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強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~  作者: Planet_Rana
4章 灰色のダブルはイシクブールにて
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111枚目 「嚆矢と魔法瓶」


 黒髪の少女が火消しの方法に四苦八苦していたその頃。


「……火が大分広がってるな……」


 黄土色のコートをはためかせながら火の海を走る針鼠。装備である「火鼠の衣」の呼び名はだてではなく、その身に触れる火は片っ端から吸収と消滅を繰り返す。


(商品を狙う襲撃にしては手荒すぎる。全部燃やすなんて一銭にもならないじゃないか)


 普通、市場(バザール)に襲い掛かる賊は商人を捕縛して後に、攫ったり奪ったりする。

 燃やしてしまっては売り物を裏市で売ることができないので、それこそ避けるべき事態の筈なのだが――どうやら失敗したようである。


(……ラエル、大丈夫かな)


 ハーミットは後に残して来た少女を気にしながらも、冷静に生存者の確認を進めていく。

 人の気配はするが、それが賊なのか商人なのか区別がつかない。


(商人の天幕には「籠城部屋」がある……火事になったとしてもそこに逃げ込めば生き残ることは可能だ。見たところ、逃げ遅れはいないようだけど)


 問題は、今が消火し辛い「夜」だということである。そもそも最初の火が何時放たれたのか――この火がどれだけの時間燃え続けているのかが分からない。

 こうなると籠もっている商人たちの体力が心配だ。夜は始まったばかりであり、日の出まであと五時間もあるのだから。


 針鼠は魔鏡素材(マジックミラー)の瞳越しに、周囲を見回す。チカチカとパッシングのような輝きに混じって飛来した弓矢を避ける。


 煙が風に流れた一瞬、視界に黒衣の覆面を被った賊の姿が見えた。


(弓引きが天幕(テント)の上に? 燃えてる上に座るなんて物好きな……ああ、成程。そこだけ幻術なんだな。なら、尚更術者を探さないといけないな)


 続いて背後に飛んできた矢を掴み取る。続けざまに左方、右方、左方。茶革の左手はあっと言う間に弓矢で一杯になった。

 それを「ばきばき」握りつぶして足元に落とし、ゆらりと身体を起こす。


(手あたり次第、殴るしかないか)


 追撃の矢を躱し、地に着いていた足を浮かせた少年の姿が、消える。


「――っ馬鹿な、消えただと!?」

「そう見えたなら僥倖だね」


 首の骨を折らない程度の衝撃が覆面の男の頸部に叩き込まれた。


 沈黙した男の身体を支え、少年は(ふところ)から硝子の空瓶を取り出すと、覆面の額に瓶底を叩きつける。煙を立てながら融解した覆面は、軽快な音を立てて瓶の中に転移する。


 仲間の姿が消えた事に驚いたのか天幕の上で体制を崩した別の覆面を、蹴り落とす。

 ハーミットは一人目にそうしたように意識を刈り取ると、また空瓶の底を覆面に押し当てた。


 マジックポット――通称「魔法瓶(まほうびん)」。


 これは引き出しの箱(ドロワーボックス)系統の魔術式を用いた魔法具だ。その特徴は、空間魔術の調整を駆使し「物資」に限らず「生体」の収納までも可能にした点。魔導王国が誇る捕縛術式の最骨頂である。


 唯一の欠点は瓶一つに対して一人しか入れられないことだが、ハーミット・ヘッジホッグはそれを()()持っていた。何故か。それは彼が魔導王国の四天王だからである。


(第三大陸は先の大戦後、立場上魔導王国の配下国。裁くならともかく悪事を止めるだけなら魔導王国の人間が手を出しても構わないわけで――)


「まあ、目的は捕まえてから聞くことにするよ。うん」


 背後から振り下ろされた斧を半身で躱すと、ハーミットは相手の顎に拳を叩きこむ。声を上げて襲い掛かってこなかったあたり、それなりに場数を踏んだ賊のようである。


 次いで襲い掛かって来たのは女性だったが、振り向き様に左足で首を刈る。地面に叩き付ける前に魔法瓶に突っ込んだ。


 しゅーっぽん。魔法具の発動音は、まるで瓶酒の栓を抜くような軽い物だ。


「……いち、に、さん、よん……遠距離特化は他にも居たようだけど、退散したか」


 人族が中心になっている賊なのだろうか。攻撃に魔術が使われなかったことを怪訝に思いながら幻の火が消えていくのを確認して、少年は火を放った術者を追う。


(本当なら逃げた方を追いかけるんだけど……この状況の市場を放置するのは、俺には無理だな)


 ずれてしまった鼠顔を被り直し、それから。

 少年の首を狙って、土塊が蜷局を巻いた。


「――――!!」


 ばつん!! と音を立てて鼠顔が宙を舞う。

 

