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強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~  作者: Planet_Rana
4章 灰色のダブルはイシクブールにて
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145枚目 「心象の灰を拭う者」


 キニーネ・スカルペッロ=ラールギロス。

 イシクブール町長の孫、人族と白き者(エルフ)の間に産まれた灰髪のダブル。


 天球の星が町灯りで観測できなくなるのが珍しくないように、僕がこの世界に生まれ落ちたという出来事は大して劇的ではなかった。


 よくあることではないが、珍しくはない。


 人が生まれ落ちるのに必要なものは諸説あるが、僕の場合は愛と恋と生殖行為だった。

 互いに恋し合い愛し合い、その結果として育まれた命。はっちゃけた言葉で表せば「できてしまった」というパターンである。


 僕がこの世に命あるものとして認知されてから、母さまが生きる環境は目まぐるしく変わったのだという。既に一人産んでいたこともあって、身体が弱かった母さまは二人目を生きて産み落とせるか半々だったそうだ。


 ……ただ、結果として僕はこの世に産まれ落ちた。

 既に跡継ぎがいるスカルペッロ家の次男として。母さまも無事だった。


 産まれた僕を一目見た兄は、スカルペッロ家を継ぐ権利を放棄しようとしたらしい。


 理由は魔力子保有量と器の質。兄と同じ人族と白き者(エルフ)のダブルである僕は、生まれ持った素質をもってして「スカルペッロ家」の一員となったのである。


 幸い、僕はそうした勉強のことが嫌いではなかった。


 魔術の知識を求められるならばそれを学んだし、嫡男としての礼儀作法を始めとした教育も、護身術の訓練も。得意とは言わないが、これといった苦痛を感じることはなかった。


 体内を巡る魔力圧で熱を出しても、専属の医者がどうにか抑える方法を探してくれた。

 「兄と目の色を同じにしたい」という願いには、母さまが誕生日に応えてくれた。


 恨みはない。支えてくれている母親や使用人たちには、寧ろ感謝している。


 ただ……九歳を越えると、「人族」ではなく「白き者(エルフ)」のような感覚で魔術の行使を頼まれるようになった。


 理由は、その立ち位置に居た白き者(エルフ)が町から忽然と姿を消した故である。

 置手紙はなく、理由を知る者も居ない。動機も切っ掛けも何もかもが不明。


 当日町を出た記録すら残すことなく――僕の父親は蒸発したのである。


 母さまは、彼が失踪したことを少しも咎めはしなかった。

 そのかわりに家の散歩中に出くわした僕の髪を撫で、優しい声で囁くのだ。


「キーナ。身長が伸びたね」と。

「キーナ。体つきが良くなってきたね」と。

「キーナ。声が大人らしくなってきたね」と。


「キーナ。貴方もあの人に似てきたわね」と。


 僕を通して彼女の脳裏に浮かぶのは、どうしようもなくあの男だった。


 名前を呼ばれても、僕が僕として扱われているように思えなくなった。

 僕が僕として扱われない理由が、何も言わず失踪した父親のせいだと思うと――母さまを愛した父親のせいだと考えると――歯がゆくてしかたがなかった。


 父親は失踪しているのだ。第三大陸中を探し回らせても見つからなかった。


 母さまの顔は曇ったままだ。

 あの父親が見つかるまであの微笑みに光明はない。見えない。見えはしないのだ。見えてはいけないのだ。


 だって、全部あの父親のせいにしないと。あの父親が見つからないせいで彼女は笑う事ができないのだと証明しないと――証明? どうやって? こんなに手を尽くしても、子どもができる最大限を利用しても、見つからないのに?


