159枚目 「不殺の魔剣」
肘まであるグローブを嵌めた真赤な両腕で握りしめられた両手剣を、右斜め上へと振り上げ――そのまま剣の重さに任せて身体を右回転。針鼠の少年はもう一度、剣を振り抜く。
斬撃を二度食らった賊の一人は驚愕と苦痛に顔を歪めると、あっという間に膝をついた。
身体を斜めに切り裂かれた上に胴を横薙ぎにされたのではひとたまりもない。しかし、次に飛びかかって来た賊にもおおよそ同じような攻撃を加える針鼠。容赦なき少年の周囲には、あっという間に盗賊の絨毯ができた。
返り血を浴びる様子もなく敵を切り捨てる様子を目に絶句したのはカフス売りの方である。
商人自身も、襲い掛かって来た相手には腱の切断を中心に無力化を図っているが、同時に対峙するとなれば一人二人を相手にするのがやっとだった。
「噂程度に聞いちゃいたが、本当にでたらめな強さだな……!?」
「余所見してる暇が――へぶあっ!!」
「しかも端から一人で片す気満々じゃねぇか!? いや、こちとら有り難いがなぁ!?」
「てめぇ、何をぶつくさと――うぎゃあぁ!!」
拳で十字の柄を握り込み、腕の長さを生かした刺突を繰り出す。肩に穴を開けた盗賊は一歩二歩と後退して姿を消した。
どうやら導師クラスの白魔術師が控えているらしい。死ぬ気で特攻をかけて来る理由も、死ぬほどの怪我を負っても治療者がいる保証がある故だろう。
グリッタは剣の柄を握り直し、腰を低く攻撃姿勢をとる。一人二人退散させたところで、敵部隊の中心に居る魔術士や指示役を抑えられなければ防戦一方になりかねない。
無言のまま殺気を向けて突き出されたナイフを躱し、腕を捩じって地面に転がす。
相手の表情には恐怖と怒りと涙が入り混じっていたが、そのまま枝が折れる様な音が響いた。
「……!!」
「すまねぇな。お嬢ちゃんだろうが野郎だろうが、命を狙って来るからには同じように対応させて貰う約束なんだ」
「っ!! つくづく呆れるほどに陰湿だなイシクブールの回し者!! 俺たちの頭領を殺しておいてこんな一方的な――!!」
「はぁ、一方的? 堅気の奴らが住む町に多勢に無勢で押し寄せてんのは何処のどいつらだよ、あぁ!?」
「っぐ、うっ!?」
カフス売りはショートソードを振りかぶった男性の動きを躱し、腕を折った女性を放り投げた。続けて繰り出された刃を剣で受け流し、上段蹴りを叩き込む。
落ちた得物を求め伸ばされた賊の手首は間髪入れず、靴の底で地面に縫い留められた。
「諦めろ。今のイシクブールに喧嘩を売った時点で、あんたら全員牢屋行きが決定してるんだ――見てみろ。あっちは争いにすらなってねぇ」
グリッタは言いながら顔を歪める。
カフス売りの周囲には力尽きて倒れた賊は一人も残っていない。先程放り投げた女性ですら、折れた腕を庇いながらも後退している――グリッタは、一人も戦闘不能にできていない。
一方、針鼠は小柄な体躯で背丈の半分はある両手剣を奮い、息切れ一つなく相手を追い詰めている。
少年の足元に転がった賊たちは、びくびくとのたうちながらも全員生きているが、走る気力を手放した者が殆どである――尚、立ち上がって後退しようとした賊にはさらに追撃が加えられ、また一つ叫び声が上がる。
(あれで生粋の平和主義者だっていうんだから、世の中はよく分からんな)
と、カフス売りが思考した直後だった。
針鼠の顔が「ぐりん」と振り向き、切迫した指示を向けたのは。
「グリッタさん――そこから離れて!!」
「ん?」
そう言えば足元の少年を組み伏せてから、グリッタへ賊の追撃は無かった――人族であり第二大陸を拠点として生活して来たグリッタは「魔術」に疎い。
足元の少年を中心に、陽炎のような空気の揺らぎが発生する。慌ててグリッタは距離を取るが、開放された少年はその場に跳ね起きると赤い瞳を輝かせた。
「『火球』!!」
ごばっ!!!!!
「!?」
詠唱と共に草原に現れたのは、人間ひとりを飲み込むには十分な大きさの火球である。
グリッタは無言で腰元を探り身体を庇った。
火球は瞬く間に周囲の草原を吹き飛ばし、弾け飛んだ。
術者はチリチリと燻る火種を足で踏みつぶし、急激に失われた空気を求め口を開く。
対するカフス売りは煙に燻された目を瞬かせながら顔を覆っていた腕を解く。尻もちをついたものの、腰につけていたゴーグルーの発動が間に合い、無事だった。
(あっぶねぇ……!!)
