かせてみれば、栗色の髪が目に入った気がした。すぐに体力が尽きて枕に落ちる彼の頭を、顔を、彼女の眼が捉えることはない。


 カラリ、と。駆動の足音だけが近づく。


 豪華なベッドには似合わない使用人服姿のウェルネル・ネオン・スキャポライトは、視線だけを女性に向けた。


「ごきげんいかが、ネオン。体調は優れないようですね」

「……付き人もつけず、なぜおひとりで行動なさっているんですか。アステルさま」

「こら、二人きりなのに敬語はいけませんわ。呼び捨てるように言ったでしょう」


 ベッドから少し離れた場所に駆動を固定して、仕えている女性が足を組んだ。


 そのような行儀の悪さは彼女の母親に似ていて、彼女らが信頼を置く相手と対する時の癖のようなものでもあった。


 エイストレーグ・スカルペッロは青い瞳を細め、薄い笑みを湛える。


「……アステル」

「はい」

「……私は、もう長くない。どういうわけか今回は生き残りましたが、白き者(エルフ)の平均寿命はとうに超えていますし……」

「知っています。それがどうかしましたか。白き者(エルフ)の一生と晶化とは、決して切り離せるものではないでしょう」


 とんとん。アステルは、自分のこめかみを二度叩く。


「わたくしだって、いつ死ぬか分かりませんし」

「……初耳なんですが?」

「でしょうね。わたくしこそ、貴方にそういう声をさせたくなかったので」


 アステルはにこりと笑う。見えない瞳を隠すように手のひらをあてた。


「わたくしの失明(これ)は自傷のようなもの。駆動の制御部分の修理中、不用意に空洞体(パイプライン)を覗き込んだが故の自業自得――眼球破裂のみで済むわけもなく、頭蓋の内側には欠片が入ったまま。そのように、診断を受けた時点で宣告されていますわ」

「……」

「わたくしは白魔術使いではありませんし、もしそうだったとしても自分自身の頭部を開いて執刀することはできないでしょう?」


 そもそも、目が見えない訳ですし。とアステルは呟く。


「筋力が戻らないと嘘を吐いたのは、いつ死ぬか分からなかったからですわ。昔のように走ったり転んだりをしていては息子たちが一人前になるより早く死んでしまう可能性があるでしょう。それではいけません、せめて婚姻の儀までは見届けなければと思ってのことでした」

「……そのことは、他に誰が知っているんですか?」

「誰も。誰にも、話していません。このことを真っ先に知らせるべきはネオンとシン、二人が揃ってからだと決めていました。……この後、メイオとキーナにも伝えるつもりです」

「……そうですか」

「ええ。ですから、貴方が短命であろうが関係ありませんわ。次にその機会があれば、貴方と一緒にシンビオージ湖に行ってもいいぐらいには。関係が、ありません」

「……そうですか」


 ネオンは、うわごとのように相槌を打つ。


 エイストレーグという女性は、昔からこうなのだ。


 一度、「こう」と決めたら滅多なことでは曲がらない。

 彼女が決めたことなのだから、ネオンに口を出す権利はない――そう、思い至った。


 だが、アステルの話はそれで終わりではなかった。


「というのが、昨日まで考えていたことです」


 そう、前置いた。


 ネオンはアステルの口ぶりに違和感を持つも、彼女の言葉を遮ることはできなかった。

 アステルは駆動から降りて、ベッドの脇に腰掛けた。


「わたくし、今回の件で色々と吹っ切れてしまいました。なので、我慢は辞めることにします」


 ――紙を、指で弾いた音がした。


 指一本も動かせない使用人の前で開かれて鈍く発光したそれは、婚姻の儀に使用する契約用紙である。


 ネオンは身を捩ろうとしてようやく、全身が重いという感覚が錯覚などでは無かったことに気がつく。具体的に言えば、両手両足にそれぞれ金属製の重りが装着されていたのだ。


(ど、通りで身動きが取れないわけだ……っ!?)


「……ネオン。貴方、わたくしの言うことを聞くとおっしゃりましたね?」

「い、言いましたっけ?」

「ええ。言質はしっかりとこの耳に」

「……そ、そうか……!?」

「また、イシクブール(この町)を巻き込んで晶化しようとなさるなど遊撃衛兵にあるまじき行為です。流石に、罰を与えなければいけなくって……うふふ、安心してください。魔導王国の役人やお母さまたちとの交渉の結果、貴方を罰するのはわたくしのみですわ」


 手始めにメイオのことを認知して頂き、籍を入れさせてもらいます。


 そう言うなり、アステルはサクサクと用紙に自身の名前を綴る。

 指で探るように用紙の枠を探り当て、はみ出たりはみ出なかったりしながら文字を綴る。


 ネオンは首だけアステルに向けて、その様子を咎めることもできず見届けることになる。

 かつて自分だけが記入してそのままだった届書の記入欄が、瞬く間に埋められていく。


「――それにわたくし、これからは駆動を降りて歩けるように筋肉をつける訓練をしますし、美味しい食事を摂ると決めました。サンドクォーツクのメイオにも会いたいですし、キーナには寂しい思いをさせた分、全力で構い倒す所存ですわ。勿論、貴方に対しても。貴方にはわたくしが無茶をする横で、全力をもって慌てふためいて貰わねばなりません」


 「ですから」と、アステルが言う。海のような青い瞳がネオンを見据える。


「くれぐれも。わたくしより先に死ねるなどと思いませんよう」


 願いをかけるように指の腹を切って、血を落とす。

 金色に瞬いた契約紙が、端からきらきらと粉になって消失した。


 ネオンは黄色の目を細める。


 天蓋の白よりも、栗色の髪が輝くその様を目に焼き付ける。

 アステルは手元の書類が消失したことを確認して、息を吐き出した。


「もっと抵抗されるものだと思いました」

「……罰を受けるついでに君を幸せにできるなら、断る理由がないだろう」

「全く。貴方たちは本当、そういう所だけは似ていますね」


 両手両足の重さが失せ、魔法具が解除されたことを悟る。


 怠い身体に鞭打って身体を起こしてみれば、駆動に積んでいたらしい荷物をアステルが腕に取ったところだった。白く細い腕の内に、見慣れない薄汚れた革袋が抱かれている。


「なんだい、それは」

「これですか? ……わたくしたちへのラブレターとでも言いましょうか」


 アステルは数刻前のことを想起する。

 白魔導士の治療を受ける面々の隙をついて声をかけて来た、一人の商人のことを思い出す。


 青灰に塗り揃えられた爪は、革袋の中から束になった幾通もの封書を取り出した。

 すべて銀色の封蝋だ。スカルペッロの家紋ではない。


 二つの円環を重ね合わせた中心に板を嵌め込んだような――ラールギロスの家紋である。


「全てを読んでくださいませんか、ネオン。わたくしの為に」

「……ええ、アステル。貴女がそう望むのなら」


 かくして一人の白き者(エルフ)は、愛する妻の為に封を解く。

 差出人も届け先の記名も無いそれの中身は総じて、「親愛なる家族へ」という一言から始まった。


 日々の憂いと家族へ向ける愛の言葉と後悔と、まだ見ぬ未来への展望。


 シン・カーマイン・ラールギロス=スカルペッロ。享年二十八。

 ――私は安らかな終わりを求めるのではなく、血を流して死ぬと決めた。


 震える文字で綴られた一枚は、そのように締めくくられていた。





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