186枚目 「黄昏を塗りつぶして」
黄昏が影を落とす、スカルペッロ邸宅の屋上にて。
賊を捕縛した後。町長とその旦那二人を拘束していた魔法具を壊し、魔導王国の四天王は血中毒寸前になったレーテの腕を取りながら、町に張った結界を解術するよう告げた。
曰く、魔導王国に要請していた応援の第一陣がイシクブールまで辿り着いたのだという。
ショルダーバッグに留められた赤色の硝子が、鈍く光を反射する。
「残党の捕獲はお任せください。私よりもずっと凄い人たちばかりですから」
とは、顔に笑みを張り付けた少年の言だった。
蝙蝠のノワールは仕事が残っていると言って飛び立った。魔導王国から来た応援部隊に状況を報告する為だという。序に、聖樹信仰教会にも寄るつもりだと言っていた。
右腕を負傷したラエルはというと、パルモの白魔術で治療をうけている。体内の損傷具合も気になるところだが、本人が言うには折れたのは肋骨じゃあなかろうかという話だ。
なぜ折れた骨が分かるんだと問いただせば、初めてではないのだという返答が来た――なんだそれ。ずっと昔から命のやりとりばっかりして来たみたいな言い方だ――キーナは一人、蚊帳の外にされた気分で口を膨れさせながら、そう思う。
「……不機嫌そうだねキーナ君。そうだ。魔導王国の白魔術士が来る前に、軽く一発入れて来たらどうだい? 出撃前に一発は殴る宣言をしていたじゃないか?」
「魔力不足でくたばってる義父に追い打ちをかけるほど非道じゃないぞ僕は」
「はは、君がそれでいいなら構わないんだけどさ」
けろりとした様子で軽口を叩く四天王。ハーミットはその顔を晒したまま、回線硝子越しの連絡待ちをしているようで、赤い手袋を嵌め直した指で硝子を撫でている。
「そういうあんたこそ、そのテンションはなんなんだよ。不愉快を通り越して心配にすらなってくるんだけど。似合わないぞその性格!!」
「残念ながら元気になったってだけだ。地下道では散々謀って申し訳なかったよ」
「…………」
睨むようにしてみれば、それも当然だと言わんばかりの笑みを返された。さっきまで疑いようもなくボロボロだった四天王の面影は微塵もない――いや、黄昏の闇に紛れた視界では、彼の肌も髪も表情も、青灰の目には何一つ正しく映っていないのだろうけど。
地下道で合流した時、黒髪の少女は「薬」がどうとか言っていた。彼はキーナたちと距離を取った後でそれを服用したのだろう。そうして走って追いついた。
「……いや、追いつくも何も、君たちを見送ってすぐ追いかけたからね。あの獣人に悟らせないように一定の距離は取っていたけど、そこは念には念を入れてノワールに足音を消して貰っていたわけだ」
「あの伝書蝙蝠すげぇ有能じゃんか。今度果物差し入れよ」
「おっ、それはありがたい。喜ぶと思うよ」
「ラエルさんとノワールの分だからな!! 間違ってもあんたの分じゃないからな!!」
「へ? ああ、うん」
ひらりと手を振って背を向けるハーミット。どうやらネオンとアステルの方へ向かうらしい。
治療を受けるラエルには声をかけない少年を不思議に思いつつ、キーナはその後を追いかける。
白き者の使用人は壁に寄りかかるようにしていて、ぺたりと座り込んだアステルに顔をべたべた触られていた。目が見えない彼女にしてみれば、彼が大きな怪我をしていないか心配なのだろう。今は動かない足も、治療が済めば歩けるようになるに違いない。
ネオンはネオンで、ことを大きくした責任を実感しているのか、単純に逆らえないのか。苦い顔をしながらされるがままになっている。
「気分はどうですか、ネオンさん。少しは落ち着きましたか」
「……君は」
「魔導王国所属の四天王、強欲のハーミット・ヘッジホッグです。普段はあのような被り物をしているので、顔をお見せしての対面は初めてですね」
少年がにこりと営業スマイルを向ければ、黄色の瞳が驚きに見開かれる。
後から追いついたキーナを見てその表情は伏せられたが、動揺は隠せなかったようだ。
「……そういうことですか。君は知っていたんだね、アステル」
「何のことでしょう。ハーミットさん、私とは今日が初対面ですものね?」
「はい。魔術から庇うためとはいえ、駆動ごと押し倒したりしてすみませんでした」
「押しっ」
「あらあら、いいのですよ。貴方さえよろしければ三人目として迎えても」
アステルは濁った瞳を向けて微笑む。