マツカサ工房製のゴーグルーは中級黒魔術すら無効化する――本作戦限りの貸し出しとはいえ、目を見張る効力だ。
だが残念なことに、この一撃で攻防が終わった訳ではなかった。
そもそも『火球』は「最終的に暴発する」ことを前提として作られた範囲破壊系の黒魔術だ。術者本人が身を投じる場面での使用は想定されていない。
浮島で白魔術士のストレンが使用したものですら、規模の縮小と爆発の不発を試みた劣化版――そうでもしなければ、接近戦ではとても扱えない魔術なのだが。
それは、術者に生きて帰る理性があれば、の話だ。
魔術の直撃を受けて尚、追撃せんとする執着がなければ、の話である。
「強化術式、『鉄火』!!」
熱を受けて赤くなったショートソードに火花が散る。
与えた傷と同じだけの傷を負う代わりに、殺意をもって振れば対象に必ず命中する呪い――「呪詛」は、障壁魔術の有無に左右されない!!
賊の少年は狙いを明確にする為に、瞼を閉じ、開いた。
煙で燻され濁った視界に涙の幕を張る。
目の前に現れたのは、鼠顔と黄土色。
「は」
引き攣った頬が痛い。気づいた時には、賊の少年は地面に倒れ伏していた。
針鼠は硝子の瞳を向け、無言でその肩を切りつける。
神経が集中した筋繊維が引き千切られ、言葉にならない悲鳴が響き渡った。
仲間が危機に陥った時でさえ、自滅覚悟の特攻を仕掛けようとした時でさえ、怒りは露わにしても恐怖に顔を歪めなかった賊が、身体を丸めるようにもだえ苦しんでいる。
カフス売りは助けに入った針鼠の背を見上げ、息を呑む。
黄土色のコートはおろか、振った剣にも血や油の痕がない。そして、今しがた地面に伏した少年の身体からも血が流れている様子はなかった。
(……これが、呪いの剣と呼ばれる所以ってことか)
王の剣「強欲なるもの」――歴代の魔導王国国王が所持してきた逸品であると同時に、使い方を誤れば史上最悪の拷問機具と化す――そう、目の前に居る針鼠本人の口から聞かされている。
この剣に切られた生物は「死ねない」。
不殺の呪いと、状態維持の回復術。二つの魔術を内包している故に起こる現象なのだそうだ。
「……グリッタさん、大丈夫? きついなら、町の中に下がって構わないよ」
ぽつりと、ハーミットがそんなことを呟いた。
勿論、問われてみて恐怖を自覚しなかった訳じゃあない。苦痛に喘ぐ他者を前に、それまで命のやり取りで思考を麻痺させていた脳汁が吹き飛ぶほどの衝撃を受けた。
だが。呪われた剣で人を生かすも殺すも、全ては使い手の裁量次第。
故に、愚問だと。商人は思った。
「はは――お兄さんがこの程度で根を上げるような商人に見えるのか?」
「……」
「何だその無言は」
グリッタは差し出された赤い革手袋の腕をとって身体を引き起こす。
男二人がやり取りする間も呻き続ける賊たちは、恨めしそうにこちらを睨んでいる。
どのような過程を辿ったとしても、二人にとっては全員の命を奪わず捕獲することが最終目標だ。僅かにも取りこぼしが起きないように最大限策を練ったこの少年が報われるよう、グリッタもまた腹をくくることにした。
命をかける覚悟はとっくの昔にしていたが、他者に恨まれる覚悟まではできていなかった。
カフス売りは熱で歪んだ長剣の柄を握り締め――。
「……正直、俺の買いかぶりすぎだったかと思ったけど。そんなことはなかったみたいだね」
「うん?」
「仕事はまだまだ終わらないよグリッタさん。ほら、きびきび働こう?」
針鼠はそう言って、何か吹っ切れたように高笑いしたと思えば群衆に突っ込んで行った。
蟻の子を散らす様に人が宙を舞う。城門前に一人取り残されたカフス売りと、彼の周囲に立っていて運よく針鼠の攻撃を逃れた賊たちは呆然と針山の背を見送る。
(よっ……ようやく信用できたかと思えば!?)
「つか、お兄さん目に余る成果上げてやるから驚くなよぉ!?」
「あっははははははは!! 期待はしてないけど楽しみにしてるよ!!」
「……っまさかあいつ、あれが『素』だったりしねぇよなぁ……!?」
未だ、接敵から半刻も経っていない。商人は長剣を振りながら、早くも攣りそうになっている表情筋を呪った。
草原を駆け賊の急所を突き、殺さずに切り伏せるハーミット。
声と反して少しも笑っていない少年は、依然動きのない町の様子を気にかけながら――事態の収拾を急いでいるらしかった。