183枚目 「ネオンの瞬き」
ゴーグルーを腕から目元へ移し、キーナは目を凝らす。
イシクブールの地下道は薄暗いが、そこはマツカサ印のフランベル工房仕立て。ゴーグルーにはヘッドライト機能が充実していた。
顔の真横で発光するゴーグルーに目を瞬かせ、蜥蜴の獣人は裂けた口を歪める。
「しゅるるる!! そのまぶしいの、どうにかならんのか!?」
「生憎、光量の調整まではできないみたいなんだ。消すか点けるかしかない」
「まじかよ、ねぇよりはマシだが」
「ある方がマシなのであれば問題ないでしょう。キーナ、この調子で宜しくお願いします」
「母さまは被り物してるからノーダメージなんだよなぁ」
「あら。被り物が無くても、特に影響は受けませんが?」
「……パルモは何も聞いておりません。話題が耳に痛いのはきっと気のせいですね分かっております。分かっていますからそのようなご冗談はお辞めくださいアステルさま!」
「ふふふふふ」
混沌としている割には、誰しもが楽しげだ。
列の最後を走っていたラエルは、ぼんやりとそのような事を思う。
走らせるより背負った方が早いと判断して、サンゲイザーの背にはキーナが背負われている。破れた手袋が押すのはアステルとパルモが乗った駆動だ。
ハーミットとノワールと別れて数分。
ラエルたちは全力疾走でここまできたが、出口まではまだ距離があった。
「――ラエルさん、大丈夫? 西地区からここまでぶっ通しだし、疲れてたりしない?」
「え? ええ。この程度なら。教会でも少し休めたし、走るだけなら問題ないわ」
「おいガキ、あんたを背負って走ってるオレにはねぎらいの言葉もねぇの?」
「えっ。だって賊だろ。あと、日傘なんだろ?」
「賊だけどよ!? 自立駆動の日傘扱いされてたまるか!!」
例え日傘が自立駆動になったとしても、彼のように重量ある物を抱えたり押して移動することは難しいだろうが……ラエルは特に指摘するそぶりもなく、呼吸を無駄遣いしないために口を閉じた。
実のところ「問題ない」は虚偽申告にも近いのだ。ただでさえ神経を使う対人戦闘を行った後で碌な休憩もとれていない。言った通り走る分には問題ないが――その後のことは。
「……」
紫の視線が地面をなぞる。水脈が近いのか、湿気が溜まりやすいのか、地下通路は湿度が高かった。ぬかるんだ土の地面を蹴って、浮島から持ってきた水色の革靴が汚れていく。
……金髪少年が立てた作戦を思い出す。
成程、多少無理をしたならどうにかなりそうな計画だった。それは間違いない。
だが、その無理をするまで自分の身体は保つだろうか?
(私にできる最大限。突入して返り討ちに合うようじゃ駄目。なにかもう一手、必要な気が)
「ぅおい、上の空かよ」
頭上から降った言葉に、首を振る。ラエル・イゥルポテーは蜥蜴の獣人の真横に着いた。
声をかけたのは息が上がりかけていた黒髪の少女をみかねてのことだったらしい。サンゲイザーはそれと悟られぬよう、僅かに走る足を緩める。
「しゅるる。大方、上司の策が通用するか心配ってとこかぁ? 現場で実績が疑われるたぁ信用問題だぁな」
「……本調子じゃない人の足りない部分を埋めるのが、同僚の仕事じゃないかと思うのよ」
「ほぉ。例えば?」
「え?」
「例えば、だ」
それは……今、口にしただろう。そう言いかけてラエルは辞める。
違うのだ。サンゲイザーが問うているのは心持ちのことではない。手段についてだ。
「思う」では、足りない。
「心掛ける」では、間に合わない。
「……現状、彼が立てた作戦通りに私が動けたところで、爪が甘いと思うの。キーナさんたちが説得をする間に、私たちが背後に回って襲撃、鎮圧する……って。『正面から相対する前に終わらせろ』って言われているも同然でしょう」
「しゅるる」
「まあ、事実そうだけどさ。何、自信ないのラエルさん」
「自信? 自信があってたまるものですか。黒魔術はね、手が滑った時点で命を奪える魔術なの。加えて私の魔術が暴発すること、キーナさんも知ってるでしょう」
もっと言うなら、今から相対する使用人ネオンだってその事情を知っている。油断してくれるならいいが、そもそも火力不足で押し返されて終わり、の可能性だってあるのだ。
厳しい表情をするラエルに対し、キーナは呆れた様子で目元を探る。色彩変化鏡をかけていた頃の癖は空を切ると行き場を失くしてしまって。ふらふらと前髪を弄る方に移行した。