 レーテじいちゃんとスカリィおばあさまは、僕の素質を見込んで祭事のフィナーレや葬送の塗り直しを頼んでくるようになった。


 魔力値が高い僕を頼っているというよりは、僕の父親ができたことだから僕にもできるかもしれない、という期待をしているのだ。


 父親にできたことは息子にもできるはず。


 兄は、できないことが多くて家を飛び出した。

 僕はというと、できてしまった。


 魔術書と魔法具のサポートがあってこそだけれど、白き者(エルフ)特有の「禊歌(メロウアーツ)」を扱えるようになったのが決定的だった。


 兄はサンドクォーツクの企業に就職して、一年に数日しか帰ってこなくなった。

 第三大陸はそれほど大きな大陸ではない。里帰りしようと思えばいつでも帰って来られる距離だ。しかし、あいてしまった心の距離は埋められない。


 僕は、家を抜け出すことが増えた。町をあてもなく彷徨って、夜な夜な帰ることを繰り返して。その過程で生まれた繋がりが、僕とペンタスを引き合わせてくれた。


 町中の住民と知り合いになって、歩くだけで情報を集められるようになった。


 蚤の市の裏で稼ぎ時を逃がさぬよう腕まくりする商人の存在を知って。馬宿や教会に情報が集まることを知って。誰と誰が仲良しで、誰と誰の馬が合わないのかを知った。


 そうして自分自身の、何も変わらない現実に気が付いた。


 求めなければいけない。受け身では現状は微動だにしない。


 僕がしたいことは何だろう。僕が望むことは何だろう。


 母さまの愛を望むのか、父親への復讐を望むのか、それともペンタスのような繋がりに貢献する何かを成すのか。


 何を望むにせよ。情報も根拠も足りていない。

 僕が僕として成せることがあるのなら、何でもやろう。


 嫌いでも憎くても悔しくても構わない。

 やるのだ。見つけて――叩き付けてやるのだ。


 そうやって、魔術書に鍵をするように自分に鍵をかけた。


 青灰色の瞳が憎い。灰色の地毛も嫌いになった。髪を伸ばすのはあの男が短髪だったからだ。

 ペンタスの父親を慕う叔母の気持ちが分からない。大好物だったパンの味がしなくなった。


 主食が果物になった。使用人に削ってもらったアプルの実。もう、削らなくても食べられるのに。毎日削ってもらうのは、自分が誰かの手で生かされている現実を思い知りたいから。


 この憤りは誰のせいでもない。誰かに(なす)り付けるとすればあの一人しかいない。

 だから、捜さなければいけない。捜し出さなければ、報われはしない。


 ……魔導戦争で人族が敗戦して数年後。


 下された緘口令。勇者の伝説にまつわる書籍や資料の焚書。

 「勇者の書」の題がついた絵本や書籍が燃えて、舞い上がった灰を目にした時。ふと思い出したことがあった。


 想起したのは、脳裏に焼き付いたあの日。

 勇者一行がこの町を守った日。草原一面に燃え広がった――劫火の赤色。


 そこで初めて、父親が失踪した時期が終戦と重なっていたということを、思い出したんだ。







「……町の証言を集めると、あの日、勇者一行が僕の父親に接触していたことが分かったんだ」


 キーナは、ぽつりぽつりと言葉を吐き出した。


「失踪したのは『あいつ』の独断だろう。だけど、もしかしたら」


 もしかしたら、勇者一行が絡んだことで彼は町を出て行ったのではないだろうか。

 彼が町を出なければ母親はキーナに夫の姿を重ねなかっただろうか。

 彼が居なくならなければ、誰も嫌いにならずに――憎まずに済んだだろうか。


「……第一の奴らが懸賞金をかけてまで言うように、勇者が生きているとしたら。もし今も勇者が生きてて話ができる可能性があるなら……僅かな手がかりでも構わない。結果として『あいつ』をとっ捕まえて、事情を吐かせることができる可能性が、少しでもあるなら」


