104枚目 「カフス売りのグリッタ」
「蚤の市っていうのは、商人やら一般人やらが掘り出し物を持ち寄って売り合う、ちょっとした祭りみたいなもんだぞ」
「掘り出し物……?」
「そう。今じゃあ簡単に手に入らない珍品に名品! 年季の入った歴史ある焼き物や服! 俺たち商人にとっては新商品の書き入れ時で売れ残りの捌き時、つまり商売時なのさ!」
それなりに予算が無いと良い物は仕入れられないんだがな? と、軽快に笑う商人の男。健康的に焼けた肌に、布で巻いた髪の半分をラメ入りに青く染めている。
商人は名をグリッタというらしい。伸びた両のもみあげは染め残したのか白髪交じりで、年齢を感じさせる。人族の身で大陸を横断しながら行商をしているのだという。
ハーミットや両親を除けば、ラエルがほぼ八年ぶりに顔を合わせたまともな同族だった。
「……っとと。お前さんたちこそ、こんな長蛇の列に並んでまで街道へ出るつもりなのか?」
「ええ。イシクブールに用があって」
「へー! そうかそうか。けどその細っこい足で、無事にたどり着けたものかな! 俺たち商人には馬があるからどうにかなるが、馬車とか相乗りしねぇの?」
商人の言葉に二人は硬直する。値踏みするような目で見られるのは苦手だが、それ以上に気まずいのである。
言葉に詰まった少女をみかねた少年は、それとなく助け舟を出すことにした。
「今は昔より陸路が便利になってるから。心配しなくていいよ」
「ん? 馬より便利って言うと……もしかして駆動持ちか?」
「うん。事前に資格も取得してるよ」
「ほー、そりゃあたまげたなぁ。運転するのは童の方か? それとも?」
「両方乗れるよ。一人じゃあとても、大陸横断はできないからね」
「ほへー!」
(なんだか目まぐるしく表情が変わるわねこの人)
自分の百面相は棚に上げて商人の相手をハーミットに任せたラエルは、列の長さを確認して苦い顔をする。途中まで人数を数えてみたが、やめた。
グリッタはハーミットの話を興味深そうに聞いているし、ラエルには分からない情報をあれこれ口走る。これが、少年が得意とする情報収集の方法なのだろう。
とはいえ、好奇心を抑えられない少女は色々なことが気になりすぎて不安になったので、話し込み始めた鼠頭の袖を引き、振り向いた少年に意見を求める。
せっかく早く出発しようというのに、ここで時間がかかるようなら宿屋を取って明日に出直した方が良いのではないだろうか。
「ねえ、大丈夫なの? 出発の日をずらした方がいい?」
「ん? ……ああ、この調子なら半時間で出られるんじゃないかな」
「半時間って、二時間の間違いじゃあないか?」
「半時間ぐらいだと思うよ。並んでいるのは団体が三組だけみたいだし」
ハーミットは言って、並んでいる馬や馬車が次々と街道へ出ていくのを指す。
そして、グリッタにその指を向け――掌をひらりと返す。
「その中で、ほとんど手ぶらっていうのも珍しいね。馬具の色から見てお兄さんはあの黒曜馬の乗り手なんだろう? 何を売りにイシクブールへ行くんだい?」
「……うん?」
「あっ、勘違いしないで。深い意味はないんだ。グリッタさんがどんな商品を取り扱っているのか知りたいだけだよ」
「あー。一応これでも、界隈には名の知れた商売屋ではあるんだが」
グリッタは言いながら、背負っていた黒のバッグを下ろすと、背中側の開閉口に掌を突っ込んで中身を取り出す。
開かれた手には豆程の大きさのカフスがのっていた。色も多く、どれも装飾が凝っている。
「お兄さん、こう見えても『カフス売りのグリッタ』って仇名がつくくらい業界では有名人なんだぞ。ここで会ったも何かの縁! 買ってくかい?」
「へぇ、色々あるのね」
「俺は要らないかなー」
「はっはっは! 厳しい評価だ!」
笑いながらも「しょぼん」とした商人は、そそくさとカフスを荷物に詰めるとすっくと立ちあがる。商売人として、思考の切り替えは早いようだ。
「ま、そんな訳でお兄さんの荷物は少ないのさ。しかし、蚤の市が目的じゃないとしたら、お前さんたちは何を目的にイシクブールへ行くつもりなんだ」
「人探しよ」
「人探しだよ」
「へぇ、そりゃあ難儀なこった。見つかるといいな」
前に居た馬車がはけたのを確認して、グリッタはこちらに一礼すると列を進んで行った。審査を通ったらしい黒曜馬も、穏やかな顔をして彼について行く。
元気な馬のしっぽと蹄鉄の音が過ぎ、あれだけ混んでいた列の最後に居た筈の二人の順番が回って来る。ハーミットが予想した通り、半刻程しか待たなかった。
「はーい、次の人どうぞ――っひい!?」
チェック表を持った若い衛兵が何故か飛び上がる。周囲の衛兵が一瞬だけこちらに目配せしたが、ハーミットの姿を見つけると即座に顔を背けた。
鼠顔の少年は周囲の反応を気にすることなく、震える青年の前に立つ。
