131枚目 「詰襟は物言わぬ」
後を追って来た使用人に頭を下げ、それから魔法を使って化粧を落とす。
頭を覆っていたベールや長い裾のついた上着を指輪ごと取り外した。
「……馬車の通行記録の照合? 人探し? 町で聞き取り調査? 明らかに四天王がやる仕事じゃないだろそれ」
そう言って、ぼさぼさになってしまった灰髪を梳くのは白い指。
キニーネ・スカルペッロ=ラールギロスは、町長夫妻からラエルたちの目的を耳にすると複雑そうな顔をして見せた。
内側に着ていた詰襟の服は普段着らしい。
上から一枚カーディガンを羽織って、キーナは脱いだ魔法具を使用人に任せる。
黄色い瞳の白き者は、にこりと会釈して本館へと引き返した。
「予想していたよりよっぽど地味なんだな……四天王の仕事って……」
「世の中には、自分の足で稼がないとどうにもならない仕事っていうのが存在するんだよ」
「何それ、年長者の意見っぽい」
「現に俺は君より年上だ」
「はっ、冗談はよしてくれよ。幾らなんでも無理があるだろ、僕は今年で十五だぞ?」
キーナは用意して貰った席に腰を下ろして焼き菓子に指を伸ばす。
針鼠の反応を見ているようだが、当のハーミットは否定も肯定もしない。
しばらく咀嚼と観察に時間を費やしたキーナだったが、表情も態度も変わらない針鼠と少女の姿に顎の動きを止める。
「……もしかして、本当に僕より年上だったりする?」
「最初からそう言ってるだろう」
「見た目が若いものね、ハーミットは」
「わかっ。いや若作りって範囲じゃないだろう。僕から見ても子ども体形というか」
「キーナ。人の容姿について詮索するものではないよ」
「う。ごめんなさいレーテじいちゃん」
(レーテじいちゃん……)
(レーテじいちゃんって言ったわね……)
ラエルには、町長の旦那であるレーテの方が随分と若いように見えるのだが――それもそのはず、魔族は人族の倍の寿命があるのだ。空飛ぶ船でアネモネの年齢を知った時のことを思い出した。
(人族で言う二十代よりは少し年を取っているように見えるけれど――実際は五十代ぐらいなのかもしれないわね。アネモネさんより少し年上かしら)
「ハーミットさんは、確か成人していらっしゃったように思うのですが」
「ええ。つい先日ですが、お酒を嗜める年齢にはなりました」
「へぇ……お酒が飲める年齢……?」
「ははは。仕事柄、進んで飲みに行くようなことはしないけどね」
付き合い程度には飲めるよ。と言いながら、膝にのせていた蝙蝠の背をなぞる針鼠。転寝していた蝙蝠はびくりと身体を震わせて、恨めし気に首を回した。
『急になんです!?』
「ポフに戻っても構わないぞノワール。朝から運動して疲れただろう?」
『……男の膝でも眠れるものです。訓練してるです』
「そ、そうか」
要らぬ心配だったらしい。膝の上にそこそこの重さがある生き物を乗せるなど、身長が低いせいで足がつかない椅子に座る彼からすれば拷問なのだがどうやら仕方ないようだ。ハーミットは観念して空気椅子を続けることにした。
ラエルはこのやり取りの間、何となく気になってキーナの詰襟を眺めていたが――ぱっと顔をあげて手をうった。
「そうだ、キーナさん! 凄かったわ、さっきの魔術。覗き見みたいになってしまったけれど、本当に良い魔術構築だった!」
「へ? あ、あぁ……まあ、魔術書と魔法具が揃ってて魔力量があれば誰にでもできそうではあるけど」
「その三拍子が揃うのは奇跡に近いことじゃないかしら。少なくとも、魔力制御でつまづいている私には到底真似できそうにないし」
珍しく笑顔の黒髪の少女に対して、灰髪の少年は首を傾げる。
「……魔力制御?」
ラエルの言葉に反応したのはレーテだった。スカリィもキーナと同じく首を傾げている。ラエルとハーミットは思わず顔を見合わせた。
そういえば、ラエルの魔術音痴について説明する機会がここまで無かったのである。
針鼠は、まあ結界の中で話す分には良いだろうと判断し、ざっくりと説明した。
ラエル・イゥルポテーは人族にしては魔力量が多いこと。
魔力圧に対して魔力導線が細く、思うように魔力を使いこなせていないこと。
