八十三話 帝国の要求
溜まっていた書類を片付け、アンビトース地域から有用な物品を持ってくる計画を立て終えた。
さて研究部に顔を出せる時間ができたと安堵したところで、帝国の一等執政官であるエゼクティボ・フンセロイアが来る日時となってしまっていた。
「研究部の状況を見に行くのは、会談が終わった後だな」
久しぶりに得た日中の自由時間。ホネスが淹れてくれたハーブのお茶を飲んでフンセロイアが来るのを待っていると、パルベラ姫とファミリスが先にやってきた。
「帝国との会談をすると聞いて、話し合う内容を監視するために同席させていただきますね」
「帝国が無理難題を押し付けて来ようとすれば、パルベラ姫様が阻止してくださる。そのときは感謝するように」
「頼もしいよ。ありがとう、二人とも」
ホネスにパルベラ姫とファミリスの分のお茶も入れてもらい、全員で待ち構えているところに、フンセロイアが案内に導かれてやってきた。
「おやおや。これは盛大なお出迎えですねえ」
フンセロイアは驚いたような声をわざと出して、護衛の人たちと共に執務室に入ってきた。
ホネスがフンセロイアにお茶を配膳したところで、俺の方から話を切り出す。
「それでフンセロイア殿は何用で、やってきたのですか? 借金の取り立てですか?」
俺の冗談半分の質問に、フンセロイアは大仰な身振りで否定してきた。
「まさかとんでもない。事前通達した通りに、ミリモス王子がアンビトース国を打ち破り、新たな支配地として取り込みなさった手腕を、帝国を代表して褒めにやってきたのですよ」
「それはそれは、どうもありがとうございます。でも、それだけではないんでしょう?」
「いやぁ、ミリモス王子は話の早い方で助かります」
フンセロイアは携えていた鞄の中から、数枚の書類を取り出し、こちらに差し出してきた。
受け取って、書かれている文字に目をやると、借金のことについての書類だとわかった。
もしやアンビトース地域の借金を俺に背負わせる気かと身構えたが、それは勘違いだと、書類を確りと読み下していったらわかった。
「ロッチャ地域にかけられている借金の年利を下げるための書類。って本物ですか、コレ?」
複利で年三割だった金利が、半分の一割五分に変更するという書類だ。
帝国の一等執政官が出してきた書類にしては、とてつもなく胡散臭い。なんたってロッチャ地域の借金の年利を下げても、帝国は損しても得はしないんだから。
俺が疑う目を向けると、フンセロイアはこちらを安心させるように純粋な微笑みを向けてきた。
「その書類は、正真正銘本物ですよ。帝国が同格の国相手に、詐欺を働くわけがないじゃないですか」
メンダシウム国との戦争の後に手に入れた、帝国の王のサインが入った『同格国証明書』。それを持つ相手だからこそ、年利の引き下げを行うよう取り計らうということだろうか?
「それにしても、なんで今日この時なんでしょうか。帝国が年利を加算するのは年末だと、フンセロイア殿自身に教えてもらいました。真っ当な考えをするなら、年利の引き下げは加算する前後に話し合うものでは?」
「通常ならばそうなのでしょう。ですが帝国はミリモス王子の手腕を評価し、長い付き合いをしたいと考え、こうして異例な申し出をしているわけです」
フンセロイアの言葉に嘘の響きはない。でも――
「それだけじゃないでしょう?」
「あ、分かってしまいますか。では教えてしまいましょうかね」
フンセロイアは笑みを強めながら、手指を三本立ててみせてきた。
「この配慮をすることに至った理由は三つあります。一つは、ミリモス王子がちゃんと借金を返すよう動いているという点です」
「それは当然のことでは?」
借金をしているんだから、それを返すのは当たり前。
そんな俺が当然と思える考えは、この世界では違っていたらしい。
「国や個人だろうと、借金を抱えた方は踏み倒そうとすることが当たり前なのですよ。だからこそ地上げや追い込みを行う、借金取りという職業が成り立っているのです」
「その言い方だと、フンセロイア殿のような帝国の執政官も借金取りの一類のように聞こえますけど?」
「執政官の仕事は多岐にわたるので、あえて否定はしませんね。事実、こうして借金についての話し合いをしているわけですし」
お道化て言うフンセロイアに、俺は苦笑をしてしまう。
「僕が借金を返す気があると知って年利を下げようとしてくるってことは、元の年利は借金取りを雇う分の上乗せがあったって考えて良いんですか?」
「ご明察です。借金を確実に返してくれると判断できる方に対しては年利を下げる。この政策を帝国が行うようになってからは、優良な債権者はより借金の返済に血道を上げてくださるようになりました。そして借金を踏み倒そうとする方も、若干数ではありますが減りましたね」
