七十三話 ドゥエレファ・アナローギ
ドゥエレファ・アナローギが係の者に連れられて、俺の目の前にやってきた。
布地がゆったりとした衣装を着て、頭にはターバン風の帽子、髭を蓄えた顔、肌は日に焼けて黒い、三十歳にはやや届かない感じの男性。
ここまでは砂漠の民らしい風貌なのだけど、他の人たちは痩せ型か筋肉質なのに対して、ドゥエレファはゆったりとした衣服の上からでもわかるほどには小太りだった。
ドゥエレファが浮かべている優し気な微笑みと合わさって、その太り方は勢の果てに肥えているという悪い印象ではなく、裕福で食うに困ってはいないという証のように感じられる。
こうして俺が容姿をじっくりと見ていることからわかるだろうけど、実はドゥエレファと対面することは初めてだったりする。
俺は兵士訓練でヒーヒー言っていた頃だったので、ソレリーナがスポザート国で行った結婚式に行けなかったのだ。まあ、俺はもともと末の王子という期待されてない存在だったから、結婚式に行けなかった理由の一つに旅費の削減という意味もあったんじゃないかなと邪推しているんだけどね。
そんなことはともかくとして、ドゥエレファが挨拶してくるのを、玉座に座りながら聞いていく。
「お初にお目にかかります。ノネッテ国、末の王子であらせられる、ミリモス・ノネッテ様。わたしめは、スポザート国の国主より戦勝の祝福と友誼を結ぶ使者として任じられました役人――ドゥエレファ・アナローギでございます」
ドゥエレファは言い終わると、深々とお辞儀する。
さて、ここでソレリーナの名前を出さなかったのは、公人としての立場を守るためか、それともソレリーナを出汁に有利な状況を作る気がないのか。
心の内を探るために、こちらから踏み込んでみることにしよう。
「これはご丁寧に、ありがとうございます。ですがドゥエレファ殿は、僕の姉――ソレリーナ姉上の伴侶ですし、もっと砕けた口調で構いませんよ」
王子口調で探りを入れると、ドゥエレファは困り笑顔に変わる。
「いえ、その、恐れ多いです。ソレリーナと――いえ、ソレリーナ様と結婚できたことでも、この身には過分ですのに、他国の王子と対等な口調をするだなんて」
「それぐらい気にしなくてもいいと思いますよ。ドゥエレファ殿は、僕の『義兄上』なのですから」
「ひぁ!? あの、王子から兄と呼ばれることは、その、この小さな心臓が耐えられませんので、どうかご勘弁のほどを」
冷や汗を額に浮かばせて、あせあせと弁明する姿は、誠実さだけが取り柄の小心者にしか見えない。
これが演技だとしたら賞が取れそうな名演なのだけど、ソレリーナは演技が上手い人を夫にはしないだろうしなぁ。だってソレリーナは、嘘や欺瞞まみれの人は好まなくて、誠実さや実直さがある人物を好む傾向がったし。
そう考えると、ドゥエレファは誠実かつ実直な人物。そしてソレリーナを惚れさせた、プラスαの素質があるとするほうが正しいな。
腹の探り合いをする必要はないと判断して、ドゥエレファとはざっくばらんに話し合うことに決めた。
「それで、戦勝の祝いと友誼ってことだけど。本当にそれだけ?」
俺が本来の口調に戻して尋ねると、こちらの変化が意外だったのか、ドゥエレファは目をぱちくりさせている。
「えーっと、ミリモス王子?」
「ああ、こっちの口調が素なんだよ。こうして王子っぽくない方が、ドゥエレファ殿の『小さな心臓』とやらに負担がないと思ったんだ」
「は、はぁ。心遣い、痛み入ります」
ドゥエレファは混乱した様子のままで、自分の役割を果たそうとしてか顔つきを整えている。
「スポザート国の国主より、ミリモス王子のアンビトース国に勝利し、土地を平定なさったことを、お祝いいたします」
「ありがとうと、祝いの言葉を受け取るよ。それで次は、友誼だっけ?」
「はい。スポザート国とノネッテ国は距離は近くとも、山と砂漠に隔たれていたため、いまだ正式な国交は樹立しておりません。ですが、こうしてノネッテ国の支配地がスポザート国と接したことを祝して、正式に友好関係を築きたく思っているのです」
ドゥエレファというよりかは、スポザート国の国主とやらの考えとしては、まあ打倒な方針だよな。