「ラエルさん、魔術はともかく死力を尽くすことについては怖いぐらい適正あると思うんだけどなぁ」
「……この町では、そんなに危険なことをした覚えはないのだけど」
「いや、中級魔術を下級魔術出力で狙って不発させるとか普通考えないから」
「しゅるるる。中級魔術を下級魔術出力で狙って不発ってなんだ。頭沸いてんのか?」
「ほら。日傘の人だってこの反応だよ」
「日傘の人って言うなガキ」
黄金の瞳をぎっと歪め、背中に背負ったキーナをわざと揺らすサンゲイザー。
ようやく落ち着いてきたのに揺らされて胃液がこみあげたのか、灰髪の少年は口元をさっと抑えてそっぽを向いた。
ラエルはサンゲイザーに剣呑とした視線を返す。
「賊の人にそういう反応されるのは心外ね。貴方たちこそ、もっと無茶をしてきているものと思っていたわ」
「普通、死に直結しかねないことを自分では試さねぇだろうが……で? 自爆覚悟の特攻が得意な黒魔術士のあんたが、今の作戦にひと工夫加えるとしたら、どうするって?」
「……毒を使う、とか?」
黒髪の少女は言いながら、その毒に侵された金髪少年のことを想起する。
ハーミットは二種類の毒を受けたから解毒が難航しているとかそういう話で――逆を言えば、一種類の毒であれば後々治療のしようがあるんじゃあなかろうかと思ったのだ。
彼がラエルに盛った睡眠薬然り、西地区で親方さまの子どもたちが襲撃に使用したという麻痺毒然り。
それに、サンゲイザーは自身のことを「跳痺の牙」と紹介していた。故に毒物に精通していてもおかしくはないと思っての質問だったのだが。蜥蜴の獣人は首を振る。
「しゅるる。残念ながら、そう都合の良いもんじゃねぇんだよ。跳痺虫由来の毒は神経に作用して麻痺と震えを引き起こすが、オレの牙のは痺れて爛れる毒だ。仮にも生け捕りしようって相手に使うもんじゃあない」
「そう。相手の動きを止めることさえ可能なら、私も渾身の一撃をお見舞いできるのだけど……諦めるしかなさそうね」
口には出さないが、ハーミットから直々に渡された奥の手は対象とかなり距離を詰めなければ使えない代物だった。故に、最後の一手は確実に避けられないようにしなければならない。
再び俯いた黒髪の少女に対し、蜥蜴の獣人は黄金の目を歪める。
「しゅるる。なんだ。相手の動きを止められればそれでいいのかよ」
「……ええ。ただ突っ込むんじゃあ、魔術で薙ぎ払われて終わりだと思うから。少なくとも一回か二回は雷撃を避けるか受けるかする必要があると思うし。私は、このケープがあるから耐性はあるけれど、衝撃までは殺せないから……直撃しようものなら吹っ飛ばされるでしょうし」
「あー、成程」
「?」
「いやぁな、ちぃとは考えてみろよ。実戦で動きを止める役と魔術を撃ち込む役、どうして一人でやろうとしてるんだ」
「……私が自分自身を信用できないからだけど?」
「しゅるるる! 自己評価が低すぎねぇかぁ? 黒魔術士の癖に!」
この非常事態だ。もっと他人任せに行こうぜ。
そう言ってサンゲイザーは手押し駆動の速度を上げると黒髪の少女を追い越した。
徐々に通路の幅が狭くなっていく。
「しゅるる、んじゃまぁ予定通りここからは別行動だ。ガキ、お前が駆動を押していけ」
「うん。……それじゃあ二人とも、また後で」
「ええ。また後で」
サンゲイザーがそうしたように駆動の背を押すキーナ。
ゴーグルーに照らされる三人の姿は通路の角を曲がったところで見えなくなった。
ラエルは、彼等が見えなくなったところで閉じていた左目を開く。
頭上の通気口から漏れて降り注ぐ光を頼りにして、壁に手をついた。
「んで、よぅ。さっきの話の続きなんだが」
「……」
「なんだぁ? まさか天下のサンゲイザーさんが襲い掛かって来る妄想でもしてたって? はっ。幾らなんでも利害一致の取引相手にそんなことするかよ馬鹿馬鹿しい!」
黄金の瞳孔は暗さに応じて開かれ、今は半月程の漆黒を覗かせている。
二回りは少女の背丈を上回る蜥蜴の獣人は肩をちいさくして、お手上げのジェスチャーをしながらのんびりと先を歩き始めた。
「いえ。信用するかしないかで言えば、仕方なく前者なのだけど。」ラエル・イゥルポテーはその後をついて歩く。「思えば、貴方がどう立ち回るつもりなのか聞くのが先だった――私、そもそも貴方が何を得意としている人なのかすら知らないし」
……かといって、聞いていたら素直に教えてくれただろうか?
