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強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~  作者: Planet_Rana
4章 灰色のダブルはイシクブールにて
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109枚目 「天幕市場は湖のほとり」


「――親方さま、親方さま。お使いを済ませて参りました」

「――親方さま。親方さまに頼まれた事を済ませてきたわ」


 す、と。音も無く着地した兄妹が膝をつくと、霞の向こうで胡坐をかいていた栗髪の女性が煙管から口を放す。


 ふぅ。


 吐き出された煙は意志でも持つように、うねり、絡まり、消えていく。


「伝言を、一つ」

()()()()、と」

「……感謝します、二人共」


 煙が手の形をとると、愛おし気に子どもたちの頬を撫でた。


「どうでした。あれが、お前たちをこの世に取り上げた男ですよ」

「……」

「……」


 親方さま、と呼ばれた女性の声に子どもたちは何故か苦い顔をして首を振る。


「信じられないです」

「実感が沸かないわ」

「でしょうねぇ。はは。まあまあ丸くなった――此度は命まで取らなかったようですし」


 優しい手つきで煙管の灰を落とすと、女性は子どもらの傍らに寄った。

 きりりと男のような威厳すら感じさせるきつい目に、深い青の瞳が揺れる。


「二人共。ご苦労さま――怪我は、していない?」

「はい、ありません」

「傷一つありません」

「そうですか……では、もう一つ仕事を頼みましょう」


 イシクブールへ向かい、「彼」にその真意を問いなさい。


 子ども二人は無言で頷くと踵を返して姿を消す。

 女性は床に着く程長く伸ばした栗髪を引き摺って、上げていた御簾の紐を外した。

 着ていた服を取り払い、指を滑らせるのは褐色の腹に走る巨大な裂傷――。


「……目障りな盗賊団といい、身内の後始末といい……近頃は酷く騒がしい……」


 六年前の戦火と喧噪を思い出しながら、女性は空の双月を仰いだ。







 シンビオージ、第三大陸南部中央に鎮座する巨大な湖。

 面積はサンドクォーツクがすっぽり入るぐらいだ。


 都市と呼ばれる発展した街をゆうに上回る面積からも分かるように、この湖は第三大陸南部にこれといった町や村が点在していない理由の一つである。

 この湖があることで南部の小さな集落は、あらかたサンドクォーツクとイシクブールに統合されてしまっているのだ。


 ……とはいえ。


 水があれば周囲に人が集まるのは道理。けれど集落ができるわけでもなく、湖の周りはいつしか、行き交う旅人が泊まるだけの宿屋を開いたり、流れ着いた商人が気まぐれに場所をとって物を売る市場(バザール)が立ち並ぶようになった。


 売り手も買い手も常に入れ替わる、流動性の高い天幕市場(テントバザール)


 天幕が湖畔にずらりと並ぶその様子は圧巻、布の色から大手の商会や旅団の存在を知ることもできるのだが――その一角に鼠顔の少年と黒髪の少女が居た。


 対岸も見えぬ真黒な湖面が月明りに白く波打つ。


「いやぁー、それにしても。こんなに早くお前さんたちと合流するなんてなぁ。すっかり駆動持ち(クラフトホルダー)を舐めてたぜ!」


 酒が入った男が、鼻を赤くして笑う。丸太で簡易的に作られた椅子に腰を落ち着け、げらげらと笑う。見かけによらず酒には強いのか、器に注いだばかりのそれを一口、二口と飲み込んで「っかぁーっ!」と、言った。


「……どこのおじさんも酒の飲み方は変わらないんだなぁ」

「何か言ったか?」

「いや、独り言さ。それで、グリッタさんは何時ここについたの?」


 鼻を赤くした酔っぱらいの商人――サンドクォーツクで出会ったカフス売りのグリッタは、濃いもみあげを弄りながら指をさす。その方を見れば、放牧された艶やかな黒曜馬がのんびりと草を食べていた。


「お兄さんがここに着いたのは今日の朝だ。馬を休ませるために一日ここに居たんだよ。それに、商売人らしく商売をしなくちゃいけねぇってのもあるが。本音を言いやぁ食事の為だなぁ」

「サンドクォーツクで随分と身軽だったのは、この天幕市場(テントバザール)があるって知っていたからなのね」

「まあな。ここを通るって分かっている以上、旅団でもない限り大した装備は必要ねぇよ」

「……」

「……」


 会話に参加して、相槌を打ちつつラエルはハーミットの方を振り向く。

 カンテラの橙が紫の瞳に反射して、魔鏡素材(マジックミラー)に映り込んだ。


天幕市場(テントバザール)……資料でしか知らないから新鮮なんだけど、見に行ってもいいかしら」

「駄目。夜は駄目。何度言えばいい。何度でも止めるけどさ」

「けち」

「何とでも言ってくれ。とにかく回るなら朝か昼だ」

「……朝か昼って、とうに出発してる時間じゃない」

「ははは」


 針鼠は言いながら、手持ちのナイフの手入れをしている。昨夜の襲撃を踏まえて、対人撃退用装備の確認をしているらしい。


 一方、黒髪の少女は魔導書や杖といった魔法具を使用しない黒魔術士なので、これといった装備を持ち合わせていない。強いて言えば乗って来たクラフトと太ももに忍ばせた支給ナイフとがあるが、点検を済ませたためにやることは皆無に近かった。


