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強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~  作者: Planet_Rana
4章 灰色のダブルはイシクブールにて
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149枚目 「逆立つ鱗と硝子の目」


 艶を取り戻した黒髪を梳く指先が、冷めた紅茶に伸ばされる。


 目線の先にはテーブルに蜷局を巻く細い鎖。

 チャーム部分には、紫色の硝子が石座に嵌め込まれている。


 クァリィ共和国に入国した際に支給されたものではなく、針鼠から渡された個人通信用の回線硝子(ラインビードロ)だ。


 少女の瞳の色と似た、赤混じりの暗い紫色がゆっくりと点滅する。


『――というわけで。かくかくしかじかの理由で、帰りが遅くなることになったんだけど』

「へぇ、徹夜しようとしてるのねぇ、懲りずにまた一人で? ふぅん」


 不機嫌を隠すことなく言葉を返し、回線硝子(ラインビードロ)を撫でるラエル・イゥルポテー。

 ハーミット・ヘッジホッグは回線の向こうでくぐもった唸り声を上げる。

 伝書蝙蝠ノワールは、壁の留まり木にぶら下がりながら皮膜をつついた。


「冗談よ。仕事が理由なら仕方がないでしょう。というか、町長さんの家にいるなら目と鼻の先じゃない。どう心配しろというのかしら」

『まあ確かに。命の危険とかはないと思うんだけど、万が一はあるから』

「……万が一にも貴方が健康的な休養をとってくれる日はくるのかしら?」

『んんー、鋭いところを突いてくるね。君も俺の行動パターンを分かってきたじゃないか』

「嫌でも慣れるしかないの間違いじゃない?」

『否定はしないよ。嘘はつきたくないからね』

「はぁ。嘘つきがよく言うわね?」


 呆れ混じりに思ったことを口に出せば、あちらからケラケラと笑う声が聞こえた。

 思えば、ここ数日は調査だ報告だと真面目なやり取りが主だった。軽口を叩き合うのは久しぶりだったかもしれない。


 針鼠の少年が笑っている声を耳にするのも、ラエルには数日ぶりの様に感じられた。


 指に巻いて遊んでいた髪を手放し、ラエルは机に置いてあった日誌を手に取る。

 話し合いで出た内容は別の用紙に書き起こされ、少女の目の前に広げられていた。


「……私だって、今からでも仕事はできるわよ。貴方が遠隔で無知な私に任せられる作業の範囲であれば、だけれど」

『ストイックだなぁ。そこまで俺を真似することはないのに』

「捕獲した賊の説得に夜な夜な駆り出されてる同僚に比べたら、私ができることなんて些細なものよ。今日は手紙を届けただけで聞き込みもできていないし……仕事をした感覚がないものだから、手持無沙汰でたまらないの」

『さっきした話し合いの内容を復習……っていうのは、もう終わってるか』

「ええ。辞書にのっていない専門用語の意味を除いて、あらかた理解したわ」


 ノワールはその資料を踏まない様に降り立つと、猛禽の足でテチテチ歩いてラエルの隣にやって来た。風呂上がりの少女は手袋を外していて、その甲に蝙蝠の足が乗せられる。


『……聞こえるです、針鼠』

『ん、ノワールか』

『聞こえるならいいです。それで、今朝方話題にしていた任せたい仕事とやらは、まだ余っているです? あるならそれを寄越すといいです』

『ああ! 確かにあれなら、時間はかかるけど俺は必要じゃないな』


 無言の視線をもって疑問を蝙蝠にぶつけるラエル。

 ノワールは同調(リンク)を通じて『楽しい事務作業です』と返答した。


『俺の部屋に、レーテさんから再度貸してもらった資料が積まれているはずだ。それを、もう一度照会して欲しいんだ』


 ラエルはそれを聞いて、ぱちりと目を瞬かせる。


 「もう一度」ということは、イシクブールを出入りした馬車の通行記録のことだろう。他でもないハーミット本人が片付けた筈の仕事を、何故今になってラエルに照会させようというのか。


『……予想が正しければ、資料を見るべきは俺じゃあなかったというか、ね』

「?」

『難しいことは考えなくていいよ。前にラエルが少し手伝ってくれたのと同じ要領で、町を出入りした馬車を書き出してほしいんだ。決して急がなくていい。着実に、漏れなく書き出すことを優先してね』

