133枚目 「影の色は平等に」
塗り替えが済んだイシクブールの町は、どこもかしこも人の気配で騒がしい。
喪に服していた間も人通りはあったが、今は町長宅から一歩外に出ると三歩進むごとに何気ない挨拶を貰っている。
昨日スカルペッロ夫妻にお願いされた「外出禁止」は、外部から来た二人と一匹を何が何でも早朝の術式に巻き込まれないようにするためのものだったらしい。
調査許可を貰ったラエルとハーミットは、そのまま午前のお仕事に取り掛かることになった。
潰れるかもと予想していた時間が有効に使えるので、これは好機以外の何物でもないのだが。
……黒髪を編んで束ねたラエルの隣に立つのは鼠顔の少年ではなく、灰髪眼鏡の少年だ。
キニーネ・スカルペッロ=ラールギロス――スカルペッロ家のキーナは、住民に声をかけられる度に人当たりのよい笑顔を振りまいている。
その態度は、愛想を振りまいていた頃のストレンに近いようにも思えた。
「今の所で七件目だよ。まったく、じいちゃんもばあちゃんも孫使いが荒いんだから……」
「ありがとう。それにしても昨日の今日で、まさか貴方と一緒に聞き込みをすることになるなんてね」
ラエルは言いながら、銀の用紙に聞き取った内容を記録していく。表向きは情勢調査の為の問答だ。チェックリストを埋めつつ、彼女は着実に必要な情報を集めていた。
スカルペッロ町長がラエルたちに持ちかけた取引の条件は、キーナとあともう一人に一連の調査を手伝わせることだった。ラエルたちは土地勘のある人員を提供してもらった形になり、キーナともう一人にとっては勉強になるということで。
因みにその「取り引き」を受諾した結果、ラエルは午後の仕事に取り組めなくなったのだが――他ならないラエル本人が、渋りながらもその内容を良しとしたのも事実だ。やはり、こちらに益がある取引内容だったのである。
「……えっと、ラエルさん」
「はい?」
ハーミットがたまに呟く「商人は苦手だ」という言葉を脳内で復唱していたラエルは、キーナの呼び声に少し遅れて返事をした。
「聞いて良いことなのか僕なりに迷った結果、質問させて貰うわけなんだけどさ。貴女の目的って、あの獣人もどきとは大分ずれてるような気がするんだけど。僕の気のせいか?」
「気のせいも何も……。私と彼は利害の一致で一緒に居るだけよ?」
次の家に向かう道中。馬車が目の前を横切る瞬間。人の騒ぎ声が近い時。
キーナはそうした環境にラエルを近づけては質問を投げかけた。が、黒髪の少女は大して悩むことなく応答する。別に、聞かれて困る様な問いでもない。
「彼は私から目を離さない。代わりに私は彼の立場を利用する。ノワールちゃんはどちらかというと魔導王国側ね。今だって、彼じゃなく私の近くを飛んでいるし」
灰髪が空を仰げば、確かに蝙蝠の姿が見受けられた。真っ白な屋根を鮮やかに塗り上げる住人 (休憩中)に囲まれて、ゲッソリしているようにも見える。
「目を離さないって……どうして。まるで監視対象みたいな扱いじゃないか」
「ええ。とっくに容疑は晴れてる筈なのだけど、まだ信用ならないみたい」
「まじかよ。よくそんなところに所属できるな」
「そう? 身寄りがないにしては恵まれている方だと思うけれど」
少女は言って、紫の瞳を少年に向けた。イシクブールで過ごして来た彼にとっては馴染みのない瞳の色なのだろう。キーナは不思議そうに目を瞬かせる。
(結局、昨日彼から流れ込んできた『同調』の内容については、深く考えないようにしようっていう意見で一致したし)
ラエルはキーナから向けられる好奇心の視線に気づかないふりをして、目を離す。
(ハーミットからは「無理に取り繕うことはしなくていい」って言われているけれど。これはこれで会話が続かないわね……)
キーナから飛んでくる質問の殆どは、ラエルの中で整理がついていることについてだ。しかも完結な言葉で纏めてしまえるものが多く、感情を含む理由もない。
そもそも、ラエルの身近なところに勇者が居るのだと仮定したとして、ラエルはその居場所を知りたいと思っている。よって、キーナの問いに嘘を吐く必要がないのだ。
脳裏をよぎるのは記憶におぼろげな手配書だ。
(お金はあっても困らないし、もし両親が無事なら生活費の足しになる)
そういうわけで、実はキーナのことを応援しているラエルであった。
一方。肝心の情報収集では、針鼠のおどけるような言葉遣いや言い回しがどれだけ情報を引き出すのに役立っていたかを突きつけられている。今のラエルにとってはこちらの方がよっぽど、危惧していた事態だった。
(間に入る役はキーナさんがやってくれているけれど……適材適所っていうのかしら。個人的には、こう、ちょっとくらいは役に立ちたいのだけど)
