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強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~  作者: Planet_Rana
4章 灰色のダブルはイシクブールにて
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152枚目 「Impatient」


「って。お邪魔だったかしら」

「い、いいや。ナイスタイミング!!」

「……っ!!」


 間一髪。首に届こうとしていた鱗肌の腕を起点に獣人を床に引き倒した針鼠は、そのまま有無を言わさずに魔法瓶の底を鱗の額に打ちつけた。


 しゅーっぽん!


 気の抜けるような音を立てて吸い込まれた獣人と、状況を読めない少女との目が合う。

 ラエルは瓶に詰められた獣人を一瞥して、すぐに興味を失ったのか欠伸をした。


「お……お疲れ様。報告ありがとう。いいよ、先に寝て来て」

「三時間たったからノワールちゃんにお願いされて来たのよ。貴方こそ長びかせすぎ」

「うぐ!?」


 ぐいと引っ張られた肩と、寄せられた少女の頬に硬直する針鼠。黒髪の少女にはそのような余裕がないのか、軽口を辞めて真剣なまなざしを向ける。


「なんてね。胸騒ぎがしたから強行突入したのだけど、大丈夫?」

「……うん。まぁ……」


 返答を濁した鼠頭に少女の細腕が回る。傍から見れば微笑ましくいちゃつくカップルそのものだが理想と現実の乖離はすさまじく、少女の細腕とこめかみには青筋が入っていた。


「や、辞めっ!? 首が締まる!!」

「締めてるんだから締まるのはあたりまえじゃない」

「うんぐぐぐぐぐぐぐ!?」


 べちべちべちべちと、降参を告げるハンドサインを出し続ける針鼠。どの道本気の彼に敵うはずもないと知っているラエルは、盛大な溜め息と共に鼠顔を開放した。


「あのね、ハーミット。蚤の市に予告状を出して来た盗賊の件だけれど。イシクブールに襲撃予告が届いたこともあって、ついさっき第一大陸と第二大陸から渥地(あつしち)酸土(テラロッサ)に生死問わずの捕縛命令が下ったらしいわ」


 ラエルは言いながら硝子の瞳に視線を落とす。部屋に押し入る直前に、レーテから「賊の耳にも入るように」伝えて欲しいと言われた情報である。


「よっぽどのことが無い限り『送還も望まない』そうよ。実質、処分は第三大陸に丸投げで、生きてても死んでても構わないっていう捕縛条件は変わらないみたい」

「なるほど。……つまりは生け捕りで構わないんだよね?」

「そうとも言えるわね」


 ラエルは笑って、それから部屋の中に足を踏み入れた。床に落ちた瓶蓋を拾い、割れた魔法瓶を訝し気に見つめたあと――ソファの上に放置されたままだった蜥蜴入りの魔法瓶を手にすると、ぽん、と栓を抜く。


 針鼠は思わず待ったをかけようとするが、ラエルはそれを制して魔法瓶の中から蜥蜴の獣人を開放し――瞬く間に元の大きさに戻った獣人は、少女の首根っこを掴むと壁に叩き付ける。


 ラエルは小さく呻いたが、予想はしていたのだろう。

 血色のいい赤い唇が、三日月に似た弧を描く。


 恐怖感情を持ちえない彼女にとって、この状況で平常心を保つことはそう難しいことではない。


「そう。私に、人殺しの経験があるように見える?」

「…………」

「この町にやって来るだろう貴方たちの仲間の相手をするのは、そこに立ってる針鼠よ。今ならまだ、交渉の余地があると思うのだけど――どうかしら。ここは騙されたと思って、いたいけな小娘の戯言にのってくれない?」

「――しゅるる」


 獣人はしばらく少女を観察して、舌を鳴らす。


 掴んでいたネグリジェの襟を手離した。獣人の鋭利な爪でボロボロになってしまったが、サバイバル生活で身に着けていたワンピースを思い出す程度なので特に問題はないだろう。