「事実上、借金の総額が減るのと同じだからね。真似であっても、借金を返す素振りぐらいはするでしょう」
「いえいえ、似非を見逃すほど帝国は甘くはありませんよ。ちゃんと精査を行った結果で判断いたしますので」
「じゃあ、僕のこと――いやロッチャ地域のことを調べたわけだね」
「帝国の諜報部は、この大陸中にいますので、造作もなく調べられましたとも」
その諜報部の働きがあるからこそ、帝国は他国を侵略をする際に大義名分を掲げることが出来るんだろうな。
「それで、ロッチャ地域が優良な債権者だと判断した、別の理由を聞かせてもらえる?」
「次は鍛冶事業が好調になりつつあるという点ですね。帝国でも、ロッチャ地域で作られた日用品が好調な売れ行きですし」
「帝国だと普通の武器が売れないから、苦肉の策だったんだけどね」
「ご謙遜を。さて三点目は、魔導の技術研究が『面白い』と情報が来ていることですね」
不思議な評価に首を傾げると、フンセロイアが詳しい説明を付け加えてくれた。
「帝国の魔導技術研究は戦争に一極特化してあり、市井に下りる技術はその派生となっています。そのため、戦いに不向きな素材や魔法の種類については、研究は後回しになっています。ですが、ロッチャ地域が行う研究は悪く言えば『手あたり次第』、良く言えば『試行錯誤の連続』であると、報告が上がっています」
確かに俺が立ち上げた研究部では、帝国の技術を後追いする『総鉄製の班』と、ノネッテ国で技術が発進した『青銅製の班』に、別素材を試している『未知素材の班』の三つがある。
研究部のこの多岐性を、帝国は評価したということか。
俺がそう納得していると、フンセロイアの話が続いた。
「これは不確かな情報で判断の考慮外だった情報ですが。ミリモス王子がアンビトース地域から、なにかしら有用な物質を見つけ、輸入しようとしていると。そこに金の臭いを、諜報部は感じたそうです」
「本当に耳聡いですね、帝国の諜報部は」
俺が驚きと呆れ混じりに呟くと、フンセロイアがずいっと身を乗り出してきた。
「なにやら白い砂という情報はあるのですが、どんなものか教えてはいただけませんか?」
ここまで情報を握られているのなら、いま話さなくたって後で調べられてしまうだろうから、恩を売る意味も込めて話してしまう方が良いだろな。
「白い砂というのは、硝子の原材料の一つで――」
俺が現地で見聞きした情報を伝えつつ、研究部に持っていくために確保していた分を、執務室の机の引き出しから出して見せる。
その途端に、フンセロイアの眼が獲物を狙う肉食獣のものに変貌した。
「その白い砂。帝国に輸出はしていただけるのですよね?」
予想外の食いつきに驚いた内心を見抜かれないように、俺はビジネススマイルを浮かべる。
「ロッチャ地域でも使う気でいたので――高く買い取ってくださるのなら、それなりの量を融通しますよ?」
売値を吊り上げようという思惑だったのだけど、フンセロイアの乗り気っぷりは俺の予想以上だった。
「融通ではなく、採取した全量を売っていただくわけにはいきませんか?」
「全てを売るのは、流石に無理です。硝子はどの国にも売れる主力商品になりえますし」
「ではロッチャ地域――いえ、ノネッテ国全域で使う分以外、可能な限りでいいので、多く売っていただくわけにはいきませんか?」
なりふり構わない交渉の仕方に、俺は違和感を覚えた。
「フンセロイア殿にしては、交渉が下手過ぎませんか?」
「ミリモス王子を信用していることもありますが、私の出世に直結する重大事なんです。それは必死になりますとも!」
どうしてそんなに欲しがるのか聞いてみたかったのだけど、この場では聞けないなと考え直す。
なにせ帝国とは敵の間柄である騎士国出身の、パルベラ姫とファミリスが同席している。あの白い砂が帝国にとって重要な物資らしいと判明した現時点ですら、二人から輸出を止めるようにと言ってくるかもしれない状況だし。
「分かりました。白い砂の輸出、出来る限りの量を渡せるよう努力します。でも、無理を通す分だけ、取引額は勉強してくださいよ」
「もちろんです。上に睨まれない限界ギリギリで買い取らせていただきますとも」
フンセロイアはそう言っているけど、きっと俺が交渉を重ねても上司に怒られない一歩か二歩手前の値段にしてくるだろうな。
けどここで、がめつく値段を交渉する気は、俺にはなかった。
下手に目先の利益を上げることを目指すよりも、今後ともフンセロイアといい関係を続けたほうが、後々のためになると判断したからだ。
それにいまのところは、あの白い砂が帝国への借金を減らす材料に使えると分かったことだけで、十分な成果のはずだしね。