七十六話 ロッチャ地域に戻って
石灰石らしき白い砂がある村を出立してすぐに、砂漠の旅は終わりとなる。戦争が起った際にロッチャ地域に作った警戒陣地に入ったのだ。
ここからアテンツァとジヴェルデは、馬車での移動だ。彼女たちはロッチャ地域の中央都の城で過ごしてもらうことになるのだけど、その前に事情をチョレックス王に伝えないと言えないため、ノネッテ本国への旅に同行してもらうことになっている。
一方で、砂漠に連れて行ったロッチャ地域の兵士たちは解散させて休暇に入らせる。護衛は、ロッチャ地域に残していた兵士が交代して行う。
俺も中央都に顔を出して執務の状況を見ておきたかったのだけど、入れ替わりの兵士を連れてきたドゥルバ将軍に止められてしまった。
「統治業務は滞りなく行われております。各地の動向も大人しく、ミリモス王子が都に戻る必要はないと判断します。そのため、アンビトース地域の平定を確かなものするためにも、ノネッテ本国でチョレックス王に裁可を頂けるよう動くべきでは?」
そう言われてしまえば従うしかない。
「このままノネッテに向かうことにするよ。それで魔導具研究の方はどうなっている?」
「状況は芳しくありません。ミリモス王子の監視が外れて、伸び伸びと研究しているようではありますが」
「……戻ってきたら成果を視察に行く、って言っておいて」
俺が戦争と統治でヒーヒー言っている最中、連中が遊んでいて成果がなかったとしたら、ぐうの音も出ないほどにとっちめてやると心に決めた。
そんなことを話していると、特徴的な重々しい馬の足音が聞こえてきた。
顔を向けると巨大な黒馬――ネロテオラがこちらに近づいて来ていて、その手綱を握って歩くファミリス。さらに後ろにはパルベラ姫がいる。
パルベラ姫は俺の顔を見て、体を見て、安堵した表情になった。
「ミリモスくん。無事に帰ってきたようで、安心しました」
「心配かけてごめんね。けど、俺が怪我しなかったことは、ファミリスから伝えられていると思ったけど?」
「ファミリスが私のもとに来てから、何日もこの陣地に戻ってこないし。なにか悪いことが起きたんじゃないかって心配してたの」
「アンビトース地域の混乱を鎮めるために、色々と方策を打つ必要があっただけだよ」
お互いに笑顔で会話をしていると、パルベラ姫は何かを見咎めた様子で、顔を俺から反らした。その視線を辿ると、馬車に乗り換え中のアテンツァとジヴェルデがいた。
「ミリモスくん。あの女性二人は、なんですか?」
なにと言われて素直に答えようとして、はたと問題に気付いて、言い淀む
そしてパルベラ姫は正しい行いを標榜する騎士国の姫。そしてアテンツァとジヴェルデは、アンビトース家が俺を裏切らないための人質。この二つの取り合わせは、なにか拙い気がしたのだ。
しかし、このまま黙り込むとパルベラ姫に俺への不信感を抱かせるので、それはそれで拙い。
どうするべきかを瞬間的に判断して、正直に教えることに決めた。
「アンビトース王家――いや一家に出させた、人質だよ。正確に言うと、あの俺たちと同年代の少女の方が人質で、もう片方の女性は世話係だね」
「ふーん。人質ですか……」
パルベラ姫は、面白くないという表情をしながら、じっとアテンツァとジヴェルデを見つめている。
その態度は、俺に怒って視線を逸らしているというわけではない。どちらかと言うと、あの二人を値踏みしているようだった。
ここで藪をつついて蛇を出すような真似は控えるべきだろうけど、パルベラ姫の意図を知らないわけにはいかない。
「俺が人質をとったことについて、てっきり騎士国は非難すると思ったんだけど」
「ミリモスくんは、人としてあるまじき行いをするために、あの二人を手に入れたんじゃないでしょう?」