前方と後方から同時に冷たい視線が突き刺さるのを少年は感じ取った。
針の筵とはこのことか。
「ははは。ご冗談を」
ハーミットはそのまま踵を返すなり、ぽんぽんと二回キーナの両肩を叩いた。どうやらここに居てくれと言いたいらしい。
彼のつま先が次に向いたのは、屋上に突っ伏してぐったりとしているレーテと、彼を余所に多方面へ連絡を飛ばす町長スカリィが居る方角だった。
好奇心に負けて着いて行こうとしたキーナを、ネオンが諭すように引き留める。
アステルは暫くクスクスと笑った後、笑い涙を指で掬った。
「ふられてしまいましたわ」
キーナとネオンが顔を青ざめさせてお互いのフォローに回る。
アステルは二人の言葉を否定しない。目を閉じ、笑うだけだ。
ハーミットは、そんな三人の様子を盗み聞きながら「もう大丈夫かな」と距離を取る。
実は鼠頭とコートがアステルの駆動に引っかかったままなのだが、家族水入らずを邪魔するのは悪いだろうというのが彼の判断だった。
「スカリィさん。使用人の方々は無事ですか。連絡が取れないのですが」
「そちらに関しては、先程一報ありました。皆さん自力で壁をぶち抜いたとかなんとか。こちらに来ようとしていましたが、混乱を避けるために別の仕事を与えました。主に一般人への説明と誘導、諸々の対応ですね」
「……そうですか」
「何故貴方が気に病むのですか。死者が出たという報告はありませんよ」
「それは、そうなんですが。本心で言えば、目を覆いたいというのが本音ですよ」
被害が無かったわけではない。市場が火災に遭った時もそうだが、人々を避難させるためとはいえ町中に催涙雨を降らせ、避難がぎりぎり間に合ったとはいえ町中で乱闘し、蚤の市のテナントや装飾は戦闘と落雷の影響で無残な有様だ。
ハーミットは今日の為に数日、町のあちこちを走り回っていたが――誰も彼も、この蚤の市を楽しみにしていた。それをこのような形で利用し、台無しにしてしまった事実は変わらない。そのような作戦を立てたのは自分なのだ。
町長の回線が瞬く。
「――はい、スカリィです……分かりました。すぐにでも手配します。バシーノ、ですね。ほかに怪我人は……そうですか。報告感謝します」
スカリィはシルバーアッシュを耳にかけると「す」とハーミットの方を向く。
視線は金髪少年を通り越し、ネオンとラエルの応急処置を終えたパルモに向けられていた。
「パルモさんよろしいですか。至急、喫茶バシーノへ伺って下さい。負傷者が居ます」
「はっ、はい!!」
ぱたぱたと忙しなく、教会従事者が走っていく。ハーミットの存在は気になるようだが一瞥するだけに留まった。翻るフレアラインと共に階段を下る背が見えなくなる。
「怖い顔をなさらないでハーミットさん。どうやら山場は越えたという話ですから、過度な心配は必要ありません」
「……」
「貴方が私たちに聞きたいことは、現状報告ではありませんよね。連絡の合間で良ければ、この場でお話ししますよ」
「では、この場では一つだけ」
ハーミットは言って、バッグから第三大陸の滞在許可を示すピンを取り出す。
緑色の回線硝子は、今回の作戦では殆ど使われなかったものだ。
「あの状況で、連絡網を潰した理由を教えて下さい。町に催涙雨が降った時点で、計画は破綻していました。何故そのことを、城壁の外にいた私とグリッタさんに報告しなかったんですか」
スカリィは青い瞳を細めると、膝に置いていた杖を身体の横に降ろした。
「……城壁外で掃討を行う際、貴方たちが守ると認識した範囲は『イシクブールという町全体』でした。あの砦が落ちていた場合、もしくは掃討を片方のみが担当した場合の被害を考えれば済む話です。二人で仕事を片づけて貰い、二人で内側に戻って貰う。一つずつ懸念事項を潰す戦略は、寧ろ定石の筈ですが?」
「それは、こちらに状況を報告しなかった理由にはなりません」
「なりますよ。だって貴方たち二人が町に戻ってきて真っ先に行ったのは視界に入った人間の保護でしょう――それでは困ります。町が混乱に陥った最中、貴方たちがその場に居たとしたら何をしますか? 誰に仕事を任せるでもなく、足をつまづかせた一般人を抱き起したり、避難誘導を始めたりしなかったと断言できますか? 貴方たちはそのような状況下に置かれながらも賊との戦いを優先できたのだと、誓って言えますか?」