 ラエルは破れたそれを整えて、改めて獣人を見上げる。

 浮島に居るスフェーンや資料室館長のメルデルより高いだろうか。


 蜥蜴の獣人は無言のまま少女から距離を取ると、元居たソファに着席した。先程針鼠と対峙していた時とは違い、足を組んで机に肘をつく。


「……あんたらに何ができるって?」


 ――交渉の席に、蜥蜴の獣人は座った。

 ラエルは微笑むと、いつの間にか隣にいた針鼠の肩を叩く。


「この人の手を借りれば、誰一人死ぬことなく捕縛できるでしょうね。こう見えてかなり強欲らしいし?」

「……確かに、団員の戦闘スタイルの予測がついていれば対策が可能になる……四肢の欠損を出さずに捕まえるぐらいは、できると思うけど、さ」


 人を勝手に交渉材料にするんじゃない。気遣いついでに少女の肩を軽く肘で小突く針鼠。


 ラエルはハーミットをなだめながら、視線を獣人に戻して紫目を細める。それは、自らの潔白を証明する為ではなく、選択を迫るため。


 場の主導権は既に、一人の少女に奪われていた。


 蜥蜴の眼球に瞬膜が這い、裂けた口元が歪む。

 情報を渡すことで仲間を守るか、渡さないことで欠ける可能性を受容するか。


「――いいだろう。こちらとて、確認したいことが増えちまったからなぁ」


 蜥蜴の獣人は黄金の瞳を見開くと、徐に舌をなめずった。







 イシクブール、滞在五日目。


 早朝から町長宅に集まった一行は、針鼠の腕に抱かれた魔法瓶をまじまじと観察していた。

 中に居るのは尖った鱗を全身に纏った蜥蜴顔の獣人である。


 彼は今朝分のアプルを口に突っ込むとバキバキと噛み砕き、滴る果汁を舌で掬いとる。


『しゅるるるる! というわけで、気が変わったんであんたらに手を貸すことにした「跳痺(ちょうひ)の牙」ことクレマスマーグ・サンゲイザーだ。以後お見知りおきを』


 気楽そうに硝子の向こうへ手を振る獣人に、苦い顔をするハーミットとラエル。


 キーナとペンタスはネオンを盾に距離を取っている。盾にされた使用人は眉間に皺を寄せるだけで何を言うこともなく。ただ、アプルを飾り切りする速度をペースダウンさせたようだ。


 対面する席に座ったレーテは天井に意識を飛ばし、膝に乗った町長は魔導王国の使者と旦那の顔を見比べると眉間に指を押しあてた。


「おかしいですね。私は食事に関する説得だと説明を受けたのですが。確かに盗賊の手も借りたいほど忙しいというのは本音ですが、まさか懐柔するなんて聞いていませんよ……?」

「ははは、残念ながら懐柔できるほど彼に良心があるわけではないんです。ささやかな取引の結果として一日分の労働力と知恵を貸して貰う――契約が前提の助っ人だと考えていただければ」


 鼠顔は町長へ差し向けていた革手袋をひらりと返す。


「犯行予告を出した渥地(あつしち)酸土(テラロッサ)に所属する構成員を『死なせずに捕縛する』。サンゲイザーが提示した条件はそれだけです――勿論、一般の方の正当防衛までは予測も回避もできないので、私が直接相手をした場合に限ってもらっていますが」

「ですがハーミットさま。貴方こそ一昨日襲撃に遭ったばかりなのでは? その犯人も捕まっていませんし、そもそも多人数を一人で対応するのは無理があるでしょう」


 スカリィはネオンが淹れた紅茶を口に運びながら不満げに疑問を呈す。

 針鼠が多対一をこなせないように見える、ということではなく、純粋に怪我の程度を案ずるような声音だった。


 しかし流石に、スカルペッロ家長女の子どもたちに喧嘩を売られていたとは言えない。

 ハーミットは膝にのせた魔法瓶に手を添え直す。


「……私が本調子でないことは確かですが。一時的に城門を閉めていただき、迎え撃つ人員に私とグリッタさんを配置させていただければ十分ではないかと。むしろ戦力過多でお釣りがくると思われます」

「グリッタくんを? ラエルくんじゃなくていいのかい?」


 町長の背後からレーテの声が聞こえ、その場の視線が黒髪の少女に集まる。


 当の本人はというと、テーブル上に出されたアプルの飾り切りに目を瞬かせながら針串で刺して口に含んでいた。しゃくしゃくと小気味いい咀嚼音を部屋に響かせながら針鼠の方を向く。


 町の構造や作戦案については頭に叩き込んでいたものの、自分自身の配置については何も考えてこなかったらしい。ハーミットは落ち着いた様子で硝子の瞳を向ける。


「彼女は黒魔術士ですが、現在医者からペナルティを受けていまして。多人数を相手にするには実力不足なので、確実に包囲されるだろう門の外には配置できません」


 アプルを噛んでいた口元が何かを噴き出した。慌てて紅茶を喉に流し込むラエル。


「隣に居る人のことなのにはっきり言うわねぇ……!?」

「五、六人の手練れを魔術無しで対応できるなら任せられるけど」

「分かってるわよ! 私の実力じゃあ一対一が限度よ!」

「うん、だからラエルには町の警備に回ってもらおうかと。予告状の内容を踏まえても、黒髪で紫目っていうだけで的になりかねないからね」


 とはいえ、危険なのは町の中も外も同じだ。少女が見つかった場合、住宅街で敵に囲まれると身動きがとれなくなってしまうだろう――針鼠と同じことを考えているのか、スカリィは少し考えた後、灰髪の少年へ目配せをした。