「それだけ?」

『うん、それだけだ。極めて重要なお仕事だから手を抜いたりしないように』


 回線硝子(ラインビードロ)の向こう側の声は、そこで途切れる。

 どうやらラエルの返答を待っているらしい。


「……いいけれど、ノワールちゃんにも手伝って貰っても構わない?」

『資料運びや整頓は任せてもいいけど、内容を目で確認して、記録を書き取るのはラエルがやってね』

「実働の分担はほぼ無し、ね。一日では終わらないかも知れないけど、いいの?」

『ああ、その点は問題ない。宜しく頼む、眠くなったら寝ていいからね』

「えぇ、分かった。それじゃあ、そっちも頑張って」


 ――資料を取りにハーミットの部屋へ向かったラエルは、回線から抜けたらしい。


 蝙蝠の声が針鼠の脳内に響く。


『ラエルはノワールが見ておくとして、貴方は何時間後のアラームが好みなんです』

「三時間、ぐらいかな」


 紫色の真新しい回線硝子(ラインビードロ)に口を寄せながら、少年は薄い笑みを浮かべる。


「三時間経っても連絡がなければ、起こしに来てくれ」

『です』


 ぷつり。

 リリアンが結ばれた紫色の回線硝子(ラインビードロ)が黒襟の内側に消える。


 少年は肩を二、三度回して解すと、誰もいない部屋の中心に設置した防音魔法具と、魔法瓶入りの木箱をねめつけた。


 魔鏡素材(マジックミラー)の黒い瞳が無感情に威圧を放つ。


(さて。盗賊さんのご機嫌伺いといきますか)







 鱗が並んだ肌。油を塗ったように照るそれは尻尾の先から蜷局を巻き、額のたんこぶをさすりながら脱ぎ散らかした覆面を巣のように敷いて這いつくばっている。


 その獣人は、牙に毒線を持つ蜥蜴の獣人の系譜――彼は、盗賊である。

 周囲に置かれた果物を一口も齧ることなく、その時が来るのを待っていた。


 魔法瓶(マジックポット)と呼ばれるこの容器の中は、実はかなり快適だ。


 死なない程度の気温と湿度が保たれ、死なない程度の酸素濃度が維持され、空気循環が徹底していて浄化魔術が効いている。


 燃える大地の上でも、森を呑む沼の上でも、凍える岩肌の上でもない。

 惜しむらくは、硝子の地面である故に森林浴や日光浴の真似事ができないということだった。


 目玉を瞬膜で覆っては潤す。空気中に僅かな水分があれば十分こと足りる。

 与えられる食事を口にせずとも、休眠という系譜の特性を活かせば半年は生きていける自信があった。


(しっかし、自白剤の匂いすらしないまっさらな果実ばかり放り込みやがって。何を考えているのか分かりゃしねぇなぁ)


 東市場(バザール)の火災――あれだけのことをしたのである。捕縛された後に酢漬けにでもされるのかと思えば、あっさりと衛兵に引き渡され。その後は朝夜の二回、規則正しく食事が運ばれて来た。


 同じ部屋の同じ机の上に魔法瓶が並べられ、捕まった全員の無事が確認できるようになっていたし、種族や信仰ごとに食事や必要なものを用意されるという至れり尽くせりである。


 ……だがしかし。他人からの施しは、疑ってかかるのものだ。

 彼にとって食事に毒を混ぜられる状況は大して珍しいことではなかった。


(流石に他の構成員が食べねぇのは命にかかわるし、オレも見た目齧ってる様に見せちゃいたが。浄化魔術が効いているのをいいことに夜な夜な吐き戻してるのがばれちまうとは)


 碌な尋問をすることもなく食事を与えるとは、地元を荒らした犯罪者への対応としては気持ち悪さを覚えるほどに丁寧で気色悪い優しさだ。


 鱗ばかりで立つ鳥肌はないが、もし人間寄りの皮膚を持っていたら寒イボが出ただろう。


 第一ならその日の内に処刑、第二なら次の日には魔獣の餌。第四なら捕縛以前に土に帰されるだろうか。

 第三と第五の事情はよく知らないが、このイシクブールという町のお偉いさんは戦争を生き抜いた割に随分なお人よしらしい。


(だからといってここの奴らを全面的に信用することはできねぇし、しようとも思わねぇ。構成員の三分の一が捕まっているこの状況で幹部の俺ができるのは()()()()()()ぐらいだろうよ)


 しゅるる。と、喉が鳴る。


 食事を摂っていないことが露見してから寝る時間を意図的に増やすと、捕まった構成員の何人かが役人に助けを求めた。どうやら俺が物を食べてない現状が我慢ならないらしい。


 渥地(あつしち)酸土(テラロッサ)は第一大陸で発足した盗賊同盟である。構成員のほどんどは人族で、第二で入団した物好きはそう多くない。俺が物を食べなくても生きていられるということを知らない構成員がほとんどだ。


 なので、利用させて貰うことにした。


(仲間に心配されればされるほど、オレが外に出られる確率は上がるだろう)