 少年の身体はふらふらと地面へ突っ伏した。

 燃え上がる天幕市場(テントバザール)の一角に、鼠の頭が無造作に転がる。


「ふ、ふふふ、はははぁ!! 首さえ落ちればどんな化物も死ぬってものよ!!」

「うん、そうだね」

「あっはははは……はぁ!?」


 間髪入れずハイキックを背後から叩き込み、金髪少年は煤けた金糸の髪を振り乱した。突然目の前を金糸が舞った為に錯乱する魔術師の覆面に、瓶底がヒットする。


 しゅーっぽん。


 滞りなく魔法瓶に吸い込まれた覆面を確認して、少年は止めていた息を吐き出した。


「……首が飛んだかと思った。先入観を操作するって大事だなぁ」


 インナーが黒で助かった。そう呟きながら魔法瓶を背中のショルダーポーチに突っ込み、地面に落としていたコートと鼠頭を回収するハーミット。


 砂を落とし、頭に嵌め直す。コートの襟と鼠の頭を嵌め込み式のカフスで繋ぐ。


「しかし、流石に煙はきついな」


 一度被り物を外してしまった為に、覆っていた顔が幾らか燻されてしまった。元の様に顔を隠すものの、一度吸い込んだ煙は簡単には消えてくれないようである。


(万が一、この状況で戦えなくなると困るんだけど)


 気を取り直し、辺りの気配を辿る。

 逃げ出した者が居たとしても残党が居ないとは限らない。


 ……黒髪の少女は奮闘しているだろうと少年は予想しているが、まさか同時刻に少女が丘で足を滑らせていることなど、彼は知る由もなかった。


 市場に飛び込んだ際からのカウントが正しければ、少年と少女が別行動になってからまだ五分も経っていないのだ。


(よし、あらかた回ったけど)


 市場(バザール)全体を暫く走り回って生存者の確認 (正確には燃え尽きた人が居ないかどうかの確認だが)を終え、何とか死人は出ないだろうと胸を撫で下ろそうとして。


「……」


 少年は無言で顔を上げる。耳をすます。恐らくは、耳鳴りでも幻聴でもない。


(話し声……物音……?)


 小規模とはいえ複雑に入り組んだ天幕(テント)の一角から、けたたましく泣きじゃくる声が耳に届いたのは、その直後だった。







 ――初手は、油の匂いが染みついた弓矢だったように思う。


「……えっ、矢?」


 夜な夜な品数の整理をする耳を掠め、目の前に突き刺さったそれから恐る恐る距離をとる。


 方言が吹っ飛ぶほどに混乱していた()には、その場から退避するという選択肢が咄嗟には浮かばなかったのだ。


 飛んできた弓矢が意味するのは、恐らく賊の襲撃。それぐらい分かっている。

 だが、不思議なことにこの弓矢には油しか塗られていない。普通は火矢が飛んでくるはずなのにどうして――と、異様に冷たい脳内で状況を観測する。


 この日に持って来た商品は石でつくられた像ばかりで、抱えるほどのものから大人が数人で持ち上げるような大きさの物まである。どれも急激な温度変化と衝撃に弱いので、彼はほんの一瞬だけ気を取られてしまった。


(一個でも割ったらばあちゃんに叱られる)


 この場合、守るべきは我が身であって商品では無かった。

 次々飛んでくる油矢と、本命の火矢を目の当たりにして初めて、気づく。


 魔力の通った火が、揺らいで弾けた――それが始まりで、現在の大火に至る経緯である。


(一本目の矢の時点で、他の天幕(テント)まで状況を伝えていれば……)


 自分の一言があるかないかで、状況がマシになったというのだろうか。


 いや、そんなはずはない。だって持ち込んだ天幕に矢が飛んで来た時も、他の矢が飛んで来た時も、市場全体は静かなものだったじゃないか……もしかして、人族はあの音を耳にできないのだろうか?


 弓が攣る音、放たれる音。喧噪にかき消される攻撃の兆し。


 あまりのできごとに回っていた思考を千切るように背後から怒声が飛んで、とにかく隠れる事になった。花や果物、肉類を扱う天幕(テント)は酷い有様で、そこかしこから焦げた匂いが流れてくるが、命には代えられない。


 設営した天幕(テント)の奥、個室のようになった結界空間。

 何かあった時に籠もるための気休めだが、そこに飛び込んでじっと丸まった。


 そうして、かなりの時間が経った。時々外の様子を覗こうとして、収まる兆しの無い火の熱を感じて思い直す。この個室に居続けても状況は好転しないが、今飛び出していったところで全てが終わっている保証はない。


(彫刻が、心配だ)


 しかし、彼はこの期に及んで商品を心配していた。

 命に代えがたいほどに、彼には商品が――彫刻が大事で大事で仕方がなかった。


 ただでさえ逃げるように町を飛び出した矢先の事件だ。育て親の彼女が何を言うか分かったものではないが、何としてでもこの場を生き延びる必要がある、のだが。


 若さゆえの浅慮。


(様子を、見るだけなら)