漏れ出ていた魔力を抑えられるようになってきたものの、今でも魔術を暴発させてしまうこと、などなど。
何ならこの町に来るまでの道中でも中級水系統魔術を暴発させてきた――と、ここまで話をしたところで頭を抱えたのは町長のスカリィだった。
「な、何か体調でも悪くなったりしたの……?」
「いえ……その、ラエルさん、今までよくご無事に生きてこられましたね……?」
「あっ、そのことについては全力で同意するわ。昔のことを思い出せば思い出すほど、どうして今まで生きのびているのか分からなくなる時があるの」
開いた口が塞がらないキーナを余所に、スカリィとレーテの視線は黒髪少女の上司である針鼠へと流れた。
「魔導王国側は、このことについて把握しているのですか? 魔術職に就くとなると検査や試験などありそうなものですが……」
「はい。とはいえ、発覚したのはつい最近で。彼女も積極的に努力しているので、これでも大分落ち着いた方なんです。それなら問題ないだろうという判断なんですが」
「そうねぇ。今は魔法具を安定して起動できるようにはなっているし、魔術士を名乗る以上は、暴発もどうにか克服したいものだけれど――」
ラエルはそこで言葉を濁す。
魔導王国的に、何処まで情報を開示して良いのか判断がつかないからだ。ハーミットの方も町長夫妻やその孫であるキーナにどこまで話したものか、鼠顔の下で頭を悩ませていた。
黒髪の少女を保護したセンチュアリッジ作戦にせよ、時箱事件の話にせよ。浮島の外に出すべきではない機密事項が多すぎる。
「――この二カ月は、とても訓練どころじゃなかったわ」
「……非常に心苦しいことですが、そういう事情です」
なので結局は、その一言で察してもらうしかない。
数秒の間に行われた深慮だったが、少年少女が辿り着いた結論に差は無かった。
キーナは二人の濁した発言に納得していないようだが、商人の二人は状況を察して苦笑する。新しく淹れた紅茶を口に運ぶとスカリィは一息ついて、口を開いた。
「キーナちゃん」
「うん?」
「貴方、この町の情報はどれぐらい把握しているかしら」
「把握って。住所と住民と、後は勤め先とか所属とか……町の定住者なら、その程度は把握してるけど」
「そう。リストはある?」
「……紙には書いてないよ」
キーナは灰髪をつつく。
こめかみの辺りを指差し「ここに入ってる」とも。
レーテは何かを察したのか、にこりと笑みを浮かべた。
スカリィは紅茶を脇に寄せるとテーブル上で指を組む。
天板に肘を立てるのは淑女にあるまじき行動だが、それを気にしている様子はない。
伏せていた目を、二人と一匹に真っ直ぐ向ける。
「ハーミットさん、ラエルさん。私からひとつ、提案があります」
「……はい?」
町長の青い瞳は、すっかり美味い話を思いついた商人の目つきになっていた。
一方その頃、蔦囲いの宿の食堂にて。
注文したパン包み牙魚コールスロー入りを大口で頬張りながら、窓の向こうの町並みを眺める商人が一人。
健康的に焼けた肌、布で巻いた髪は染め直され真っ黒だ。もみあげの白髪だけが彼の年齢を示す指標である。人族であるその男性――グリッタは、三十代も後半だ。
彼は一人の商人見習いをこの町に送り届けた際に無理にスケジュールを繰り上げた結果、長旅の疲れが背中と腰にきてしまっていた。
正直、薬用湿布が足りていない。
背中も腰も、動けない痛みではないが酷使するべき状況ではないと本能が警鐘を鳴らしている。よって、今できることは「できるだけ重い荷物を持ち続けないこと」だった。彼は現在背負っていたリュックを隣の席に置いていた。人が空いている時間を見計らっての所業である。
そうやってポーカーフェイスを駆使し、何食わぬ顔で席を占領するカフス売りに近づく影があった。
カフス売りの彼もまあまあの荷物を持ち歩いているが、それよりも遥かな大荷物を背に、人一倍狭い歩幅で距離を詰める。
「よお! この町で逢うとは奇遇だなぁ!」
「ん? ……染屋!?」
グリッタより一回り以上背が低い青年は目の上に巻いた布と顔のそばかすを撫でると、荷物からはみ出た反物の鳥と同じように笑った――口元に刻まれた皺は、よく笑う証拠である。