 おまけに、夕食をその辺で店を出していた商人たちから買った焼き鳥や焼き麺で済ませたので腹も満ちている。料理をするという出番も残っていない。


 ラエルは、暇なのである。


「ほ、ほら、私にも任されたお仕事があるじゃない? この天幕市場(テントバザール)の事も良い調査対象だと思うのだけど」

「仕事は死ぬ気になればどうにでも巻き返せるから、君が気にする必要はないよ」

「たっ……確かにそうかもしれないけど! 天幕市場の売り物はその日その時で入れ替わるから次来た時に同じ店舗揃いかどうかは分からないじゃない。それなら今日も帰りも調査した方が良いと思わない!?」

「……」

「ちょっ、そんなに白けた目で見ないで!?」

「ああいや、正直驚いているというか……君にしては珍しく強情だね?」

「うぐ」


 手持ち無沙汰が発展して何かのろくろを回し始めた少女は腕を下ろすと、残念そうに膝を抱く。針鼠は首をかくりと傾ける。


「……分かった。一応、動機を聞こう」

「故郷にはこんな大規模で人が少ない市場(バザール)が無かったのよ……!」

「あぁ、なるほど。だから夜の内に回りたいのか」


 浮島生活で多少は慣れたとはいえ、数か月前まで砂漠でサバイバルしていたラエルである。感覚が人一倍優れていることもあり、あまり人混みの中で活動することが得意ではない。


 広い土地にはばかって、商会や旅団のテント配置もまばら。


 確かに夜の市場(バザール)は昼に比べると確かに出歩く人の数が少ない。闇夜にぽつぽつと灯りが灯る様子が、たまに聞こえる酒を浴びた大人たちの歓声が、少女にはさぞ楽し気に感じるのだろう。


「いいんじゃないかぁ? (わっぱ)ぁ。」見かねたグリッタがにやにやと頬を引き攣らせる。悪い大人の顔だ。「お嬢ちゃんが知らねぇことも沢山あるだろうよ。夜の天幕市場(テントバザール)は、何も『ソレだけ』、っつーわけでもねぇしなぁ」


 ――「ソレ」と濁した店舗は、青少年には刺激の強い店の事である。


「いや、あの……俺もこんな見た目だから、堂々と歩けたもんじゃないんだよ……」

「身長かぁ? それとも声かぁ? まあ、子どもっぽ過ぎるっちゃそうだなぁ?」

「……じゃあ聞くけどグリッタさん、軽食を頼める平和な喫茶とか、この市場(バザール)にあったりするのか?」

「ああ? はっはっは――あるわきゃねぇだろお! 服屋も雑貨屋も食材屋も(かな)屋もこの時間じゃあ全滅さ。あるのは酒を提供する店と、寂しがり屋が慰め合う(しとね)の宿ぐらいじゃあねえのかい? あー、勿論そういう店を探してるってんならお兄さんも商人の人脈を持って紹介してやるのも吝かじゃねぇが。どうだい? 五万スカーロからで良いとこあるぞぅ?」


 いつの間にか少年の手で耳を塞がれていたラエルに向けて、意味ありげなウインクを飛ばすグリッタ。


 その飛んできた謎の星を叩き落とし、ハーミットは顔をしかめた。鼠顔の下で顔をつくったところで伝わる訳も無いのだが――手動操作の背針が一斉に逆立つ。


「未成年に夜遊びを吹き込もうとするんじゃない!」

「はっはっはっは! 愉快愉快! ――まあ、お嬢ちゃん。我が身が可愛いなら夜は出歩かないことだ。それは街も野営も、市場(バザール)も変わらんよ」

「……分かった。そこまで言うなら我慢するわよ」


 ラエルは仕方ないと引き下がり、けれど諦めがつかない様子で湖の方を向いてしまった。


 少女は常に「襲われたら死なない程度に雷を落とせばいい (手加減ができるかは別の話)」と考えている節があるので、命の危険があるのは彼女に絡む可能性がある第三者の方なのだが――そのことをグリッタが知る由もない。


