123枚目 「炎は黄金を証明する」
黒く塗りつぶされた石畳。用水路の金網。
花壇に咲く花は赤く、黄色く、時々白い。住人が思うように植え、育てている証拠だ。
弔いの黒色に囲まれる中、色の変わらない土と植わった草花の鮮烈な色は失われていない。
グリッタと別れた後、イシクブールの住宅地を散策することにした二人は人気のない路地を上下に縫って歩いていく。サンドクォーツクほどではないが、イシクブールはそこそこ広い。
それもそのはず。クァリィ共和国が「共和国」になる前――つまり戦前まで、イシクブールは独立した国家だった。第一大陸から渡って来た貴族や商家が自治を行ってきた地域なのである。
「こんなに広範囲、どうやって塗ってるんだろう……」
家一つを塗り上げるにも人力では難しいだろう。
家の輪郭を遠目に指でなぞり、ラエルは首を傾げた。タトゥー用のペイント液のように、魔法具としての塗料を使用するなら話は分かるが……よく見ると各家に、揃えたように高い梯子が立てかけられている。あれを使うのだろうか?
「俺が前に来た時は、壁に円柱の塗料筆をゴロゴロしてた気がするな」
「人の手で?」
「そう」
「それは凄いわね」
針鼠の言葉を聞いたラエルは、イシクブールの観光案内パンフレットを開く。そこには白壁以外の部分が鮮やかな赤や青で彩られた町並みが描かれていた。同じ色の壁をした隣家と見分けがつくように、扉と窓枠と手すりに鮮やかな色をつけるのだという。
数日後には白く塗り替わる町並みに思いを馳せながら、二人は黒一色の路地を行く。
……のだが。その後をつけるようにして、二人分の影が伸びていた。
一人は金縁の眼鏡をかけ、帽子を目深に被った灰髪の少年だ。低い背を更に屈めるようにして、どうやら花壇の後ろに隠れているつもりらしい。先を行く針頭と黒髪を鋭い目つきで追いかけつつ、背後に待機していたもう一人に移動の合図を出した。
その合図を確認しておどおどと挙動不審に尻尾を振るのは角の生えた獣人の青年である。半分降りた瞼の下、硬貨を潰したような瞳は潤っていて、何なら半泣きだ。そのうるうるとした目を隠すことなく、さっさと先に行こうとする灰髪の服を引っ張る。
「び、尾行なんて、やっぱりやめた方がいいよぅ……キーナぁ」
「何言ってるんだペタ。あの二人のどちらかがもし、もし万が一勇者だったとしたらだぞ。観光以外でこんな辺鄙な町に来る理由が分からない。もしかすると僕らの知らない水面下では大きな事件が進んでいるのかも知れないじゃないか……っ!!」
「めぇぇぇ……陰謀論の読み過ぎだよぉ」
「陰謀論には夢があるんだよっ!」
小声で言い争いながら追跡を続けるキーナ。ペンタスは溜め息をついたり周囲をキョロキョロと見回したりと忙しないが、どうやら灰髪の尾行には協力するつもりのようだ。
魔導王国から来たらしいペンタスの命の恩人たちは特に目的を持つわけでもなく町を散策している。宿屋で入手しただろう、イシクブールの観光案内パンフレットを手にしていた。
「……ねぇキーナ。もしかしなくても彼ら、観光しに来ただけだったりしないかな……?」
「は? そんなわけないだろ、只の人族があんなに華麗な草刈りを――じゃなくて、町長さんの家に出入りする様な立場の人間だぞ。目的があってこの町に来てるに決まってる」
入り組んだ階段を降り、下層の様子まで見て回る針頭と黒髪を視界に入れ。
キーナが口にした疑問についてペンタスが頭を捻る。
「……めぇ。蚤の市を見に来たのかなぁ」
イシクブールの観光名物は町並みの美しさだけでなく、年に数回行われる大規模な蚤の市も含まれる。町の街灯や彫刻を飾り立て、町の中央にある広場を商人の天幕が埋め尽く――町全体で巨大な市場を形成するのだ。見応えはあるだろう。
しかし、ペンタスの考察にキーナは首を振る。
「それなら、こんな真っ黒の住宅地を散策する必要は無いだろ? 普段の町並みならともかくさぁ。喪に服してる町を散策するって……もし理由を知らないならそれまでだけどな。けど、昨夜会った時は明らかに状況を把握している様子だったし」
「こんな見栄えしない状況でも出歩かなきゃならない理由があるってこと……? めぇ」
「そーいうことだ。ほら、陰謀論も侮れないだろ?」
「ぼ、ボクにはキーナがただただ疑り深いだけに思えるけどなぁ……それに、前から気になってたんだけど。どうして君は勇者を探し出すことにこだわるんだい?」
ペンタスの問いに緑の瞳が丸くなる。キーナは少しだけ思案するようなそぶりを見せるとぱっと顔を上げた。
