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強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~  作者: Planet_Rana
4章 灰色のダブルはイシクブールにて
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135枚目 「モスグリーンは許さない」


 黒い毛並みに鋭い眼光。突けば肉をも貫通するだろう鋭利な双角。

 ペンタスと相対した彼は、出会って一言目から自虐と嫉妬が入り混じった言葉を投げかけたという。


「――フォ・サイシ・アイベック。ペタくんと同じ第二からの移住獣人で、彫刻士だ」


 扉を閉め、カーテンを閉じ、それから鼠顔を外す金髪少年。

 汗ばんだ頬に金糸がまとわりついた。


「聖樹信仰の教会の前にあった彫刻を作った長本人で。その彼と西地区ではち合わせたんだ。ペタくんとは、あまり仲が良くなかったみたいでね」


 そう言って、琥珀の瞳を濁らせるハーミット。


 町長宅前で待ち合わせた彼らだったが、簡単な情報共有だけを行ってすぐに解散となった。

 ペンタスの調子が悪いのを見かねたキーナが彼を昼食に誘ったのが決定打である。


 殆ど外を出歩かないらしいその男に会うということ自体、運が悪かったのだ。と、灰髪の少年は言っていた。


「あの温厚そうなペタさんと仲が悪いって、よっぽどじゃない?」

「まあ、色々あるんだろうなぁとは、思うよ」

「色々って、随分アバウトね」


 ラエルはお湯で温めたポットに茶葉を沈めると、部屋の中央にあるテーブルに菓子を用意する。ハーミットは髪を梳きながら、冷やし箱に突っ込んでいた自分用の昼食を引っ張り出した。パンに茹でたノハナ草を挟んだだけの簡単なものだ。


「そのアイベックって人、ペタくんのお父さんらしい」

「はい?」


 ラエルは自分のカップに砂糖を入れ損ねた。零れた砂糖を拾う針鼠。


「えっと……それじゃあさっき言ってた名前って、(いみな)?」

「そうだよ。魔法具然り、不特定多数の人間が触れる物体に関わる人間は、諱の公表を義務付けられているから――」

「ああいえ、そうじゃなくて。ペタさんって確か、ペンタス・マーコールって……」


 この世界ではよっぽどの事が無い限り、名前の中に両親のファミリーネームが含まれている。

 ストレンのように結婚前から両親同士が同じファミリーネームである場合も稀にあるが、殆どはキーナのように両姓を名乗り、成人する時に両方を名乗るかどうかを選択するのだ。


 獣人の成人を迎えているかギリギリの年齢であろうペンタスが、母方のファミリーネームのみを意図して語っているのだとしたら。


「ペタさん、大丈夫かしら……」

「……俺たちがどうこうできる問題でもないさ」


 冷たい言い方に物申そうとしたラエルは少年の顔を見て口を噤む。どうやら彼なりに思うところもあるのだろう。


 赤い水面が、めらめらとカンテラの光に反射した。


「――東地区の聞き取りだけれど。初めてにしては、聞けた方だとは思うわ」


 少女は気を取り直して、パンを頬張る少年の前にティーカップを差し出した。

 ハーミットは少し困った様な顔をして、受け取った紅茶を一口飲み込む。


「君にしては自信があって良いね。成果は?」

「お仕事としてはまあまあ。目的の方は、皆無」

「皆無」

「皆無よ。というか、二か月前の馬車以前の話ね。都市で流行した商隊(キャラバン)が来る時期は憶えていても、そうじゃない商人さんや観光客もひっきりなしに出入りするものだから、全部を憶えていることは不可能だろうって言ってたわ」

「んー……そうか。実は西地区も似たり寄ったりな反応だったんだよね」


 午後の調査で何か進展したらいいんだけど。針鼠は呟き、それから眉間に皺を寄せた。

 頭痛でもするのか、指先で摘まむように抑える。パンを食べる手が止まった。


「そもそも、『残火』に二か月間も捜査してもらったにもかかわらず、拠点まで洗い出せなかったっていうことが異例なんだよなぁ……拠点周辺に高度な幻影術式でも使っているのか……」


(唸り声と共にぶつぶつ言い出しちゃった……)