賊の構成員であるという事実を除いても、蜥蜴の獣人がそんなに親切な性格をしているようには思えなかった。
サンゲイザーはこちらに首だけ振り向くと、しゅるると舌を鳴らす。
わざとらしく目を細める様子は外道のそれである。初めてハーミット・ヘッジホッグと邂逅したあの夜を想起してしまうほど――胡散臭い笑みだ。
先に行ったキーナたちを追う足が止まり、徐に少女の方を振り向く。
「んな警戒せずとも、オレの得物は『槍』と『毒牙』だぜ。使い慣れてるっていうならナイフだか跳び道具だかも入るがなぁ」
「そうは言っても手ぶらじゃない。この状況で、武器の調達はどうするのよ」
「どうって。材料が揃ってんだからそりゃあ、作るだろ」
「作る」
「しゅるる」
サンゲイザーは舌を鳴らし、舗装されていない地面を鞭のようにしなる尻尾ではたく。
「湿気が多いのが難点だが、その辺は調整すりゃいいか――『土塊錬成』」
詠唱と共に、地面が淡く色づく。バチバチと摩擦熱と雷のような音がして、けれど周囲を覆う魔力の色は黄色――いや、それすらもキラキラと瞬いている。
あっという間に、彼の手元には土を押し固めて作られた細い土色の棒が出現する。蜥蜴が作ったそれを手に取って軽く素振りをすると、ひぅん、と風を切る音がした。
(土魔術じゃあ、ない。魔力残滓に光沢って、まさか)
「しゅるるる。錬成魔術っていうんだぜ。魔力不足で乱発はできねぇが、この程度なら消耗も大きくないだろ」
「……その棒、強度は?」
「錬度の調整はしているが、雷魔術が相手じゃあ一撃耐えるのが精いっぱいってとこだな」
サンゲイザーは穂先がついていないソレをくるんくるんと腕の上で回して、首の後ろに引っ掛けると両腕で体重をかける。
ラエルの手首程はあろうかという太さのそれは、人族で言えば槍、彼の体格で言えば短槍といった長さである。できあいの素材で作ったからか、しなりはない。
「これで手数は揃っ――いや。一手分、詰めるんだったか」
サンゲイザーは少し考えるようにして作った土の棒とラエルとを見比べた。
「な、なによ」
「しゅるる。そう言えばあんた、東市場で水槍降らせてたよな?」
「ええ、使ったわね」
蜥蜴の獣人はにいと笑うと、湿気漂う地下通路の空気を目いっぱい吸い込む。
「都合が良い。採用だ」
どうせなら、目を引くような派手な槍を差し向けてやろうぜ。
蜥蜴は喉を鳴らし、黒髪の少女は不安から口の端を結んだ。
薄暮が迫る。
赤く燃えるイシクブールを見下ろす使用人が一人。
彼はサスペンダーを外し、襟元を緩め、ループタイを取り外した。
黙して、ふと口元を緩める。夕日に煌めく白髪は一本の例外も許さずにぴっちりとまとめられていたが、そこに指を通す。固めた髪がぐしゃりと握りつぶされ、煩雑になった。
襟先についた家紋の金細工を外し。手元を覆っていた手袋を外し。放って。
パステルカラーの黄色が輝く。使用人の瞳は、濁りを増していた。
足が不自由な町長は後ろ手に縛られ、屋上の端の方に追いやられている。その隣には旦那のレーテが転がっていた。町を覆う結界が薄れないように、どうにか陣に手を置いているようだが、魔力を練ることに集中しているからか視線は定まらない。
恩情か皮肉か。茶会用のパラソルで影をつくったその下で、二人は静かに使用人を見つめている。
使用人――ウェルネル・ネオン・スキャポライト。
彼は二人の様子を一瞥すると、広範囲魔術で町に残っていた住民をあらかた追い出したのを確認し、息を吐く。町中に配置していた『風読書』を解術した。