「あの二人には人質として多少の不自由は強いるけど、非人道的なことをする気はないよ」
「女性の身を穢すような真似はしないと、そう信じていいのですね?」
「それこそ、まさかだよ。俺がアテンツァとジヴェルデに手をだそうものなら、アンビトース家がアンビトース地域の統治に戻る理由付けを与えちゃうことになる。それじゃあ戦勝で入手した土地を手放すのと同じじゃないか」
統治者として当然の理由を語ったわけだけど、長い付き合いになりつつあるパルベラ姫は建前だと見抜いてきた。
「本音ではありませんね。でも、あの二人のことを気に入って嘘をついているわけでもなさそうです」
女性の勘は鋭いというけど、ここで発揮しなくてもいいのに。
「あの二人とは、手を出す出さない以前に、あまり関りを持ちたくないんだよね」
「それはまたどうしてです?」
「アテンツァ――ソレリーナ姉上に似た背格好の女性は、俺が殺したスペルビアードの妻だったんだ。そしてジヴェルデは、スペルビアードの妹である上に家族を守るために人質に出された。だからどちらも、俺を恨んでいて当然なんだ」
二人の背景を語って納得してもらおうとしたのだけど、パルベラ姫の俺への視線が余計に冷えたようにしか見えなかった。
「戦争で倒した相手の妻と妹を、人質として連れてくるだなんて。本当に、あの二人に手を出す気はないのですよね?」
「本当に本当だって」
「その腰にある、神聖騎士王家の短剣に誓えますか?」
パルベラ姫が言わんとすることは、命を懸けるかということだろう。
それなら返事は決まっている。
「誓える。俺はあの二人を手籠めにする気は、一切ない」
「……信じます。けど、ミリモスくんは注意しておいてくださいね」
「注意って、何を?」
「ミリモスくんが手を出す気はなくたって、あの二人が迫ってくる可能性があるはずですから」
「それこそ、まさかじゃないかな。だってあの二人は俺を憎んでいるはずなんだよ」
「そうでしょうか。憎んでいるにしては、目に敵意が感じられません」
そうかなと、馬車に乗り込んだアテンツァとジヴェルデに視線を向けると、開けられた窓越しに目が合った。
アテンツァは微笑んで会釈し、ジヴェルデは少しムスッとした後で顔を逸らす。
「あれで恨んでいると、ミリモスくんは言うのですか?」
「人質なんだから、あからさまに恨んでいるなんて目はしないものでしょ。それでもジヴェルデの方は隠しきれずに、俺に嫌悪感がある様子だったじゃないか」
「あれは嫌悪感というよりかは……」
パルベラ姫は探るような目をジヴェルデに向け続けたが、数秒後に何を理解したのか納得した様子に変わった。
「とりあえず、ミリモスくんにあの二人を気にする気持ちはないとはわかりました」
「理解してくれて助かったよ」
俺が安堵する一方で、パルベラ姫の表情は硬いままだ。
どうしてだろうと首を傾げていると、パルベラ姫はファミリスに近寄って文句を言い始めた。
「ファミリスが途中で抜けてくるから、ああして新しいお邪魔虫が来ちゃったじゃない」
「ですが、パルベラ姫様。私はパルベラ姫様の護衛です。御身の側を長々と離れるわけには」
おたおたと弁明する姿に、大変だなと他人事のような感想を抱いていると、その考えを見抜いた彼のようにファミリスに睨まれてしまった。
しかし結果として顔を背けたことが、パルベラ姫の癇に障ったらしい。
「ファミリス! 怒られているというのに、どこに顔を向けているんです!」
「パルベラ姫様。いまのは違いまして」
俺は言い合う二人から逃げるように場を離れて、ノネッテ本国への旅路について兵士と打ち合わせすることにした。後でファミリスに恨まれて、キツイ訓練をさせられるだろうなと予想しながら。