 数か月の付き合いであれ、行動パターンは徐々に憶えるものだ。ラエルはお茶を口に運びながら、今一度じっくりと室内を見渡した。


 壁に掛けられた間接照明は浮島で見かけた橙色のカンテラだ。四方全ての壁の天井近くに設置された手すりのような管は、伝書蝙蝠用の止まり木である。


 木目調の床板は固く、テーブルの天板は磨かれてつるつる。キッチンは使う度に掃除をするので綺麗なままだ。壁を挟んで向こう側には、冷やし箱と服を洗う箱がある。


 このリビングには目立った仕掛けがあるわけではない。


 あくまでも、人と伝書蝙蝠が快適に過ごせるだけの趣向が凝らされているだけといえばいいだろうか――しかし、ラエルはこの部屋に初めて足を踏み入れてから今日までずっと (とはいっても、ポフを展開したのは昨日の夕方なので特に長い間疑問を放置したつもりはなかった)、気になって堪らないことがあった。


 リビングから廊下へつながる扉のすぐ横の壁。そこに一枚の鏡が設置されているのである。

 姿見には小さいが手にするにはかなり大きい、ビンテージ加工が施された飾り縁が特徴的だ。


 使われている意匠は浮島でお馴染みの「不死鳥」である。


 ラエルら二人に与えられた個室にはそれぞれ、各々の身長に合わせた姿見が置かれているので、少女はリビングに鏡を置いている理由を理解できていなかった。


 ポフの説明書は端まで読んだが、その中にも記載はなかったのだ。


(ハーミットは暫くあのままだろうし、縁についてる赤い石が朝からずっと明滅してるような気がするのよね……魔石? ということは、魔法具か何かなのかしら)


 一度、ハーミットに許可を乞うべきか迷って顔を向けてみたが、やはり思案の海に沈んでいる様子で邪魔することは気が引けた。

 頼りになる蝙蝠も散歩を称して外に出ている。現在、ラエルを引き留める人間は存在しない。


(……よし)


 ラエル・イゥルポテーは、楽しい現実逃避を開始することにした。


 とはいえ、魔法具でも扱いを間違えれば事故になる。

 ラエルは鏡を観察しつつ、魔力を流し込む位置を特定すると一度身を引いた。


 振り向く。金髪少年はまだ思考の海に沈んでいるらしい。


 好奇心とやらかした時の心的ダメージとを天秤にかける黒髪の少女。恐怖が存在しない彼女の心的ダメージの重りは好奇心より軽かった。


(仕方ない。怒られたら怒られたで、その時はその時ね)


 殆ど躊躇うことなく。水色の手袋が魔石に魔力を流し込んだ。


 ――ぱちんっ。……ざざっ、ざざざざざざざざざざざ。


(砂みたいな音がするけど、鏡が暗転するだけで何も起きないわね……)


「……ラエル、何してるの?」

「あっ。やっと戻って来たわねハーミット。現状の打開策は思いついたかしら?」

「いいや全く。で、何してるの?」

「ず、ずっと鏡が気になっていて、この際だから思い切って起動させてみたの……」


 怒られる準備をする黒髪の少女だが、彼女の心配とは裏腹に金髪少年はにこりと笑った。


「ラエル。君はこれが、どういう魔法具か知ってて起動させたの?」

「い、いいえ。設計図にも記載は無かったわ」

「そう。まあ、俺はこれが何なのか知ってるからいいんだけどさ。敢えてまで説明しなかったのは、流石に意地悪が過ぎたかな」


 ラエルはハーミットの言葉に、引っかかりを覚えた。

 意地悪。教えないことが、どうして意地悪になるのだろうか?


 鏡が明滅する。


 向こう側に景色が映る。清潔な壁紙が貼られた室内を映しているようだ。

 白い壁。椅子に座った白衣の男性がこちらを振り向く。


 総白髪の髪をオールバックに、眼鏡をかけたモスグリーンの瞳。尖った耳は白き者(エルフ)特有のもので、目元の隈は彼特有の――白魔導士スフェノスの特徴だ。


「あっ」


 しまった。と思うも、何もかもが遅い。


 黒髪少女は一人、鏡越しに向けられた威圧にたじろいだ。

 恐怖は感じられずとも危機感には人一倍敏感な体質だ。ひしひしと伝わる怒りの感情は、今すぐここから逃げ出したいという衝動を発起させるには充分だった。


『ごきげんよう、ラエル・イゥルポテー。中級以上の魔術を禁止されている身にもかかわらず暴発しながらぶっ放した割には、元気で何よりだなぁ――』

「……ハーミット。これ、まさか現在進行形で繋がってたり?」


 少年は無言で少女へ微笑みかける。

 肩を掴まれていて逃げられない、少女は無力だった。


『医者の言う事は聞けと何度言ったら分かるんだ君は』

「ご、ごめんなさい!!」

『謝って済むなら医者は要らん。その手袋ごと寄越せ!! 鏡に向けて投げろ!!』

「はっ!? えっ!?」


 ラエルは剣幕に押されて手袋を外し、流石に投げるのはどうなのかと考えながら水色の革を鏡の表面に近づける。先程まで硝子だった鏡は水のように柔らかく、少女の手袋を飲み込んだ。