話下手なのは今に始まった事ではない。なんなら、自動的に相手に吐いて貰うぐらいの気概で挑んだ方が良いのか……黒髪の少女がそう考えた時である。
『不穏な気配を察知したです』
「!」
少年は嬉々として振り向くが、そこに生き物の影はない。
『ただのノワールです』
空から花壇へ降り立った蝙蝠は黒い毛並みの眉間に皺を寄せた。
因みに、キーナが勢いよく振り向いた方向には何も居なかった。そこには鮮やかな黒影が落ちるのみである。
「――散歩はお終いなの?」
『まあそんなところです。……ところで、貴女はその見た目以上に役に立たなくていいです。間違っても自白魔術の使用などは考えないように。あれも、ここ数年で禁術指定されてるです』
蝙蝠の台詞にキーナは何やら不穏な空気を感じ取る。
ラエルはこともなげに笑って見せる。
「まさか。スカリィさんとの取引もあるし――何も考えていないつもりよ?」
蝙蝠と灰髪少年の両方から、思いっ切り疑念の目を向けられた。
……そうした経緯もあって、彼女は大人しく任された仕事を続けることにした。
魔術を使用せず、使用させず、合意を得ての情報収集。足を使っての地道に稼ぐ。
午前十時現在、十五件の家を巡って話を聞けたのは、僅か三名である。
「なるほど、人海戦術。めぇ。町長さまらしいというか……」
頭部に黒角を生やした短毛の獣人が頬を撫でながらぼやく。
真っ白に染め上げられたイシクブールの石畳には、影が二つ並んで落ちていた。
手元には飲み歩く用の果実水。ラクスの果実水を口に含み、針鼠は鼠顔を上下させた。
「……いや、しかしどうしてペタくんがこっち側に?」
「めぇ。キーナとハーミットさんは、相性が悪そうでしたから」
勘です、めぇ。
ペタくんこと商人見習い――ペンタス・マーコールはそう言って、中々減らないアプルの果実水に視線を落とす。祖母の葬儀がいち段落したことも理由の一つだろうが、ハーミットらが町に来た時よりは、幾分か落ち着いているように見えた。
「ボクの方こそ、まさか魔導王国のお偉いさまのお仕事をお手伝いすることになるなんて全く予想だにしていなかったもので……寧ろ粗相があったらいけないと、今から胃が締まる思いで満杯といいますか」
……落ち着いた表情とは裏腹に、内心は大慌てらしい。
「う、うん分かった。分かったよペタくん。気持ちはありがたく受け取るけど、そこまで気を張らないでくれると俺の胃も助かるかなぁ」
対するハーミットも、思い出したように胃を抑える。
胃を痛める理由は違えど、二人して似た者同士であることは否めなかった。
「難しいことを要求する人ですめぇ」
「自分でも無茶を言っている自覚はあるよ」
そうして飲み干した果実水の容器を指で弄び、ハーミットは首元を閉める。ペンタスはそんな針鼠の一挙一動を不思議そうに眺め、減らないアプルの果実水を手に、重い腰を上げた。
彼らがこれから向かうのはイシクブールの西地区――観光地として有名な東地区とは違い、まだ路面の整備も行き届いていない地域である。
「ハーミットさんたちが昨日回られたのは、東側でしたね。ということは西側は初めてですか、めぇ」
「そうだなぁ。まあ、君に隠してもしょうがないと思うから白状するけど、初日の夜の間に軽い探索は済ませているよ」
「ええええ」
案内する気満々だったツノ付きの獣人は、広げた地図を持て余して畳むと動揺をごまかす為か、日除けにした。
「た、確かに碌に眠れていなかったことは事実ですけど……夜に抜け出していたなんて初耳ですよ!?」
「あれ、そうなのか? 第二出身って聞いたから、てっきり気づかれてるものだと」
「第二出身というのはそうなんですが、めぇ。ボクは殆ど第三で育ったようなものなので、第二のような殺伐とした環境ではちょっと……生き残れないと思われます……めぇ」
遠い目をしながらペンタスは言い、針鼠の一歩前に出る。一応案内役の責務は果たすつもりらしい。
「聞き込みの内容は、現在の世界情勢への意見と立ち位置について、でしたっけ。めぇ」
「ああ、そうなるね。……仕事は仕事、ついでの目的はついでにしておかないと、必要以上に目立ってしまうことになりかねない」
「めぇ。ついでの目的と言いますと、お屋敷で説明された馬車の件ですか?」
「そう。単なる人探しにしては、少し難易度が高い気がしてね」
レーテが提示した馬車の通行記録には妙に空白が多かった。細工があるとすればその部分だろうが、それにしては黒髪の少女がとった反応が気になる。
(……違和感はあるけど、まずは目の前のことに集中しよう)
足元の石畳は途切れ、小石混じりの地面になる。
ハーミットは鼠顔の位置を直すと、薄暗い住宅地を行くペンタスの後を追いかけた。