 ……彼は閉じこもっていた部屋を抜け、煙を吸わないように身を低くして口を抑え、店の中を歩き回った。こういう時は長毛種でなくてよかったと心から感謝できる。


 頭蓋に生えた角も面長の顔も、真剣さが伝わらないと叱咤されるこの上がりきらない瞼も。自分の嫌いな部分が全て、今だけはどうしてか愛おしい。


(結局は我が身可愛さで怪我をしたくないだけなんだろうな……ボクはそういう奴だ)


 火は店の中まで回っているが、どうやら彫刻は無事らしい。確認するだけ確認して、不安は少しだけ落ち着いた。結界魔術が張られている小部屋に戻ろうと振り返る。


 振り返って。首をもたげた覆面の賊と出くわした。


「しゅるるるる。なんだ、隠れそびれた商人がまだ残っていたとは」

「めっ……めぇえええええええ!?」


 叫び声を上げた口に、黒い手袋が押し込まれる。土と、草と、染みついた汗の味がした。


「おいおい、落ち着けってツノ付きぃ。好き好んで焼き肉になりたいのかよー?」

「……!! ……!?」

「しゅるる。けっ、良いだろう同郷のよしみだ――見つかったからには覚悟はあるだろうしなぁ」

「!?」


 驚きの表情を隠さない彼に、覆面の手が伸びる。口にねじ込まれた黒手袋は相手の物で、鱗が入った獣人の手のひらだと分かった。


(同郷のよしみ……? な、何の話をしているんだこいつは……!?)


 呆然とする間に彼はたちまち抱え上げられていて、既に足が地に着いていなかった。どうやらこの覆面の賊は彼のことを連れ帰るつもりらしい。


 固まっていた思考がようやく解放されたのか、彼はのけ反るようにして口を埋めていた手袋を勢いよく吐き出した。家出をしてきた矢先に賊に攫われるなど――!


「っ、っぷはあ! な、んだよ、お前、ボクの事どうするつもりめぇ!?」

「あぁ? あーあー、喉焼くぞ馬鹿かツノ付きぃ。そもそも天幕(テント)の結界魔術は一度解いたら使えねぇのは常識だろー、馬鹿か? 馬鹿なの?」

「え、二度使えないって……?」

「しゅるるるる……まじか。素で知らなかったのか、ほんと馬鹿だな。若気の至りもほどほどにしねぇと簡単に死ぬぞ? 行商なんてなぁ、ある日突然見知らぬ輩に刺されるなんてざらなんだからさぁ」

「ばっ、馬鹿馬鹿言うな――げほっ、げほっ!!」

「言わんこっちゃねーな」


 「いっちょ黙ってもらおうかねぇ」と呟いて覆面を半分浮かせると、賊は長い舌を伸ばし牙を剥く。ぎい、と剥かれた鋭く細い八重歯からは、黄色い液体が滴り落ちた。


 獣人は人間の形に寄って進化した(けもの)だ。

 魔術は秀でていないが、驚異的な身体能力を始めとした特徴的な体質を持っている。


 例えば「タペタム」と呼ばれる夜目。例えば草原や森を駆け回る強靭な脚力。例えば遠くの事象を把握することができる耳などが挙げられる。


 さて、今回襲撃に遭った天幕市場(テントバザール)に出店していた彼の系譜は有角偶蹄――これといった特徴は、ない。

 少しの食料で生き残ることができ、空気が薄くても多少無理がきく。ちょっとだけ身体が丈夫でやや長生き。それだけだ。


 対し、彼を押さえつけている賊の手首には鱗が見えている。

 鋭い爪、特徴的な訛り。顎まで裂けた蜥蜴の口。


「しゅるる。ま、死んだら死んだでいいじゃねーのさ、なぁ?」

「……っ!!」


 彼は覆面に言われるほど無知という訳ではなく、もしかしなくても知っていた――獣人の蜥蜴の一族には、毒を持つ系譜が存在するということを。


 弓矢が耳を掠めた時でさえ回らなかった頭が、この数秒の間に勢いを増して冴えわたる。


 言葉通り知識による地獄を経験した彼は顔面を蒼白にして (夜で周囲は燃えている上に彼の毛並みはモフモフと肌地を隠してしまっていたが)、「ぎっ」っと賊を睨みつけるなり両目に大粒の飴のような涙を溜めた。


「っ――――――びええええええええええええええええええええええええ!!」

「ぎゃっ!? 馬鹿っ、叫ぶんじゃねぇっ……!!」


 誰でも得体のしれない薬と注射は嫌うものである。


 しかし、彼と賊とでは埋められない体格差があった。泣きわめきながらバタバタと暴れ始めた彼を押さえつける為に覆面は馬乗りになり、角を掴んで地面へと引き倒す。


 露わになったうなじに顔を寄せ、今度こそ黙らせるべく顎を開いて牙を剥き。


 ――その時だった。


 天幕を引きちぎって着弾した()()()が、両者の傍らに勢いよく突き刺さったのは。





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