「……!」

『っ全く、目が届かない場所に行った途端にこれだ!!』


 心の底から言葉を吐き出すスフェーンは、おもむろに水色の手袋を手に取った――どうやらこの鏡、離れた場所と映像でつなぐだけではなく、物を送ったり受け取ったりできるらしい。空間系統魔術の応用なのだろうが、つくづくなんでもありの技術である。


『――魔力制御設定を「強」に変更する』

「今、不穏な言葉が聞こえたのだけど!?」

『気のせいだ。大人しく身に着けるんだな!!』

「わぶっ!」


 文字通り投げ返された手袋が顔面にヒットするラエル。

 目を開けてみれば、先程まで変哲なかった手袋が、膝の上で魔力の残り香を放っている。


「……ねえハーミット。これ、本当に着けなきゃ駄目かしら? もの凄い濃度の魔術行使痕跡があるのだけど……!?」

「状況が状況だけに仕方が無かったとはいえ、医者には関係ないからね。大人しく着けないとこの鏡、ずっとスフェーンの研究室(ラボ)と繋がったままだよ」

「それは嫌!」


 嫌々言いながら水色の革手袋に指を通す。通信が繋がったまま仕事をする方がよっぽどの拷問である。


 そうして合成金属の円輪を手首に留めた――瞬間、ラエルの全身に悪寒が走る。

 どう考えても呪いである。白魔導士が呪い(カース)を患者にかけるとは!


「なっなななななな」


 慌てて手袋を外したラエルだが、身体に染み渡った黒魔術が解ける様子はない。

 鏡の向こう、モスグリーンの瞳を細めた白髪頭が口を歪める。


『ラエル・イゥルポテー。以前は努力の傾向が見られたから放置していたが全く懲りた様子がないので強硬手段に出させてもらった。呪いを付与することについて王の許可は下りている。発動条件は中級以上の魔術行使。条件に引っかかる限り不発になる優れものだ……効果期間は十日!!』


 開いた口が塞がらない少女に向け、何徹したのか分からない不摂生の医者は全力で高笑いする。


「はああああああ!? って、いうか、どうして私が第三大陸に来てから中級魔術使ったことを把握しているのよ!?」

『知っているも何も、その手首に嵌っている魔法具のデータを通して常に監視しているに決まっているだろう、医者の話を聞かん患者だと分かっているんだ対策ぐらいするさ!!』

「ち、治療に対する執念!!」

『はっはっは。ラエル嬢、私は「傲慢」だ。手の届く範囲の患者はすべからず生かす――おい、そこに隠れている針鼠。お前にも後で話があるから夜にでも繋げろ。良いな?』


 ちゃっかり鏡に映らない場所に移動していた金髪少年が、どすの利いた医者の言葉に肩を震わせる。先程までラエルの引きつった顔を肴にノハナ草を食んでいたようだが、自らに火の粉がかかるとなると普通に嫌らしい。


 ハーミットからの返事を待つ鏡の向こうの医者は、眉間に深い谷を作る。


『返事は……?』

「は、はい」

『よろしい。それでは、今度こそお大事にな』


 ぱつん。

 鏡は暗転し、それからただの鏡に戻った。


「……」

「……」


 しばらく無言が続くも、ハーミットが口を開く。


「この鏡、浮島の人と会話できるようになっててさ。俺たちに用事がある人がいるとこの魔石が点灯するようになっているんだ。で、遠出している俺たちに用事があるからって連絡してくるのは、多分ベリシードさんかロゼかドクターぐらいのものなんだよな、これが」

「……先に説明して欲しかったわ……」

「最初に言っただろう、意地悪が過ぎたって」


 呪いについては、緊急事態が起きた場合に限り解術するから心配しないで。


 ハーミットはテーブルに戻ると、カップに残ったお茶を喉に流し込んだ。どうやらおかわりするつもりらしい。


 ラエルはげっそりしながら席に着く。


「貴方、折り返しスフェーンさんに連絡するつもり、無いわね?」

「勿論。怪我があるって気づかれたらこの出張自体がおじゃんにされかねない」

「へぇ……そう……」


 あの医者の患者に対する信用のなさの原因には、この金髪少年もひと役買っているのだろう。


 軽い現実逃避の代償にしては重い呪いを受けたものだ。

 黒髪の少女は自虐の笑みを浮かべた。





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