「……キーナ。色彩変化鏡をラエルさまに貸してあげられるかしら」

「これを?」


 キーナは少し考えて、金縁をなぞる。が、すぐに顔を上げた。

 キーナはラエルを手招きすると、外した眼鏡をかけさせる。


 幸い、ぴったりとモダンが耳裏に引っかかったようだ。

 度が入っていないレンズ越しに、黒い瞳。これなら誤魔化せるだろうか。


『人族を相手にするにゃぁ十分だろうなぁ。魔術師を欺けるかどうかは知らねぇけど』


 瓶の中の獣人はぶっきらぼうに言って、その場で丸くなる。

 用があったら起こせと言わんばかりの態度だった。


 ハーミットは無言で瓶を振る。内側から蜥蜴の悲鳴が上がった。


「……可能であれば、助っ人の方々にフォローして頂けると嬉しいのですが。レーテさん、肝心の町を守る人員は確保できていますか?」

「ああ。蚤の市の常連や町の魔術士にも協力を要請している。石工の町というだけあって、妙に腕っぷしがある住民も多いからね――ただしその内、実戦で立ちまわれそうな人員は三十余名といったところだろう」


 目を回した獣人入りの魔法瓶をテーブルに置き、当日の町の図面を脳内で展開する針鼠。ある程度のシュミレートをして顔を上げた。


「蚤の市の警備にしては十分かもしれませんが、町全体はカバーできそうにないですね」

「そう、問題はそこだ。町に入り込んでいる賊も脅威だが、だからこそ外から入り込もうとしている賊が加わられては大いに困る」

「では、配置する人員の特性を鑑みて――」

「ああ確かに。その方法なら――」

「そうですね。ならいっそのこと――」


 ……町長とその旦那と針鼠が高度な会話を始めたので、ラエルはこの現場で全てを理解することを諦めた。後で針鼠に必要な部分を再確認する必要がありそうだ。メモ帳に指文字(フィンガースペリング)を走らせ、書き残す。


 綴った魔力文字を眺めつつ、昨夜ポフに戻って後に二人と一匹で話し合った内容を思い出す。

 魔力不可視の状態では可視できなくなる純魔力文字と、新たに明らかになったことについて。


 ラエルの当初の目的は、両親を乗せてこの町を訪れた馬車の行方を探ることだった。

 しかし、ここに来て新たな問題が浮上したのだ。


(この町には馬車の失踪について知っている人間が居る。それも、一人じゃない)


 獣の目に映らぬよう作為されたその文字は、ハーミットの目には映らずともラエルの目にはすんなり届いた。彼女の目で読めたということは、その情報が一部の人間にとっては周知の事実なのだと暴露したようなものである。


(レーテさんはハーミットに資料を調べ直すように言ったらしいけど……見落としが起きると分かっていて差し戻したのなら、彼は私たちが何を知りたかったのかを知っているということになる)


 加えて、消えたことにされた馬車は一台や二台どころの話ではなかった。


 毎月決まった時期に、殆ど決まった台数の馬車が何処かから突然現れ、何処かへと消えている。消えたままの馬車だけでも十数台――行き先は綴られておらず特定はできなかった。


 ……しかし。誰かに問うことも、問い詰めることも、一旦は後回しだ。


 蚤の市の一件が片付くまでは、保留(・・)する。

 それが、昨夜話し合って出た結論だった。


 ラエルの手帳を持つ指先に、ほんの少し力が入る。歪んだ紙面と共に綴られた文字が波打つ。

 もう少しで届くかもしれない真実に手を伸ばすことが許されないという状況――歯噛みするとは、このような感情を言うのだろう。


 とんとん。と肩を叩かれてラエルは振り向く。キーナは裸眼では落ち着かないのか眼鏡を外すジェスチャーをすると、ラエルの耳に顔を近づけた。


「――眼鏡を貸すついでに、僕たちから一つ相談があるんだけど」

「?」


 果物を飾り切る背後で行われる密談の内容に、使用人は薄い笑みを浮かべた。





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