 ほっと息を吐く針鼠。無謀極まりない好奇心豊かな子どもを持つ親の心地だった。


「ところで、お前さん達は明日も動くのか?」

「……まあ、そうなるかな。当初の予定が遅れた分、取り戻さなきゃいけないし」


 針鼠は片刃のナイフを砥ぎ、刃先の厚さを確認する。薄くしすぎると刃こぼれしやすくなるのだが、こればかりは経験に頼るしかない。


 刃の流れが僅かにずれている事を確認して、砥石に向き直る。


「几帳面だなぁ、(わっぱ)は」

「……どれだけ準備していても万が一が起こる現実は否定できないからね。自分にできる限りのことは何でもするさ」

「ねえ、もう少しかかりそうなら先に仮眠とってもいいかしら」

「構わないよ」

「ありがとう。少し寝るわ」


 黒髪の少女は呟くと、丸太に腰掛けたままの姿勢で目を閉じた。背筋はピンと張り、最低限の労力で重い頭部を支える姿勢――効率的だが、酷く不自然な寝姿だ。


「……」

「……」


 しゃっ、しゃっ。


 紅一点が寝に入るまで、男性陣が口を開くことは無かった。グリッタが酒を注いでは嚥下する音と、水を引いた砥石の上をナイフが往復するだけの音が響く。


 一時間ほどして納得いく仕上がりになった鋭利な輝きを前に一人頷くと、少年はそれを懐に戻した。その様子を見て、用意していた酒が尽きたらしいグリッタが口を開く。


「……(わっぱ)、お前……暗殺者みてぇだな?」

「そう?」

「ああ。というかその砥ぎ方、殆どプロ並みじゃあないか。もしやその若さで工房でも持ってるのか?」

「持ってないよ。そもそも俺は雇われだし」

「雇われ!? んなやべぇ服を着てて雇われ!? っと悪い叫んだ。……いやいや、冗談は止してくれ、良くて裏家業の重鎮かその参謀ぐらいの能力はあるだろうに」

「……何故、裏家業限定の例えなんだ……?」


 黒い服を着ているからといって闇寄りの人間だとは思われたくないな、と口調を戻しつつ、酔いが醒めつつあるらしい商人の方に目を向けるハーミット。


 昨夜のこともあるので、ゴーグルーも鼠頭もそのままだ。ラエルの額にもゴーグルーがのっている。グリッタは目を細めて、酒を足した器をぐるぐると回した。


「常に受け流す壁(パリング)展開して歩いている様な奴が、只の(わっぱ)の訳ねえだろう。それに、心優しいお兄さんまで警戒されている」

「そんなことは無いと思うけどな」

「ほれ。また()()だ――常日頃から他人ばかり観察している目を舐めてくれるなよ。お前さん、お兄さんの前で名前を口にしたことすらないだろう。明らかに普通じゃない」

「……」


 鼠顔がもさもさと動く。針並みが揺れる。

 グリッタは、第二大陸で見たどの獣人とも違うその姿を訝し気に眺める。


「イシクブールには、何をしに行くんだ?」

「人探しだよ」

「即答か」

「それ以外の目的がないからね。即答もするさ――あ、でも仕事はしないといけないね」

「仕事?」

「情勢調査だよ。俺たちは某国の役人だから、出張って感じかな」


 少年が案外素直に素性を明かしたのでグリッタは目を丸くしたが、それ以上に内容が内容である。思わず首を傾げる。


「や、役人? 子どもがか?」

「見た目に年齢が合わないことは重々承知ではあるけれど、俺は成人してるからね」

「嘘だろおい……始めて話した時からませたガキだとは思っていたが……」

「ませたガキってなんだませたガキって」

「しかも役人だって……? 俺も若い頃試験を受けた事はあるが、国直下の組織ならどこも難関の筈だぞ。マジかよ」


 針鼠の少年は顔を伏せることで相槌をうつ。


 まあ、少年は厳密には役人になるための試験は受けていないし、それは少女も同じだ。

 まだ起きているだろうラエルの様子を確認しながら、ハーミットは身体を起こす。


「ところで……グリッタさんは、自分の身は自分で守れる人?」

「ん? 何だよいきなり。物騒な話題に切り替えたな!? まあ、たまには乱闘することもあるが……好まないな」

「そうなんだ」


 呟いた少年の声に合わせ、音もなく紫の目が開いたことに、商人は喉を鳴らした。すっかり寝ていると思っていたのだが本当に仮眠だったらしい。


「あれ、起こしちゃった」

「……しらばっくれないで。気づいてたくせに」

「ははは。君も、俺のことを過大評価するのは辞めてほしいかな」


 腰を上げてうんと伸びをする針鼠と、目を擦りながら肩を解す黒髪の少女。

 黒髪を結い直し、三つ編みに纏めると背中に流す。カンテラの橙に反射する黒い瞳から読み取れる感情はなかった。


「それじゃあグリッタさん。俺たちはもう行くけど、くれぐれも夜襲には気を付けて。売り物を盗られることが無いように」

「……お、おう。お前さんたちも道中気をつけるんだぞ」


 ぽん、と音を立てて草原に現れた大型グラスクラフトのハンドルを少年が握り、後部座席に少女が乗る。呆然とする商人に腕を振って、彼らは颯爽とその場を後にした。


 湖畔は風に波打つだけ。グリッタは虚を突かれて額を抑える。

 あれだけ酒を飲んだというのに――すっかり醒めてしまったではないか。





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