 そうしたら手近な一般人を人質に脅して、最終的に全員を解放しようじゃないか。


 手段は選ばない。彼らは同じ肉を食らった兄弟だ――冷たい身体が、熱を持つかわりに心拍を上げる。ああ、ちがうちがう。今じゃない。まだだ。


 この瓶が砕けるか、この蓋が外れるか。


 魔法瓶から外に出た瞬間、その場を制圧する為に力は温存せねばならない。

 そう身構えて早四日。好機は思うより早く訪れた。


 適当に「魔導王国の使者になら会ってやる」と話をつけ、それらしい状況に持ち込むことに成功した。


 妙に対応が早いとは思ったが、これも何かの縁だろう。不意打ちで自分を捕まえたあの獣人もどきをボコボコにできると考えれば願ったり適ったりだ。


 目隠しの為の箱が開く。さて、伏せた目を開けるのは相手の熱が最大限近づいてからでも遅くない。この毒牙を今度こそお見舞いしてやろうじゃないか。


 瓶が浮く。どこか平たいところに置かれたようだ。


 蓋が開く。


 おいおい、マジで外に出してくれたりするのかよぉ――







 ばしゃあ!!







「!?」


 全身が濡れて、染みわたっていく薬草の芳香に目を剥く。


 疲労が癒え、怪我が治り、文字通り全回復したのだが、一瞬何が起きたのか分からなかった。


 これほどまでの効力をもつ魔力補給瓶(ポーション)を、オレは知らない。

 呆然とする蜥蜴顔をガラス越しに眺めるのは、あのにっくき鼠顔だった。


「貴方の要求通り、こちらは一人だ。夜間で申し訳ないけど話し合いに応じてくれるかな」

「……しゅるる。この瓶から出してくれたなら、な」

「逃げようものならはり倒すけど、それでいいなら考えよう」

「……善処しよう」


 鼠頭の少年は頷いて、オレを閉じ込めている瓶を右手で握りしめる。


 みしっ――ばき。


(は?)


 瓶が両側方から砕け散って、そのままの勢いでオレに向かって来る――なんだこれは。空間操作で収縮していた肉体が元の大きさに戻る一瞬がこんなにも長――そうしてあっさりと解放されたらしいオレは、気が付くと毛足の短い絨毯の上に立っていた。


 少年は粉々になった瓶を手に、硝子の瞳を向けてどうやら笑った。


「最初から狸寝入りだったんだね。動きが俊敏だ――『休眠』しようと思ったんだろう? そんなことしたら、何も知らないお仲間さんの胃がもたないよ」

「……あんた、何者だ?」


 無い体毛の代わりに、鱗が逆立つ。目の前の鼠顔はとても勝てるような相手ではない。獣の本能は降伏と逃走を勧めている。いや、闘争を勧めている。


「俺は、魔導王国の四天王『強欲』さ」

「はあぁ!?」


 ……何て言った? ……四天王?

 四天王がどうして第三大陸にいるんだ、とか。質問をする前に次の言葉が放たれた。


「名前はヘッジホッグって言うんだけど」

「しゅっ、がふっ」


 オレは何かを言おうとして、舌を盛大に噛んだ。


 その名前は――知っている。

 汗はかかない体質だが、汗腺があったら汗だくだったに違いない。


(ヘッジホッグって――第二大陸のワルに語り継がれる伝説の強盗団(ファミリー)を痕形なく潰したっていうやべえ奴等の一人じゃねぇかあああああああ!!)


「どうかした?」

「しゅる、いやあ……その……」

「まあまあ、そこに椅子があるから座ってよ。アプル食べる?」

「た、食べなくても簡単に死にゃあしないんだ……だからその……」

「そう。食べたら死ぬわけじゃないんだね。それじゃあ食べて?」

「しゅ……しゅるる……しゅるるるるるるるるる……!!」


 恐るべき獣人もどきを目の前にオレは手のひらを(かぎ)のように構え、ほぼ反射的に戦闘態勢をとった。


 相手は自分より二回りも小柄な少年である。何を怯えることがあるだろうか。


 思考が加速する。ヒトよりは小さい脳味噌をフル回転させて状況を認識する。


 恐怖も高揚も悪寒も羞恥も焦燥も混乱も。

 しかし「欲望」の前には何もかもが無意味。


 オレは結局、椅子まで辿り着くことなく両膝を床について頭を垂れた。


「サインをっ…………いただけたなら…………!!」

「――え」


 唖然とした針鼠と、テンション爆上げの蜥蜴と、砕けた魔法瓶と空いた椅子。

 説得は、まだ始まったばかりである。





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