ノネッテ国を外から見ると――元は吹けば飛ぶような国土しかなかったのに、宿敵の間柄だったメンダシウム国と戦い退けて帝国に飲み込ませる形で滅亡させたうえに、製鉄に長じたロッチャ国と砂漠地域の中で一番裕福なアンビトース国を戦争で打ち負かして併合した、いま一番勢いに乗っている国――って映るだろうしね。
真実はともかく、そんな風だと思われる国と敵対するより、友好的な関係になったほうが後々の利益に繋がると考えるのは、簡単な理屈だからな。
ここでようやく戦争になりそうにない隣国が出来そうだと、俺は思わず安堵してしまう。
けど、俺がスポザート国と友好関係になるかどうかを、決めるわけにはいかないんだよなぁ。
「事情は理解しました。でも、俺はあくまで一領主。国家間の友好なんていう国策に当たる部分は、父のチョレックス王の分野。明確な返事はできませんね」
俺が真っ当な理屈を告げると、ドゥエレファは困惑しているのか、また目を瞬かせている。
「なにか疑問があるようだけど?」
「あ、いえ。ミリモス王子が、チョレックス王に義理立てしていることが、少し以外に思いまして」
「義理立てもなにも、俺は領主で、父のチョレックスが王。領地間の通商の話し合いならともかく、国として同盟を組むか否かは、王が決めるのが常識でしょう?」
「確かに真っ当な道理ではあるのですが……」
歯にモノが挟まったような返答に、俺が疑いの目を向けると、ドゥエレファは慌てた様子で弁明してきた。
「そのですね。ミリモス王子の領地であるロッチャ地域は、ノネッテ国の本土よりも広大なのです。そして今回、このアンビトース国の領土も手に入れております。これほどの広大な領地を手中に収めた者は、いままでの世の常識から照らしますと、独立して新たな王として名乗り出ることが流れだろうと、誰でも思うものでして」
「ふむ。つまりさっきスポザート国からの戦勝の祝いがあったけど。これは、新たな王の誕生を先立って祝っているものでもあったわけだね」
「はい。新たな王に一番最初に祝辞を述べた国となれれば、後に続く他の国よりも厚い友誼が結べるものですので」
色々と考えているものなんだなと感心しつつも、俺は疑問があった。
「兵法や軍事的に考えると、新しい王が立つのは厄介事の兆しなんだけど。スポザート国はそうは思わないわけ?」
「えーっと……。これは内緒事なのですが、いまさらなことなので告げてしまいましょうか」
ドゥエレファは困り顔になり、続きを話す。
「スポザート国では、ノネッテ国とアンビトース国が戦争に入ったと知った折に、ノネッテ国に援軍を送る用意を始めていたのです。二面から攻め入れば、アンビトース国を攻め落とすことは容易いと判断してです」
「どうしてノネッテ国を助けようと? 同じ砂漠の国であり隣国であるアンビトース国を援助するほうが筋では?」
「単純に言いまして、ソレリーナの好感度と、アンビトース国への嫌悪感からです」
そういえば、アンビトース家の連中はあまり人望がなかったな。ドゥエレファの前に面会した集落からの遣いも、不信感から独立したいって言ってきたほどだし。
「で、ソレリーナ姉上の好感度って、どういうこと?」
「それはその。夫としては恥ずかしいことなのですが、ソレリーナには、いえ、ソレリーナ様に仕事を手伝ってもらっていまして。その仕事っぷりが、男女問わずに評判でして」
「ああー。ソレリーナ姉上は、ノネッテ国にいたときも、国の経営に手腕を発揮していたと聞いたことがあるな」
その力量は、ソレリーナ姉上がドゥエレファとの恋に落ちなかったら、チョレックス王が後継に任じるほどだったというし。
「そんな国に利益をもたらしたソレリーナ姉上の実家のノネッテ国と、隣国でも嫌な相手だったアンビトース国とを比べたら、まあ戦争の援護に向かおうと考えるのは一つしかないよね」
「はい。一点だけ付け加えるとしますと、ノネッテ国は砂漠での戦いに離れてないから、援護すれば恩に感じてくれるという打算もあってですね。でも、その援軍の準備も無駄に終わってしまったのですけどね。こちらの予想に反して、戦争が終わるのが早すぎましたので」