(町中に居る遊撃衛兵には待機命令を出した。屋敷の部下たちは地下室に閉じ込めて来た。外にいた四天王やアステルは地下道へ逃げ込んだようだし、キーナは教会から一歩も出ていない)
黒髪の少女がどう動くつもりなのか読めない部分はあったが。まあ、上々だろう。
ぎりぎりまで奮戦していた鼠顔の四天王も、恐らくはアステルを守ることに尽力するはずだ――「晶化」が何かを知っているのだとすれば、尚更。
そうしてネオンの脳裏に浮かぶのは、青灰の目をした男の姿である。
(……彼は、こうなる前にこの町を出て行った。魔力の発散場所がない状態で晶化現象が進めば、それだけで町ひとつが無くなりかねないと知っていたから)
あの男は、自分を終わらせる場所を求めて第三大陸の外へ出たのだ。
(キーナにもメイオにもアステルにも、このことを知られるわけにはいかない。私は彼らを手引きした。この大陸から彼らを引き離した。そして、自分はこの町で息絶える為に浅はかな策を弄している――なんて、皮肉だ)
びきり。
焼けるような熱さ、凍えるような痛み。
身体の内側を突き破らんとする鋭利な結晶の存在を嫌というほどに自覚する。
灰色の襟を緩めたのは、呼吸を楽にする為でもあった。
ぎりぎりまで広範囲魔術を施行して、余りある魔力を血中毒の手前ぐらいまで使って、その状態で晶化できれば。計算上、晶化の被害は邸宅を一つ呑み込んだあたりで止まるだろうと踏んでいる。
(夜になれば人が動く。それはいけない。誰一人として安堵させてはいけない。誰一人として巻き込むわけにはいかない)
背後の町長たちは結界魔術で助かることができるだろうが。
その他、自衛の手段を持たない者は庇いきれないのだと――彼は静かに、焦っていた。
「……ネオン。一つ、宜しいですか」
長く続いた静寂を破ったのは町長の声だった。
ネオンは痛みを堪え、笑顔を作って仕える対象へ振り向く。
「はい。私が答えられることであれば、一つと言わず幾つでも」
「いえ、これは只の告白。私とレーテが、今日まで黙っていたことの告白です」
町長はそう言って、海のように青い瞳をこちらに向ける。
何を言うつもりだろう。
恨み言だろうか、命乞いだろうか。ネオンは笑みを絶やすことなく相対する。
が、その口が紡いだのは意外な言葉だった。
「知っています」
「……え?」
「知っているんです、ネオン。私たちは知っていて、知らないふりをし続けました。キニーネの心に傷を残さぬよう精一杯、彼の気を逸らすようなことをさせてきました……けれど、アステルにはそれをしていません」
白き者を屋敷に迎え入れると決めた時には、知っていた。
彼らが短命であり、刹那的な生涯を噛みしめて生きる種族であることも。
生存本能の強さから恋愛感情を抱きやすいということも。
次女がそんな彼らを心の底から愛していることも。知っていた。
「全てを知った上で、あの娘がどのような人間か把握した上で、シンのように見切りをつける覚悟があったならば今回の一件は貴方のもくろみ通り進んだことでしょう。ですが」
だがそれは、考えが浅い。
これだけの愛を一身に受けておいて、まだ分からないのかと胸ぐらを掴みたい。
「貴方はうちの次女がどれだけお転婆で向こう見ずで、身内が傷つくような状況に追い込まれた時に何をしでかすのか。……ご存じではなくて」
ネオンはその言葉にハッとして屋上へ出るための扉を見やる。
車輪がついた駆動で、扉を押し開ける音がした。