町長の言葉に、ハーミットは言葉を詰まらせる。
グリッタはどうか分からないが、少なくともこの少年はそうなのだ。助けを求められれば、手に届く範囲全てを救おうとしてしまう。そういう風に、血潮に染みている。
「貴方たちは、そう長い時間冷酷であり続けられない。守りながらの戦いがとても向いていない。それは、西地区で襲撃を受けた際の行動からもなんとなく想像ができました」
「ウィズリィさんの子どもたちから、聞いていたんですか」
「ええ。一部始終を。貴方が二種の毒を受けていることも、その時に知りました」
「……」
「蚤の市が始まる前『本調子ではない』と貴方が正直に申告したからには、それなりの策を練る必要があると考えたまでです。香辛料の雨は想定外ではありましたが、あれは味方陣営に対し『異常』を伝えるアラートとなりました。キーナがそのようなことをするのであれば、町を巻き込んで何かが起きていることは明白。連絡を寄越さないということは、そのまま『連絡を封じられている』もしくは『連絡を取っては不味い状況』に陥ったと判断したまでです」
そこまで状況が侵攻しているのであれば、現場に気付いてもらった方が一番手っ取り早い。だから違和感を加速させるように動いた――大本である町長からの情報を遮断することで、無言の指示を町へ行きわたらせた。
「現場で振り回されることに慣れた人間が、上からの指示が得られない状況に置かれた時どう動くと思いますか? ……彼等は自らのことを『状況を一般人以上に把握している』と解釈した時点で責任感を獲得するのです。とるべき行動は会議を通してマニュアルという形で先に提示をしていました。孤立した場合は『観光客を含めた一般人の安全を最優先しろ』と」
そこそこに腕っぷしがある商人や町民たちが人々を避難させた後、外の戦闘が幾ら激化しようが一歩も出て来なかった所以はそこにある。
仮にも戦争を生き抜いた住民たちが、本気で命の保護に努めるのであれば――戦場に身を置かないということが、最良の判断だ。
外の戦闘が民間の建物や避難場所に及び、破壊された場合はその限りでは無かったのだろう。しかし、万が一そのような最悪があった場合、その場に動ける人間が一人も居ないという状況がどれだけの人間を殺しかねないか。スカリィは知っていた。
「ですから必然、外を出回るのは魔導王国の従者である貴方たち二人と、貴方たちと行動を共にしていたキーナ、ペンタス、グリッタさん。貴方とつながりを持って協力したウィズリィと、索敵に回ってもらっていたノワールちゃんということになります。盤面は単純であればあるほど御しやすい。そうでしょう?」
青い瞳が琥珀を覗き込む。
「……これだけ外出する人数を絞れば」
ハーミットは口元を押さえ、琥珀を濁らせる。
「最悪、身内であるネオンさんの晶化とかち合ったとしても。町の人間の大半は助かる計算だった……とも、言えますよね」
刻々と闇に飲まれる石工の町に、少年の言葉が染み入る。
それは、町長がネオンが晶化しかけていることを知っていたということで――町の住人を避難させる為に、賊が襲い来る状況すらも利用したということで。
どちらにせよ、この場で話を進めては気分が悪くなりそうだ。
仕事が残っている状況で詰めて良い内容ではない。下手をすれば現場の士気にも関わる。
ハーミットはそう判断して、一歩引いた。
「……その辺りを含め、あとできっちりお話させていただきたいですね」
「ええ、望むところです。その時までに、貴方が唸るほど美味しいお茶とお菓子を手配しておくことにしましょう」
スカリィも察してか、話題を切り上げた。このような話を家族には聞かせたくなかったのだろう。隣に転がったまま体力の回復に努めている旦那の髪を撫でる。辛うじて整っていた赤茶の髪が、無残にもぼさぼさにされていった。
「レーテさんも、結界構築お疲れさまでした。ゆっくりお休みください」
「ぜ……善処するよ……」
「言っておきますが、その容体で無理なさったらこちらも容赦しませんからね」
「はは……手厳しいなぁ……」
ハーミットは二人に礼をして、背を向ける。
階段を下りる方へ行くのではなく、屋上の真ん中で足を伸ばすラエルの方へと歩み寄る。
彼女の腕に抱えられているのは、蜥蜴の獣人が入った魔法瓶。
(さて、最後の詰めといこうか)
ハーミットは、顔を上げる。
金糸が夕凪に攫われ、その表情は隠された。