七十四話 砂漠の旅
あれこれと手を講じた結果、アンビトース地域の情勢が平静になったと判断できるぐらいにはなった。
フヴェツクに一時の後を任せて、俺はロッチャ地域軍の兵士たちと アンビトース家からの人質であるアテンツァとジヴェルデ、そしてスポザート国の使者のドゥエレファとその護衛五名と共に、ホーフスタの城を出発した。
カミューホーホーをホーフスタで購入できたので、この人数でも旅に必要な物資は十分だ。
移動は、日が陰り始めてから動きだし、夜を超えて歩き、朝日が出た後で地面の砂が熱くなる前に寝床を作って就寝する。そんな昼夜逆転の生活だ。
この旅路は、砂漠の魔物の襲撃もなく、平穏なものが続いている。
それでも、問題が一つだけあった。
人質として連れてきたジヴェルデは、王城から出たことのない箱入りのお嬢様だっただからか、旅の過酷さを数日は耐えたものの、いよいよ参ってしまったらしい。
「うぅ……。気持ちがわるいですわ……」
砂の地面を浅く彫った細長い穴の上に張った覆いの内側で、ジヴェルデがぐったりとしている。
ジヴェルデは俺と同世代の少女なので、体力に問題があると見越して、カミューホーホーに乗せて移動していた。だけど、騎乗移動で消費した体力と乗り物酔いが重なり、動けなくなってしまったらしい。
そんなジヴェルデは、アテンツァに看病してもらっている。
「ゆっくりと水を飲み、ゆっくりと噛み砕いて食事をとるのですよ」
「気持ち悪いから、水も食事も要らない」
「ダメです。どちらも取らねば、ここから先、もっと辛くなりますよ」
「むぅ……。わかった。食べるし、飲む」
アテンツァに介添えされながら、ジヴェルデは水を一口飲み、水でふやかしたパンを一欠けら口にする。
その途端、アテンツァの腹から喉にかけて、ぐっと力が入る――嘔吐しそうになっていた。
「うぐぇ――うぐっ、うぐっ」
「アテンツァ、堪えなさい。上がってきたものを飲み下すんです」
ジヴェルデの無茶な言葉が耳に入り、俺は我関せずを装っていたことも忘れて、思わず割って入ってしまった。
「砂漠で水と食料は貴重とはいえ、水と食料を大事にするあまりに、病人を酷使するような真似はダメですよ。水も食料もまだまだあるんですから、吐かせてお腹をスッキリさせて、体調を整えさせてあげましょうよ」
俺は真っ当なことを言ったはずなのに、アテンツァは困惑顔で、ジヴェルデには睨まれてしまった。
どうしてだろうと首を傾げていると、アテンツァが半目になった。
「ミリモス王子。野外とはいえ、この張った幕の内側は女性の寝所と化しているのですよ。そこに夫でない男性が見にくることは、いかがなものでしょうか」
「あー、ごめん。男女が混じって暮らす兵士生活が長くて、その手の機微が疎くなっていたね。悪かったよ」
旅路の中だし、周りに兵士が多いこともあって、女性に対するエチケットを失念してしまっていた。
そのことは真摯に謝らなければいけないけど、こちらの言い分だって通さないといけない。
「病人に我慢を強いる真似はしなくていいってだけ、心に止めておいてよ」
移動して二人から距離を離そうとする直前に、アテンツァが制止してきた。
「ミリモス王子。一つだけ質問を」
「なにかな?」
「嘔吐する女性を、どう思いますか?」
意味が分からない質問がきた。
きっと、このアテンツァの質問は『ジヴェルデについてどう思っているのか』という言葉の変形だろう。
そこからさらに深く考えると、『人質なのに体調が悪くなり、旅路の邪魔をしていることをどう思っているのか』という疑問なのではないかと推察できた。
「体調が悪いときに嘔吐することは、生理現象と同じようなものでしょ。だから、それについて何を思うかと言われたら、吐きかけられたら困るなってぐらいかな」
「……幻滅したりはしないと?」
「幻滅するには、相手のことを深く知っている必要があるでしょう」
遠回しに、ジヴェルデのことを俺は大して知っていないから幻滅もしないと告げてみたところ、アテンツァがなぜかホッとした様子になった。
その理由を理解する前に、アテンツァの表情が再び厳しいものに変化する。
「お引止めして申し訳ありませんでした。そして寛大なお言葉に感謝します。ではアテンツァの看病の続きを行いますので」
「さっさと離れろって言いたいんでしょ。分かっているよ。吐く音が聞こえないぐらいに、遠くに行きますよ」
俺が冗談交じりに言ったところ、ジヴェルデから叱責がきた。
「なんて女性に配慮のない発言! ミリモス王子はもっと――ぐっぐぁ、ぐぇ」
怒って興奮したことで、体の嘔吐反応が活発になったらしい。
「ジヴェルデ、もう少し我慢して。いま穴を掘りますから」
「も、もう、ダメ――ぐっぐぇ。吐くぅぅ」
慌てるアテンツァと苦しそうに嘔吐を堪えるジヴェルデの声から逃げるように、俺は場所を離れることにしたのだった。