「個人的な興味だよ。だって、僕たちが子どもの頃に読んでいた『勇者の書』は、魔導戦争の後に焚書されたじゃないか。文字も読めない頃から慣れ親しんだおとぎ話を大人は『忘れろ』としか口にしない」
「めぇ……それは、確かにそうだけど」
「違和感があるんだよ。だから、知りたい。六年とすこし前、イシクブールを天災から守った勇者たちは魔王城で死んだのか。第一の奴等が懸賞金をかけてまで信じているように、生きているのか」
キーナは帽子のつばを指で挟んで押し上げる。細い灰髪が風に煽られて散らばった。
「もし、生きてこの町に来たならその理由は何なのか。昔みたいなことが起ころうとしているのか、それとも別のヤバいことが起ころうとしているのか――僕は、知りたいだけだ」
「……」
知ったとして、どうするつもりなのだろう。ペンタスは親友への言葉を飲み込んだ。
六年と三カ月前、魔導戦争収束直前に第三大陸を襲った災害も、それが原因で国の一つが一夜で消えてしまった事も……月華教育ちの彼にしてみれば自然の営みが巡っているようにしか思えない。
ペンタスもキーナも、あの日は町に居て――その様子は、どうしようもなく目に焼き付いている。次、同じことが起こった時に守ってくれる勇者一行など、もう存在しないのに。
存在しないと考えた方が、楽なのに。
「ペタ?」
「ううん、何でもないよキーナ。それで、どうするんだい。彼らが勇者じゃ無かったら、君は蚤の市で使用人の服を来て町を走り回るんだよね?」
「おう! 誓ったからな!」
「そっか。楽しみにしてるよ、めぇ」
「ははは……ん? どうして僕が負ける流れになってるんだ?」
「ボクはこれまで君との賭けに負けたことが一度も無い。めぇ」
「ちょ、ペタ、負けた時は覚えてろよ!?」
「めぇぇー」
ペンタスはキーナをなだめつつ、行き止まりの道から戻って来た恩人たちに目を向ける。
天が起こす災いと表現されるほどなのだから、天災は予測ができないのだ。
彼らの中に勇者が居るなんて、そんな筈があるわけないのだと。何かに祈る様な視線だった。
ひと通り住宅地を巡ったラエルとハーミット。少年の肩に埋まった蝙蝠は寝息をたてているが、それを気にすることもなく地図の南の端に目を留める。どうやら宿屋が集まっている地域の裏側に小さな広場があるらしい。
「今日回った範囲でまだ見てないのは、その広場ぐらいかな」
「すぐそこね。彫刻もあるみたいだけど……あっ、見えた」
やり取りをしてまもなく、台に鎮座する骨竜が目の前に現れた。
肉のない竜が、黒く塗りつぶされた視界でこちらを見下ろす。
町の中央にあった像に比べると小ぶりだが、鱗の一枚から爪に入る筋まで削り出されたそれからは強い圧を感じられた。
ラエルは台座の方まで近づいて、その周囲をぐるぐると回り観察する。手帳を開いた。
「町の中心にあった物と同じポーズみたいだけれど、彫り手は別みたいね。プレートに書かれている文字の綴りが違うわ」
「そうなのか。てっきり、表の通りにある石像と同じ人が掘った物だと思ってたんだけどな」
「えぇっと……」
水色の指でなぞる銀板。
硬いもので執拗に削ったのか、名前が擦れていて読み辛い。
ラエルは目を細めながら僅かに残る筆跡をなぞる。
「あい……アイベック?」
「アイベック……俺が前に来た時はこの場所に彫刻は飾られてなかったように思うけど――町のことは住人に聞いた方が早いか」
「ええ。あとで町長夫婦に聞いてみましょう」
「それもいいと思うけど。せっかく近場に居るんだし、彼らにも聞いてみようよ」
「……彼ら?」
ラエルは振り返ると、先程自分たちが歩いてきた石畳の道に視線を投げた。
丁度、時報の鐘が鳴る。昼が半分過ぎたことを示す音だ。
晶砂岩の壁に跳ね返ったそれが町を震わせる。
竜が唸るように。石畳の地面に染み込む音。
不意打ちを食らったラエルは耳を塞いでいたが、石像を挟んで向こう側に聖樹信仰の教会が鎮座している事に気がつく。鐘は、その屋上で鳴っているようだった。
鐘の音を聞きながら、ハーミットは足音を殺すことなく広場の端へと歩いていく。曲がり角の向こうから伸びる影が、黒い石畳をさらに黒くしている。
片方に角が生えていることも、片方は帽子をかぶっているだろうことも、目に見えている。
針鼠は壁伝いにその影に近づくと一拍の間を置いて。唐突に角を曲がった。
「――ぎゃぁ!?」
「――うわぁ!!」
「――こら、逃げるな!! つけてきたのは君たちの方だろう!?」
(そういう、心臓に悪い登場の仕方をするから逃げられるんじゃないかしら……?)
蝙蝠が慌ただしく空に飛び立ったのが見え、ラエルは肩を竦めた。