100枚目 「カムメの石板焼き」
「『パン包み牙魚の香草揚げ』と『カムメの石板焼き』お持ちしましたー」
「ありがとうございます」
礼を言って受け取れば、店員は目を丸くして会釈した。
ラエルはその後ろ姿を見送って、それから目の前に出された料理の位置を入れ替える。
カムメを丸々一羽使用した石板焼きは少女の手前に、魚の香草揚げが刺さったパンが盛られた鮮やかな皿は少年の前に。その他、備え付けのパンが入った籠が対面する二人の間に置かれた。
「……そういえば、お作法って気にした方がいいわよね」
「骨の外し方にコツはあるけど、手を使って大丈夫だよ。一度覚えてしまえば何てことないさ。布巾はそれを使って……あ、そっちのは膝かけ用。こっちが胸元に結ぶ奴」
針鼠の少年は言いつつ、襟を開けて揚げ物を口に含んだ。厚く切られたパンをくり抜いて葉野菜と種油でカラリと香ばしく揚がった魚肉が挟まっている。
咀嚼する間にラエルがどう動くのか見ていたハーミットだが、どうやら固まって動かない少女の様子に観念した。口の中で味わっていた衣ごと、飲み込む。
「ゆっくり教えるから」
「う……ありがとう……」
ここは店の中で一番奥の二人席だ。他の客がいることを考えればハーミットが堂々と口元を晒すわけもいかなかったからなのだが――ラエルが四苦八苦する様子が見世物にならないという点でも、良い席取りだったといえるだろう。
テーブルマナー講習を一通り終えて、鳥の骨を抜き終えた少女は鳥の足のように先がわかれた食器をようやく肉に刺し、口に頬張った。
時間をかけたことで香草の匂いは散っていたが、時間の経過がカムメ肉の旨味を失わせる理由にはならなかった。
「美味しい!」
「それはよかった」
鳥の骨抜きに慣れていない少女を指導していた割には、少年の皿は既に空になっていた。ハーミットは、目の前に盛られたパンの一つを千切って頬張る。
「まぁ、マナーは追々覚えていけばいいものだ――それよりも、昨日までトマのスープセットしか食べようとしなかったし。この土地の料理が食べられるか心配だったから、安心した」
「偏食家みたいに言わないで欲しいのだけど」
「別に偏食が悪いとは言っていないよ。ただ、何事も経験から、だろう?」
「……そうね。言われてみれば、私の故郷にはカムメも居なかったし」
魔導王国に来てからは頻繁に食べたけれど。と少女は言い、また一口頬張る。
微かに香草の匂いが鼻腔を内側からくすぐった。
「三つ首鷹は?」
「あんなのを食べたらお腹を壊すでしょう」
「……」
「ちょっと待って、食べたことあるの? ねぇ、意味深な顔しないで」
意味深な笑みを浮かべながらコートの襟の中にそれを隠したハーミットに、ラエルは思わずため息を吐く。目の前の石版は既に冷め始めており、入店からすでに半刻程経過していた。
ラエルは最後の鳥肉を胃に流し込むと、出された飲み物を一気に飲み干す。
……氷が解けた冷水だ。
濁りなく透明なそれは、彼女が砂漠での生活で世話になった氷柱の色に似ている。街の位置から考えて、水源は同じなのかもしれないと思った。
「ああそうだ。君がパンを食べている間にちょっとだけ質問させて欲しいんだけど」
「話を逸らしたわね……いつものことだけれど。質問って何よ」
「予習ができているかどうかの確認だね」
「予習ができているかどうかの確認だね?」
嫌な予感がしたラエルは、パンをちぎる手を止めて眉根を寄せる。
朝早いこともあって店内の客入りはぼちぼちといったところだが、それでもここで質疑応答をする必要があるだろうか?
「じゃあ一問目。この街の正式名称は?」
「いきなり!? えと、第三大陸南部クァリィ共和国、船都市サンドクォーツク……よね?」
「正解、では二問目。サンドクォーツクは何を特産としているでしょうか」
「特産? えっと、主な特産物は石材と海産物……街から北にある山脈、竜の尾骨から切り出された晶砂岩が特に有名って聞いたわ」
ああ、でも晶砂岩の採掘場所はサンドクォーツクじゃあないんだっけ……?