 少年の膝に乗った帽子が、ぐしゃりと握りつぶされた。


「僕はあいつを殺してでもこの町に連れ戻すって決めたんだ――自分の為に」

「……」


 黒髪の少女は、灰髪の少年の言葉を静かに聞いていた。


 濁流の様に吐き出された言葉は半分も理解できていない。キニーネ・スカルペッロ=ラールギロスの心情など、ラエル・イゥルポテーには預かり知らぬことだ。


 だからこそ、彼女はこう口を滑らせた。


「……殺したいってことは、キーナはお父さんに生きていてほしいのね」


 鐘が鳴る。


 教会の屋上で、時報を告げる鐘が鳴る。

 晶砂岩の煉瓦で組み上げられた教会は、ドーム型の天井にその音を反響させた。


「ラエルさん……今、なんて?」

「相手が生きてなきゃ、命を奪う覚悟はできないでしょう?」

「いや、そうじゃない。そうじゃなくて」


 床のタイルの目地をなぞっていた灰色の視線が、恐る恐る少女の方を向く。

 怒声が飛ぶわけでも、涙を流すわけでもない。

 ただ。少年と呼ばれる齢の人間がするにはあまりにも、悲壮な表情だった。


 ラエルはそんなキーナの顔を見て、首を傾げた。


「何。まさか貴方、その人が生き残れている前提で悠長にことを考えていたの? 家を出ていくそぶりすらなかったというなら、装備を万全に整えて家を出たわけじゃないと思うのだけど……そんなに無謀なことしたら、いくら平和な第三大陸でも生き残れないでしょう」


 一時期砂漠で生活していた黒髪の少女でさえ、第三大陸の草原で野営した時は毛皮を使用したのである。魔法具技術に特化した、腕のいい魔法具技師が作り上げた装備を身に着けた上で尚、「体温調節の為の魔術がかかった毛布」が必要になるほど冷え込むのだ――夏だというのに。


「例え魔術に特化していても、食べなきゃ死ぬわ。お金があっても、寒さをしのげなかったら死ぬ。私には貴方の父親がどういう人だったかは分からないけれど、分からないからこそ、誰にも言わずにこの町を出たのなら。まず生きてない可能性を考えるわ」

「けど……それは、生きていてほしいと思ってる証拠には、ならないだろ」

「そう? じゃあ、捜さなければいいじゃないの。きっと帰ってこないと思うわよ」

「……!!」

「『何が分かるの』って顔してるわね。分からないわ。何も分からない。分かるとすれば、それは貴方自身でしょう?」


 「回答を他者に押し付けるのは、責任転嫁と変わらないわ」と。ラエルは目を伏せる。


 野営で一人考えたことを思い出す。自分には何ができて、何ができないのか。

 足りない部分を埋めてくれる他者に頼ってしまうのは正しいことなのか。


「そもそも、第三大陸以外にも人が住んでいる場所はごまんとあるでしょう。それとも貴方は、自分が置手紙すら残さない家出を企てたとして一年以上もの間、この狭い第三大陸内で逃げ回れると思っているの?」

「……」

「この大陸にいるとしたら、必ずどこかでボロが出るはず。でも、そうじゃなかったんでしょう? その可能性すら考えなかったのだとすれば、貴方は箱庭で遊ぶ人形と変わらないわ」


 白砂漠という箱庭に、浮島という箱庭にいたラエルだからこそ、その言葉は重みをもつ。

 黒髪の少女にとっては自戒であり、自問自答だった。


 だが、キーナにはそうは聞こえなかったらしい。灰髪の少年だって、目の前の少女がどのような境遇にあったかは知らないのだ――知らないから。分からないから。


 「……まるで、」濁った青灰の瞳は、雨を運ぶ暗雲のような。「まるで、自分にあったことみたいにべらべらと好き勝手言いやがって……僕は、僕は僕の為に、僕が僕として生きるために、必要だからあいつを捜しているだけだ。だから」