「やぁ、息災かいエヴァン」
「は、はは、息災に決まってるじゃないっすか! っていうか、どうして第三に!? 浮島へ帰ったんじゃなかったんすか!?」
エヴァンと呼ばれた人族の青年は黒髪を振り乱して空を仰いだ。過去に何があったというのだろうか。
「……貴方の知り合い?」
「知り合いというか、悪ガキというか。今はそうじゃないことを祈ってるけど」
「はは、ははははは。ささ、さっさと手続きしちゃいましょ!?」
何が後ろめたいのか、がたがた震えながらメモを取る衛兵。
指文字でミミズ文字を用紙に転写していく。
青年の制服は衣替えを忘れた様に長袖で、これから夏本番だというのに暑そうで仕方がない。挙動も忙しないので余計に暑苦しかった。
「なっ、なんすか!? 眺めても良いことないっすよ!?」
「はは。いや、鍛えたなと思って。良い筋肉ついてるじゃないか」
「うぇ!? あんたの口から褒め言葉なんて、明日は嵐っすか!?」
「煩い、素直に褒めてるだけだよ。ほら、署名する紙を出してくれ」
「ひゃい!!」
終始壊れたテンションで対応する衛兵だったが、若いなりに対応力はあるようだ。針鼠の後ろに見慣れない少女がついていると知って、衛兵の表情筋が小休憩する。
「えっと、そちらは新顔っすね。ハーミットさんの新しい部下っすか……?」
「部下というよりは同僚かな」
「そうなんすかー、ハーミットさんに同僚。はは。なんだか感慨深いっすね」
くしゃりと顔を歪めるエヴァン。目元に深い笑い皺が入った。
叫んでいようが震えていようが仕事はきっちりこなせるようで、衛兵はチェック事項を次々確認していくと、あるところで目を止めて顔を上げた。
「あの、ハーミットさんたちに有償の配達依頼が届いてます。やりますか?」
「……指名は珍しいな。手紙類か?」
「はい。一件なんですけど」
「物を見ないと何とも言えないけど、南以外の天幕市場と、イシクブール宛てならどうにか」
「分かりました。少々お待ちくださいっす」
詰所へ駆けこんだ衛兵を見送って、ラエルは首を傾げた。
「……配達依頼って?」
「第三大陸の街道は商人が多く通っているから、確実に届けなきゃいけない書類以外は委託発送に頼っているんだよ。街から町へ、町から村へ――その逆も然り。旅人や商人はよく動くし、狩人も小遣い稼ぎに利用したりするんだ」
旅人に依頼することも、手紙を届けて欲しい相手を選ぶことも可能だ。
手間賃は手紙を出した本人が支払うが、これは手紙が届かなかったと認められた場合返金される。今回の様に衛兵を介して依頼すると手数料を取られるので、直に依頼するよりは多少割高になるはずなのだが。
「ハーミットは受けたことあるの?」
「いいや、初めてだよ。普通は狩人の掲示板に貼られるような依頼だし――」
「おまたせしました」
詰所から戻って来た衛兵は、申し訳なさそうに封筒を差し出す。
手のひらサイズの茶封筒に緑の封蝋がされている。彼が手にしているのはそれ一つだった。
手に取って裏返してみるも差出人はおろか宛先も書かれていない。
唯一、中に入っているらしい紙の厚みだけが、感じられる。
「一件とは言っていたけどさ。本当に、これだけ?」
「は、はい。みたいっす。やります?」
「受けない理由がないよ。……宛先は?」
「イシクブールで一番でっかいお屋敷、らしいっす」
「……分かった。まあ、聞いて回ってみるよ」
ハーミットは手紙を受け取って、ポーチの中に投入した。
手紙一通が荷物に増えた程度、これからの旅に影響するわけもないだろう。
針鼠の動きを横目に、衛兵はきょどきょどしながら確認事項を口にしていく。
「野営する時は馬車道から離れて陣取ってくださいっす。それと、ここ最近盗賊の被害が多いんで、くれぐれもお気をつけて。特にお嬢さんは身の安全をしっかり確保してくださいっす」
「ええ」
「クラフトの使用許可は下りてますんで、門を出たら乗って良いっすよ――って、ハーミットさん、クラフト乗れるようになったんすか!? かーっ! 羨ましーっ!」
衛兵は一人騒ぎながら、連絡事項のチェックを埋めていく。
ラエルからしてみれば、別の衛兵と見比べても明らかに季節外れの制服に身を包んでいることが気になった――が、ハーミットは突っ込もうとしないし、本人に問う暇もない。あっという間に滞在許可の証であるピンを提示することになる。
「はい、これで二人とも手続き完了っす! ハーミットさんも、あんまり怪我しないように! あとお嬢さんにも怪我させないように!」
「はは。分かってるよ。じゃあ行って来る」
「っす!」
衛兵の声に合わせて、扉が開く。
それは大きな鉄門の中心に作られた、小さな出入り口。
「――わ、ぁ」
光が溢れ、燦々と降り注ぐ。足元は風に波打つ黄緑の海。
船都市サンドクォーツクの外には、見渡す限りの草原が広がっていた。