ラエルは床のタイルに視線を落としながら答える。
魔導王国では見かけなかったタイル張りの床が、この宿では当たり前に使われている。
廊下でも、室内でもそれは変わらない。陶器製タイルではなく、石製タイル。それは、この街の石材資源が豊かな証拠では、あるだろう。
針鼠は黒髪の少女の回答に満足したように頷く。
「正解、よく勉強してるね。じゃあ三問目」
「まだあるの」
「これで最後だよ」
ハーミットは言いながら、少女の目の前にある、冷えた石板を指す。
そこに在るのは食べ尽くされたカムメの骨と、細かく千切られた香草の残骸。
「君の知識で、この料理を分析してみて。こういう料理がこの土地の名物たる理由を」
「……!?」
黒髪の少女は顔を歪ませた。幸運なことに、彼女の顔が見える範囲に店の利用者は座っていない。
口元をすっかり隠してしまったハーミットの表情は伺えないが、多分楽しんでいるに違いない――とはいえ、このまま答えられないのも癪だと感じたのか、ラエルは思考の海に潜っていった。
「……」
「……」
(流石に、難易度が高すぎただろうか)
パンを食べる手を止めて考え始めたラエルの姿に、過去の自分を重ねる針鼠。
何を隠そう、彼がこの街を初めて訪れた際に「ある人」にされた質問と同じものを少女に出題しているのだ。
そして。当時の少年がどうだったかと言えば――最初の一問目から不正解だった。
(あの頃の俺は、国の名前すら知ろうとしていなかったからなぁ)
「ハーミット」
「ん?」
「……正解かどうかは別として、考えを話すだけでいいのよね?」
「うん」
ラエルはハーミットの言葉に胸を撫で下ろしたように息を吐く。
「例えば貴方が食べていた牙魚なら……サンドクォーツクは船都市って言われるぐらい漁業が発展しているでしょう。牙魚はセンチュアリッジ周辺の海域にも生息していた筈だから、第三大陸の周辺で手軽に漁獲できる食材だと思うの」
ラエルは冷めた石板の上にパンを滑らせる。鳥の油が白い生地に吸い込まれていく。
「使われている種油は……北部と南部を両断している山の麓に緑地帯があるし……平野があるから畑も作ることができるでしょう――ただ、匂いの強い香草は乾燥する地域に多く自生する傾向があるって、少し前に本で読んだのよね。この大陸で採れるかどうかが分からない」
黒髪の少女はそこまで一息に言うと、最後の一切れを頬張る。
味わうように飲み込んで、口を開いた。
「それじゃあ、どうして私が頼んだ鳥料理にも当たり前の用にがっつり香草が入っているのか。栽培するにせよ自生しているものを収穫してくるにせよ、料理名に書かれていなくても使われるのなら、頻度的にとても間に合ったものじゃあない――だから、これは貿易先の作物だと思うの。第二か第五で採れる香草が使われているんじゃないかしら」
「ふんふん」
「それに香草に限らず、香辛料を使う理由には『食料を保存する』っていうのもあるのよね? だとしたら、年中温暖な第三大陸では重宝されてきたのかも。……あっ、カムメは南側には生息しているみたいだし、渡りの時期に捕まえているのかしらね」
「ほうほう」
「……その反応をされるとこっちが不安になるんだけれど……まあいいわ。私が想像できるのはここまで。どの道、ここの料理を二日間食べただけで街の事が分かるなんて、そんな夢みたいな話はないと思う、って言うのが本音よ」
紫の瞳が訝し気に少年へとむけられる。琥珀の瞳と交差することはないものの、魔鏡素材の黒い瞳の内側で彼がどのような表情をしているのか。考える。
たかが硝子玉から感情を読み取れるはずも無いのだが。
針鼠もどきは首をカクリと傾ける。
ラエルの百面相の意図をはかりかねているようだった。
「……それで、どうなの? 三問目は当たっていたの? 間違っていたの?」
「俺は正直、君がここまで答えられるとは思っていなかったんだ。そういう意味では期待値以上の結果だね」