 絞り出すような声に、ラエルは紫の目を困ったように細めた。


 感情をぶつけ合うにしては、キーナは不器用すぎたらしい。黒髪の少女には吐き出しきれない感情が胸の内では黒煙を上げて燻っているのだろう。


「だから、僕は勇者を、唯一の手掛かりである彼らを捜して――」

「……じゃあ聞くけれど。貴方は本当に勇者も生きていると思っているの? 魔王城から帰って来なかった勇者が、この町には帰って来るって? 楽観にも程がないかしら」

「……」

「仮にも懸賞金がかけられている人間なのだから、生きていたとしてもそうそう表に出てくるような人ではないでしょう。それに幸運が重なって貴方が勇者を見つけたとしても、貴方の父親のことを憶えているとは限らない。人間は、忘れる生き物なんだから」


 ――忘れる。そう、人間は忘れるのだ。

 記憶は過去になるほどにおぼろげに、一日の出来事を全て記憶していられる人間すら、珍しい。


 朝起きて一番に上げた腕がどちらかを憶えているだろうか。

 ベッドを降りて何歩で部屋を出るに至ったか憶えているだろうか。


 美化と修復を繰り返した記憶に、果たして価値はあるのだろうか?

 六年以上も前の戦時の出来事を、はっきりと覚えていられる可能性はどの程度ある?


 青灰の瞳は揺れ、きつく閉じられた。


 でもそうね。

 と、少女の言葉が続く。


「私が貴方の立場にあったら、勇者なんて待っていないで入念な計画を練って、最大限の準備をして家を飛び出して旅をしてでも探し回るわ。殺したいと思うほど許せないのなら、私だったらそうする。自分の人生を全て捧げてでも、やりとげる。見つけ出して、自分がどんな姿形になろうと、相手をどんな形にしようと、意気揚々と亡骸でも背負ってここに帰ってきたらいい話じゃないの?」

「…………え?」


 キーナはその言葉に一瞬首を傾げ、眉間に入っていた皺を緩めた。

 てっきり父親を捜している自分を否定された気分になっていたので、彼女の提案が意外だったのである。


 むしろ、やりすぎのようだとすら――思ってしまった。


「どうしたの。殺してでも連れて帰るって言ったのは、キーナさんでしょう」

「あ……えっと……」


 溶けない氷のようになっていた思考が、明らかにクリアになっていく。

 教会は告解をする場所だという考え方がないわけではないが、公共の場で自分が何を口走っていたのかをようやく思い出すことができた。


 ただ、それよりも。目の前の少女がした提案の方が自分が望んでいた想像よりもずっとおどろおどろしくて酷かったので、唖然としてしまったのである。


 血が冷めたように身体が冷たくなる。冷静な思考が回り出す。


 捧げてきた時間と比例しない。

 この感情の終わりは、こんなにもあっけないものでいいのだろうか。


「というか……見つけるの、本当は嫌なんじゃないの」

「え」

「会いたくないなら会いたくないでいいんじゃないか、って言ったのよ。生きてるか死んでるかも分からない嫌いな相手のことばかり考えて人生を燃やすのは、勿体無いと思うわ」

「でも……母さまは、あの人が帰って来るのを望んでる」

「貴方はその『母さま』なの? 『キニーネ』じゃなくて?」

「……僕は」


 キーナは俯いて、数秒沈黙して。


「僕は、キニーネだ。僕が、母さまの憂いを取り除きたい――だから、あの男を、捜すんだ」


 殺意でも恨みでもなく、愛している家族の為に連れ戻したいと「自分で」決めた。


 今、決めた。


 紫目の少女は、しばらくキーナの顔色を窺って――すっかり目の色を変えた少年を前に苦笑した。


「そう」

「……」

「それなら応援するわ。勇者を捜すのも、貴方の父親を捜すのも――あぁ、もし仕留めるのに手が足りないなら、私に声をかけてくれても構わないわよ?」

「て、手はかけない。冷静になったら、想像するだけで馬鹿馬鹿しくなってきた」

「あはは。冗談よ」


 ラエルは笑い、天井の観察に戻った。


 キーナは呆気に取られたまま、ぼんやりと紫目の向く先を見る。

 灰髪の少年は、もう色彩変化鏡を必要としないだろう。


 青灰の瞳は、日の光を受けたイシクブールの町並みのような。少しの希望を抱いているように見えた。





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