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0枚目 「使者」


 私は彼を知らない。


 矢尻の先で息を引き取った。

 誰かのための歴史を綴っていた。

 誰かのために生きて、誰のせいでもなく死んだ。

 果たして彼は、幸せだっただろうか。


 だからこれは、私が知らない彼の物語。

 私を知っていた彼の事を、私は知らない。







 曰く。物語の主人公は、何かしらを奪われるところから冒険を始める必要があるらしい。

 平和な日常を、人並みの感性を、自由な人生を、保たれた均衡を。失うところから。


「……変な夢」


 目が覚めて早々忘れた幻を指で梳き、それから身を起こす。

 耳に届くのは砂の音。氷柱が日の光に溶ける音。

 鳥の声や虫の羽音は碌に聞こえはしない――。


「……」


 どうやら、まだ彼らは帰っていないようである。


 炭のように黒い木肌で雑に組まれた簡易天幕。その内側に、膝を抱えた少女が一人居る。

 日に焼けた肌には何かに引っかかれたような細かい傷があるものの、命にかかわるような外傷は見られない。


(しつこい。腹を空かせた砂虫に追われた方がマシってものよ)


 霞む目をゆっくりと瞬かせ、天幕の外を覗き見る。昨日と変わらない風景がそこにはあった。


 白い、目が焼けそうなほどに輝く広大な砂の海。遠くの方に虫や魚の姿が見える。もしかすると蜃気楼に似た幻かも知れない。少なくとも結界の内側(こちらがわ)には、生物の影すら無かった。


 少女が天幕に引きこもる原因は、その周囲に張られた球状の結界にある。術者は結界の外にぼんやりと姿を伺える、数人の男の内の誰かだろう。


(いきなり閉じ込められて、もう七日になる……水源は泥にされた上に、砂魚の一匹すら入ってこられない獣避けの結界とか……最悪)


 ただでさえ少ない備蓄も底をつき、更に飲まず食わずで三日が経っていた。育ち盛りの肌は艶を失い、足りない栄養を補うために身体が悲鳴を上げているのが分かる。そうして手元に残っているのは、少し前に砂漠で拾った腹下しの実が一つだけだ。


(……これを食べたら……楽になれる?)


 ふと、そんな思考がよぎる。


 既に空腹を通り越して死に体だった身体は果実に歯を立てようとして、しかし辞めた。かじるために顎を閉じる気力すら、残っていないのである。


 傍らに積まれた数冊の本が目に入る。魔法陣が描かれた魔術書や魔導書。まがまがしくも見えるそれらは母親と父親から譲り受けたものであり――彼らの生死が分からない今、形見に近いものだった。


 少女は砂に汚れた背表紙をなぞりながら、乾いた唇で彼らの教えを復唱する。


「……死ぬことは、悪いこと……」


 座る事すら億劫で。けれど死にきれなくて。

 積まれた本の上に鎮座する八つ目の像を睨みつけた。







 栄養失調で破れた視界に人影が映り込んだのは、次の日のことだ。






かくして物語は始まりを告げることなく終わった訳だけれど、

これから綴るのはそんな彼らのお話。


強欲なる勇者の書、はじまり。はじまり。

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