「そ、そうなの」
「うん。多少違うところはあったけど、勘は良い方だと思うよ」
「……っ一言多い!」
「いや、これは褒めてるよ。俺はこの質問された時、散々な結果だったし」
「?」
涼しげな鼠顔でそう言って、ハーミットは席を立った。
食事をするにしては長居している。チップを多めに払わなければいけない。
「話の続きはエントランスでしようか」
ハーミットは戸惑う少女をエスコートするべく茶革の掌を差し出した。
支払いを済ませ、先程座っていたソファに浅く腰掛ける針鼠。
黒髪の少女はその真正面にある簡易の椅子を寄せて腰を下ろす。
「俺がした質問は魔導王国の新人教育に使われる判断材料の一つでね。今回は情勢調査っていう任務があるから、適性を確認させてもらったんだ」
「はぁ」
「もし適性が偏っていても、そこは俺がカバーすればいい。合理的だろう?」
「まぁ、合理的なのかもしれないけれど……」
「そうだね。ただ、世の中にはアネモネみたいな人が少なからずいるから、何が苦手で何が得意なのか――お互いの適性を把握するのは、結構重要なんだよ」
ふと視線を逸らす針鼠。今回の情勢調査とアネモネに一体何の関係があったというのだろうか。鼠頭は咳き込んで、こちらに顔を向けた。
「で。俺は君に、心配する要素は無いと判断した」
「?」
「街について予習した部分は頭に入っているみたいだし……趣味嗜好というか、物の見方が俺とは違うから、合わせたらいい報告書が書けるかもしれない」
「そうなの」
「ああ。例えば俺は人の関わりを中心に考える癖があるから――最後の問題だって、貿易に積極的な街に観光客の流入、魚食ブームと現地の食生活への興味から牙魚を始めとした油料理がウケて取り扱い店舗数が増加、伴ってカムメ肉も良く売れるようになったんだろう。って考えて、北の林は立ち入り禁止だってことを前提にすると材料の殆どは輸入で賄われて、カムメは第三に生産者がいるからそっからかなぁ――みたいな予想の組み立て方をするんだよ」
「……それ、サンドクォーツクの地方紙とか読み込んでないと分からない話じゃあない……?」
「そうそう。だけど、ラエルはこの街のざっくりとした知識と立地だけである程度正解したわけだ。知識もそうだけど、凄いことなんだよ」
できる同僚に恵まれて本当にありがたい。そう言ってハーミットは植物図録を取り出した。
三日目にもなれば行動パターンも読めてくる。彼は今日も、この場所で過ごすつもりらしい。
ラエルも時間を潰すべく手帳を取り出す。
日々の出来事を書き留めるために、購入したものだ。
「うぅ……覚えることが沢山あるわね。資料の知識だけじゃ追いつきそうにないわ」
「そう。だから、聞き込みと体験が調査の基本なんだよ。まあ、君の入国許可が下りないことには調査許可も出ないから、今は予習と復習の時間にあてるといいよ。スケジュール的にはこの街の調査より先にイシクブールへ向かう予定だけど」
針鼠の言葉に、少女の表情は固くなる。
イシクブール。ラエルの両親を乗せた馬車が訪れたと考えられる町だ。
王様から与えられた仕事はこなさなければならないが、事態は一刻を争うものである。
二人はサンドクォーツクの調査を後回しに、まずはイシクブールへ向かうと決めていた。
「この街からは、東の方よね」
ラエルは手帳にチェックを入れ、今日の朝食について書きこむ。
――宿にて朝食、石板焼きの鳥肉は香草に漬けこまれていて美味だった――
書き終えてから、昨日書いた頁を読み返す。一昨日の分も。
「……」
「ラエル?」
「私の日誌、読み返せば読み返すほど、食べ物について語っているわ……」
「……まだ三日目だから。大丈夫だよ、きっと」
不安は尽きないが、ひとまずは待つしかない。
ラエルは手帳を閉じて天井を仰ぎ、ハーミットは手元の図録に目を落とした。