「はっはっはー。俺が迅速に攻め落としちゃったからね」
そう返答してから、これが『新たな王の出現を認める理由』についての話だったと思い出す。
「要するに援軍を出すことで、仮に俺が新たな王と名乗り出しても阻止できる方法がとれると、スポザート国は考えていたわけだね」
「阻止とまではいいませんが、その新たな王の方針を誘導することは可能であろうとは」
「思考誘導するほど、俺は悪い人間だって思われているわけか」
「いえ、あの、お気を悪くしたのなら謝ります」
「その返答だと、事実だって言っているようなものなんだけど。ああいや、詰っているわけじゃないから。スポザート国での俺の評判が気になっただけだから」
「……本当に知りたいですか?」
「そりゃあね。新しい隣国にどう思われているのか、気にならなるよ」
少しワクワクしていると、ドゥエレファは気乗りしない様子で口を開いた。
「『戦争ッ早い王子』だと、思われております」
予想以上に不本意な表現だったことで、俺は思わずムッとする。
しかし、自分から気になると言った手前、怒るわけにはいかない。
「認識を正す努力は今後していくとして、ドゥエレファ殿はこの後、どうするんです?」
「どうする、とは?」
言葉が足りなかったので、説明をしよう。
「スポザート国と正式に国交を樹立するには、チョレックス王と交渉しないといけないので、ノネッテ国に行く必要がありますよね。俺も今回の顛末と後始末のために向かう必要があるので、一緒に行きませんかと尋ねているんですよ」
「残念ながら、この状況は想定外の事態でして、ノネッテ国へ長旅をする用意をしてきておりません。それに、わたしめには護衛という同行者も数人おりますので、ミリモス王子の旅路に同行するとなると、かなりのご負担をおかけしてしまうしまうと思うのですが」
「こちらは人質と共にロッチャ地域から連れてきた兵士も引き上げるので、多少人数が増えるぐらい、どうってことはないですよ?」
気にしなくていいと言ったのに、ドゥエレファは気おくれした様子を崩さない。
それならと、少し卑怯な物言いをすることにした。
「ドゥエレファ殿だって、生まれたばかりのご自身の赤ん坊を見たいでしょう。俺に同行すると一言いえば、見ることが叶うと思うんだけどなぁ」
「うぐ……。わたくしめも見たく思っておりますが、やはり私事と仕事は分けて考えるべきかと……」
生真面目な返答に、こういう部分もソレリーナは掘れたんだろうなと思いつつ、さらに言葉で押してみることにした。
「ノネッテ国へ行くのは、必要にかられてのことでしょう。なら、仕事と言って良いでしょう。そして仕事の合間に、たまたま仕事先で子供を産むことになった妻の出産に立ち会う。そのどこに悪いことがあるのでしょう」
「それは……たしかにそうなのでしょうけれど……」
「それに、ソレリーナ姉上は産後の肥立ちが落ち着くまでノネッテ国で逗留すると言っていましたので、この期を逃すと『一年以上』も、子供には会えないと思いますよ」
どうするどうする、と返答を迫ると、とうとうドゥエレファが折れた。
「ミリモス王子のお言葉に甘えまして、旅路の同行をお許しいただければと」
「了解。あと数日でこの土地の情勢を落ち着つかせて、フヴェツクに代理を任せられるようにするから、出発はその後になるから。それまで、この都に滞在してて」
「アンビトースの者に、後を任せるのですか?」
「反乱は起こさないよう、手は打ってあるから心配しなくていいよ。もし反乱が起っても、そのときはまた攻め落とせばいいだけだし」
村や集落に手紙を送って、この土地がノネッテ国の領土になったと知らせてある。これで、もしアンビトース家の連中が反旗を翻しても、同調する者の出現は制限できる。アンビトース家の人望が薄そうという理由もあるけど、砂漠の民は国よりも家族を大事にする気質なので、反乱に参加するなんて家族を危険にさらす真似は控えるだろうという予想が立つからだ。
ともあれ、早くノネッテ国へ行けるように、この土地の調定を手早く進めていくことにしようっと。